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新社会人に伝えたい「したたかさ」の話 ⑩

    第9章 最後のアドバイス


    ※本記事は柔道にまつわる物語(自作)を題材に、仕事観に関する考えを展開するものです。柔道初心者の鈴木太郎が指導者である先生とともに、黒帯を目指す過程を描いています。

    <物語>

     黒帯に昇段したら教室を卒業するというルールがなぜ生まれたのか、先生から説明を聞いた鈴木は、「なるほど」と小さくささやきうなずきました。そして、しばらく沈黙が続いた後、鈴木は再び先生に質問を投げかけました。

    「先生。私は今回、昇段試験に合格してある程度自信がつきました。それに、ここを卒業した後も何らかの形で柔道を続けていきたいと考えています。ただ一つ、こんなことを先生に聞くのも野暮かもしれませんが、先生から見て私は柔道のセンスがあると思われますか。まだ伸びしろはあるのでしょうか」

    鈴木が気まずそうにそう聞くと、先生はほほ笑んで次のように言いました。

    「鈴木さんはセンスがあります。まだまだ強くなれると思いますよ。本心からそう思います」

    鈴木はそれを聞いてほっとしました。「ただ、」と先生は続けます。

    「鈴木さんの今後の柔道人生のために、最後に一つだけアドバイスをさせてください」

    鈴木は「ぜひお願いします」と返事をすると、再び視線を先生の方にやりました。

    「鈴木さんはこれから、今よりももっと強い相手と対戦していくことになるでしょう。そうしたなかで、もしかすると限界を感じるタイミングがくるかもしれません。つまり、自分の能力の天井が見えてきた時の話です。妙な言い方かもしれませんが、我々は皆、ライオンやトラになれるわけではありません。多くの人はあるタイミングで、自分がうさぎやミーアキャットのような小さな動物だったと悟ります。でも鈴木さん。だからといって悲観してはいけません。自分が小さな動物であると悟った場合でも、したたかに生きていく生存戦略を見つけていけばいいのです。戦い方に絶対的な型はありません。ですので、根気強く自分なりの勝ち筋を模索していってください。人生も柔道も、本当に強い人というのは、そうしたことを理解している人だと私は思います」

     その後、先生と鈴木はしばらく会話を続けたのちに別れました。駅に向かう道を歩きながら、鈴木は先生との会話を頭の中で思い浮かべていました。そしてふと、先生は自身のことをどうとらえているのだろうかと考えました。もしかすると、先生もライオンやトラにはなれないとどこかで悟ったのかもしれない。初心者向けに特化した柔道教室の指導者というのも、先生なりの生存戦略なのかもしれない。そんなふうに次から次へと想像をめぐらしながら鈴木は帰路につくのでした。


    おわりに

     ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。自分で言うのもなんですが、「現実を見ろ」とか「悪も受け入れろ」とか、気づけば世知辛いことばかり書いてしまい、読んだ方に希望を与える部分が少なかったのではないかと反省しております。ですので、最後だけは、わずかばかり希望につながる話をして締めくくりたいと思います。これも、主に就活生や新社会人など、これから仕事で色々な経験をされるであろう若い人に向けたメッセージです。

    1 仕事の喜び

     仕事をするなかで、時に「この瞬間のために頑張ってきのかもしれない」と思うような幸せな瞬間に出くわすことがあります。それは決して大きなことに限ったものでなくても、例えば、お客様から頂く感謝の言葉だったり、同僚からのねぎらいだったり本当にささいなものも含まれます。そうした仕事の幸せを感じたとき、しっかりとそれを噛みしめてみてください。そして、同時にどういう仕事で、どういう状況下で自分はそう感じるのかも分析してみてください。なぜならば、そこには、あなたが本当にやりたいことの本質が含まれている可能性があるからです。

     本記事の冒頭にも書きましたが、自分は何がやりたいのか、何に向いているのかを見極めるのは至難の業です。ただ、そのヒントは仕事で感じた喜びのなかに潜んでいるかもしれません。ですので、タイパやコスパがよくない部分はあるかもしれませんが、色々な仕事を経験し、しっかりと自問自答する時間を作ることは大切です。その時間は、あなたの人生をより豊かなものにする上で決して損にはならないはずです。

    2 結局、答えはあなたのなかにある。

     あなたが今の仕事をどのようにカテゴライズし、意義付けしていくかは、あなたしか決められません。つまり、ある出来事をポジティブとみなすのか、はたまたネガティブとみなすかは、あなた自身に完全な主導権があるのです。電球を発明したことで有名な発明家のエジソンは、数多くの失敗をしたことでも知られていますが、彼は自分の失敗について次のような名言を残しています。

    私は失敗したことがない。ただ、うまくいかない方法を1万通りみつけただけだ。

    エジソン

    ここまでポジティブに物事をとらえられるのは相当なメンタリティだと思いますが、多少なりともそうした視点を持っておくことは、時にあなたを助けることがあると思います。

    3 今いる場所を少しでも良くしようと頑張る人は尊い。

     私の大好きな作家に夏目漱石がいます。漱石は自身も生きにくさを感じながらも、かすかな望みや人間に対する愛を決してあきらめなかった人だと私は勝手に解釈しています。そして、そうした彼の人生に対する思想が、小説「草枕」の冒頭で展開されています。それは、人間社会で生きる上での本質をつくような美しい文章なので、ここで紹介して本記事を締めくくりたいと思います。なお、冒頭からそのままの形で引用すると文字数が多くなりますので、私のお気に入りの部分を抜粋して掲載しますのでその点はご了承ください。

     山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい。

     住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画(え)が出来る。

     人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向こう三軒両隣りにちらちらする唯(ただ)の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行(ゆ)くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶(なお)住みにくかろう。

     越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげて)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たつ)とい。

     ~省略~

     世に住むこと二十年にして、住むに甲斐(かい)ある世と知った。二十五年にして明暗(めいあん)は表裏(ひょうり)の如(ごと)く、日のあたる所には屹度(きっと)影がさすと悟った。三十の今日(こんにち)はこう思うている。喜びの深きとき憂愈(うれいいよいよ)深く、楽(たのし)みの大いなる程苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片付けようとすれば世が立たぬ。

    「草枕」夏目漱石

    ☆1つ前の話(第8章 師匠との別れ)はこちら


     
     
    労働問題エッセイスト。地方のとある法人で人事や労務、財務といった、いわゆる管理部門の仕事を長年担当してきました。仕事をとおして考えてきたことを気が向いた時に発信していこうと思います。

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