
御床島への架け橋~西海市崎戸町百話#059
第五十九話 御床島への架け橋
1.海の道
御床島へ渡ったことがある。
崎戸島の沖にある、小さな島だ。橋はない。船に乗ったわけでもない。
歩いて渡った。
潮が引くと、崎戸島と御床島の間に道が現れる。普段は海の底にある場所だ。
その道を歩いた。
左右には海がある。足元にあるのは、少し前まで海だった岩場。
そして、しばらくすれば、また海になる場所だ。
不思議な感じだ。島へ向かって歩いているのに、普通の道を歩いているのとは何かが違う。
振り返れば崎戸島がある。前には御床島がある。その二つの島の間を、自分の足で歩いている。
道は確かにある。しかし、本当は存在しない。

2.橋のない島
崎戸島へ来るまでに、誰もがいくつもの橋を渡る。
大島大橋を渡る。寺島を通り、さらに橋を渡る。
崎戸橋。そして、蛎浦島から崎戸島へ入る時の本郷橋。
崎戸島そのものが、橋によって外の世界とつながっている。
橋とは便利なものだ。何時でも構わない。
橋がそこにある限り、自分が渡りたい時に渡ればいい。
「今日は橋がありません」なんてことはない。
ところが、御床島には橋がない。
正確には、いつでも渡れる橋がない。
御床島へ行きたいと思っても、すぐに行けるとは限らない。
海や潮が決める。そして、時間が決める。
月の引力だ。
私たち人間の都合は関係ない。

3.消える道
潮が満ちてくれば、道は消えてしまう。
橋なら残る。人間が造った橋なら、雨が降ろうが、潮が満ちようが、そこにある。
御床島への道は違う。
海の中へ戻る。さっき自分が歩いた場所を、海が覆っていく。
もし知らない人が満潮の時にやって来たら、そこに道があるとは思わないかもしれない。
向こうに島が見える。距離もそれほど遠くない。それなのに行けない。
数時間前には歩いて行けた場所へ、今は歩いて行けない。
何かが壊れたわけではない。通行止めになったわけでもない。
ただ、時間が変わった。
4.余白
昔、私たち人間はいつも待っていた。
船を待ち、列車を待った。手紙や、誰かからの返事を待った。
分からないことがあれば、本を探した。
それでも分からなければ、分からないまま家へ帰ることもあった。
橋も同じだった。
橋がなければ船に乗る。船が来なければ待つ。海が荒れれば渡れない。
人間の都合だけでは決められなかった。
私たちは、それらを一つずつ変えてきた。
橋を架け、トンネルを掘った。道路を造った。携帯電話を持ち、インターネットにつないだ。
待つ時間を減らすことが進歩だった。
西海市にも、その歴史がある。
西海橋が架かり、大島大橋が架かった。
船で渡っていた場所を、今では車で渡ることができる。

5.最適解
そして現在、AIの時代になりつつある。
私が知らないことを尋ねれば、すぐに答えが返ってくる。
これからは、もっと速くなるのだろう。
AIは計算する。
何時に出ればいい。どの道を通ればいい。何時に着く。潮が何時に引くのかも教えてくれる。
御床島へ渡れる時間だって、計算できる。
それでも、AIが御床島への道を出すことはできない。
「今、渡りたい」と言っても、満潮なら海しかない。
「一時間早めてくれ」と言っても無理だ。
AIが最短ルートを提示できても、潮を引かせる奇跡を起こすことはできない。
6.架け橋
御床島には、神が降り立ったという伝承もあるという。
「御床島」
神が休む島とも読めるかもしれない。
もし神でさえ、この島でひと休みするのなら、人間が少しくらい待ってもいい。
橋を架ければ、いつでも渡れる。しかし、その時に失われるものもある。
海を見ること。潮を見ること。そして、待つこと。
御床島には、すでに橋がある。
潮が引けば海の中から道が現れ、人が渡る。潮が満ちれば、その道は再び海へ戻る。
AIの時代になれば、待たなくてもいいことは増えていくだろう。
だからこそ、待たなければ渡れない島が残っていてもいい。
御床島への架け橋は、鉄でもコンクリートでもない。
『時間』。
この橋だけは、未来になっても架け替えなくていい。
園崎咲人