
私は、あの先生のような大人になりたくなかった
あの日、私は先生が怖くなった。
「大人は、子どもを守ってくれる存在。」
私は小さい頃、そう信じていた。
幼い頃に発達障害と診断され、小学校から中学校まで9年間、特別支援学級で過ごした。
小学4年生のとき、一人の先生と出会った。
若くて明るく、学生時代はバスケットボールをしていた先生だった。休み時間には私たちにバスケットボールを教えてくれた。
最初は優しい先生だと思っていた。
でも、その先生には、私たちが知らなかった別の顔があった。
算数の授業中、問題を一問間違えたときだった。
普通なら「ここはこう考えるんだよ」と教えてくれるはずだと思っていた。
しかし先生は違った。
突然、私の机を足で蹴り、
「何で間違えるんだよ!」
と強い口調で怒鳴った。
その対象は私だけではなかった。
同じ特別支援学級のクラスメイトも、同じように怒鳴られ、机を蹴られていた。
私は次第に、授業よりも先生の機嫌を気にするようになった。
「今日は怒られませんように。」
そう願いながら毎日学校へ通っていた。
やがて先生の行動はさらにエスカレートした。
ペンを投げられたり、鉛筆を削り忘れただけで机を教室の端へ移動させられたりした。
「ごめんなさい。」
何度謝っても、先生は無視を続けた。
ある日は、ランドセルを持って廊下まで投げられ、
「やる気がねぇなら帰れ。」
と言われたこともあった。
怖かった。
学校では頭が真っ白になり、授業に集中できなかった。
家に帰ると落ち着いて宿題ができた。
すると先生は、
「家ではできるのに、何で学校ではできないの?」
と責めた。
私は答えられなかった。
後になって先生は、その理由を話した。
「彼氏とうまくいかなかったから。」
子どもだった私は、その言葉の意味がよく分からなかった。
でも今、大人になった私は思う。
あれは子どもへの八つ当たりだったのだと。
私は先生が怖くて、「助けて」と言えなかった。
学校へ行きたくない日もあった。
それでも毎日学校へ通った。
今の私は、あの頃の自分に伝えたい。
「よく頑張ったね。」
「あの環境で毎日学校へ通っただけでも、本当によく耐えたね。」
そして、あの頃から変わらない思いがある。
私は、あの先生のような大人になりたくなかった。
だから私は福祉・教育の道を選んだ。
子どもを傷つける大人ではなく、子どもの気持ちに寄り添い、「大丈夫だよ」と言える大人になりたい。
今、大人になった私は、あの頃の出来事を振り返ることがある。
当時は「先生だから仕方ない」と思っていた。
でも今の私は、あの行為は子どもの心を深く傷つけるものだったと感じている。
時代が変わった今では、あのような指導は体罰や不適切な指導として受け止められることもあるだろう。
私は大人になっても、あの頃の出来事を忘れることはできない。
だからこそ、このエッセイを書こうと思った。
もし今、子育てに悩んでいるお母さんが読んでくれたなら、どうか子どもの心に耳を傾けてほしい。
もし今、学校へ行くのがつらい子どもが読んでくれたなら、「あなたは悪くない」と伝えたい。
そして、大人になった今も、子どもの頃の出来事に苦しんでいる人がいるなら、一人ではないことを知ってほしい。
私も、その一人だから。
だから私は、あの日の私が出会いたかった大人になりたい。
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