
アップルパイになりたいりんごのお話 #8
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ある朝、奥の台所から居間を通って和室にやってきたシナモンとラム酒の香りによって、りんごは目を覚ました。
「これは! きっとアップルパイの香りだわ!」
するとチーム・青森は、待っていたといわんばかりに異議をとなえた。
「ちがうわ! あなたの夢はずっと先よ。この場所からは見つけられない。小麦粉やカスタードの呼ぶ香りがしないもの。これは、アップルパイじゃなくて、焼きりんごの香りよ!」
「あなたには無理よ。アップルパイになるなんて」
「そうですよ。そもそも、ここはケーキ屋じゃないんですから。家でアップルパイを作る人間もいるといっても、あの初老の男性は、あまり体調もよくなさそうですから、お菓子作りは無理でしょう」
それでもりんごは、その香りはきっとアップルパイにちがいないと信じていた。
「あぁ、うるさいなぁ!」
とつぜん、チーム・青森の声で目を覚ました彼が、彼女たちに苦言をていした。
じゃがいもだった。
「悪いけど、ちょっとしずかにしてくれないか。まだ早朝だろ」
「ふん、新入りが生意気ね! わたしたち、ずいぶんまえからここに住んでいるのよ。あなたはだれのおかげでここに住めることになったと思ってるの? わたしたちがかもしだす優雅なエチレンガスのおかげよ。そのおかげで、じゃがいもは芽を出さずにいられるの。あなた、自分の芽の毒がどれだけ危険なのか、わかってる?」
「この毒もふくめて、オレはじゃがいもなんだ。毒がなかったら、じゃがいもじゃないだろう?」
彼はゆらゆらとしていて、どこかつかみどころのない雰囲気を持っていた。
「ああ、土の中が恋しいぜ」
りんごは、あまりじゃがいものことを知らなかった。
品種を問われれば、間を置かずに答えられるのは「男爵(だんしゃく)」と「メークイン」のせいぜい二種くらいであった。数ある青果のなかでも、とくにじゃがいもに興味を持ったことはなかった。
じゃがいもは土のなかで育つ。
太陽のひかりを浴びて育つりんごとは、生きてきた環境がまるでちがう。
人間のタナカが、青果たちの話を割るようにダンボールの屋根を開き、顔を見せた。
タナカの手に乗り、ダンボールから旅立つ仲間のうしろすがたを見送ると、残った青森りんごたちは、そのさびしさを紛らわせるかのように、長野生まれのりんごを茶化したのであった。
「わたしたちのほうがおいしそうだから、早くここを去っているのよ」
いくら時が過ぎ去ろうと、チーム・青森たちは容赦ない言葉をりんごに浴びせつづけた。彼女は終着点を示す看板さえ見つけることができなかった。さらには同じダンボールに住んでいる以上、たった0.一秒ですら、完全にチーム・青森から解放されることはない。窓の外のクラブアップルも、変わらず沈黙の先にこちらを見つめている。
日々を耐えて蓄積されたこころの痛みは、ついに実に収まりきれなくなった。
彼女は疲れ果てていた。
小鳥のゆめさんは気が向くと、チーム・青森が眠りについたのを見計らって、籠の扉を開け、例のごとくダンボールをかじりながら、中にいるりんごの様子をうかがった。なかなか眠りにつくことができなかったりんごは、すがるような想いでゆめさんを見上げたが、
「正直もののあたしだからいうけど、鳥の世界じゃ、りんごのいさかいに首を突っ込んだりしないわ。だからやさしい言葉を期待しても無駄よ。ふさぎこんでいても、実が傷むのを早めるだけよ。長野りんごには、夢があるんでしょう? もし夢が叶っても、元気のないりんごにこられちゃ、アップルパイが泣くわよ」
いいたいことをいうと、ゆめさんは籠に帰った。じゃがいもは、気を落としていたりんごに声をかけないではいられなかった。
「ゆめさんって、素直じゃないよなぁ。きみのことが心配なんだよ」
「まだ起きてたの?」
「今夜は寝つきが悪くてね。オレも、青森りんごたちにイライラしているんだ」
りんごは、このまま青森りんごたちとの関係を放置すると、問題の風はりんご内に留まらず、じゃがいもにまで吹いてしまうのではないかと危惧した。もちろん、発端はチーム・青森の態度だという見解に変わりはない。
だが、じゃがいもに迷惑をかけるであろう未来を、そのままにしておくわけにもいかなかった。
翌朝、りんごは勇気をだして、チーム・青森に正面からたずねることにした。
「なにか、あなたたちの気にさわるようなことをしたかしら?」
だが、彼女たちはりんごを無視したのだった。すると、りんごたちの問題に直接介入することを避けていたゆめさんが、りんごの勇気に加勢するかのごとく、いそいそと籠からでると、ダンボールの屋根に着地したのである。
「きこえているんでしょう?」
そのくちばしをまえに、チーム・青森は顔を見合わせた。するとゆめさんは、チーム・青森のなかに一個だけ、「《青森県産》紅玉」と記された黄金のシールを貼っていないりんごがいることに気がついた。
「そうよ、わたしよ。長野りんごのことを悪くいいだしたのは」
「どうして?」
りんごはどうしても理由が知りたかった。
「あなたに理由なんてないわよ。たった一個、長野りんごのあなたに、わたしの寂しさに似たものを見つけたかっただけ。わたし、まさか道の途中で自分だけ、黄金のシールがはがれるなんて予想もしていなかったから。けれど、だんだん自分の振る舞いが恥さらしで、青森りんごの名にふさわしくないとわかるようになってきた。ううん。自分はもう、『りんご』とすら名乗れないんじゃないかって」
小鳥はりんごたちが正面から会話をするすがたを見ると、一歩ずつゆっくりと後ろ足で籠に戻り、もくもくと朝ご飯のアワやヒエを食べはじめた。よほどお腹が空いていたのだと思われた。そして朝ご飯を食べ終わると、ゆめさんはもう一度、意を決した目で籠の外にでてきたのである。
「あたしも悪かったわ」
ゆめさんは恥ずかしそうにいった。
「りんごたちの問題を見て見ぬふりして。あたしはどんなにいそがしくても、いつも羽並みを確認するように、だれかのためには、後ろも振りかえるべきだってこと、タナカとの関係から学んだつもりになってた。なのに、長野りんごが爆発寸前になるまでずっと、古くなった羽根を落として見方を変えようとしなかったし、ぜんぜん行動にうつしていなかった。あなたたちがいなければ、あたしこそ寂しい日々を過ごしていたのにね」
「あせらなくても、あなたの夢はきっと叶うわ」
青森りんごのひとつが、りんごに微笑んだ。
「あなたのペースでいいのよ。おいしそうだからという理由でわたしたちチーム・青森があなたより先に、人間の胃にたどり着いているわけじゃないんだから」
「ほかに理由があるの?」
「理由は単純なの。保存期間よ」
「ホゾンキカン?」
「同じりんごでも、見た目や味だけじゃない、個性があるでしょう? わたしたち紅玉の保存期間は、サンふじのあなたより、とてもみじかいのよ。食べ主、じゃなかったわね、タナカさんは、わたしたちの品種を考えて、早めに食べたほうがいいと判断しているだけ」
「知らなかったわ!」
「ねぇ、あなたはどうしてそんなにアップルパイになりたいの?」
「農園にいたころ、育ての親たちが話していたの。アップルパイを食べたときのしあわせは、みんなとわかちあいたくなるものなんだって」
「まぁ、それはそうかもしれないけれど」
紅玉たちは困惑したようすで顔を見合わせた。
「わたしたち紅玉にとっては、アップルパイになるということが、何だか特別だと感じないわ。もともとわたしたち、煮崩れしにくくてお菓子作りに最高と呼ばれている品種だから」
りんごは、紅玉の言葉におどろきをかくせなかった。
農園に住んでいたころは、仲間たちと当たりまえのようにアップルパイになることを夢に見ていた。いつからかりんごは、その夢が世界中のりんごに共通するものだと思うようになっていたのだ。
「じゃあ、ほかに夢があるの?」
りんごは、新しい仲間たちにたずねた。
「わたしの夢はジャム。太陽といっしょに朝のコーヒーの香りを祝福してから、こんがり焼けた温かいトーストにのって、飛んでみせるの。そうね、バターは気分にまかせるわ」
「あたしはシャーベットかヨーグルトで迷ってる。冷凍庫にも興味があるの。きっと別世界だわ」
「ぼくの夢はベタですが、すりおろしです。人間の疲れた胃腸に休息という名のうるおいを与えて、健康に貢献したいと考えております」
りんごチーズ、りんごはちみつ、りんごマカロンに、りんごラーメン!
青森りんごたちの夢は、りんごがきいたことのない言葉で溢れていた。そして、夢を話す青森りんごたちの輝きもまた、長野の農園で育ての親たちがアップルパイをまえに見せたあの輝きと、なんら変わりのないものだったのだ。