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引き続き翻訳者として指摘します(1) #オザケン #ozkn @iamozawakenji さんへ #人種主義or人種差別
[Last Updated: 2020/8/3] はじめにミュージシャンの小沢健二さん(敬意を込め本稿では『オザケン』さんと呼びます)の下記ツイートに対して、翻訳者としての義憤から連投し、たいへん多くの反響をいただいたツイートですが、いまいちど、その内容を再整理した上で引き続き、翻訳者として本件の問題を提起し続けたいと思います。 Racismの訳語は「人種差別」ではなく「人種主義」です。Capitalismを「資本差別」ではなく「資本主義」と訳すのと同じ。 Ism(主義)は、社会生活の全てに影響します。 今の米国の暴動を見て関心を持ったら、Structural Racism(システムとしての人種主義)を学ぼう。グローバル化の必須科目です。 pic.twitter.com/3qcAcKBzww — Ozawa Kenji 小沢健二 (@iamOzawaKenji) June 1, 2020 1.「指摘」スレッドについて「翻訳者として指摘します。滅茶苦...」、@tkatsumi06j さんからのスレッド - まとめbotのすまとめ💫T.Katsumiさんから「翻訳者として指摘します。滅茶苦茶です。Racismとは厳密には「人種差別主義」です。Googsumatome.comこの「指摘」スレッドの意図は、多くの方がコメントされているようにオザケンさんの英語力を疑問視した上でそこを突くものではなく、彼自身が重視する『解説』のアプローチについて異議を唱えるものでした。また、オザケンさん自身のBLM(#BlackLivesMatter)運動の認識に問題があるとも考えていません。前述したように、オザケンさん自身の『解説』が訳語、背景の説明も含め、「拙い」のではないかということであり、これに英英辞書における定義、定訳の説明等の解説を交えて「補足」した積もりです。実際、BLMの背景にある構造的差別に対する理解はほぼ同じのように思えます。 USの辞書Merriam-Websterが、Racismの定義を変更する。現状「人種主義に基づく政治的&社会的システム」とある定義を更に深め、今のBlack Lives Matterな英語に準ずるそう。一方Racismを人種差別と訳してきた日本の体裁と、人種主義という平明な直訳を必死で避ける習癖。でも言葉って、解説なのです。 https://t.co/6rxUZPR7yT — Ozawa Kenji 小沢健二 (@iamOzawaKenji) June 15, 2020 私がまず翻訳者として義憤を感じたのはcapitalismの解説のくだりでした。 Racismの訳語は「人種差別」ではなく「人種主義」です。Capitalismを「資本差別」ではなく「資本主義」と訳すのと同じ。 そんな安直な説明あるかと、率直に憤りが隠せませんでした。 「翻訳者がどれだけ細心の注意を払ってこういう社会的にセンシティブな用語の翻訳行ってると思っているんだ。ふざけんな💢」の気持ちをかぎりなく理性的に表してみました。ご笑覧ください。 https://t.co/lpqmGhVUdN — 💫T.Katsumi (@tkatsumi06j) July 27, 2020 次に、Google訳を出していたことに憤ったのは、訳が間違っているからではなく(表記がおかしいのは十分承知ですが問題はそこではない)、重大な問題提起をするのにGoogle程度の(信頼性の低い)機械翻訳を使うな、という思いでした。オザケンさん自身がGoogle翻訳に頼っているということはないと思います。長年米国在住だった筈ですから。ただ、端的に例を示すために一般に馴染みのあるサービスを持ち出したんだと私は理解しています。 こちらでレスしたとおり。オザケンさんの主張のスタイルやこれまで主張してきたことなどは、私はファンではないので当然承知しておりません。そこで、あの1本のツイートに散りばめられた表現を一つ一つ拾って「解説」していきました。それが多くの方に伝わったのは幸いだったと思います。 2.訳語解説①racismの訳語 racismとは厳密には「人種差別主義」。人種により差別することを至上とする主義です。その定義は米Merriam-Webster辞典によると、次の通りです。 米Merriam-Webster辞典における「racism」の定義(抜粋) 1「人種を人間の特性と能力の第一義的な決定要因とし、人種の相違が特定人種の生来の優位性を定めると捉える考え方」“a belief that race is the primary determinant of human traits and capacities and that racial differences produce an inherent superiority of a particular race“ 2a「racismの想定に基く教義又は政治的プログラムであって、その原則を実行するよう設計されたもの」"a doctrine or political program based on the assumption of racism and designed to execute its principles" 2b「racismを基礎とする政治的又は社会的なシステム」”a political or social system founded on racism 3「人種的偏見又は差別」”racial prejudice or discrimination” 以下、定義1については歴史社会学者の野崎氏の翻訳を参考に改訳。 この定義に基づく俗称が「人種差別」であり現在、一般にどの辞書でも定着した訳(定訳)となっています。人種を人間の至上の差別化要因とするイズム=主義であり、したがって「人種を至上のものとし、人種によって他の人種を差別することを是とする考え方」。 これが「人種差別主義」(racism)の意味です。 ②discriminationの訳語 一方、老舗の英英辞書でも熟語であるracial discriminationは一語では解説されませんが、discrimination単体で「偏見に基づく言動や処遇」を意味し、racial discriminationの熟語の一部となったracialは「人種による」「~に基づく」「~に対する」の意となります。したがって「人種に対する偏見に基づく言動や処遇」すなわち人種に基づく具体的な行動を指します。 米Merriam-Webster辞典における「discrimination」の定義(抜粋) 1a「偏見に基づく、若しくは偏見的な見方、行動又は処遇」“prejudiced or prejudicial outlook, action, or treatment" 1b「個別ではなく無条件に区別する行為、慣行、または区別されている事実」"the act, practice, or an instance of discriminating categorically rather than individually" racismが人種差別主義という「主義」であるのに対し、racial discriminationは「racismの発露によって生じる行動や言動や処遇」を意味します。偏見や無理解に基づくものであればracial discrimination、他の人種を劣等とみなす主義故の言動であればracist actとなります。 ③systemic racismの訳語 最後に、systemicは、systematicとは異なり「システムの~」という意味ではなく、下記dの解説にあるように「経済、社会又は政治的に支配的な慣行の礎」あるいは総じて「全体に蔓延している状態」を指す形容詞です。 つまりsystemic racismとは「社会、経済、政治的に支配的で、全体的に蔓延している人種差別主義」を指します。これが、今『#BlackLivesMatter』運動により世界に知られるようになったアメリカ社会の深刻な病巣です。 米Merriam-Webster辞典における「systemic」の定義(抜粋) a 「一般に全体に影響する」"affecting the body generally" d「経済、社会または政治的に支配的な慣行の礎となるもの」 “fundamental to a predominant social, economic, or political practice“ 一方で、社会にただ蔓延するだけでなく、法律によって体系化された人種差別をinstitutional racismまたはsystematic racism(制度的人種差別または構造的人種差別)と言います。人類史でこれに冠たるものが南アフリカが行った人種隔離政策「アパルトヘイト」です。これがまさに「システム化された人種差別」(systematized racism)です。ここで初めて「システム」が意味を持ちます。またアメリカ史上でも同様の「制度的人種差別が行われました。悪名高い「ジム・クロウ法」です。これも黒人と白人の権利や立場を明確に分け、黒人の権利を極限まで制限する人種隔離政策(racial segregation)でした。 米Merriam-Webster辞典における「systematic」の定義(抜粋) 1「体系に関わる又は構成される」"relating to or consisting of a system" 3「手順又は計画に準じて周到に」“methodical in procedure or plan“ 最後に、Structural racismのstructureは「構造」すなわち社会構造を示します。かみ砕いていうと「社会構造によって生じる人種差別」のことを指し、一般には「構造的人種差別」を指すと解されます。 米Merriam-Webster辞典における「structural」の定義(抜粋) 2a「〜の、構造的に関わる又は影響する」 "of, or relating to, or affecting structure" 3.「コメント」スレッドについてThread by @tkatsumi06j: 翻訳者として指摘します。滅茶苦茶です。Racismとは厳密には「人種差別主義」です。Google辞書程度で強弁なさらないでください。人種で差別することを至上とするイズム(主義)です。Structural racismのstructureは「構造」すなわち社会構造を示します。「社会…Thread by @tkatsumi06j: 翻訳者として指摘します。滅茶苦茶です。Racismとは厳密には「人種差別主threadreaderapp.comオザケンさんの以下の集約ツイートをすべて読んで、翻訳面だけでなく、文化人類学面でもコメントする必要があると感じ、以下コメントしました。 結果、このツイートに付随するメッセージから、より大きな地球規模的意味での『人種主義』を表現しているのだということが理解できました。 差別はすでに内包されているのだと。 神話の時代、バベルの塔で神に挑んだヒトの言葉と種を分かつ制裁を神が下したときから原初の罪として存在する差別のことだと仰っしゃりたいのかと思ったのですが、違うようでした。 ただ、古代文明の時代から存在する『人種主義』(太古の昔は勿論科学も政治も進んでいませんから「人種」ではなく「民族」「部族」単位で構造的差別=奴隷化を行っていました)を『システム』とすることには違和感があります。 話を大きくし過ぎると、主体が曖昧となり、実際に『システム』を創造した者らを免罪することになりかねません。しかし、アメリカに存在するracismを語る場合、これは別です。かつて「制度的人種差別」(institutional racism)であったのがものがその名残を残しています。 アメリカには確固たる構造的差別(systematic racism)が存在していました。それは建国者らによって創始された奴隷制(slavery)という制度。南北戦争を経て奴隷制が完全に廃止されても、この構造的差別は根深く残り、現在の社会全体に蔓延する差別の原型となっています。 詳しくはこちら👇 13TH | Netflix Official SiteIn this thought-provoking documentary, scholars, activists anwww.netflix.comまた法的にも、多くの方が指摘されたように、『合衆国憲法修正第13条』により、米国で奴隷制が「完全に撤廃されていない」ことは厳然たる事実です。『修正第13条』は、奴隷制を廃止した条項でありながら、例外を設けました。『「犯罪者を除く」すべての者が奴隷制から解放された』としたのです。そうして、解放された筈の黒人たちは、すぐに刑務所に入れられ、労働者として搾取されました。 つまり、各種制度により管理される人種的差別=「制度的人種差別」 (institutional racism)のシステムを作り上げた加害者たち存在しました。その後、このシステムは、民間企業を巻き込む巨大な『カネのなる木』となり、政府容認の制度的差別を含む「構造的差別」(systematic racism)を持続させるマシーンとなりました。これを存続(永続)させた加害者たちが存在します。 詳細は下記noteを参照。 だから、こと『#BlackLivesMatter』について語るのならば、アメリカには人種差別のシステム(=systematic racism)と社会全体的な人種差別(=systemic racism)の両方が存在し、ますます問題を難しくしていることから目を背けてはならないのです。古代文明の時代から地球規模の『人種主義』があるからではないのです。そこを免罪符にしたら、アメリカ人は「世界には古代から人種差別があった。西欧各国は奴隷制を合法としていた」と言い訳を与えるだけです。今も根深く残る systematic & systemic racism はアメリカ独自のものです。人類の太古からの罪ではなく近代アメリカの罪です。 そこは履き違えてはならないのです。 4.「提案」スレッドと提案の撤回理由についてこのツイートを読んで、筆者は批判を承知の上で、翻訳者として、オザケンさんが提唱することに歩み寄ることができるのではないかと感じ始めました。それは、そもそも「○○主義」とスマートな表現に収めようとすることに無理があるのだろうと思えてきたからです。 まず、sexism等の一部例外を除き、思想に関わる「~ism」イコール「~主義」というのが、翻訳の定番(定型表現)となっています。ところが、この定型表現に合わせると思想に関わる「~ism」は全て「〇〇主義」と訳さなければならないような枷を自ら課してしまいます。 racismを『人種主義』とする訳は、97年にルース・ベネティクトの著書"Racism"が訳された時から継続的に使用されてました。この訳は近年「レイシズム」と訳されるようになりましたが、人文系では直近でも『人種主義』が標準的な訳(定訳)となっています。 こうした「定訳」というのはいわば司法における「判例」と同じような効力を持ち、定着するとなかなかそこから逸脱することが難しくなります。しかし、ひとたび特定の分野を離れれば翻訳は「生きた言葉」に戻ります(ここが、もどかしいところでもあります)。 そうして「外」に出たracismは、メディア等で「人種差別」という用語に置き換えられ、これが世間一般の社会通念というレベルにまで浸透しました。「人種主義」という定訳は学術的表現となったのです。それをオザケンさんは、「人種主義」本来の意味を内包したまま取り戻そうとしています。 『人種主義』の定訳が確固とした定義を持つ概念であることは、ちょっとググれば誰もわかります。ですから、この定訳とそこに内包される定義を損なうことなく、「○○主義」という従来の定型から”脱した”形で「差別」という言葉を生きた訳として包含できないか、というのが今回の試みでした。 そのために、具体的な想定も行っていました。 例えば、オザケンさんのいう『人種主義』においては、その構造を意図的に作り上げ永続(perpetuate)させる加害者①と、その作り上げられた構造の中で意図的に多数派あるいは権力側の少数派として人種差別行為を行う者②と、意図せず無自覚にこれを行う者③というのがいると想定されると。だから『人種主義』に基づく差別は、その大枠で意図的でも非意図的でもあり得るし、自覚的でも無自覚的でもあり得ると。 オザケンさんは「人種差別」そのものを『人種主義』に置き換えようとしているので、そこに上記のような細かな分類は存在していないのではないか、ということを想定しました。 そこで、私はこう提案しました。 日本語のニュアンスでは、「人種主義」と言うアカデミックな語彙だけでは、これまで「人種差別」と言う用語が普及してきた以上、これまであった「差別」と言う意味が失われることを懸念するのももっともだと思う。一方で、オザケンさんが提唱する、「人種主義に内包される意味を可視化する」こと、これも重要な試みだと思う。問題はそれを訳語としてどう表現するかであって、「人種主義」「人種差別」いずれの概念も正しく伝わりさえすれば、普及は難しくとも、せめてこの言葉をめぐる論争を小休止することぐらいはできると思う。さて肝心のその表現だが… 「人種主義による差別」又は 「人種主義に基づく差別」ではどうだろうか。 以前説明したように、人種差別行為には2つの種類があり、無知や偏見から来るdiscriminationと、人種至上主義に基づく差別としてのracial actがある。act of racismと言い換えてもよい。 この後者のact of racismを「人種主義に基づく差別」とする。 今のところはこのぐらいしか案が浮かばないが、引き続き考えてみる。皆さんも少し頭を柔らかくして思索してみてはどうだろうか。メインストリームな言葉になるかはともかく、言葉が進化する過程に、関わってみたいと思いませんか? ところが、この提案について議論を始めた矢先にある事実が発覚しました。 このオザケンさんと有志の方々で翻訳・編集した記事に、「人種差別」や「差別」の用語が一切使われないままracismもracistもracialもすべて「人種主義」のみで表現されていたことがわかったからです。ここで、オザケンさんは明確に「翻訳編集」を担当されたと記載されています。 議論の中でオザケンさんを擁護する方々は口々に、「小沢さんは(人種主義と人種差別を)置換えたいのではなく、差別以上の問題だと注意喚起している」だとか、「2つある表現のうち1つを取捨選択するのならば、もう1つは落とされる」というのはなぜ?」と、オザケンさんの意図に「置き換え」はないと、信じて疑わないことを表明しました。私も、最初はそれで信じかかっていたのですが、残念ながら事実は異なることが判りました。 ※ライブ和訳版のYouTube動画も確認しました。 早速、原典を辿り英語原文と日本語訳文の確認を行いました。 Kenji Ozawa 小沢健二 ひふみよ Official Sitehihumiyo.netすると、以下のことが確認されました。 ①日本語訳文には「人種差別」という訳語が一切使われていない。 それだけではありませんでした。 ②「差別」という用語もゼロ さらに原典英語版では、各種キーワードの検索結果は以下の通りでした。 ()内は日本語版での訳語です。 ③コンテクストに応じた訳し分けすらない ・0件 - discrimin (該当なし) ・1件- racial(人種的) ・4件 - racism(人種主義) ・4件- racist (人種主義)※1 ・3件 - systematic racism (構造的人種主義)※2 ※1: note版で後から追加 ※2: 学術表現。本来は「制度的人種差別」 このうち、とくに問題視したのがsystematic racismの訳語です。この用語の訳語は、あらゆる媒体・論文で「構造的人種差別」 あるいは「制度的人種差別」と表記されるものです。「構造的人種主義」は、googleで検索してもこれらの表記に置き換えられてしまうほどにマイナーな表記です。学術論文は引っかかりますが、それ位のものです。(実際にお試しください) つまり同じracism(=人種主義) の訳語を使った熟語でも、「人種主義体制下で生じる racism」を意味する systematic racismは「人種主義体制下」であることを前提に行われる個又は集団(組織含む)の『行為』として「構造的人種差別」あるいは「制度的人種差別」と表記分け(訳し分け)されるべきなのです。たとえば、翻訳記事での以下の文がありました。 訳文 “もうぼくたちには、白人至上主義と構造的人種主義について論議している余裕はありません。“ 原文 "We can no longer afford to participate in theoretical discussions of white supremacy and systematic racism. " 拙訳 “私たちはもはや、白人至上主義や構造的人種差別について理論上の議論を戦わせている状況にないのです。” この文は、白人至上主義という人種主義体制下の「構造的人種差別」を言い表していると捉えるのが正しい解釈です。そして、この白人至上主義という人種主義体制下で行われる構造的人種差別すら「構造的人種主義」と一律に訳し、これを「翻訳編集」でも校閲でもノーマークで出してしまう姿勢に愕然としました。無論、これをそのまま掲載した『東洋経済』もですが。 そこで、残念ながら本提案は一旦保留することにした次第です。 だから、引き続き翻訳者として指摘し続けます。 参照 ●『合衆国憲法修正第13条(13th)』のNetflixドキュメンタリー ※YouTubeで無料視聴可!勿論日本語字幕対応です。 この機会に是非! ●同業でありながら音楽ライターでもある浅沼優子さんの論考

政策立案パターン・ランゲージーーー「政策の作り方」についての言葉
行政職員にとって、政策立案は、身近なようで身近ではない微妙な距離にある存在です。 毎年度、程度の差こそあれ、誰もが政策立案に関わっていますが、政策立案そのものについて議論されることはほとんどなく、機械的にしょうがなくこなさなければならない作業のようになっています。 しかし、政策立案は本来、そこで働く職員の思いを表現していく極めて創造的な行為ではないでしょうか。 下記のスライドは、政策立案の方法論を現場職員の思い・言葉からまとめ上げたものです。 (資料のダウンロードや印刷は、上記スライドの下部にある「オプション>その他」からお願いします) 職員の日々の苦労から紡ぎあげた仮説ですので、学術的な正しさは無いかもしれませんが、そうであるからこそ、現場で悩む職員が政策立案について考えるきっかけになっているのではないかと考えています。 全世界に大きな影響を与えたコロナウイルスは、科学的な知見と人間個人との価値観が日々ぶつかり合う中で、政策はどうあるべきなのか、どうコミュニケーションをし、どう作られるべきなのかという問いを私たちに突きつけています。 政策立案のあり方は、以前から議論されてきたものであり、その意味で古いテーマですが、継続的に改善し続けるべきものという点では、永遠に新しいテーマでもあり続けるものでもあります。今回のコロナウイルスからも、政策立案として学び、次の時代につなぐべきものも少なくないはずです。 この仮説が、みなさんの政策立案を考える「たたき台」として使われ、政策立案をより良いものにしていく一助になれば幸いです。 --- Local Think tank Generative Commons generative-commons@googlegroups.com

【対談】《人間以上》の社会正義を求めて――生田武志 × 井上太一〈後編〉
ジュンク堂書店難波店で行われた、野宿者支援活動の経験をもとに動物論『いのちへの礼儀』を著わした生田武志さんと、動物研究の最新作『現代思想からの動物論』(ディネシュ・J・ワディウェル著)を日本に紹介した翻訳家・井上太一さんのトークイベントの記録です。 開催日:2020年8月30日(日) 16:30~18:00 ジュンク堂書店難波店 司会進行:福嶋聡(ジュンク堂書店難波店店長) 〈前編はこちら〉 動物の品種改良と構築される障害生田 『いのちへの礼儀』を書いていて驚いたことのひとつが、ダックスフントやブルドッグなどの生体改造の問題です。ブルドッグは、18世紀ごろ、イギリスで流行した「牛いじめ」という見世物で牛と闘う犬として開発された、見た目が筋肉質な普通の犬でした。だから「ブルドッグ(牛の犬)」という名前なんですね。ブルドッグの特徴を強調するとドッグショーの審査員に珍重されるので、人為的交配が繰り返され、今のようなブルドッグが作り出された。 ただ、ブルドッグは頭が大きいため、母親の産道を通ることができず、出産はふつう、人の手による帝王切開になります。それに、鼻先が短いのでうまく呼吸できず、睡眠時無呼吸など酸素不足になりやすい上、体温調整も難しく、呼吸不全や心不全で若死しやすい。「もしもブルドッグが遺伝子組換えの産物だったなら、西欧世界全域で抗議デモが巻き起こっていたことだろう」と研究者が言っていますね。また、もともと猟犬だったダックスフントは胴体が長いためにヘルニアなどの関節疾患にかかりやすく、垂れ耳のためにダニの寄生や細菌による外耳炎になりやすくなっています。 こうして人間が犬のかたちを意図的に変え、言葉は悪いですが「奇形」の動物を作りだしてきた(生田注 会場でこう発言したが、「奇形」という言葉はやはり問題があった)。最近では、犬にイソギンチャクの遺伝子を導入して、紫外線を当てると「赤く光るビーグル犬」を作り出しました。「犬を光らせて、どういう意味があるんだ?」と思いますが、ふりかえってみると、ブルドッグの鼻を低くしたり、ダックスフントの胴を長くしたりするのはどういう意味があったんでしょうか。結局、そういった動物の改造がペットに対していまもなお行われているわけです。 井上 動物を光らせるという発想でいうと、カラーラージグラスフィッシュというものがいます。グラスフィッシュという熱帯魚に人工的な色素を注入して売るということはずっとむかしから行われてきました。 さきほど奇形というお話が出たのですが、こういう「奇形」や「障害」ということを話すときに、ほんとうに注意しておかなくてはならないのが、人間社会でいうところの「障害」は、かなりの部分が社会によって構築されているということです。「先天的な障害」があるというよりも、ある身体に適した秩序が社会的につくられていて、それに適合しない人たちの身体的特徴が「障害」と言われてきたという部分は、否めないと思います。 洛北出版から出版された『荷を引く獣たち――動物の解放と障害者の解放』(今津有梨訳、2020年)という本があります。スナウラ・テイラーという方が書いた本なのですが、そこにも、社会モデルや批判的障害学といった分野のなかで最近よく言われている、障害は社会的な構築物だという議論があります。この点を無視してはいけない。 たとえば、視覚障害に関して言えば、障害を持つ人々がプラットフォームから転落するという経験があるわけですが、それは目が見えている人に向けてのインフラづくりが引き起こしている問題です。あるいは、スロープのない施設や、引き戸・押戸・回転ドアなどさまざまな形態のドアを併置している施設というのは、特定の身体能力をもつ人だけが適合できるつくりになっている。そういう社会的インフラ自体が、俗にいうところの「健常者」の身体のかたちに合っていて、それに合わない人たちが「障害者」のレッテルを貼られていく。これは忘れてはならないところだと思います。 ただ、それを踏まえてペットの話に戻ると、ペットは生存できない体に構築されていく。つまり社会環境をどのように変えていっても困難になるような――たとえば、呼吸困難をきたすような体です。あるいは、キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルという犬種は、成長する過程で、体の成長に頭がい骨の成長が追いつかず、脳が締めつけられるという疾患を引き起こしてしまいます。こうなると、社会のインフラを変えることでは解決できない困難を体のなかに埋め込まれている、ということになります。 この動物に負わされる困難と、社会的に構築される人間の障害とは、分けて論じる必要があると思います。ブロイラーもそうです。食用にされる鶏(ブロイラー)などは、従来の倍の速さで成長していく。すぐ肉にできる効率的な鶏だといわれているのですが、一方で、急成長ゆえに内蔵が圧迫されて心不全などを起こしてしまう、あるいは足の骨の成長が追いつかず、立てない体になったり骨折してしまったりする。そもそも長生きができない体につくられてしまっています。この言い方が適切かどうかはわかりませんが、「絶対的障害」とでもいうようなものを負わされている側面はあると思います。 生田 そう考えていると、やはり思うのは「人間はなんてひどいことを動物にしてきたのだろう」ということです。これを考え直さないと我々の存在ってなんなのだろうという話になってくると思います。そういう意味で人間と動物の関係について事実を知り、一から考え始めることが必要だと思うんです。 ピーター・シンガーの問題についていうと、彼は動物の問題と障害者の問題を重ね合わせた議論をしています。生物としての「人間」(human)と、「理性的で自己意識のある存在」としての「人格」(person)を区別した上で、「人格」を持つチンパンジーを殺すことは「人格」ではない人間を殺すより「悪い」とした。「人間と人間以外の動物を比べることは、私にとって、人間は今より少ない配慮をもって扱われるべきだということではなく、動物の方が今より多くの配慮をもって扱われるべきであるという主張なのだ」(『実践の倫理』山内友三郎、塚崎智監訳、昭和堂、1999年)と。これは「人間中心主義」を動物を含む「人格中心主義」に置き換えた革命的な議論だったと思います。ただ、シンガーの議論には障害者を「健常者」や「感覚を持つ」動物に対して「劣る」存在と考えさせる面があって、それは、動物や人間の能力の「多様性」に対するシンガーの理解の狭さから来ているんだと思います。それでも、シンガーの議論が人間と動物の関係を考える上で大きなターニングポイントになったことは間違いない。 しかし、日本ではシンガーの議論しか紹介されず、しかも批判ばかりされている。建設的な議論が進んでいないのですが、これについては井上さんの仕事でかなり改善されてきているように思います。 井上 『現代思想からの動物論』のなかで、ピーター・シンガーは障害が構築されたものだという面を無視して、障害を本質的なもの、所与のものと見てしまっていることを論じています。スナウラ・テイラーも引きながら議論しています。 人間と動物との新たな関係を生田 さて、後半の問題としてあげたいのが、それでは人間と動物はどのような関係を結べるのかということです。いま言ったペットと人間の関係も多くの矛盾を抱えているのですが、矛盾であるがゆえに、悲惨な面もあれば希望もありえると思うんです。 僕は30年あまり野宿者支援をしてきましたが、野宿の人たちと動物のかかわりにはいろいろな側面がありました。野宿者の月収はだいたい3万円ですが、犬や猫を何匹か飼っていて、収入の半分以上を犬や猫の食費に使っている人もいます。つまり、生活費の半分以上を犬や猫に費やしている。相対的には、どんな金持ちよりもペットに献身しています。なぜここまでするんだろうとよく思いました。 考えてみると、野宿の人たちは国家・行政の社会保障から排除され、派遣切りなどがそうですが企業や資本から排除され、家族から排除されている人が多い。つまり国家・資本・家族から排除されると、「社会的排除」という言葉があるように生活困窮になりやすくなります。一方、野宿の人たちと一緒にいる犬や猫の多くは、もともと捨てられていた動物たちです。川沿いや公園でけっこう犬や猫が捨てられているんです。放っておくと死んでしまうけど、「かわいそうだ」と野宿の人が拾って育てていく。そして、社会から排除された者どうしが支え合って生きていく。そのなかで、お互いがいないとやっていけないという強い絆を感じるときがあります。 レベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』(高月園子訳、亜紀書房、定本2020年)という本があります。災害が起こって悲惨な状況になると、人間は自分のことで頭がいっぱいになって人のことなんて考えないと言われているけれど、意外とそうではない。とくにほんとうに深刻な災害になると、むしろ被災者どうしが手をつなぐ。それまで金持ちと貧乏人や、いがみあっていた隣人などが、「ここで助かった命なのだから、意味がある生き方をしなくては」と感じて、あらためて新たな視点から人と人との繫がりをつくることがあると言われています。 これは野宿の現場でもよく言われることで、野宿の人どうしが公園でテント村をつくって、そこでは濃密な人間関係がよくできます。醤油の貸し借りに始まって、助け合わないとやっていけない環境があるので、なにかあったら声をかけあう、助けあうという姿勢がけっこうあります。野宿の人たちの犬や猫との関係も、もしかしたら「災害ユートピア」にちかいのかもしれません。それってもしかしたら、現代の社会――国家・家族・資本のありかた――とはちがう社会、オルタナティブを見せるひとつのきっかけではないかと思うことがあります。野宿というひとつの極限状態の動物と人間のかかわりから、もしかしたら動物と人間の新たなかかわりを見つけることができるのではないか。それは、阪神淡路大震災や東日本大震災の現場に行った時にも思いました。 井上 自分自身が逆境を経験することが、他者の経験する逆境への理解を生むことがある、ということでしょうか。 生田 ひとつは、なにもかも失われている状態になると、「家やお金が大事」といった価値観が吹っ飛んでしまう。あと、もしかしたら死んだかもしれない命なのに、いま助かっている、それはとても大事にしなくてはいけないと思うと、人生や他者との社会関係をまったくのゼロから見つめることになるんだと思います。 井上 そうしてみると、今回のパンデミックは「災害ユートピア」にならずに、むしろ動物支配を強化するような方向に向かってしまった。つまり、肉食産業は批判されることなく、動物の窮状があらたまることもない。むしろ、たとえば「現在の災害で心の癒しが欲しくありませんか」とペットを売り込んでいく。あるいは、学校閉鎖によって牛乳の供給がストップしてしまい、「酪農家の人たちがピンチだから、牛乳を買いましょう」というキャンペーンを農水省までが後押しする。私はこれを惨事便乗型資本主義(ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』幾島幸子、村上由見子訳、岩波書店、2011年)の典型だと思っているのですが、どうしてそういう違いが生まれてきたと思われますか。 生田 パンデミックでは、野宿の問題や震災被災とはちがって、被害を深刻に受けとめていないんじゃないでしょうか。罹ったところでインフルエンザ程度だろうと思っていることがあって、それほど社会観や死生観が揺れるところまで行かなかったような気がします。自分にとって深刻じゃない災害の場合、むしろ自分の生活を第一に守る意識が強くなるんじゃないでしょうか。 「災害ユートピア」については、『いのちへの礼儀』の最後に取り上げたが「希望の牧場・ふくしま」です。もともと肉牛を育てていた牧場が福島第一原発の被ばく20km圏内にあって、牛たちはもろに被ばくしてしまった。牧場の人たちは、もともとその牛を肉にして売る予定だったけど、牛の経済的価値がゼロになってからも餌をあげてずっと生かし続けた。いまでも多くの牛たちが生きています。 これについてはいろいろな意見があります。最初から肉にする予定の牛だったのに、なぜ被ばくしたからといって助けるのか、とか、ペットとして飼っているんですか、とか。でも、これも一種の「災害ユートピア」だったのではないだろうか。つまり、原発事故という極限的な災害のなかで、すべてを失った人間が、あらためて自分と対等な立場に立っている牛を発見して、おたがいに見つめ合ってしまった。自分たちという存在はなにか、牛たちは、命とはなにかということを考えたのではないかと思います。井上さんからは「希望の牧場」の取り上げ方について批判がありましたけれども、ぼくの考えはそういうところです。 井上 そのお話は説得力がありました。私が生田さんに寄せた批判というのは、「希望の牧場」では牛の商業価値がなくなったときにはじめて、この動物たちが生きものとして、生への望みをもつ一個の生命としてみられた、それはとても皮肉なことなのではないか、ということでした。そうではなく、私たちはすべてが滞りなく回っている経済体制のなかに組み込まれた動物たちに寄り添わなくてはならないのではないかと、生田さんに問題提起したのですが、それに対して生田さんがおっしゃっていたのが、さきほどのお話、つまり災害という異常事態を通してはじめて、裸の命と命が向き合ったというお話だったので、それは説得力があると感じました。 パンデミックもそうですが、その他、動物たちを襲う災害は、これまで何度も繰り返されてきました。たとえば畜舎の火事などは人間にまったく被害が及ばないもので、まるで年間行事のように繰り返されています。感染爆発なども、人間に被害が及ばない範囲で何度も起きている。そういうニュースが流れるときに、素通りしてはいけないのではないか。豚コレラでも、日本の豚たちはどんどん殺されていった。そのときに「これはちがうのではないか」と、命に向き合うことが求められているのではないかと私は思います。 生田 もちろん井上さんの批判はよくわかりました。「希望の牧場」は皮肉なかたちで動物の命に向き合うことになったんですが、僕たちはそういう「皮肉なかたち」でしか、動物たちと出会えない世の中に生きているのかもしれないと思います。災害が起こらないと気がつかないような状態です。 井上 ジョン・サンボンマツという人が、私たちの社会に定着した動物産業のメカニズムは、あまりに巧妙に回っているので、そこになにか障害や異常事態が起こらないかぎり、自分たちはその存在に気づくことすらないと言っています。その意味では災害というのも気づきの機会を与える契機になっている。これはほんとうに皮肉なことだと思うのですが。 動物と文学――構造的暴力とは生田 あと、動物と人間の関係において、ひとつの可能性、ありえる方向を指し示すのは文学だと思います。『いのちへの礼儀』で触れたのは、松浦理英子の『犬身』(朝日文庫、2020年)、木村友祐『野良ビトたちの燃え上がる肖像』(新潮社、2016年)、笙野頼子の『おはよう、水晶――おやすみ、水晶』(筑摩書房 2008年)などいくつかの作品です。『犬身』は、日本的な家族の公理系のなかに犬が入り込むことによって、まったくちがう公理系を作り出す、というものでした。『野良ビトたちの燃え上がる肖像』は野宿の主人公が猫を飼っているんですが、その野宿の人たちのなかに、DVにあった女性、難民、障害をもつ人たちがたくさんいる状態になっていて、そこから日本社会のオルタナティブを作り出すという試みが行われている。『おはよう、水晶――おやすみ、水晶』では、苦しみ続ける主人公と猫が支え合う中、小説で言う「霊虫」が「奇跡」の時空へ彼女たちを導いていく。松浦さんも木村さんも笙野さんもそれぞれ視点はちがうのですが、日本の社会や家族が抱える問題が描かれています。木村さんは国家の公理系の矛盾点を、動物と人間との関係という角度から新たに見つけ出し、別の可能性の道筋を探り出そうとされているように思います。その立場は我々に非常に示唆に富むものだと思います。こういったものが日本ではやっと出てきた、という気がします。 海外でいうと、フローベールやメルヴィル以来、近代文学で動物は大きなテーマでした。カフカもそうですよね。けれど日本では、それがほとんどなかったかもしれない。 ただ、よく考えてみると、二葉亭四迷は最後の長編小説『平凡』のなかで犬との関係を熱く語っている。死の直前のインタビューでは、「犬との関係で人生観が変わった」と言っています。ほんとうは『犬の哲学』を書きたいと思っていたけど、それはできなかった。だから小説のなかでちょっと書いたけど、それは本当は残念だったと話しているんですね。 日本の近代文学はある意味では二葉亭四迷から始まったんですが、「犬の哲学」「動物の文学」は日本の近代文学に宿題として残されたんだと思います。ただ、残念ながら、小説家も、小林秀雄をはじめとする評論家も、ほとんど動物の問題について無関心でした。それから100年以上経って、ようやく松浦さんや笙野さん、木村さんなどが小説家の立場から動物と人間の新たな関係をつくり出そうとしている。これは我々が反応しなければならない視点だろうと思っています。 井上 オルタナティブな生き方、新しい人間動物関係を築くという点でいちばん貢献しているのは、わたしはビーガンだと思っています。ビーガンの人びとが、団体運動やネットなど様々な表現を通して、私たちがこれからどういう生き方をしていくべきかを発信している。私はこれがいちばん大事なのではないかと思っています。 文学はまた新しい可能性を秘めたものだと思ってはいるのですが、日本文学史を紐解いてみると、果たして日本の文学者たちが動物問題と真剣に向き合ってきたのだろうかと疑問に感じるところがあります。むしろ文学の力を悪用してきたところもあるのではないか、と。 これはあまり知られていないのですが、井上ひさしという作家は、女性への性暴力を行ってきただけではありません。「猫は高い所から落とされても受け身がとれる」と聞いたので、高所から猫を落としてみたら一瞬で死んだとか、昼寝をしている猫がいたからガソリンをかけてマッチで火をつけたら、大急ぎで駆けて行った、あの猫はいまごろ地球を一周している頃だろう、など、そういう猟奇的な動物虐待にふけった過去を『巷談辞典』(文藝春秋、1981年)というエッセイで嬉々として語っている。 あるいは、詩人として尊敬されている谷川俊太郎は、『しんでくれた』(佼成出版社、2014年)という絵本を出しています。生田さんも引用されているのですが、「牛は死んでくれてハンバーグになった、ありがとう、自分は死んでやれない、なぜなら家族がいて悲しむから」ということを言う。日本で流布している「感謝」という呪文によって、動物殺しの罪悪を忘れ去るという発想を、文芸作品によって強化している側面があります。 私は梁石日ほどの筆力をもって動物問題に切り込んできた作家を一人も知りません。そういう部分で文学者たちの責任はまだ果たされていない。おそらく二葉亭四迷の宿題はまだ終わっていないのではないかと思います。 生田 井上ひさしは、30メートルある火の見櫓の天辺から猫を落としたら「猫はにゃんともいわずに即死した」と書いてますね。彼はこうした虐待を茶化して新聞(「夕刊フジ」)に書いてるんです。1970年代の話ですが、当時、なんの問題にもならなかったらしい。日本社会が動物虐待を問題としていなかったということですね。 井上 しかも動物愛護団体への揶揄としてそれを書いています。 生田 そして、井上ひさしは結婚すると、妻へ激しい暴力を繰り返すようになった。妻の本に詳しいですが(西舘好子『修羅の棲む家』はまの出版、1998年)、動物虐待が女性への暴力へつながっていったんではないでしょうか。ただ、彼自身のこども時代の家族関係も複雑で、おそらく虐待を受けていた。それが動物や女性への虐待につながっていくという「暴力の連鎖」があったのかもしれません。もちろん、そのことで彼の暴力が許されるわけはないですが、暴力の連鎖を断つために、社会的な背景を検討すべきケースだと思います。井上ひさしは文学の世界で「偉い人」になったためか、いまだにあまり批判されませんが、それはしっかりと検討しないといけない。 井上 そういう人物がそういう面を看過されたままで、「偉大な劇作家」や「偉大な詩人」として文壇で崇められていることに、大きな問題があるのではないかと思います。さきほどのお話とあわせて、二つの構造的暴力というものがあります。ひとつは、井上ひさし自身も虐待を受けていたというバックグラウンドがあるかもしれない。そして、それとは別に、猟奇犯罪が作家の評価になんら影響してこなかったことです。これは構造的暴力の典型です。 構造的暴力とはそもそもなんなのだという話ですね。アイリス・マリオン・ヤングという人の用語では「抑圧」ですが、それは直接的な暴力が振るわれる中で、その暴力を容認するような構造のことを指しています。動物への暴力は暴力とみなされない、その構図自体が暴力だということですね。それを構造的暴力あるいは抑圧という言い方をします。 生田 谷川俊太郎の『しんでくれた』については、僕も『いのちへの礼儀』で触れました。そもそも、食べるために人間が牛を殺したのに、「しんでくれた」はないだろうということです。「ありがとう」という言葉が繰り返されますが、動物の問題について「『ありがとう』と言えば済む」という考え方があるんじゃないでしょうか。「牛さん、豚さんに感謝して食べればいいんだよ」みたいな。 これについては思い出したのが沖縄の米軍基地問題です。1995年に沖縄の米軍兵士による少女暴行事件があった後、僕の地元の岡山県議会が沖縄へ「感謝決議」をする動きがあったんです。野党側からの反発があって決議せず、陳情の趣旨だけを賛成多数で採択しました。翌年には、米上院で「日米安保条約に対して沖縄県民の貢献に感謝する」という内容の決議案が提出されています。その後も同様の動きがありましたが、すごく違和感がありました。つまり、自分のしていることをそのままにして責任をとらず感謝をいうのは、「これからもよろしくね」という相手に対する押し付けでしかない。「(基地を引き受けてくれて)ありがとう」は、現実には「これからも(基地を)よろしく」という押しつけなんです。そういう意味で、「ありがとう」は危ない言葉だなと思います。 井上 もともと感謝というのは相手が好意でしてくれたことに対してのお礼の想いです。沖縄はなにも好き好んで米軍基地を背負っているわけではなくて、あれは昭和天皇の判断であり、あの当時の日本に押し付けられたものでしかない。動物についていえば、死と苦しみは人間が動物に押し付けたものでしかないわけです。それを「感謝」というのはナンセンスである。 ちなみに、「感謝」とセットで考えなくてはならないのが「謝罪」です。「ごめんね」というのは「もう二度としない」という思いを込めて言うことなので、「動物たち、ごめんなさい、これからも殺し続けるけど」というのは、全然反省になっていない。感謝もだめ、謝罪もだめ、これらはすべてナンセンスだということです。 生田 井上ひさしも谷川俊太郎も価値のある作品を書いているので全否定するつもりはないです。ただ、たとえば作家が障害者差別をしたらその責任をとらなくてはなりませんし、文学作品が差別を肯定したら、それは批判されるべきです。当たり前のことですよね。けれど、動物に対する暴力は問題とされてこなかった、それ自体が問題だろうと思います。 個人の実践と構造の改革、両方が必要生田 さて、井上さんはビーガンという形で運動をすることが大事だろうと言っていて、僕もそう思うのですが、僕はビーガンになっていません。いまのところフレキシタリアンで、肉はなるべく減らそうとして、かつての10分の1以下には減らしています。肉も卵も牛乳も買っていません。でもやっぱり、外食がむずかしいんです。特に卵と牛乳なしで外食するのはほぼ不可能な感じです。 井上 出汁がいちばんむずかしくないですか。 生田 そうですね。海外と比べて、日本ではベジタリアン、ビーガン向けの外食店はわずかしかないです。ベジタリアン、ビーガンは一種の消費者運動として考えられると思いますが、外食をする場合、現実的になかなか困難です。 井上 そこが非常に悩ましいところで、ビーガンとして現在の動物搾取的な社会秩序に抵抗していくためには、ビーガニズムを実践できる環境が必要になります。ただ、それを進めていこうとなると、企業にビーガン商品の開発へのシフトを促すことが必要で、どうしても資本の秩序にのっとるやり方をとらざるをえない。ビーガン資本主義をめざすことになってしまうわけで、過渡的には必要だと思うのですが、果たしてそれでいいのか、というジレンマはつきまといます。 いま批判的動物研究の分野では、デビッド・ナイバート(『動物・人間・暴虐史――“飼い貶し”の大罪、世界紛争と資本主義』井上訳、新評論、2016年)やジョン・ソレンソン(『捏造されるエコテロリスト』井上訳、緑風出版、2017年)、ジョン・サンボンマツといった学者たちが、「資本主義と動物解放は両立しない」という考え方をとって、民主的な社会主義の構築という議論を進めています。いずれはそういう視点も必要になってくのだろうと思います。ビーガン資本主義であれ、浪費的な社会構造や南北問題が解決される見込みはおそらくないし、企業の成長のために商品開発などでどんどん拡張を続けていく、この終わりなき拡張、終わりなき市場開拓という構造が残ってしまうのであれば、多くの人間集団も他の動物たちも被害を受け続ける。そのことは、解放運動を進めていくうえで持っておかなければならない視点だと思います。 生田 僕も反貧困運動に長く関わっていますが、結局、資本主義を否定しなくてはいけないという議論は必ず出てきます。ただ、突き詰めるとそうかもしませんが、現実問題としては目の前の問題を解決するしかないわけです。 その日常的にやり方の一つとして、肉食を減らす、止めるという方法がありえる。僕は麻婆豆腐が好きなんですが、最近は大豆の肉を買っています。あれは、動物性たんぱく質は入っているんですか。 井上 いえいえ、入っていないです。 生田 あれを炒めて、野菜や豆腐を入れて、麻婆豆腐のもとを入れる。それで十分おいしいです。そういう意味で、ちょっとした工夫でできることもある。 ビーガンやベジタリアンはボイコットという点で消費者運動という面があります。ただ、工業畜産が資本を中心に社会的に行われてきた構造的暴力であるとすれば、制度的に解決する必要があるのではないかと思うんです。それについて、工業畜産税とペット産業税というものがありうるのではないかと考えました。つまり、工業畜産による製品やペット産業に課税して、その資金を動物の福祉(アニマル・ウェルフェア)などに変換することもできるのではないか。 井上 あるいはビーガン商品の開発に、ということもできますよね。 生田 ペット問題にしても畜産問題にしても、今後の政策プランなり、あるいは我々の日常でできることがあります。みんなでアイディアを出し合って、できることをひとつずつ実現していくことが、消耗せずに続けるうえで大事なのかなと思います。 井上 いま生田さんがおっしゃられたことはとても重要だと思います。動物解放論のなかで種差別が人びとの不合理な思考だというスタンスをとってしまうと、大事なのは人びとが合理的に行動することだという話になって、どうしても個人倫理の側面が強くなってしまいます。ただ、これはピーター・シンガーら自身の言葉にその問題を見抜くヒントが隠されていて、「種差別は人種差別や性差別と同様の構造をもっている」と。では、人種差別や性差別、その他には障害者差別、能力差別、階級差別など、それがどんなものかということを考えれば、これは個人の偏見という枠組みだけで語れるものではないのです。 人種差別というのは完全に社会制度、法律や経済のなかにもふくまれている社会的なイデオロギーです。それはほかの差別でも同じです。個々人が動物のための生活刷新をする、その視点はもちろん大事ですし、それがなければ一貫した社会正義運動はできないと思うのですが、それだけで解決すると思ってしまうのも危うい。どこかで構造の変革――法制度や産業構造の改革をはかる必要があると思います。(終わり) - - - - - - - - - - 略歴 生田武志(いくた・たけし)1964年6月生まれ。大学在学中から釜ヶ崎の日雇労働者・野宿者支援活動に関わる。2000年、群像新人文学賞評論部門優秀賞。野宿者ネットワーク代表。「フリーターズフリー」編集発行人。著書に『<野宿者襲撃>論』『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』『いのちへの礼儀――国家・資本・家族の変容と動物たち』など。 LASTDATEwww1.odn.ne.jp井上太一(いのうえ・たいち)1984年生まれ。翻訳家。動物倫理の関連書籍を紹介することに従事し、国内外で動物利用をテーマとする講演活動も行なう。おもな訳書に『侵略者は誰か?』『ビーガンという生き方』『動物の権利入門』など。 ペンと非暴力翻訳家・井上太一のホームページvegan-translator.themedia.jp

序文公開:『ドローダウンー地球温暖化を逆転する100の方法』(期間限定)
翻訳がスタートした『ドローダウン ー地球温暖化を逆転する100の方法』の序文に当たる部分の第1稿を、期間限定で公開させていただきます。 *まだ第1稿の状態ですので、書籍になるときには表現・内容が変わることをご了承ください。意図や目的などの全体像をお伝えするために、第1稿で限定公開させていただきました。 ▼▼クラウドファンディング9月21日(月)まで開催中!!▼▼『地球温暖化をひっくりかえす解決策100【ドローダウン】を出版』 https://readyfor.jp/projects/drawdown *本の事前予約&広めるための活動応援資金をよろしくお願いします! はじまり ORIGINS プロジェクト・ドローダウンの誕生は、恐れではなく、好奇心からでした。 2001年、私は気候分野や環境分野の専門家たちにこう尋ねました。 「地球温暖化を食い止め、逆転させるために何をするべきか、わかっているのですか? 」 私はてっきり“買い物リスト”をもらえると思っていました。 私が知りたかったのは、すぐにでも実行に移せる最も効果的な解決策、それが普及した場合のインパクトでした。その解決策の実行に必要な費用も知りたいと思いました。 返ってきたのは「そんなリストは存在しない」という答えばかりでした。 同時に、あったらすばらしいチェックリストになるだろうと異口同音に言われました。そしてそのリストを作成するのは自分の専門外だ、という声もありました。 それから数年が経ち、私は尋ねて回るのをやめました。私自身もこの問題の専門家ではないからです。 やがて2013年がやって来ました。高い危機感を抱かせる論文がいくつか発表され、思いもよらないことが囁かれはじめました。 ゲームオーバーだ。 いや、本当にそうでしょうか? まだ何とかなるのではないか?本当はどの地点にいるのか? 私がプロジェクト・ドローダウンの結成を決めたのはその時でした。 ドローダウンとは、温室効果ガスがピークに達して、年々減少しはじめる時点のことです。私はこのプロジェクトの目標を、確実な100の解決策を特定、評価、モデル化して、ゲームオーバーまでの30年でどれだけのことを達成できそうか明確にすることに定めました。 本書のサブタイトル『地球温暖化を逆転させるための、史上最も包括的な行動プラン』は、少々おこがましく聞こえるかもしれません。ですが事実、温暖化を逆転させる詳細な計画は未だ提案されていませんでした。 だからこそ私たちはその表現を選びました。 炭素排出のペースを抑えたり、上限を設けたり、止めたりする方法の合意や提案はあり、世界の気温上昇を摂氏2度未満に抑えるという国際的な公約(パリ協定)もあります。 地球に決定的な文明の危機が迫っていることを認め、195カ国が一致協力して異例の前進を遂げ、各国の行動計画を作成しました。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、人類史上最も意義ある科学的調査を完了し、今も科学的知見を磨き、研究を拡大し、想像できるかぎり最も複雑なシステムの1つ、地球温暖化をさらに理解しようと努めています。 しかし、温暖化ガス排出を遅らせる、止めるという以外のロードマップは今のところありません。 誤解のないようにお伝えすると、私たちがプロジェクトの計画を立てたわけではありません。私たちには、その力も、自ら決める権限もありません。調査を進める過程で、私たちはプランを見つけたのです。 人類の集合知として世界にすでに存在している青写真を見つけたのです。 すでに一般的に利用されていて、経済的にも実現性があり、科学的にも妥当な方法、技術を提示しただけなのです。 それらは、世界中の農家やコミュニティ、都市、企業、政府が、この惑星を、そこに住む人々を、そして自分たちの住む土地を気にかけていることの証明でした。 世界中の熱意ある人々が並はずれたことをしているのです。 本書はそんな人々の物語です。 プロジェクト・ドローダウンを信頼できるものにするために、研究者と科学者のグループの協力が必要でした。予算はちっぽけなのに野心にあふれる私たちは、世界中の学生や学者に研究員にならないかと呼びかけました。科学・公共政策の分野のとびきり優秀な男女からの反応が殺到しました。 現在、ドローダウン・フェローは22カ国の70人で構成されています。40%は女性、半数近くが博士号取得者、それ以外の人たちも少なくとも1つは高度な学位を持っています。フェローたちは、世界屈指の権威ある機関で幅広い学術的・専門的経験を積んでいます。 私たちは一緒に気候変動の解決策を集めリスト化し、炭素排出を削減する、もしくは大気中の炭素を隔離する効果・可能性が非常に高いものを選別しました。 次に、文献レビューを集め、各解決策の詳細な気候モデルと経済モデルを考えました。さらにこうした分析の結果を外部の専門家がインプット、ソース、そして 計算の各項目にわたって評価するなど、3段階の精査プロセスを持って検証しました。 私たちは120人から成る諮問委員会を作りました。地質学者、エンジニア、農学者、政治家、ライター、気候学者、生物学者、植物学者、エコノミスト、金融アナリスト、建築家、活動家など、卓越したメンバーの多様なコミュニティを形成して、本書の文章を評価・検証してもらいました。 本書でまとめられ、分析された解決策のほぼすべては、再生力のある経済的成果につながり、安全、雇用、健康の改善、金銭の節約、移動性の向上、飢餓の撲滅、汚染防止、土壌の回復、川の浄化などをもたらします。 それらは確実な解決策ですが、だからといってすべてがベストの解決策というわけではありません。 本書には、少数ながら、その波及効果が明らかに人間と地球の健康に不利益な項目があり、それについては明記するようにしています。 しかし、圧倒的大多数は後悔しない解決策で、最終的に炭素排出や気候に与える影響を脇に置いておいたとしても、私たちがぜひ達成したい取り組みになっています。というのは、どの解決策もさまざまな意味で社会や環境に利益をもたらす方法だからです。 『ドローダウン』本編の最後のセクションは「今後注目の解決策」というタイトルで、出現しかけている、あるいは実現の日が近い20の解決策を紹介しています。うまくいくものもあれば、失敗するものもあるでしょう。それでも、この20の解決策は、気候変動を解決しようと打ち込む人々が注いできた独創性や情熱の証明です。 本書中には、著名なジャーナリストやライター、そして科学者たちによるエッセイのページもあり、個々の解決策の文脈に豊さと多彩な背景を添えています 私たちは”学習する組織”でありつづけます。私たちの役割は、情報を収集し、それを役に立つ方法で整理して、あらゆる人に配布し、本書やウェブサイトdrawdown.orgの情報を誰でも追加、修正、訂正、補足できる手段を提供することです。専門的なレポートと拡大モデルの結果はそこで閲覧できます。30年間を予測するモデルは、推測の域を出ないものになるでしょう。 しかし、私たちは数字が概ね正しいと信じており、読者のコメントや意見を歓迎します。 干ばつ、海面上昇、容赦ない気温上昇から難民危機の拡大、紛争、混乱まで、間違いなく、自然や社会のあちこちで遭難信号が点滅しています。 しかし、それは全体像の一部にすぎません。 信念に忠実に、断固として対応に当たっている人がたくさんいることを、私たちは『ドローダウン』で示そうとしてきました。 化石燃料の燃焼と土地利用に由来する二酸化炭素排出は、そうした対応策より2世紀早く始まっていますが、私たちはそれに賭けようと思います。 今日私たちが経験している温室効果ガスの蓄積は、人間の理解がない中で起こりました。私たちの先祖は、自ら与えていた損害について悪意がありませんでした。 だからこそ、地球温暖化は私たちに起きていること、私たちは先人の行動によって定められた運命の犠牲者なのだとつい思いたくなります。 わずかに言い方を変えて、地球温暖化は私たちのために起きていると考えてみたら、つまり、大気の異変は私たちが何をつくり、どう行動するか、すべてを変えなさい、再考しなさいというメッセージなのだと考えてみたら、全く違う世界に住み始められるのではないでしょうか。 私たちは100%の責任を引き受け、誰かを責めるのをやめます。 私たちは地球温暖化を避けがたいことと見ていません。 私たちが建設的になり、革新し、変化を起こすための機会であり、創造性、思いやり、才能を目覚めさせる道への招きだと見ています。 これは、リベラル派のアジェンダでも、保守派のアジェンダでもありません。 人類のアジェンダなのです。 ――ポール・ホーケン ================== ▼▼クラウドファンディング9月21日(月)まで開催中!!▼▼『地球温暖化をひっくりかえす解決策100【ドローダウン】を出版』 https://readyfor.jp/projects/drawdown *本の事前予約&広めるための活動応援資金をよろしくお願いします! ======================= 言葉について LANGUAGE 孔子曰く物事を正しい名前で呼ぶことが知識の始まりです。 気候変動の世界では、名前が混乱の始まりになることがあります。気候科学には、特有の専門語彙、頭字語、学術後、業界用語があります。それは科学者や政策立案者から生まれた簡潔で限定的で便利な言葉です。 しかし、社会一般の人々とのコミュニケーションの手段としては、溝や距離感ができてしまうことがあります。 学生の頃、経済学の教授に「グレシャムの法則」の定義を聞かれ、型にはまった説明をすらすら答えたことを覚えています。 教授は私を見つめ――答えは正しかったのに、渋い顔つきでした――今度はあなたのおばあさんにもわかるように説明してみなさいと言いました。 それははるかに難しいことでした。私は教授に答えはしましたが、それを私の祖母が聞いてもちんぷんかんぷんだったでしょう。 それは専門用語でした。気候問題や地球温暖化にも同じことが当てはまります。気候科学をほんとうに理解している人はめったにいませんが、地球温暖化の基本的なメカニズムはいたって簡単です。 私たちは『ドローダウン』をどんな背景や考え方の人でも理解できる本にしようとしました。言葉を選び、アナロジー(類推)や業界用語は避け、わかりやすい比喩を用いて気候コミュニケーションのギャップを埋めようと努めました。頭字語やあまり知られていない気候用語はできるだけ控えています。 原則として、略さずに「二酸化炭素」と書き、CH4ではなく「メタン」と書いています。 1つ例を考えてみましょう。2016年11月、ホワイトハウスは今世紀半ばまでに大幅な脱炭素化を達成するための戦略を発表しました。私たちの見方では、「脱炭素化」は目標ではなく、課題を描写する言葉です。 たとえば、石炭、ガス、石油の燃焼という形の炭素、また森林破壊や環境によくない農業に由来する炭素を除去しながら、大気中に炭素を放出して[相殺することで]地球を脱炭素化した、となります。 「脱炭素化」という言葉が使われる場合、ホワイトハウスの例のように、化石燃料エネルギーをクリーンで再生可能なエネルギー源に置き換えることを指します。しかし、この用語は気候変動対策の大きな目標として使われることが多く、それを聞いて人がやる気を出すというより、混乱しそうな言葉です。 もう1つ科学者が使う用語に「ネガティブエミッション」(負の排出、マイナスの排出)があります。この用語は、どの言語でも意味をなしません。ネガティブハウス、ネガティブツリーと言ったらどうでしょう? 何かが存在しないということは何もないのです。この表現は、大気中の炭素を隔離または減らすことを指します。私たちは隔離と呼びます。それはカーボンポジティブであって、ネガティブではありません。 これもまた気候特有の言い回しが世の中の言葉づかいや常識とはかけ離れている一例です。 私たちの目標は、中高生から配管工まで、大学院生から農家まで、できるだけ幅広い読み手にとってわかりやすく、納得してもらえる言葉で気候科学と解決策を提示することです。 私たちは軍事用語も使わないようにしています。気候変動に関する表現や文章の大半は、力に訴える激しい印象です。 炭素戦争、地球温暖化との闘い、化石燃料に挑む最前線の闘いという調子です。なたでも振るうかのように排出量を切り下げることが記事になります。 こういう言葉づかいは、私たちが直面していることの重大さと地球温暖化に対処する時間はわずかしか残されていないという緊迫感を伝えようとしてのことだとは理解できます。 それでも、「戦争」「闘い」「十字軍」などの表現は、気候変動が敵であり、抹殺すべきものという含みがあります。気候は地球上の生物学的活動と相関関係にあり、空の物理学と化学です。気候は長期間にわたって優勢な気象状態です。 気候は、これまでも常に変化してきたのですから今も変化し、これからも変化するもので、気候の変動が季節から進化まですべてを生み出します。 目標は、人間が引き起こしている地球温暖化に対処し、炭素を元の場所に戻して、私たちが気候に与えている影響と調和させることです。 「ドローダウン」という用語にも説明が必要です。 従来、これは軍事力、資本勘定、井戸の水位の減少を表す言葉です。私たちは大気中の炭素量を減らすことを指すのに使っています。しかし、この言葉を使うのはもっと重要な理由があるからです。ドローダウンは、気候についての話からこれまでほぼ抜け落ちていた目標を指します。排出に対処する、排出を遅らせる、排出を阻止する。どれも必要ですが、それだけでは不十分です。間違った道を進んでいるなら、ゆっくり進んだところで間違った道にいることは変わりません。人類にとって意味のある唯一の目標は、地球温暖化を逆転させることです。親、科学者、若者、指導者、そして私たち市民が目標をはっきりさせなければ、それが達成される可能性はないも同然です。 最後に「地球温暖化」という言葉にも触れておきます。この概念の歴史は19世紀にさかのぼります。 その頃、ユーニス・フット(1856年)とジョン・ティンダル(1859年)という科学者が、大気中のガスが熱を封じ込め[(温室効果)]、ガスの濃度変化が気候を変える現象をそれぞれ独自に説明しました。「地球温暖化」という言葉は、地球化学者のウォーレス・ブロッカーが1975年に学術誌『サイエンス』で発表した『Climatic Change: Are We on the Brink of a Pronounced Global Warming?』(気候変動:私たちは顕著な地球温暖化に瀕しているのか?)という論文で初めて使われました。 その論文以前は、「inadvertent climate modification」(意図しない気候改変)という用語が使われていました。地球温暖化とは地球の表面温度を指します。 気候変動とは気温上昇や温室効果ガス増加に伴って起こる多くの変化を指します。したがって、国連の気候問題機関は「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」であって、「地球温暖化に関する~(IPGW)」とはならないのです。IPCCは、気候変動があらゆる生きたシステム(リビング・システム)に及ぼす包括的な影響を研究しています。『ドローダウン』で評価し、モデル化するのは、地球温暖化を逆転させるために温室効果ガスを減少に転じさせる方法です。 ――ポール・ホーケン 数字について NUMBERS 各ページの内容 『ドローダウン』の解決策ひとつひとつの陰には、何百ページもの調査と頭脳明晰な人たちが考えた厳密な数学モデルがあります。 解決策それぞれのページでは、歴史、科学、代表的な事例、可能なかぎり最新の情報を紹介します。書かれていることはすべて細部まで専門的評価による裏づけがあり、評価の詳細は私たちのウェブサイトで閲覧できます。 解決策ごとに、排出削減の可能性に基づくランキングをはじめ、そのモデルのアウトプット(成果)もまとめてあります。 何ギガトンの温室効果ガスを回避できるか、あるいは大気中から除去できるかに加え、その解決策を実行した場合の増分(差額)コスト合計、正味コストまたは(ほとんどの場合)正味節減額も示しました。 モデルのインプット(入力情報)は、ピアレビュー(同分野の研究者による査読)を経た科学に基づいています。土地利用や農業など、分野によっては裏づけに乏しい事実や数字が多い場合があり、その一部については言及しましたが、計算には用いていません。 巻末に、解決策を分野別にグループ分けし、グループごとにインパクトを合計した表を掲載してあります。 解決策のランキング 解決策をランクづけする方法はいくつかあり、費用対効果はどれくらいか、どれくらい速やかに実行できるか、社会にとってどれくらい有益かが尺度になります。どれも結果を解釈する方法として興味深く、有用です。 本書では、私たちの目的に合わせ、その解決策によって回避または大気中から除去できる可能性がある温室効果ガスの総量に基づいてランクづけしています。ランキングは世界全体での順位を指します。ある解決策の相対的な重要性は、地理的条件、経済状況、分野によって異なる場合もあります。 二酸化炭素削減の単位、ギガトンとは マスメディアの注目という点では二酸化炭素が一番目立ちますが、温室効果ガスは二酸化炭素だけではありません。私たちが測定する温室効果ガスにはメタン、亜酸化窒素、フッ素化ガスも含まれます。それぞれが、大気中の濃度、大気中に残存する期間、残存期間中に吸収または再放射する熱量に応じて地球の気温に長期的な影響を及ぼします。これらの要因に基づいて、科学者は温室効果ガスの地球温暖化係数(GWP)を計算します。この係数が温室効果ガスのいわば「共通通貨」となり、あるガスの温室効果が二酸化炭素に換算すればどれくらいかがわかります。 『ドローダウン』の解決策はそれぞれ、排出を回避するか、すでに大気中にある二酸化炭素を隔離することで(両方の場合もある)温室効果ガスを削減します。ある解決策が温室効果ガスにどれくらい関係するかは、2020~2050年に削減される二酸化炭素が何ギガトンかで表します。すべてを合計すると、固定した対照事例、つまり現状維持の世界と比較して、2050年までに削減可能な温室効果ガスの総量になります。 ところで、1ギガトンとは何でしょう? オリンピックサイズのプール40万個分と言えば、その多さをイメージできるでしょうか。水量にすると、およそ10億(メートル)トン、つまり1ギガトンになります。さて、これを36倍するとプール1,440万個分になります。36ギガトンは2016年に排出された二酸化炭素の量です。 総コストと運用節減額 本書の解決策それぞれの総コストは、それを購入、設置し、30年間運用するために要する総額です。その金額を一般に食料や自動車の燃料、家の冷暖房などに費やす金額と比較して、ある解決策への投資の正味コストまたは正味節減額を算定しました。 計算は控えめすぎるくらい控えめに行いました。つまり、高額なハイエンドの解決策に伴うコストを想定し、それが2020年から2050年まで比較的一定という条件での計算です。技術は急速に変化していますし、世界各地で多様化するでしょうから、実際のコストはもっと少なく、節減額はもっと多いと予想しています。 しかし、控えめに見積もったとしても、本書の解決策の正味節減額は圧倒されるような額になる傾向があります。ただし、解決策によっては、たとえば熱帯雨林を守るとか女子教育を支援するコストのように、コストと節減額を計算できない場合もあります。 全人類に恩恵をもたらす結果を達成するために、私たちはどれくらいのお金ならかかってもよしと思うでしょうか? 巻末に解決策ごとの正味コスと正味節減額をまとめた表を掲載し、比較できるようにしてあります。正味節減額は解決策の実行後、2020年から2050年まで運用するコストに基づいて算定しました。 この計算の結果に本書で提示した解決策の費用対効果の高さがはっきり示されています。恩恵の大きさ、見込める利益と節減額、条件が変わらないという前提で必要な投資を考慮すると、コストは無視してよいほどのものになります。ほとんどの解決策の投資回収期間は比較的短いと言えます。 さらに詳しく知るには 『ドローダウン』で紹介する成果は、私たちの知見を裏づけるために行った全調査の要約にすぎません。私たちの調査方法と仮説のより詳しい概要については「調査方法」のページにまとめてあります。また、私たちの調査、情報源、仮説についてさらに詳しくはdrawdown.orgでも閲覧できます。 本書を読めば、書かれている解決策がいかに理にかなった、力を与えてくれるものであるか明らかになるでしょう。 解決策となる技術の背景にある科学を生涯かけて研究している専門家でもなければ理解できない、長たらしい専門的なマニュアルではなく、私たちが集団としてできること、また個人として一人ひとりが果たす役割を知りたいと思う人なら誰にでもわかる本であること。それが『ドローダウン』のねらいです。 ――チャド・フリッシュマン

真にポジティブだとネガティブから逃げない|ハイヤーセルフより
宇宙の法則や、スピリチュアルな学びの道を歩んでいると “自分の思考や想いが現実となる” という教えをほとんどのみなさんが知ることになります。 すると、 例えば、災害のニュースや病気の話などを 「ネガティブなことにフォーカスすると、それが自分の現実になってしまう」 と、悲しさや辛さの感情を呼び起こす出来事を 見ないようにするかたもいます 2020年ならば パンデミック、気候危機、熱帯雨林にオーストラリアやアメリカの森林火災、政治の動き… すべてわたし達の集合意識が創り出した体験です ちょっと冷静に見てみましょう 「ネガティブなことにフォーカスすると、それが自分の現実になってしまう」 という反応は〈恐れ〉から発しています 「わたしはポジティブなものにフォーカスしなくては!」 と、力が入っていないか? 今こそ自分に正直に… 災害や病気の現象そのものはニュートラルで ネガティブな意味づけと、感情の反応をしているのは やっぱり自分 真の意味でポジティブなあり方を選ぶ、というのは どんなにネガティブそうな現象も ニュートラルなエネルギーとして理解し ポジティブに捉える という選択です もし恐れから目をそらしたり、逃げたくなる自分に気がついたら このことを思い出してください そして今の自分にできるベストな行動を ハートから選んでください Love you all ♡ Lisa HS - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ◎ IG @lisashouda https://www.instagram.com/lisashouda/ ◎ ヴィジョンカウンセリング(ハイヤーセルフリーディング) http://lisashouda.com/vision-counselling/

寄付に支援に応援に
寄付や支援について あたらしい時代に要なメッセージが ここしばらくずっときています それは、 与える際のエネルギーが 「施し」や「助け」であると 受け取る側の力を信じていないことになると 例えば 「応援」や「投資」 またはよりフラットに 「余っているところから足りていないところへ流す」 という気持ち=エネルギーは 受け取る側の〈エンパワーメント〉になります 日頃からNPOへの寄付をされてたり 活動の中心をになっていらしたり 災害の発生時に寄付としてお金や物資をおくったり ボランティア活動のスタッフとなったりする 外側からみての行為は同じであっても どんなエネルギーがのるか、が実は大切だそうです 3つ前の〈ラブの絵とことば〉、 「ちから」という詩でも コアとなるメッセージは同じですので よければどうぞ ちから – LISA SHOUDA – Starseed of MotherEarthlisashouda.comそれではみなさま Love ♡ Lisa HS ・・・・・・・・・ 最後までお読みいただいてありがとうございます♡ Lisaはこんなことをしております ◎ ヴィジョンカウンセリングの個人セッション ◎ こちらからどうぞ(オンライン) ヴィジョンカウンセリング Vision Counselling – LISA SHOUDA – Starseed of MotherEarthlisashouda.com ヴィジョンカウンセリングとは – What is “Vision Counselling”? ヴィジョン(心視)&直感& ハイヤーセルフリーディングを用いるカウンセリングです。 まず、クライアントさんのハイヤーセルフ(高次のご自身・本当の自分自身)とつながります。 そこでヴィジョンや体感で受け取り、言葉にしてお伝えします。 シンプルにいえば、通訳の役目です。 その時いちばん必要なメッセージをお伝えすることになっているようです。( 参考 》ハイヤーセルフとは?) どうぞどうぞ、リラックスしてご自由に楽しくお話しください(^^)

「知っている」と「信じている」
わたし達は周波数が上がり 細やかになるにつれ ことばの持つ〈シンボル〉としてのエネルギーも 細やかに使えるようになるといいます つまり ことばに投影していた 〈観念〉に氣がつき ことばを意識的に発することで 自分に備わっているパワーを よびさますそうなのです 例えば 「知っている」 と 「信じている」 の エネルギーの異なりを 明確に感知し、 意識的に発する、 ということです わたしがここで ことばを発するとき 「知っています」といいます 「視ています」といいます そこには 信じる度合いの 多い少ないはなく ただ 知っている状態があります 視ている状態があります わたし達はひとりのこらず ほんとうの意味で自由だと 知っています みんなが自分そのもので生きる あたらしい地球が 視ています ♡ Love ♡ Lisa HS ♡ ・・・・・・・・・ ◎ 親サイトとIG @lisashouda にて 〈ラブの絵とことば〉ほぼ毎日UP中です♡ ◎ ヴィジョンカウンセリングの個人セッション ◎ こちらからどうぞ(オンライン) ヴィジョンカウンセリング Vision Counselling – LISA SHOUDA – Starseed of MotherEarthlisashouda.com ヴィジョンカウンセリングとは – What is “Vision Counselling”? ヴィジョン(心視)&直感& ハイヤーセルフリーディングを用いるカウンセリングです。 まず、クライアントさんのハイヤーセルフ(高次のご自身・本当の自分自身)とつながります。 そこでヴィジョンや体感で受け取り、言葉にしてお伝えします。 シンプルにいえば、通訳の役目です。 その時いちばん必要なメッセージをお伝えすることになっているようです。( 参考 》ハイヤーセルフとは?) どうぞどうぞ、リラックスしてご自由に楽しくお話しください(^^)

リセット
地球が自転し朝がくるように リセットの時期にもサイクルがあります 時間ありきの表現をすると、 わたし達はいわば 「螺旋」をえがきながら 進化成長している といえます つまり、 ”リセット”といっても 「何もかもが無に帰する」というより 「たとえ昔と同じ地点に もどったように 見えたとしても アングルを変えれば 確実に1段高いところにいる」 ということで… 進化した自分のまま 初心にかえる これがこのタイミングでの リセットの意味するところのようです ・・・・・・・・・・ ここまでお読みくださって本当に、ありがとうございます♡ noteでははぽつぽつと 投稿しはじめたところですが 親サイトとインスタ@lisashoudaにて ほぼ毎日UPしている 『ラブの絵とことば』は今回で no.100となりました。 とりたてて、だからナンだ というわけもありませんが、 今日このとき、100日目も 愛用のMacBook Proさんに むかいつづけ 自分に世界の愛をとおし 言語化することに よろこんでいます。 みなさま、今日もここまでお読みいただき ほーんとうにありがとうございます♡ ♡ Love ♡ Lisa HS ♡ 普段はこんなことをしています… ◎ ヴィジョンカウンセリングの個人セッション ◎ こちらからどうぞ(オンライン) ヴィジョンカウンセリング Vision Counselling – LISA SHOUDA – Starseed of MotherEarthlisashouda.com ヴィジョンカウンセリングとは – What is “Vision Counselling”? ヴィジョン(心視)&直感& ハイヤーセルフリーディングを用いるカウンセリングです。 まず、クライアントさんのハイヤーセルフ(高次のご自身・本当の自分自身)とつながります。 そこでヴィジョンや体感で受け取り、言葉にしてお伝えします。 シンプルにいえば、通訳の役目です。 その時いちばん必要なメッセージをお伝えすることになっているようです。( 参考 》ハイヤーセルフとは?) どうぞどうぞ、リラックスしてご自由に楽しくお話しください(^^)
あたらしい地球のくらし
わたし達も子ども達もリアルに生き続ける地球🌏 あたらしい地球のくらしの実践&ヒントなど

「肉食は禁止になり得る。(室内での)喫煙のように」新しい犯罪として”エコサイド/環境の破壊”呼びかける弁護士
この見出しに驚くかな わたしはこの記事の内容に同意 過激でも極端でもなんでもないよ 地球環境はもう、ここまできています 正面から向き合っても、目をそらしても、この事実は変わらない Eating meat could be banned like smoking, says top barrister, as he calls for new crime of 'ecocide' (https://www.telegraph.co.uk/science/2019/09/22/eating-meat-could-banned-like-smoking-says-top-barrister-calls/) 子供たちもそのまた先の世代も 生き続けられる地球に再生するためには 動物たちを搾取し続けては絶対に持たない 気候危機、森林破壊、汚染、 倫理的にも 人間が動物を食べたり実験やファッションに利用している 未来のヴィジョンは視えないの 動物と環境と人間の権利は全部でセット 🐖🌴👣🌍 個人的にタバコと肉食って社会の中の位置付けとして共通するところがたくさんあると以前から考えていて こんな風に言っている人がUKにいると知ってなんかしっくりきている それどころか法律を変える案を真剣に弁護士が呼びかけているってばね! 人って、、、変化を嫌がる、とも言われるけれど わたしはダンゼン柔軟性を信じているよ♡ 意外とすぐに新しいライフスタイルに順応できる人の方が多いんじゃないかな ちょうど今年にリモートワークやヴァーチャルなオンラインセミナーに慣れたように わたし自身や、わたしの妹ちゃんも(!) 妹はほんの数ヶ月前まで肉食だったのが 今はプラントベースの食生活にハッピー😌💚 これにはわたしが驚いているよ (※ ヴィーガンは動物からの搾取をできるだけ最小限にするのが目的なので食生活に限らない。 よく「完全菜食主義」と説明されているのを見かけるけれどそれはあまり正確ではないの。 わたしも誤解していた時期が長かった!!) タバコは昔は健康に良いと宣伝されていた 飛行機の座席にも灰皿あったらしいじゃないですか✈️ ところが今は子供の目の前でぷかぷか煙をふかすなんて考えられないでしょ みんな柔軟性すごいもの ヴィーガンがマジョリティとなる日は かならず、来ます🙌(断言!) まずはフレキシタリアンが増え、 そんなに遠くない将来に ヴィーガンが多すぎて当たり前だから ヴィーガンて言葉すらも使わなくなるかもよって🥕 ネットで視聴可能なドキュメンタリー映画や ソーシャルメディアがパワフルに働きーの 物理的な距離なんてものともせず みんなの優しさが拡がりーの 畜産がどれだけ『あらゆるもの』を傷つけるか知る人が増えるし、 増えている それも加速度的に💨 『あらゆるもの』って.. 生態系、大気、水、土壌、森林、 人間の体と精神 そして 動物たちその当事者の 体、 精神、 人生 さてさて🙌 どんな地球を選ぼうか? わたしはね みんなが自由で自分らしい地球の ヴィジョンをみています🌏💚 #MayAllBeingsBeFreeandHappy #LoveYouAll ♡ Lisa IG @starseed_of_motherearth #あたらしい地球

ラップ、トイレットペーパー、ミツバチ…|あたらしい地球のくらし
ラップにさよなら〈皿 on ボウル〉〈皿 on コップ〉画像がわかりにくすぎる..笑 ゼロウェイスト/ローウェイストの実践でうれしいのは、すでに家にあるものだけでほぼほぼどうにかなるところ!ね♡ 「食品用ラップフィルム」にサヨナラしたらば器の上には「お皿」がのっています。 こっちが 皿onコップ 頂き物のシリコン蓋も使うし、 わたしは食べきれない分は保蔵容器に移し替えることが多い。 …しかし食べきれないなんてことは稀ですね。 作った分はだいたい食べきります〜だっておいしいから!🌽 自分とミーティング新しいグッズのお買い物って楽しいかもしれないけれど、 エコをうたった商品も消費であることには変わりないのよね。 ○ スポンサー広告にあがってくるかわいい”エコグッズ”は本当に”エコ”か? (インスタのstoryでアーモンド栽培とミツバチの大量死について少しだけ触れたけれど(アーカイヴ残してます。いずれより詳しく書くかも)、 ミツロウはミツバチの巣を精製したもの。またオーガニックコットンもあわせて考慮) ○ そもそもほんとうに必要か?今あるものを使えるか? ○ グリーンウォッシュ(greenwashing )や SDGsウォッシュ された製品でないのか? ○ 買い物欲を満たすのが”サステナブルグッズ”にすり替わっていないか? ..自分とミーティング。 (ここ重要) 6年前のわたしをインスパイアしてくれた本 このお皿を乗せるアイデアは 『できた!電気代600円生活』(2012年 北海道新聞社) からいただいたの。 お皿以外にもハガキ、コースター、布巾で充分だって 素敵なコピーライティングとイラストと共に教えてくれた。 著者はらみづほさんが世界中を旅してまわる中でインスピレーションとなったエピソードもつづられています。 ノウハウはもとより、彼女の生の声が聴こえてくる読み物です。 はらさんに教わって、生きる上でトイレットペーパーは必須ではないと知っていたから(画像5枚目) 2020年3月頃にTP🧻が手に入らない時期も1ミリも心配せずにゆったり余裕でいられました🙌 トイレットペーパー使う人って世界ではマイノリティそりゃそうよね、 世界中の人がトイレットペーパーを日常的に使っていたら 地球上の森林は秒でなくなるよね。 2014年に自家発電のワークショップに申し込んだ 当初の目的のワークショップは午後からで、 はらみづほさんのお話は午前の部。 にもかかわらず、はらさんのお話と人柄の素敵さにその場で著書を買い、サインまでしてもらっていた。 しかもサインをしてもらう間に 涙目で相談までしたのだった! あーあそんな6年前の自分がかわいいよ。 本のタイトルでは”電気代600円”となっているけれど 2014年の時点では契約アンペア数を下げて 電気代月200円台とおっしゃっていました。 かっこいい〜〜〜 さらにさらにかっこいいのは極寒の北海道で実践されているところ! しびれる〜〜〜 ————— 参照: What’s wrong with beeswax? @PETA https://www.peta.org/about-peta/faq/whats-wrong-with-beeswax/ グリーンウォッシング @SustainableJapan https://sustainablejapan.jp/2016/03/02/greenwashing/21386 ————— IG @starseed_of_motherearth より転載 ↑あたらしい地球のくらし をシェアしています♡

小さすぎるのと、あまりに大きいの。プラのこと|テーマ:プラスチックフリージュライ
◎まずは小さすぎる方から手縫いボタンつけ用の糸。 ごみ拾いやコンポストをしていると 細かなひもやホコリの中にもプラスチックが混ざっています。 「これも生分解しないんだよなあ、 しかもまんまマイクロプラスチックやーい」 もし外でボタンが取れたら糸も一緒に地面に落ちると想像するとね、 リネンやコットンの糸を選んでいた。 自分で書きながら笑えるくらい小さいことだけれど 気になるからしょうがない🙌 針と糸はチクチクとお直ししながら 服やバッグに長生きしていただくためのお供🧵 この生成りの糸は当時某ユザワ○さんで新品を買ったけれど、 もしいま新たに糸が必要になったら どなたかの裁縫箱で余っている糸を 譲っていただけるように探します。 (ここ重要) ◎ あまりに大きい、プラ わたしが動物のお肉を食べなくなった理由を 訊ねてくれる方々に説明すると 畜産の話が先だつパターンが多くなります。 すると途中で 「じゃあ魚は!?魚介は良いよね??」 と聞かれることも少なくないです🐠 魚の体も肉は肉、という前提はさておき、 今日時点のわたしの回答は ・”良いかどうか”は本人にとっての真実なので 「良いorダメ」はわたしが決めることじゃないよ〜 その上で、 ・わたしにとってはもう「迷いなくナシ」 理由のひとつは 漁業関連の海洋プラスチックごみの割合の高さ。 〈太平洋ゴミベルト〉のうち46%が漁網*で、 クジラやウミガメ…様々な生物が漁網に絡まってしまう。 ケガをしたり、身動きが取れないがため、 あるいは呑み込んだがために 命を落とす彼らの画像/動画は珍しくなくなった。 これ、実際に海岸を歩いてみたら実感する。 漁網をはじめ漁業関連のプラスチック製品の多さを。 いわゆるリゾートビーチではプラごみって、 ドリンクやフードの使い捨て容器や ビーチサンダルやレジャー関連の遊び道具だったりしますが… わたしの故郷、北海道の太平洋側には贅沢なことにほとんど無人の海岸がたくさん、あります。 リゾートなビーチとはかなり異なる景色。 独特の砂の黒さの上にライトグリーンやブルーの網、 黄色やすすけた赤っぽい色の浮き玉が目立つ。 ある日のそれはとてもひとりで拾える量じゃなく、 怪力でかき集めてもトラックが必要な量になるのは一見して明らか🚛🚛🚛 …と、そんなわけです🙏 今わたしがここに書いたことって、珍しいことでもな〜〜んでもなくて。 あっという間に世界の常識になってきていますよね。 海の生き物を食することや飲み水を介し、 陸上のわたし達も、クレジットカード1枚分のプラスチック片を身体にためこんでいる話はマスメディアですら(意味深?)報道するようになった。 今回はテーマ〈 #プラスチックフリージュライ〉にちなんでごみの話に絞ったけれど、 いつか養殖含めて別視点からも漁業についてシェアするつもりです。 世界の大きな流れを感じ、学び話し書いているときいつも心には故郷の人々の顔がうかびます。 あたらしい地球にフィットするよう、 産業のシフトをお手伝いする仕事がしたいな。 *参考: 太平洋ゴミベルト、46%が漁網、規模は最大16倍にhttps://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/032600132/?P=2 “プラスチックのゴミによって窒息したり傷を負ったりする海洋哺乳類は、毎年10万頭に上ると推定されている。” (2018年3月とちょっと前の記事ですがご参考になるかと)

作り話
その惑星には 森があった 川があった きのこに鉱物に 虫にどうぶつに ヒトもいたが ホモ・サピエンスでは なかったかもしれない 2つの月がまわる美しい惑星だった ヒトは賢く優しくかったが やがて自分達の能力の大部分を忘れていった ヒトは科学技術を発達させ 暮らしに役立てた 自分たちの手による豊かさに 浮き足だっていた バランスを忘れたヒトは 大気や水を汚していった どうぶつの言うことが わからなくなっていたので 惑星の仲間が阿鼻叫喚していても 聞こえないようだった ある者は言った ヒトも自然の一部なのだから ヒトがやることも作るものも自然なのだ 彼は間違ってはいなかったし 惑星はその声を聴いていた 彼は泥水を飲んだことがなかった 疫病が流行り 飢餓が殺し 火は広がり 水は空から海から襲うようだった ヒトは気がついたが バランスをとりもどすには 時は遅かった 惑星から逃げ出そうにも せっかくの科学技術は退化し スペースシップは役立たずだった 子ども達が生きられなくなって間もなく 惑星からヒトの影が消えた 静かだった ヒトが消えても 森は戻らなかった 川は干上がったままだった 虫たちさえ卵をかえせなかった 惑星はいまも静かに 土埃をたたえている それがあの者の言った自然の景色だったのか これは地球の話ではない 地球にも似通った歴史はあるが それは今問題ではない 作り話をたれが問題にしよう どうせ作り話なんならば こんなのはどうだろう その惑星のヒトの中には やり直したい者がいた 平和を選ぶと決めた者がいた 鳥が唄わない土埃の自然でなく 森のある自然を こんどはみんなで選びたい チャンスをくれたのは 地球だった 憶いだせるように 地球からは ああ 静かな惑星がみえる ・・・・・・・・・ Love for Mother Earth Love for all of us Thank you for your unconditional supports Love, Lisa



