
神様。いらっしゃるならどうか、そこに正座しろ。(5)
5. 可哀想な人。
大学生の頃、一人暮らしのアパートに宗教の勧誘が来たことがある。
ドアを開けると、小柄で痩せた女が立っていた。
柔和とも、空虚ともつかない笑みを浮かべている。
目には力がないのに、声だけが妙に熱かった。
世界平和とか、人類愛とか。
神はすべての人に平等に愛を注いでくださるのですとか。
二十歳そこそこだった私は、愛情にも承認にも飢えていたけれど、それでも「みんなに平等な愛」なんて、鼻くそを丸めて飛ばすくらいに醒めていた。
私は、私だけを偏愛してくれる“誰か”が欲しかった。
それ以外はいらなかった。
「興味ないんで、すみません」
申し訳なさそうな顔を装って言うと、「冊子だけでも」と差し出してきた。
それも断った。
「私が持ってても、無駄にしちゃうだけですし。もったいないですから」
女は小さく会釈して帰っていった。
口元には、笑顔の名残のようなものが、まだ貼りついていた。
――可哀想な人。
そう思った。
野球選手を目指すのも、神様を信じるのも、同じようなものだ。
野球がうまいから野球選手になる。
冴えないから、モテないから、神様なんてものに縋る。
どっちもやれることをやってるだけでしょう?
――可哀想な人。
きっとむこうも、私のことをそう思っただろう。
6. Aか、B