『歌舞伎とビヨンセ④』なぜ人は空を飛ぶ演出に熱狂するのか?― 宙乗り・サーカス・ビヨンセの文化史
1. はじめに
ビヨンセの『Renaissance World Tour』を見た人なら、一度はあの光景を忘れられないだろう。
フィナーレで現れる、ファンから「Reneigh」と呼ばれる銀色の飛行馬。
ビヨンセはその背に乗り、スタジアムの上空をゆっくりと飛ぶ。
2025年の『Cowboy Carter Tour』では、飛行する車や黄金の馬も登場した。
なぜ私たちは、こうした「空を飛ぶ演出」にこれほど心を奪われるのだろうか。
実は、空を飛ぶことで観客を驚かせる演出は、現代のポップコンサートだけに見られるものではない。江戸時代の歌舞伎にも宙乗りがあり、近代以降のサーカスでもさまざまな空中芸が発達してきた。
今回は、直接的な影響関係ではなく、歌舞伎の宙乗り、サーカスの空中演技、そしてビヨンセの飛行演出を並べながら、人が「空を飛ぶ姿」に惹かれてきた理由を考えてみたい。
2. 歌舞伎は江戸時代から空を飛んでいた
歌舞伎には「宙乗り(ちゅうのり)」という演出がある。
役者がワイヤーやロープで吊られ、舞台や客席の上空を移動する仕掛けだ。
現代では最新技術を使った派手な演出として知られているが、その起源は江戸時代にまで遡る。
特に有名なのが『義経千本桜』の狐忠信である。源九郎狐は佐藤忠信の姿に化けて静御前に付き従い、「川連法眼館」の幕切れでは宙乗りで飛び去る。
観客は「人間ではない存在」を目撃する。
宙乗りは、幽霊や妖怪、狐の化身など、現実離れした存在を見せる演出にも使われてきた。
こうして見ると、歌舞伎の宙乗りには、人間ではない存在や現実離れした力を視覚的に見せる役割もあったと考えられる。
3. サーカスが発展させた「飛ぶ身体」
19世紀のサーカスでは、空中ブランコをはじめとする空中芸が人気を集めた。
その後、20世紀後半には現代サーカスが発展し、1990年代にはエアリアルシルクのような新しい空中表現も広まっていく。シルク・ドゥ・ソレイユは、アクロバットに音楽や照明、美術などを組み合わせた舞台を世界的に広めた代表的な存在である。
サーカスの空中演技が見せるのは、身体能力の高さだけではない。人が重力から離れることで、観客の目の前に日常とは違う光景を作り出す。そこには、歌舞伎の宙乗りと重なる面白さがある。
4. P!nk――歌いながら飛ぶポップスター
ポップミュージックの世界で、空中演出を自身のパフォーマンスの大きな特徴にしてきたアーティストの一人がP!nkである。
彼女は2000年代から、ワイヤーや空中装置を使いながら歌唱するパフォーマンスを繰り返してきた。2010年のグラミー賞で披露した『Glitter in the Air』では、実際に歌いながら観客の上空で回転する姿が大きな注目を集めた。
サーカスで培われてきた空中技術が、ポップコンサートの中でも強い見せ場になり得ることを示した代表的な例と言えるだろう。
ここまで見てきた飛行演出に、直接的な影響関係があるわけではない。
それでも、異なる時代や文化の舞台で、空を飛ぶ身体が大きな見せ場になってきたことは興味深い。
では、私たちは「飛ぶこと」の何に惹かれているのだろうか。
私には、そこに単なる身体の移動以上のものが見える。
地上にいた人物が空へ上がった瞬間、その人物がそれまでとは少し違う存在に見えてくる。
『Renaissance』と『Cowboy Carter Tour』の飛行演出にも、私はそんな変化を感じる。
【ここからは有料です】
ここからは、歌舞伎やサーカスの飛行演出とビヨンセをもう一度並べながら、「人が空を飛ぶ姿」がなぜこれほど特別に見えるのかを考えていきたい。
ここから先は
ビヨンセの『Renaissance』『Cowboy Carter』を起点に、歌舞伎やサーカス、ポップカルチャーを横断しながら「スペクタクル…
この記事が参加している募集
ありがとうございます!
