『歌舞伎とビヨンセ③』Cowboy Carterはアメリカの時代物なのか?― 『忠臣蔵』と英雄譚の文化史
1.はじめに
2024年、ビヨンセは『Cowboy Carter』を発表した。
多くのメディアはこの作品を「カントリーアルバム」と紹介した。
それは間違いではない。
しかし、この作品を単なるジャンル作品として捉えると、見えにくくなるものがある。
ビヨンセ自身、『Cowboy Carter』を制作する中でカントリー音楽の歴史を深く調べ、cowboyという言葉についても調べてほしいと語っている。
そうした背景を知ったとき、私は日本の歌舞伎における「時代物」を思い出した。
特に『仮名手本忠臣蔵』や『義経千本桜』である。
一見すると、江戸の歌舞伎と21世紀アメリカのポップアルバムには接点がないように見える。
それでも両者を並べてみると、過去の物語を現在から見直すという点で、意外な共通点が見えてくる。
『Cowboy Carter』を、失われた歴史や誇りを取り戻す物語として読むことはできないだろうか。
2.時代物とは何か
歌舞伎には「時代物」と呼ばれるジャンルがある。
武家や公家の社会、江戸時代より前の出来事などを扱う作品で、実際の事件を過去の時代に置き換えて描くこともあった。
ただし、時代物は単なる歴史劇ではない。
たとえば『仮名手本忠臣蔵』は、元禄期に起きた赤穂事件をもとにしながら、物語の時代を『太平記』の世界へ移して描いている。
主君を失った大星由良之助らが、その無念を晴らすために仇討ちへ向かう物語である。
実際の事件をそのまま再現するのではなく、別の時代へ置き換え、物語として作り直す。
そう考えると、時代物は過去を描きながら、作品が作られた時代の観客にも届く物語だったと見ることができる。
3.Cowboy Carterが問いかけたもの
『Cowboy Carter』もまた、歴史を扱う作品である。ただし、それは西部劇のノスタルジーだけではない。その背景の一つにあるのが、アメリカ西部で働いていた黒人カウボーイの歴史である。
アメリカの大衆文化において、カウボーイは白人男性の象徴として描かれることが多かった。映画もドラマも広告も、そのイメージを繰り返してきた。
しかし実際には、19世紀のアメリカ西部で働いたカウボーイのうち、最大4分の1ほどが黒人だったとする推計がある。
ビヨンセ自身も2024年のGQのインタビューで、cowboyという言葉について調べてほしかったと語り、歴史はしばしば勝者によって語られると指摘している。さらに、黒人カウボーイがカウボーイ全体の最大4分の1を占めていたという歴史にも触れている。
つまり、ビヨンセが『Cowboy Carter』で向き合ったのは、単に西部劇のイメージではなかった。
私はここに、これまで十分に知られてこなかった歴史を、現在から見直そうとする姿勢を感じる。
そう考えると、『Cowboy Carter』は音楽のジャンルをめぐる作品であると同時に、アメリカの歴史をどう見るのかという問いを含んだ作品としても読める。
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ここまでは、『Cowboy Carter』がカウボーイやカントリー音楽の歴史にどう向き合っているのかを見てきた。
では、これを歌舞伎の「時代物」と並べると、何が見えてくるのだろうか。
ここからは、『忠臣蔵』や『義経千本桜』との比較を通して、過去の物語を現在から見直すという共通点を探っていく。そして最後に、『Cowboy Carter』を「21世紀アメリカの時代物」と呼べるのか、改めて考えてみたい。
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ビヨンセの『Renaissance』『Cowboy Carter』を起点に、歌舞伎やサーカス、ポップカルチャーを横断しながら「スペクタクル…
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