『歌舞伎とビヨンセ⑤』なぜ歌舞伎とビヨンセは似て見えるのか― 変身・宙乗り・飛行馬をつなぐスペクタクルの文化史
1. はじめに
本シリーズの第1回を書き始めたとき、出発点にあったのは、歌舞伎を見ながらふと思ったことだった。
「これ、ビヨンセのコンサートと同じではないか」
もちろん最初は半分冗談だった。江戸時代の歌舞伎と、21世紀のポップスター。結び付けるには無理があるようにも思えた。
しかし調べれば調べるほど、その感覚は強くなった。
『京鹿子娘道成寺』と『Renaissance』を比べたときには、「変身」が見えてきた。
『Cowboy Carter』を『忠臣蔵』や『義経千本桜』と並べたときには、過去の物語を現在から見直す面白さが見えてきた。
そして、歌舞伎の宙乗り、サーカス、ビヨンセの飛行演出をたどると、異なる時代や文化の中で、「空を飛ぶ姿」が大きな見せ場になってきたことも見えてきた。
一見すると別々のテーマに見える。だが振り返ってみると、そこには共通する何かがあった。
なぜ歌舞伎とビヨンセは、これほど似て見えるのだろうか。
江戸時代の芝居小屋と、現代のスタジアム。
日本の伝統芸能とアメリカのポップカルチャー。
本来なら接点がないはずの両者が、なぜ同じように人々を熱狂させるのか。本稿は、その問いへの答えを探るための最終回である。その答えを一言で表すなら、「スペクタクル」である。
2. スペクタクルとは何か
スペクタクルという言葉から、私は以前まで、巨大なセットや派手な演出を思い浮かべていた。
けれど、このシリーズで歌舞伎とビヨンセを比べているうちに、それだけではないように思えてきた。
花道を歩く役者がすぐそばまで来る。
舞台上で衣裳が変わる。
人が突然、空へ飛ぶ。
スタジアムでは巨大なスクリーンやランウェイによって、客席まで演出の中に取り込まれていく。
仕掛けそのものはまったく違う。それでも、その瞬間に観客が日常とは違う世界を見るという点では共通している。
こうして並べてみると、私が「スペクタクル」と感じていたものは、単なる派手さとは少し違うように思えてくる。
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ここからは、これまで別々に見てきた「変身」「歴史の語り直し」「飛行」「観客との距離」をもう一度つなぎ合わせながら、なぜ私には歌舞伎とビヨンセが似て見えたのかを考えていく。
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ビヨンセの『Renaissance』『Cowboy Carter』を起点に、歌舞伎やサーカス、ポップカルチャーを横断しながら「スペクタクル…
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