『Renaissance』文化論 ①なぜBeyoncéは“Renaissance”を作ったのか
1. はじめに
コロナ禍では、人と集まることも、同じ場所で踊ることも、それまでのようにはできなくなりました。誰かと距離を取り、触れないことが日常になった時期です。
そんなパンデミックの最中に、Beyoncéは『Renaissance』を作っていました。
2022年に発表されたこのアルバムには、ハウスやディスコなど、身体を動かしたくなるダンスミュージックが並んでいます。
なぜ、人々が自由に集まることさえ難しかった時期に、Beyoncéはこれほど踊ることを求める作品を作ったのでしょうか。
本人がアルバム発表時に残した言葉をたどると、そこには「夢と逃避」「自由」、そして「判断されない安全な場所」という制作意図がありました。
2. 『Renaissance』とは何だったのか
『Renaissance』は、2022年7月29日に発売されたBeyoncéの7枚目のスタジオアルバムです。
Beyoncéは発売前日のメッセージで、この作品を含むプロジェクトについて「three act project(三幕構成のプロジェクト)」と説明しています。『Renaissance』は、当時からそのact iとして発表されていました。
アルバムを通して前面に出ているのは、ハウスやディスコをはじめとするダンスミュージックです。先行シングル『BREAK MY SOUL』にも、ニューオーリンズのアーティスト、Big Freediaの『Explode』の声が使われています。
“Release ya anger / Release ya mind / Release ya job”
この部分はBeyoncéが新しく歌ったものではなく、Big Freediaの『Explode』から採られたものです。発売当時には「仕事を手放して」という言葉が、アメリカで続いていたGreat Resignation(大量離職)と結びつけて報じられました。
ただし、Beyoncé自身が『BREAK MY SOUL』を「仕事を辞めようという曲」と説明したわけではありません。
では、Beyoncé自身は『Renaissance』をどんな作品として作ろうとしていたのでしょうか。
その答えは、アルバム発売時に本人が残したメッセージの中にあります。
3. 「判断されない場所」を作ろうとしたアルバム
『Renaissance』の発売前日、Beyoncéはこの作品を作った理由について、自身の言葉で説明しています。
“Creating this album allowed me a place to dream and to find escape during a scary time for the world. It allowed me to feel free and adventurous in a time when little else was moving.”
そして、Beyoncéは制作の意図をさらに具体的に語っています。
“My intention was to create a safe place, a place without judgment. A place to be free of perfectionism and overthinking. A place to scream, release, feel freedom.”
ここでBeyoncéが「完璧主義」という言葉を使っているのは興味深いところです。
『Renaissance』を作ることは、まずBeyoncé自身にとって、世界が止まったような時期に夢を見て、逃避し、自由を感じるための場所になっていました。そして彼女は、その場所を「判断されない」「完璧主義や考えすぎから自由になれる」ものとして作ろうとしていたのです。
メッセージの最後には、ファンへこんな言葉も残しています。
“I hope you find joy in this music. I hope it inspires you to release the wiggle.”
「夢と逃避」から始まったBeyoncéの言葉は、最後には「喜び」や身体を動かすことへと向かっています。
4. 「安全な場所」とクラブミュージック
Beyoncéが「判断されない安全な場所」を作ろうとしていたことは、本人の言葉から確認できます。
では、なぜその作品がハウスやディスコをはじめとするクラブミュージックだったのでしょうか。
『Renaissance』発売時のParkwood Entertainmentによる公式リリースには、もう一つ興味深い説明があります。そこではこの作品を、外部者だと感じていた人々が互いを見つけ、自由を求める共同体を作った「クラブの時代」を祝うものだと説明しています。
Beyoncé が語った「判断されない安全な場所」と、公式リリースが語る「自由を求める人々の共同体」。
この二つを重ねて読むことはできます。
ただし、Beyoncé 自身が「クラブが歴史的に安全な場所だったから、『Renaissance』でも safe place を作ろうとした」と説明したわけではありません。
では、『Renaissance』が参照したクラブ文化は、実際には誰が、どのような場所で育ててきたものだったのでしょうか。
その話に進む前に、Beyoncéにとってこの音楽が決して遠い文化ではなかったことを示す、一人の家族について見ておきたいと思います。
5. Uncle Johnnyという家族
『Renaissance』を語るうえで欠かせないのが、BeyoncéがUncle Johnnyと呼んでいた家族です。
Johnnyは、母Tina Knowlesの甥でした。血縁上はBeyoncéの母方の従兄にあたりますが、BeyoncéとSolangeにとっては、二人を育てるのを手伝ってくれた身近な存在でした。
2019年、BeyoncéはGLAAD Media Awardsのスピーチで、Johnnyについてこう語っています。
“the most fabulous gay man I’ve ever known who helped raise me and my sister”
Johnnyは、衣装作りにも関わっていました。Beyoncéは2016年のCFDA Fashion Icon Award受賞スピーチで、母TinaとJohnnyが初期の衣装をデザインし、一着ずつ手作りしていたと振り返っています。
そしてJohnnyがBeyoncéに残したものは、服だけではありませんでした。
『Renaissance』発売時、BeyoncéはJohnnyを、
“the first person to expose me to a lot of the music and culture that serve as inspiration for this album.”
と記しています。
さらに、2025年にTinaが出版した回想録『Matriarch』では、Johnnyと音楽の関係がより具体的に語られています。
JohnnyはBeyoncéとSolangeにハウスミュージックを聴かせていました。Tinaが具体的に挙げているのが、Robin S.の『Show Me Love』やCrystal Watersの曲です。
Johnnyが療養施設で暮らすようになってからも、週末に家へ連れて帰ると、BeyoncéとSolangeはかつてJohnnyが聴かせてくれたハウスミュージックをかけて踊りました。Tinaは、Robin S.やCrystal Watersの曲に合わせて、Johnnyが頭を動かしていたことを回想しています。
子どもの頃はJohnnyが姉妹に聴かせ、後には姉妹がJohnnyのためにかけたハウスミュージック。それは『Renaissance』よりずっと前から、家族の記憶の中にあった音楽でした。
JohnnyはHIVと闘っていました。Beyoncéは後年、その姿を見ることが「人生で最もつらい経験の一つだった」と語っています。Tinaによると、JohnnyはAIDS関連認知症を発症し、1998年7月29日、48歳で亡くなりました。
そして24年後の2022年7月29日、『Renaissance』は発売されました。
同じ7月29日です。
この日付が意図的に選ばれたのかどうかは、Beyoncé も家族も明らかにしていません。Johnny の命日に合わせたとは断定できません。
一方、『Renaissance』の中に Johnny の記憶があることは、Beyoncé 本人の言葉から分かります。
『HEATED』には、こんな一節があります。
“Uncle Johnny made my dress”
服を作ってくれた家族。そして、『Renaissance』につながる音楽や文化を最初に教えてくれた人。
『Renaissance』には、そんなJohnnyとの記憶も残されています。
6. なぜ『Renaissance』だったのか
では、なぜBeyoncéは、パンデミックの最中に『Renaissance』を作ったのでしょうか。
本人の言葉をたどると、その出発点はかなりはっきりしています。
Beyoncéが『Renaissance』について語ったのは、パンデミックの中で夢を見て逃避できる場所を求めたこと、そして自由を感じられる場所を作ろうとしたことでした。
『Renaissance』には、そんな時期に作られたダンスミュージックが並んでいます。
Beyoncé自身は、このアルバムを「身体を取り戻すための作品」とは語っていません。
それでも私は、彼女が残した「release」「freedom」「joy」、そして「release the wiggle」という言葉をたどると、ここに身体をもう一度自由に動かしていく感覚を重ねて読みたくなります。
そして、ハウスミュージックは Beyoncé にとって、大人になって初めて出会った音楽でもありませんでした。幼い頃、Uncle Johnny が家で聴かせてくれた音楽でもあります。
パンデミックの中で自由を求めて作った音楽と、ずっと昔から家族の記憶の中にあった音楽。
その二つが『Renaissance』で重なったことは、この作品がなぜこれほど個人的でありながら、多くの人を踊らせるアルバムになったのかを考える手がかりになるのではないでしょうか。
次回予告
Beyoncéが『Renaissance』で作ろうとしたのは、「判断されない安全な場所」でした。
そして、このアルバムにはハウスをはじめ、ボールルームやヴォーギングなど、Black queer cultureにつながる音楽や表現が数多く登場します。
では、その文化は、誰が、どこで、どのように育ててきたのでしょうか。
次回は、『Renaissance』の背景にある文化の歴史をたどります。
『Renaissance』文化論②「Renaissanceは“ブラッククィア文化史”である」へ続きます。
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『Renaissance』を起点に、Beyoncéの作品を文化史・社会史の視点から読み解くシリーズです。 本シリーズでは、アルバム『Re…
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