
【小説】焦げた瞳 (下)
焦げた瞳(上)
焦げた瞳(下)
僕は閻魔あいへの思考に沈み込み、語る内容はあまりにも悲観的になりすぎた。そのせいで、最後に相談員から与えられた評価は「継続的に追跡が必要なケース」というものだった。私は理解した──たとえカウンセリングであっても、自分の価値観をあまりにさらけ出して、劣悪な心を無防備に他人に見せることは、この世界にとって決して健全な行為ではない、と。
宗教学科に入ったものの、学んだ知識は予想していたものとは違っていた。しかし構わなかった。むしろ、学問的態度で宗教に向き合うことを僕は好んだ。信徒としてではなく、学者として考えること。その中で僕は学問に熱意を持ち、授業後の空き教室で一人、参考文献を読みふけるようになった。理性的に読み進められるはずなのに、感性の側はどうしても閻魔あいに引きずられていった。だからこそ僕の理性は一つの決断を下した──閻魔あいとの決別は儀式的なものでは終わらず、僕の内部から彼女に関わる感性的体験を根こそぎ消さなければならない。
精神科を受診したときにも、僕は閻魔あいが生活に及ぼす影響を語った。診断の結果は「過度の空想症状」、それが正常な生活を妨げているというものだった。表面的には閻魔あいの美から脱したように見えても、その美は心の中で生き続けている。当然、理性は告げる──閻魔あいは単なるアニメのキャラクターに過ぎない、と。社会人になる前に、これ以上沈み込んでいるわけにはいかなかった。しかし感性は感じてしまう──そんな理性は卑俗で、つまらない理由で彼女を覆い隠そうとする自分は無様であり、悲しみが込み上げてくるのだ。
世間の価値はなんと陳腐なことか。だが理性は確かに正しい──あの頃僕が結論づけた「価値の転倒」と同じく。もっとも高貴なものは、しばしば最も卑しい。僕にとっての閻魔あいは至高の美でありながら、他人の目には取るに足らないアニメの登場人物にすぎない。だからこそ、世間的に卑俗とされるものこそ至高の価値を持ち、最も陳腐なものこそ神聖である。
理性に迫られ、閻魔あいへの感覚はほとんど押し込められ、幻想も薬によって抑え込まれた。
僕は精神科医の一言を受け入れなければならなかった──「閻魔あいはただのアニメキャラクターだ」。卑俗で実用的な理性の戦略を借りて、僕は大学四年間をなんとかやり過ごし、大学院進学の準備を始め、学者を志すに至った。
その期間に一つの試みがあった。
僕は閻魔あいを生活から徹底的に抹消しようとし、そのために人生初めて女性の肉体に触れる体験を選んだ。性は本来、神聖にして侵すべからざるものであり、同時に最も卑俗で肉体的なものでもある。閻魔あいを感性から追い出した以上、「女性」という概念に潜む彼女の美を、肉体的感覚の次元で根本的に抹消しなければならないと思ったのだ。
僕は買春を選び、自分の肉体と感性に刻まれた女性像を、別の何かで上書きしようとした。
その日、僕は黒いシャツにジーンズ、底のすり減ったスニーカーを履いて出かけた。過程は省く。重要なのは、二人きりになった時からだ。
「服を脱いで。」
女は当然のようにそう命じた。そのときの僕は、体内のあらゆる感覚を押し殺し、まるで肉体だけが独立して動いているかのように、素直に服を脱いだ。すべてを脱ぎ終えると、神経質なほど丁寧に服を畳んだ。それはまるで日本のドラマで見かける、几帳面に折り揃えられた服の秩序そのものだった。
彼女は僕を浴室へと導き、洗い始めた。僕は機械仕掛けのように、その裸身を観察した。彼女の身体は一糸まとわぬ姿で、僕が選んだのはあえて豊満な体型だった。そうすれば、そこに余計な感情の入り込む余地はないと思ったからだ。
こういう場面で、生理的な反応が起きるのは当然だ。僕の下半身もそれに従って反応した。
だが、不思議なことに脳内には一片の熱も湧かなかった。ただ女性の肉体を視覚に捉えた結果、肉体が自動的に反応しているだけだった。意識と肉体とが切り離され、どこかのネジが外れたような感覚だった。
ベッドに移ると、僕は女性の顔を見つめた。その瞬間、理由もなく吐き気に襲われた。
目の前の顔は、一枚の絵のように見えた。火の中に投げ込めば、そこにも焼けただれた瞳が現れるだろう。惜しむらくは、彼女の瞳が妖艶であることだった。だから僕は理性で肉体を動かすしかなく、「感情」と呼べるものは何ひとつ湧いてこなかった。僕が積極的でなくとも、彼女は職務に忠実に導いてくれた。その姿勢から、彼女が真摯で、尊敬すべき人間であることは理解できた。
自分の学術の仕事も、もし彼女のように積極性と柔軟さを兼ね備えていれば、成績も安定していたのかもしれない。彼女は違った。僕の性器に触れながら、露骨で官能的な言葉を、的確に投げかけてきた。しかし、僕がいくら機械的に欲望を喚起しようとしても、それは所詮「肉体」だけの反応に過ぎなかった。
今の僕は、あの「焦げた眼差し」以外のものに、感情を動かされることはできないのだと理解した。
彼女の肌は淡い褐色で、僕の手を自らの胸へと導き、興奮を煽ろうとした。だが僕がそこに触れたとき、考えたのは「肉と脂肪」だけだった。それ以上の意味は何もなかった。彼女は煽情的に声を漏らし、その敬業ぶりは明らかだった。僕もそれに合わせ、わざとらしく重い息を吐いた。
僕と彼女の呼吸が混じり合い、部屋全体が香りに満たされていった。本来なら甘美なはずの空気の中で、僕は何も感じられず、ただ肉体だけが往復運動を続けていた。やがて高潮に達する直前、僕は理性を剥ぎ取り、感性と彼女の感性を重ねようと試みた。
しかし、その瞬間、脳裏に浮かんだのは赤い瞳の少女の姿だった。彼女はただ黙って僕を見つめていた。──その名を、暗号のようなその響きを、思い出してはならないと自分に言い聞かせた。浮かび上がる顔を、目の前の女性の顔に重ねようと必死に制御した。しかし、黒く情熱的な彼女の瞳と、空虚で赤い少女の瞳は、決して交わることがなかった。
射精の瞬間、全ての景色が崩壊した。呼吸は、金紙を燃やす煙のように喉を刺した。女性の顔は疲労と達成感に覆われていたが、その表情はゆっくりと崩れ落ち、灰炭へと変わった。耳に響いたのは、かつて聞いたあの不快な台湾語の罵声。理性では確かにここには僕と彼女しかいないはずだった。それでも僕には、この部屋全体が火炉となり、そこで炭火自殺を試みているかのように感じられた。目の前の女性の瞳は、確かに焦げ爛れていた。
その瞬間、感情が理性を凌駕し、僕はどうしようもない敗北感に包まれた。視界は霞み、世界は蜃気楼のように歪んだ。
そして、理性が戻ったとき、最も鮮明に残っていたのは、彼女が飾りのような笑みを浮かべ、ティッシュを差し出しながら尋ねた言葉だった。
「初めて、だったの?」
僕は「はい」と答えた。あまりにも滑稽な場面だった。
私は計り知れない敗北感に沈んだ。感性が理性を凌駕し、世界は蜃気楼のように揺らいだ。
僕が執拗に守ってきた「感性と理性の分離」は、結局のところ荒唐無稽な妄想にすぎなかった。妄想こそが真実だと自分に言い聞かせても、この不条理な現実が変わることはない。では、不条理の対立概念とは何だろう。合理か?
すると合理とは不条理であり、不条理は合理だということになるのか。だから僕は、自分にこう囁かなければならない――すべては「合理」であり、「真実」なのだと。
では、閻魔あいの対立概念とは何か。脳裏にその名が浮かんだとき、僕は最大の難題に行き当たった。
閻魔あいに、対立面など存在するのか。閻魔あいに、対立しうるものなどあるのか。いまの僕には、彼女を置き換える語彙はひとつとして見つからない。そうか、だから僕の脳裏から閻魔あいを根絶することはできないのだ。閻魔あいは「美」であり、「美」には対立がない。閻魔あいを「醜い」とは言えない。たとえその瞳が焼け爛れていても、なお美しい。
これは哲学的な思弁に近い問題であり、カウンセリングや精神科の診療の場に持ち込むことなどできはしない。僕が思いついた唯一の方法は――閻魔あいを現実の存在と仮定することだ。彼女がもし世に実在するのなら、その瞬間に彼女はもはや「美」ではない。存在の対立は虚無である。ならば僕はこう言い聞かせればいい。閻魔あいは存在であり、同時に虚無である、と。そうすれば感性の側も納得し、彼女の不在を受け入れられるだろう。
この問いを棚上げしたまま、僕は理性と薬にすがって自分を制御し続けた。そして大学院に進学した折、一度だけ日本へ行く機会を得た。そのとき僕は、再び閻魔あいを心に呼び戻した。日本――馴染み深くも異質な異国の地。ここならば、彼女のことを好きなだけ思ってもいい。どうせ現れることなどないのだから。
渋谷の雑踏の中、巨大なスクリーンの光が群衆の顔を照らし、月の銀粉がビルの屋根に散っていた。人の波を縫うように歩くと、周囲からは絶えず日本語の会話が流れてくる。意味を完全に追えなくても、少なくとも理解できる言語――台湾語よりはずっと親しみやすい響きだった。
「本物の日本人」の声色が耳に流れ込む。横断歩道を渡り、日本人の律儀な規則に従い、彼らが斜め横断を忌避する様を目にする。この秩序を重んじる民族は、抑圧が爆発した瞬間、閻魔あいが怨霊へと変じた時と同じ顔を見せるのだろう。だからこそ、この国から『地獄少女』のような物語が生まれたのだ。
律儀に横断歩道を踏みしめ、あと一歩で向かいのビルに届こうとしたその瞬間――耳元に響いた。
「いっぺん、死んでみる?」
その声は優しく、そして蒼白だった。僕は咄嗟に振り返り、声の主を探した。だが人波の中で足を止めた僕は障害物となり、人々は左右に避けて流れていく。ほのかな香りが残り、声は煙のように掻き消えた。けれど確かに感じた――閻魔あいが、あの黒い衣装と陶器のように白い顔で、今すれ違っていったのだと。
なぜ、僕はそこまで確信できるのだろう。
閻魔あいは存在するのか。彼女の存在は虚無でなければならないのか。ならば、死の対立は生か。死とは生なのか。閻魔あいの言う「死」とは、いったい何を意味するのか。
いや、違う。閻魔あいの口にする死は、絶対の死だ。
死は一度きりしか訪れない。閻魔あいの「死んでみるか」という言葉は、その唯一の死を指している。僕がなぜ対立する概念を好んで並べ立てるのかといえば、それは幼少から両親に叩き込まれた「絶対」への反抗だからだ。だが、本心で望んでいるのは――僕が生きられる世界だ。自分で正しいと決めれば正しい、間違っていると思えば間違いでいい、そんな世界だ。
だから僕は信じている。閻魔あいは確かに、今ここを通り過ぎ、去っていった。そして最も貴い言葉と啓示を残していったのだと。
僕は赤い瞳と、焼け爛れた瞳を愛している。それは生と死そのものだ。僕は生と死の狭間で一生を漂い続け、結局何ひとつ行動できなかった。だが、閻魔あいは存在する。絶対的に存在する。理性も感性も、その一点でひとつに融け合った。僕は周囲の視線など気にせず、歓喜の涙を流した。
生きているのだ、僕は。
後書き
皆さま、こんにちは。七光(ななひかり)と申します。
今回、初めて自分の小説を日本語に翻訳してウェブに公開しました。原文は中国語で書かれたものですが、日本の友人が丁寧に校正してくれました。本当に感謝しています。
この小説は虚実入り混じった内容で、全体を通して「対立」というテーマを扱っています。相反するものをあえて並べて共存させるというのは、どこか反逆的で中二的な方法論です。ある意味、聖書のイエスの言葉のように聞こえるかもしれませんし、確かに中二病的な響きもあります。しかし、究極の反逆とは、対立と同一を同じ場に置くことなのかもしれません。そうすれば、もはや対立そのものが対立ではなくなるからです。主人公は私と同じく「正しい答え」を求める人間であるがゆえに、あえて徹底的に「最悪の答え」を探し続ける。自己欺瞞の極限とは、不条理を合理にしてしまうこと。そういう態度こそ、実は生き延びるための秘訣なのかもしれません。世の中には曖昧なものがあまりにも多いのですから。
また、この物語の中で描かれる「閻魔あい」への思い入れについても一言触れておきたいと思います。
実際、私が最も好きなアニメキャラクターは彼女です。かつて神経質なまでに崇拝していた時期もありました。しかし、今はそのすべてを過去のものにしたい。──たとえ壁に彼女の肖像を貼ったことも、火で焼いたこともなかったとしても、この小説を通じて、もう一度あらためて彼女と向き合いたいと願っています。
ここまで読んでくださった皆さまに心から感謝いたします。
追伸:正直に言えば、後半の性欲に関する描写にはまだ納得していません。前半のカウンセリング場面のほうが流れが自然だと思います。どのように改稿すべきか、いまも考え続けています。