
しあわせと淋しさと楽しさ|こころの因数分解
楽しさをそのときに思うと、私はもっと突き抜けて何も考えないくらい「楽しーーーー」って思うのかと思っていました。
でも、楽しさってなんなのでしょう。
いつも思います。
混じりけのない楽しさって存在しないのでしょうか。
最近そういう爽快感の様な体験を忘れてしまいました。
大空飛ぶセスナ機からパラシュートを付けて飛び降りる一瞬
象使いと行くサファリパーク
どれも楽しそうです。
そういうのもきっと「爽快な楽しい」なのでしょう。
楽しいけど、ちょっと心苦しさもあります。
楽しい。でも、少し淋しい。
きっとどれもまとめて楽しいと表現するのでしょう。少なくとも私はそうです。
私が「楽しいというのとは違うかもしれない」と呼んでいるのは、全部本当は「楽しい」だったのでしょう。
混ざった感情が「これは楽しいとは違うかもしれない」と思わせているだけなのではないかと、今は思います。
人といて楽しいという人がいます。
人といると、こころが休まるという人がいます。
また一緒にいると楽しい人がいます。
それから、一緒にいるとこころの休まる人がいます。
とってもいいと思います。
その楽しいが「心が苦しいけど一緒にいると楽しい」そんなことが存在するだなんて知りませんでした。
こころが苦しい理由を解いていけばいいだけのことでした。
しあわせが虹のふもとの頼りなさに似ているのなら、楽しさは何なのでしょう。
透明な花瓶に垂らした色とりどりのインクの色でしょうか。
ウェイトリフティングのバーベルを気持ちよく上げる力自慢でしょうか。
上から様々な色や形のスマートボールが落ちてくる素敵な木箱でしょうか。
生まれたての仔犬の中に混ざる白鳥の雛でしょうか。
楽しさを楽しさとして受け取れないだなんてしあわせの入っていない玩具入りキャラメルです。
さて、
チョコレートでも食べますか。