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まだ大丈夫だと思っていた        最終話 まだ大丈夫


    その日、私は早退した。
    外に出ると、朝の光が眩しかった。
    施設の中ではあんなに長かった夜が、外ではもう終わっていた。
    空は薄く晴れていた。
    風が頬に当たる。
    私は何度も息を吸った。
    こんなに空気は冷たかったのかと思った。
    スマホが震える。
    また職場からかと思って、体がこわばった。
    けれど、画面には母からのメッセージが表示されていた。
    「無理しなくていいよ」
    たったそれだけの言葉で、涙が出た。
    私は歩道の端に立ち止まり、スマホを握ったまま泣いた。
    泣いている自分を、通り過ぎる車の窓に見られている気がした。
    それでも、もう顔を隠す力もなかった。
    本当に壊れていたのは、私だったのか。
    それとも、壊れるほど我慢させる場所だったのか。
    私はしばらく、みなせ園の建物を見つめた。
    朝の光の中で、窓だけがまだ薄暗く見えた。
    あの場所に、本当に何もなかったのか。
    それとも、みんなが見ないふりをしていただけなのか。
    答えは、まだ分からない。
    私はゆっくり前を向いた。
    ――まだ大丈夫。
    私はずっと、その言葉で自分を耐えさせてきた。
    でももう、大丈夫じゃないことを認めてもいいのかもしれない。
    そう思った瞬間、胸の奥で何かが静かにほどけた気がした。
    その夜、私は久しぶりに少し眠った。
    何度も目は覚めたけれど、それでも朝まで布団の中にいられた。
    翌日、職場からの連絡はなかった。
    さらに次の日も、なかった。
    私は少しずつ、スマホを見る回数を減らした。
    通知音を切り、画面を伏せる。
    それだけで、少しだけ呼吸がしやすくなった。
    三日後の朝、スマホが震えた。
    知らない番号からのSMSだった。
    私はしばらく画面を見つめた。
    開かない方がいい。
    そう思った。
    でも、指は勝手に動いていた。
    本文は短かった。
    「夜勤記録、修正しておきました」
    添付ファイルが一つ付いていた。
    私は息を止めたまま、ファイルを開いた。
    それは、三日前の夜勤記録だった。
    私が早退した日の、夜の記録。
    私はその時間、みなせ園にはいない。
    なのに、記録の作成者欄には、私の名前があった。
    そして修正履歴の一番下。
    そこには、もう一つの名前が表示されていた。
    松原 千夏。
    三年前に辞めたはずの看護師の名前だった。
    私はスマホを握ったまま、動けなかった。
    窓の外では、朝の光が少しずつ部屋に入ってきていた。
    それなのに、画面の中のみなせ園だけが、まだ夜のままだった。

    第1話こちらから⇒https://note.com/legal_phlox9134/n/n0ada71ab7072

    #創作大賞2026 #ミステリー小説部門

     
     
     
    50代。思っていた50代とは全然違いました😂 仕事も家族も子育ても、失敗と迷いの連続。 AI・副業にも悪戦苦闘しながら挑戦中。 夫婦、家族、健康、介護、働き方…… 完璧じゃない「50代の私」をそのまま書いています🌸

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