
測定不能 ~僕は今日もリアルな偽物を配達します【第1話】
【あらすじ】
人々の苦労や悲しみを数値化して申請する制度が導入された世界。
その裏では、他人の生々しい痛みを疑似体験できる記憶データ『VPS』が売買されていた。
両親を事故で亡くし、自ら感情を殺して「無色透明」を貫く青年・まことは、その地獄の記憶を運ぶ配達人だ。
他人の痛みを娯楽として消費する客たちを冷徹にあしらっていた彼だが、ある老人が売ったデータが運命を狂わせる。
それは、まことの両親の命を奪った「交通事故の加害者の記憶」だった。 過去から逃げてきた彼は真実を買い戻そうと奔走するが——。
痛みの先にある光を描く、喪失と再生のヒューマンドラマ。
第1話 格付けされる痛みと、無痛の配達人
「どうしてランク1なんですか? あの子は私の大切な家族だったんですよ!」
市役所に入った瞬間、暖房のまだ行き渡らないロビーに、掠れた叫び声が響いていた。
声のするほうへ目を向けると、奥の窓口で年配の女性が職員に食ってかかっている。
「そもそもAIが判定するなんておかしいでしょう? そんなわけのわからないものに、私の悲しみの何がわかるっていうの?」
窓口の上部には、【⑭生存負荷(LDS)申請受付】と書かれたアクリル板が掲げられている。今日も番号札を手にした人たちで、待合室の椅子はほとんど埋まっていた。
「そう言われましても、これが正当な判定結果ですから。これまでの申請データを見ても、第1種が妥当なんですよ。ペットは法的には『物』ですから」
窓口の職員は、抑揚のない声で淡々と返す。
「そんな言い方……物だなんて。あの子がいなくなって、どれだけ私が辛い思いをしたか……」
「お気持ちはわかります。ただ1種認定さえ受けられなかった方もおられます。不服であれば、申請の取り下げをされますか?」
僕はその噛み合わない会話を耳にしながら、窓口近くの受付機から番号札を引き抜いた。20番だと確認しポケットにねじ込み、唯一空いている長椅子の端に腰を下ろした。
待合室の人たちは、誰もが関わりのないふりをして、スマホを眺めたり、手元の書類に目を落としたりしている。
想像以上の待ち時間を覚悟した僕は、スマホを取り出してアプリを開く。今の仕事を始めてから『#生存負荷』『#14番窓口』というワードを検索するのが日課になっていた。
相変わらずタイムラインは活況で、リロードする度に新しいポストが積み上がっていく。ふと、スクロールしている手が止まった。
『14番窓口なう。レベル1判定で発狂してるおばさんいて草。ペット飼える余裕ある時点で、俺より数段イージーだろ。苦労の格が違うわ』
投稿者のアイコンは、やつれた横顔の自撮り。プロフィール欄には『要介護3の母を一人でケア中。生存負荷第3種認定』と書かれている。
ほどなくして追いかけるようにタイムラインが動く。
「待ち時間鬼。窓口職員の対応もレベル1wwwww」
同じように笑えない僕は、待合室にいる人が他人の悲しみを自分との秤にかけているように思えてきて、なんだか居心地が悪い。
そうこうしていると、先ほどまで興奮してクレームを言っていた女性が、観念したようにのろのろと席を立った。
同時に対応していた職員が立ち上がり、表情ひとつ変えないまま後ろのボックスに書類を乱暴に投げ入れた。
こちらに振り向いたその時、視線が交差した気がした。能面のような表情の中で、目だけが怒りに満ちた熱でギラギラしているように見える。
「お待たせ致しました。受付番号20番のお客様、15番の窓口においでください」
独特のイントネーションのアナウンスにようやく呼ばれて、待ち時間の半分も満たない説明で手続きが終わる。
隣の窓口は、ようやく5番を呼び出している。不気味なほど静かだけれど、くすぶっている怒りのような空気はずっとこのあたりに張り付いている。
市役所を出たところで、思わず深呼吸した。冷たい空気が僕の体中を巡り、少し軽くなった足取りで駐輪場に向かう。
今日は研修の最終日で、先輩の山田さんの同行だ。
クロスバイクに跨り、スマホの通知画面を見ると、祖母からメッセージが届いていた。
「少しは落ち着きましたか? こちらは、荷物の整理が進まなくて大変だけれど、おじいちゃんは施設に囲碁サークルがあると知って、楽しみにしているようです。また、近況知らせてね」
「元気でやってるよ」とだけ返した。祖母とのやり取りは、いつもそれくらいだった。
5歳の時、「まことくんは、泣かなくていい子だね」と親戚のおばさんに言われた日から、僕は心配をかけない子になった。
両親を事故で失い、祖父母に引き取られた『かわいそうな子』というレッテル。善意で固められた人たちの期待に添うように、聞き分けのよい賢い子として生きてきたのだ。
感情を波立たせず、無色透明でいること。それが自分を守る唯一の術だった。 けれど今ではそれも違和感なく、むしろずっとそうだったようにさえ思える。
毎朝六時ちょうどに起き、愛車のクロスバイクを整備し、同じコンビニで同じパンとコーヒーを買う。イレギュラーな出来事を極力排除し、正確なルーティンをこなす。
殺風景な部屋には、両親が笑っている写真が飾られている。けれど、5歳のころから変わらないその笑顔は、僕の小さな世界にある当たり前の風景の一部で、感傷的にさせることはない。
無理にそうしてきたのか、ずっとそうだったのかさえわからない。
そんなとりとめのない感情が僕の中を占領しかけた時、まるでストップをかけるように、握っていたスマホが短く震えた。
事務所からの『急遽現場が変更になった』という通知だ。今から向かえばギリギリ間に合いそうだ。
僕は過去の感傷を振り払うように、もう一度深呼吸してヘルメットを被り、ペダルを強く踏みだした。
◇
待ち合わせ場所のコインパーキングに着くと、社用の色褪せたジャンパーを着たガタイのいい男性が、軽く手を挙げた。
山田さんは僕と年齢はほぼ変わらず、経験は1年半らしい。それでも、長続きしない配達人のなかでは古株になる。
「お疲れ。櫻井くん、今日が研修最終日なんだってな。実は行き先が急に変更になってさ。この前俺が担当したオッサンから、クレームがあったらしい」
やれやれと言わんばかりのため息をつきながらも、なぜかウキウキしているように足取りは軽い。
「多分訳分かんないこと言ってくると思うけど。まぁ、見ててよ。刺激あるけど、経験としては悪くないと思うからさ」
あまり期待していない自分を感じながらも、相槌をうちながら5分ほど歩くと、石垣に囲まれた一軒家が視界に入る。
「木村」と書かれた古びた表札の門をくぐり、インターホンを押した。名前を名乗ろうとすると、突然ドアが開いて、鬼のような形相の男性が飛び出してきた。
「おまえ、俺を騙したな! こんなの詐欺だろ! おれは騙された! 金は払わないからな!」
「木村様。遅くなり申し訳ありません。不備があったと連絡をいただいたのですが」
山田さんは相手の言葉を無視するかのように、飄々と応対する。
「不備? 詐欺だろ? お前んところのデータをわざわざ買ってやったのに、どうなってるんだ! あぁ?」
早口で唾が飛んできそうなほどヒートアップしている男性は、今にも掴みかかろうとする勢いでぐいぐいと詰め寄ってくる。
「先ほどからおっしゃっている「詐欺」とはどういう意味でしょうか?」
山田さんは、相手の剣幕に動じることなく、冷静にゆっくりと聞き返した。
「しらを切るのか?俺は見たくもない他人の記憶に、わざわざ高い金を払ったんだぞ! それがいざ申請してみればランク2だ! それじゃ大した手当が出ないだろ、って言ってるんだ!」
「木村様、お言葉ですが、弊社のデータと認定結果は無関係です。そもそも他人のデータを使用・同期して申請することについては禁止しているとお伝えしたはずですが……」
そう言いながら、手際よくタブレットをタップした。
「このように、ご署名もいただいております」
「なんだと?……そんな細かいところまで知らん。どうせ小さい字で読みにくくしてるんだろ……」
画面に表示された同意書に目を通しサインを確認した途端、最初よりトーンが随分下がりはじめ、目がせわしなく泳いでいる。
「大変申し訳ありませんが、これ以上ここでの対応はしかねます。お支払いについてのご相談は本社にご連絡ください。では失礼します」
相手が言葉を挟む隙もなくピシャリと言い切ると、山田さんは深く頭を下げ、僕を促してさっさと外へ出た。
「俺は本当に苦労したんだぞ! どいつもこいつも、見くだしやがって!……」
閉まりかけたドアから、恨みがましい声が聞こえたが、さらに追いかけてくることはなかった。
玄関から数メートル歩いたところで、一気に力が抜けた。無意識のうちに、僕は右手を強く握りしめていたことに気づく。
「びっくりしたか? まぁ今回のは新人くんにはヘビーだったけどな。相手のペースに乗ったら負けだよ。巻き込まれずに、淡々と処理する。それが鉄則だからな」
「……僕にできるでしょうか。人と接することが少ないと思って、この仕事を選んだんですけど」
「そうなのか? それは残念だったな」山田さんは、少しニヤニヤしながら続ける。
「ほとんどは、マニュアル通りに配達して引き取るだけの仕事だよ。ただ、VPSのパッチは壊すと弁償だから、それだけは気をつけることだ。人については……慣れるしかない」
返事をしようとしたが、喉が乾いて声にならなかった。さっきのような場面で、僕が同じような対応ができるとは到底思えない。
走り去る山田さんの車を見えなくなるまで見送り、小さく振っていた手をゆっくりと下ろす。ふと視線を落とすと、手のひらには先ほどの爪痕がくっきりと残っていた。
痛みはない。けれど、その痕を見つめていると、新しい生活への期待感が一気にしぼんでいくのを感じた。
◇
「まことくん、お帰り。ごめんな、急にクレームの同行になってしもて。どうやった? 大変やった?」
事務所に入るとすぐに声を掛けてきたのは、事務員のなおさんだ。
自称36歳独身、と本人は言っているけれど、ほんとうのところは誰も知らない謎の人だ。
時々繰り出される関西弁は、色みのない事務所に温かさをもたらし、なくてはならないキャラだと新人の僕でさえ思う。
懐に入るのが自然で嫌味じゃない上に、立ち入ってはいけない境界線はきっちりとわきまえている。
つきあいは浅いけれど、僕が唯一鎧を外して話せる人は、なおさんだけかもしれない。
「ちょっと驚きましたが、山田さんが上手く収めたというか……VPSを自分の記憶にプラスしたのに判定が低いとかなりお怒りでした」
「またそのパターン……それはあかんことやって説明してるんやけどね」
なおさんは、やれやれという表情でため息をついた。
「あ、そういえば、その前には区役所行ってたんよね? こっちも疲れたやろ? 待ち時間まじで長いからなぁ」
「手続きはサクッと終わりました。でも隣の14番窓口はすごい人でした。1種認定でなんか揉めてたようでしたけど。ペットって「物扱い」なんですね? 知らなかったです」
「法的にはそうなんやけど、割り切れるもんじゃないよね。そもそもこの制度がブラックボックスやから、どやねんって話。といいながら、そのおかげで私らはお仕事させてもらってるんやけどね」
苦労を数値化しランク付けするこの制度が始まってから、AIでは作成できないリアルな体験が、売買されるという動きが活発になった。
バーチャル・ペイン・システム。
VPSと略され、もともとは、他者の痛みを理解するための教育システムだった。けれど実際には、他人の生々しい『苦労や痛み』が、パッチというデバイスに形を換えて体験できる。
それがいつの間にか、密かに認定ランクをあげるために買う人が増え、苦労の記憶を売ってお金にする人も増えるというある種グレーな市場となっている。
僕の仕事は、その『苦労体験』の記憶データを配達することだ。
「せやけど、まことくん、しゅっとしてイケメンやのに、よりにもよって、なんでこの仕事をしようと思ったわけ? 今日のクレームといい、なかなかメンタル強ないとできひん仕事やと思うけど」
「自分の自転車を仕事で使っていいって、募集要項に書いてあったので。ただそれだけです」
「それだけ? なんか、おもしろいよね、君って」
「いや、対面でこれほど人と接するというのは入ってから知ったというか。特に今日みたいな場面は……かなり想定外でした」
本当に想定外だと自分でも思う。感情を持たず、淡々と配達するだけの仕事を望んでいたのに、こんな展開になるなんて。
「そのあたり書いてなかった? どっちかというと、そっちの方がメインなんやけど。宅急便みたいな、運んで終わり、じゃないからねぇ。運ぶものがものだけに」
そう言いながら、なおさんは、VPSの最新デバイスを棚から取り、僕の目の前に仰々しく置いた。
「というわけで、研修も無事終了し、記念すべきまことくんの第一号のお仕事は、かなり軽めの地獄セットです!」
それは、子供の頃に流行ったメタルのペンケースのようなコンテナの中に、こめかみに貼る小さなパッチが格納されているVPSのデバイスだ。
蓋にある小さな液晶画面には、No10006(育児ノイローゼ初期3日間・パーソナライズ未設定)と表示され、赤いランプが点灯している。
誰かが切り売りした『苦労体験』の記憶データが実際に入っていると思うからなのか、研修の時より重く感じる。
購入者は、高層タワーマンションに住んでいる36歳の独身女性。タカギミユキ。
そんな勝ち組確定の女性が、なぜこのセットを購入するのだろう。子どももいないのに。
そう思っていた僕に、なおさんは間髪入れずに突っ込んでくる。
「まことくん、頭にはてなマークが見えるけど。それは知る必要のないことやからね。
私からのアドバイスその1!」
そういいながら、人差し指を僕の目の前に大げさに掲げながら、ひそひそ話をするように小さな声で、けれどはっきりと言葉を置くように続けた。
「この仕事を続けていくうえで大切なことは……深入りしない、感情に巻き込まれない。そして、ただの配達人にすぎないということを忘れないこと。引き込まれて消耗して、辞めていった人も少なくないから。でも、まことくんは大丈夫そう」
「え? なぜですか?」
「だって、なんかこう、感情の起伏がみえないというか、淡々としてるよね? だからあってるかもよ、この仕事。まぁ、がんばって」
褒められたのかどうかわからないけれど、初めてといってもいいほど興味を持った仕事だから、合わないと言われるよりはずっと嬉しいものだ。
「行ってきます」
一連の荷物をデイパックに詰めて事務所を出ると、足取りは少し軽くなっていた。
事務所の重いドアを押し開けると、想像以上の冷たい風を食らってよろめいた。僕は愛車のクロスバイクに跨り、ヘルメットのあごひもを少しきつめに締める。
「重荷は運ぶけれど、中身は知らない」
小さく呟いてから、ペダルを強く踏み込んだ。
これまで経験したことがない高揚感がじわじわと全身を包む。マニュアルも完璧に覚えたから大丈夫だ、と心の中で唱える。
そんな僕のことなどまるで興味がないように、街はすでにウォーミングアップを終えて動き始めている。
澄み切った空と遠くに見える高層ビルの塊は、まるでAIが作った画像のようにコントラストが美しかった。
【次回あらすじ】
「感情を持たず、ただ運ぶだけ」
そう決めていたはずだった。 だが、次に指定された回収先は、無色透明なはずの彼の心を激しく揺さぶる『ある男』の家だった――。