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〔講義009〕『組織をマネジメントするとは〜ジーコJAPANの敗因から見えたこと〜』[シェッツェン大学|蹴球学部|分析学科]

いまさらではありますが、ドイツW杯での日本代表の敗因を分析してみたいと思います。
当時の取材を基に、著名なジャーナリストの方々が数多くの分析をされています。そのため今回は、あくまでも一人のサッカーファンとして、当時の日本代表を振り返ってみます。
もっと掘り下げたいところもありましたが、今回はサクッと読める短めのコラムにまとめました。

① ボール奪取能力の高いボランチの不足

稲本・福西といえば、日本国内では総合力の高いボランチで、もちろん守備力も高い選手でした。
しかし、クラブではともに得点力のあるボランチとして、積極的な攻め上がりを持ち味としていました。
その2人を並べることが、必ずしも最適な組み合わせだったとは思いません。

初期には稲本と小野のコンビが採用されていたことを考えると、守備意識の高い福西がレギュラーに定着したことで、守備面が幾分改善されたのは事実でしょう。
それでも、ボールを奪い返すことを専門的に担う選手が不足していたことは、このチームの課題だったように思います。

② システム変更と、それに伴う流動的なポジション配置

3-5-2と4-4-2を併用したことで、チームの中心であるはずの中田英寿のポジションすら固定されませんでした。
4-4-2でポゼッションがうまくいかなければ、次の試合では3バックにする。
すると今度は3バックの脇のスペースを突かれ、また4バックに戻す。
一人のファンとして観ていて、そんな印象を受ける采配でした。

システムを変更すること自体が問題なのではありません。
問題は、システム変更によって選手の役割まで曖昧になってしまったことではないでしょうか。

③ 真ん中でのプレーを好む選手が多かった

中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一。
いわゆる「黄金のカルテット」と称された4人ですが、彼らは基本的に中央、それも足元でボールを受けることを好む選手でした。
もちろん、それぞれが異なる特徴を持った素晴らしい選手です。

しかし、優れた選手を集めれば、そのまま優れたチームになるわけではありません。
小笠原満男は、ほどよくサイドに流れてボールを受けるプレーもそつなくこなせる選手でした。
そのため、小笠原がレギュラーに入ったときの方が、チームとして幅を使えていたように感じます。
それでも、ピッチの幅と奥行きを最大限に使えていたわけではありません。

もし松井大輔や永井雄一郎といった、当時キレのあるドリブルを見せていたサイドを主戦場とするアタッカーがベンチに控えていたら。
後半、相手DFが疲れてきたところで彼らを投入するだけでも、相手に与える脅威は違ったのではないでしょうか。

■ 組織をマネジメントするということ

2026年現在、もし現在の日本代表をジーコが率いたとしても、「まだ早かった」という結果になる可能性は十分にあると思います。
ジーコには、かつてのレアル・マドリードのようなスター選手の多いチームをまとめる力があるのかもしれません。
しかし、戦力の底上げをしながら、格上に挑み、ジャイアントキリングを目指すチームの長としては、適性が合わなかったのではないでしょうか。

ここで考えたいのは、監督の能力そのものよりも、「個の能力を、いかに組織として機能させるのか」ということです。

優秀な選手を集める。

それだけでは、強いチームにはなりません。
選手の特徴を見極め、役割を整理し、互いの長所が噛み合う配置を考える。
そして、試合の中で生じた問題に対して修正を加える。

それが「組織をマネジメントする」ということなのではないでしょうか。
最後に、当時のメディアについても触れておきたいと思います。

初戦のオーストラリア戦に敗れた際には、「謎采配」といった批判が飛び交いました。
しかし、そもそもジーコは、Jリーグ創成期を彩ってくれた日本サッカー界のレジェンドです。
だからこそ、「神様・ジーコ」というイメージが先行し、代表監督としての采配やチーム作りについて、十分な検証や批判がなされなかったように感じます。
ジーコが日本サッカーに残した功績と、代表監督としての評価は、本来分けて考えるべきだったのではないでしょうか。

2006年の日本代表を振り返ると、そこには「スター選手を揃えること」と「強い組織を作ること」は別物だという、サッカーに限らない組織論の教訓が残されています。

【了】

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