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🍒戦争体験 Ⅱ

      〜子どもの詩365 Hazard-6〜

     昭和→平成→令和と子どもの詩を読んできて、右肩下がりに減ってきた題材があります。祖父母から直接聴く戦争体験談です。2026年現在、ほぼ無くなったと言えるでしょう。今となっては、戦争体験を記した作品は貴重な資料と言えます。
     Akiyama Uです。子どもの詩を紹介しています。
           🔹
      おじいちゃんの目(1996年作品)
    私のおじいちゃんは戦争へ行って
    左目がとじたままになっている
    まばたきする時まぶたがぴくぴく動く
    私はおじいちゃんの目が
    両方見えたらいいなと思った
    戦争がなかったら
    ばくだんが落ちてこなかったら
    おじいちゃんの目は  今も両方見えていたのに

    戦争で多くの人が亡くなった
    おじいちゃんと同じように目が見えない人もいる
    足が悪い人もいる
    でもみんな  そんなしょうがいをのりこえて
    がんばっている
    その内の一人がおじいちゃん
    朝早くから田んぼの見まわり
    私が学校に行っている間はおふろのまきづくり
    このごろは近所の人にたのまれて
    工事の手伝い
    そんなおじいちゃんの姿を見ていると
    私もがんばらなくてはと思う
         4年 ひろみ

       せんそうのぎせいしゃ(1986年作品)
    おかあさんのおにいさんは
    しょうがくせいのとき
    うみへおよぎにいきました
    そしてしょういだんという
    ちいさなばくだんをひらってきたそうです
    おかあさんのおにいさんは
    それをおうちのまえでさわっていて
    ばくはつしてなくなりました
    やっぱりおかあさんのおにいさんも
    せんそうのぎせいしゃです
         1年 けんと

     この作品は、Akiyama学級の児童のものです。私自身、家の水田地で焼夷弾を見つけたことがあります。中身の無い筒状のものだったので助かりました。

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    焼夷弾の筒

       おじいちゃんの手(1998年作品)
    おじいちゃんは
    沖縄の糸満市に住んでいます
    おじいちゃんは子どものころに
    手りゅう弾で遊んでいて
    爆発して
    右手は親指だけになりました
    それでも仕事をがんばっています
    でもおじいちゃんは右ききだから
    えん筆をもつことができません
    だからおじいちゃんは
    しばらく左手で何でもしたそうです
    だから今は  右ききではなく左ききになりました
    でも  とっても大変です
    なんたって  右手が親指だけなんだから
         4年 ゆみ

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    沖縄戦:米軍の手榴弾(左)と日本軍の手榴弾(右)

     沖縄県糸満市は、沖縄戦最大の激戦地です。日本軍の司令部が置かれた首里から南下した多くの兵士や住民が追い詰められ、悲惨な地上戦が展開されました。テレビによく出てくる摩文仁の丘の平和の礎 (いしじ)には、国籍や軍人・民間人を問わず、沖縄戦で亡くなった24万人余りの戦没者の名前が刻まれています。
     組織的戦闘が終結した日は「慰霊の日」と定められ、糸満市の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われます。6月23日です。
           🔹
     最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

     
     
    気がつけば、子どもの書く文章を収集する人生になっていました。職業柄とも言えますが、誰もがしていることではないので、やはり謎です。ただ一つ言えるのは、自分の体験し得なかった事やこれから起こる可能性の低い出来事を、子ども達が代わりに体験してくれている、そんな認識です。感謝です。

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