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🍒子どもの詩116 Family-9

       〜老いること〜

    子どもの詩を紹介するnoteです。
           🔹
     老いを迎えたおじいちゃんと、孫のお話です。
     にちかちゃんのお母さんは、おじいちゃんの元気いっぱいの時期を知っていますが、にちかちゃんは知りません。今とはずいぶん違った青年期のおじいちゃんに会ってみたい気もします。それでも今のおじいちゃんの方が、にちかちゃんは大好きなのです。
     誰もが迎える老いですが、老いたままの自分を慕ってくれる人がいることこそが、究極の幸せの形だと、この作品は語っている気がしました。

       だいすきなおじいちゃん
    わたしのだいすきなおじいちゃんは
    「たいじゅう85キロできんにくムキムキ
    じゅうどう四だんの
    つよくてやさしいひとだったんよ」と
    おかあさんがわたしにはなしてくれた
    でもわたしのしっているおじいちゃんは
    からだのかわはしわしわで
    けっかんがぷくぷくしている
    あしはよぼよぼで
    つえをつかないとあるけない
    てはふるえて
    ごはんもじょうずにたべれない
    そんなおじいちゃんをみていると
    わたしはいつもどきどきはらはらする
    おじいちゃんが
    このあいだこけてしまった
    あぶない!
    とおもったときおじいちゃんは
    ひざ ひじ かおのじゅんばんにたおれていった
    おじいちゃんのかおはちだらけだった
    わたしはないた
    おじいちゃん おじいちゃん
    げんきになって
    おかあさんのいってたおじいちゃんに
    あってみたいなあ
    でもいまのおじいちゃんが
    わたしはだいすき
    わたしがあいにいくと
    おじいちゃんはすぐえがおになる
    「おかしかいにいこかあ」といって
    あるきにくいからだなのに
    いっしょうけんめいつれていってくれる
    わたしがわるいことをしたときは
    だきしめながらおこってくれる
    おじいちゃん おじいちゃん
    ありがとう
    おじいちゃん おじいちゃん
    だぁいすき
         1年 にちか

     1976年(昭和51年)6月26日(土)午後1時。
    高校1年の帰り道、通学電車を降りた駅の構内で私は「燃える闘魂」アントニオ猪木とモハメッド・アリの異種格闘技戦を見ました。まさに、釘付け状態でした。
     そして年月が過ぎます。2022年夏。「全身性アミロイドーシス」という難病と闘うアントニオ猪木が、テレビに映し出されていました。闘病中の瘦せ衰えた姿。カッコつけないありのままの姿。
     アントニオ猪木は、弱々しく言いました。
    「こんな姿を人前で見せるのも、何か意味があるのかなぁと思って‥。」
     どんな意味があるのかさえ、分からないようでしたが、確かに猪木はそう言いました。
     人一倍元気だった人が、元気でない姿を見せること。確かに何らかの意味があるように思います。そして、勇気のいることだと思います。



     
     
    気がつけば、子どもの書く文章を収集する人生になっていました。職業柄とも言えますが、誰もがしていることではないので、やはり謎です。ただ一つ言えるのは、自分の体験し得なかった事やこれから起こる可能性の低い出来事を、子ども達が代わりに体験してくれている、そんな認識です。感謝です。

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