
🍒子どもの詩117 Family-10
〜命のつながり〜
子どもの詩を紹介するnoteです。
🔹
生命のつながりを実感することは、めったにあることではありません。実感することなく、人生を終えることだってあるでしょう。
6年生のともき君は、めったにないはずの「生命のつながり」を実感しました。それは、驚くほどシンプルなこと。誰もが毎日やっている行動の中にあったのです。
つながる「命」
もうすぐおじいちゃんが家に帰ってくる
暑い夏の日
ぼくたちはおじいちゃんを迎える準備をした
「おじいちゃん暑いやろ」と
弟が水をバシャバシャお墓にかけた
ぼくもせっせと掃除して
最後にきれいな花を飾った
もうすぐおじいちゃんが家に帰ってくる
いよいよおじいちゃんが帰ってくる日
ぼくたちはおばあちゃんとお寺まで
おじいちゃんをむかえにいった
ろうそくの火が消えてしまわないように
ぼくは灯ろうをそっと持って家まで歩いた
家に着くとおばあちゃんが
「お手伝いありがとう
さあ おじいちゃんが帰ってきたよ」と言った
五歳の妹が何度も
「おじいちゃんどこにいるん?」と言って
あたりをきょろきょろ見わたした
ぼくにもおじいちゃんは見えなかった
おばあちゃんはそばで笑っていた
おばあちゃんには
おじいちゃんが見えているのかな
三日後おじいちゃんはまた天国へ帰っていった
とうとうぼくはおじいちゃんに会えなかった
おじいちゃんに会えるはずなどないことは
はじめから分かっていたけれど
なんだかちょっぴりさみしくなった
ぼくが生まれる数ヶ月前に
天国へ行ってしまったおじいちゃん
一度でも会ってみたいな
その夜お母さんに「ぼく
おじいちゃんに会いたいな」と言ってみた
「鏡でともきの顔を見てごらん」
お母さんが答えた
「おじいちゃんに会うのと何の関係もないやん」
ぼくはすぐに言い返した
翌朝 歯を磨いている時
鏡に映ったぼくの顔
おばあちゃんの家に飾ってあった
写真の中のおじいちゃんに少し似ていて
「はっ」とした
今まで一度も会ったことはないけれど
どこか似ているおじいちゃんとぼく
ぼくの中におじいちゃんがいた
ぼくとお母さんとおじいちゃん
みんな違うけれど
どこかちょっと似ている
いのちはつながっているんだ
6年 ともき
Eテレの番組で、気になるシーンがあって心に留めたことがあります。
東北地方に住むあるおばあちゃんが、インタビュアーの問いかけに答えていました。
「歳を重ねて、いつか自分が死んで、消えて無くなることをどう捉えておられますか。」
これにおばあちゃんが、東北弁で答えますが、ここでは共通語に変換して再現してみます。
「悲しいことではあるけれど、うれしいことでもあります。」
「うれしいとは、何がでしょう。」
「自分が死んで、ご先祖様の一人になれることが、とても誇らしく、うれしい気持ちがします。」
と、こういうようなやり取りでした。
自分は、会ったこともない祖先とも繋がって、まだ見ぬ未来の子孫ともつながる存在。その中継地点にある存在。
あの時テレビで見たおばあちゃんの「うれしい気持ち」とは、こういう意味だったような気がします。