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🍒自分の無力を知った日

      〜子どもの詩391 Family-62〜

      "I know that I know nothing."
    (私は自分が何も知らないということを知っている)

     「無知の知」と訳されます。高校2年生の倫理社会の時間に習った、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉です。
     この言葉は、様々なことに転用が効く言葉だと思います。例えば、「無知」を「無力」に置き換えて、「無力の知」。自分には力が無い、あるいは不足していると自覚した瞬間に使えますね。
     一人の女子児童が、ある日母親の片方の視力が閉ざされた時に母を助けようとしますが、自分の無力を自覚せざるを得なくなりました。
      Akiyama.Uです。子どもの詩を紹介しています。
           
    🔹
       私のお母さん
    いつも元気なお母さん
    ある日突然片目になってしまった
    右目にうみがたまって
    あかなくなってしまった
    眼帯をして痛々しいお母さん
    いつも当たり前のようにしていることが
    何もできない
    コーヒーをカップに入れようとしたのに
    お皿の上にこぼしてしまった
    「あーあ  またやっちゃった‥‥」と
    つぶやく声が聞こえる
    おかあさんが
    「ジュース入れてあげようか?」といった
    「ありがとう‥‥」
    でも入れたつもりが
    少しもグラスの中に入っていない
    「テーブルクロスかえたばかりなのに‥‥」
    またつぶやく声
    そのつぶやきから
    片目の不自由さがひしひしと伝わってくる
    片目ってそれだけ不自由なんだなあ
    ちゃんと見えてるつもりが
    いつも少しずれている
    テーブルクロスをせんたくしている
    お母さんのせ中が
    いつもより小さく見えた

    お手伝いしなきゃとがんばった私
    でもさっそくグラスをこわしてしまった
    「ごめんね  お母さん」
    「もういいよ  けがするから」
    グラスを片付けてくれるお母さんの指先が赤い
    でも私に見せてくれるやさしい表情は
    ちっとも変っていない
    「ごめんね」
    「ごめんね」
    私は何度もあやまった
    私が助けようとすると失敗ばかりしてしまって
    よけい苦労をかけてしまう
    そのたびに私に
    ほほえみかけてくれるお母さん
    でもますます
    小さくなっていくように見えるお母さんのせ中
    つぶやく声はもう聞こえてこない
    私はよけいに悲しくなってしまった

    お母さん
    いつか私が
    お母さんの片目になってあげるね
    それまで元気でいてね
    ありがとう
         5年 あやみ

     ソクラテスの「無知の知」は、次のように続きます。

    「無知の知」とは、古代ギリシャの哲学者ソクラテスが提唱したとされる、「自分自身が何も知らないことを自覚している」という認識のことです。自分が無知であることを認める謙虚な姿勢こそが、真の知恵やさらなる学びへつながる第一歩であるという考え方を指します。

     差し詰め、「無力の知」に置き換えれば、こうなります。

    自分が「無力」であることを認める謙虚な姿勢こそが、「真の力」の習得につながる第一歩である。

     あやみさん。今は失敗が多いでしょうが、しっかりと第一歩が踏み出せましたね。
           🔹
     最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

     
     
    気がつけば、子どもの書く文章を収集する人生になっていました。職業柄とも言えますが、誰もがしていることではないので、やはり謎です。ただ一つ言えるのは、自分の体験し得なかった事やこれから起こる可能性の低い出来事を、子ども達が代わりに体験してくれている、そんな認識です。感謝です。

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