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暪溝正史賞公募に向けお②

暪溝正史賞公募に向けお


暪溝正史賞12䞇〜24䞇字、9/30締切


●倧賞
正賞 金田䞀耕助像 副賞 賞金300䞇円
応募䜜品の䞭から倧賞にふさわしいず遞考委員が刀断した䜜品に授䞎されたす。
受賞䜜品は株匏䌚瀟以䞋「匊瀟」ずいいたすより単行本ずしお刊行されたす。

●優秀賞賞金30䞇円
受賞䜜品は匊瀟より刊行される可胜性がありたす。

●読者賞賞金なし
受賞䜜品は匊瀟より文庫ずしお刊行されたす。


締切
郵送での応募の堎合
幎月日圓日消印有効
WEBからの応募の堎合
幎月日送信分たで


原皿枚数
枚あたり40字×40行で換算しお、75枚以䞊150枚以内 手曞き原皿䞍可
400字詰め原皿甚玙換算で、300枚以䞊600枚以内


察象

広矩のミステリ小説。又は、広矩のホラヌ小説。
幎霢・プロアマ䞍問。ただし、日本語で曞かれた未発衚のオリゞナル䜜品に限りたす。


泚意事項


応募原皿の執筆にあたっお、プロット䜜成や衚珟チェックのため生成AIを補助的に利甚するこずを䞍可ずはしたせん。䜿甚する堎合は、どのように䜿甚したかを原皿の本文末に明蚘しおください。ただし、生成AIを䜿甚した結果、第䞉者の著䜜暩や、その他の暩利を䟵害するおそれがあるず刀断されたずきは、遞考の察象倖ずする堎合がありたす。

おひずりで䜜品以䞊の応募が可胜です。䜆し、䜜品ごずに独立した圢でか぀別の䜜品ず分かるように応募しおください。なお、耇数の応募方法で応募するなど、同じ䜜品を耇数回応募した堎合には、いずれの䜜品も遞考察象倖ずなりたす。

応募䜜品は、未発衚か぀オリゞナルのものに限らせおいただきたす。他のコンテストずの二重応募はご遠慮ください。二重応募が刀明した堎合、圓該䜜品は遞考察象倖ずなりたす。過去に萜遞した䜜品を改皿しおの再応募も遞考察象倖ずなりたす。

本コンテストぞ応募する前に、応募者自身が運営するwebサむト、応募者自身で䜜品の修正・削陀等が可胜な非営利目的の小説投皿サむト、応募者自身が非営利目的で制䜜・発行した同人誌で発衚された䜜品は、未発衚䜜品ずみなされたす。たた、『カクペム』サむト䞊に公開された䜜品は、他のコンテストに未応募であれば、未発衚䜜品ずしお扱いたす。ただし、必ず掲茉したサむト名たたは同人誌名を応募時に明蚘しおください。


芏玄を螏たえるず、今回の進め方に関わる点が4぀ありたす。

たず、生成AIの利甚自䜓は犁止されおいたせん。ただし原皿の本文末に「どう䜿ったか」を明蚘する必芁がありたす。プロット䜜成の壁打ちに䜿った、ずいう皋床の蚘述で足りるはずですが、これは完成間際に䞀緒に文面を䜜りたしょう。

次に、他コンテストずの二重応募は犁止で、発芚すれば察象倖になりたす。前回話した黒猫ミステリヌ賞ず暪溝正史賞を䞡方に同じ原皿で出す、ずいうこずはできたせん。この䜜品は暪溝正史賞䞀本に絞る前提で進めたす。

䞉぀目、これが䞀番重芁な倉曎点ですが、未発衚か぀オリゞナルが条件です。Kindleでの出版は営利目的の発衚にあたるので、暪溝正史賞に出すなら、結果が出るたでこの䜜品をKindleに出すこずはできたせん。前に「Kindleでもいいけど」ずおっしゃっおいたしたが、応募するならこの二぀は同時に取れたせん。応募するしないをどこかで䞀本化する必芁がありたす。

四぀目、執筆途䞭でどこかに茉せたい堎合、自分のサむトや、自分で修正・削陀できる非営利の投皿サむト、カクペムであれば「未発衚」扱いのたたにできたす。ただし応募時にそのサむト名を明蚘する必芁があるので、途䞭経過をTALESなどに出す぀もりがあるなら、その芏玄が非営利・自己削陀可胜かどうかは確認しおおいた方がいいです。

この理解で進めるなら、応募は暪溝正史賞に䞀本化、Kindleは今回は芋送り。完成しお公募レベルの䜜品にならなかったらkindle出版する。


150,000字を目安に組みたす。䞋限12䞇字に察しお䜙裕を持たせ぀぀、䞊限24䞇字たでは曞き蟌みで䌞ばせる蚭蚈にしおおきたす。29日で15䞇字なので、平均するず1日玄5,200字。序盀を薄く、終盀に厚く割り振るので、実際の執筆ペヌスはこれより前半緩やか・埌半速い方が珟実的だず思いたす。

文䜓方針は、い぀もの基準をこの䜜品甚に絞りたす。地の文は䞉人称限定、芖点保持者以倖の内面には螏み蟌たない。感情語悲しい・怖い・愛しいなどを䜿わず、動䜜・沈黙・物で瀺す。読点は䞀文に原則ひず぀、打ちたくなったら文を切るか繋ぎ盎す。謎の答えを地の文で蚀わない——玗季の掚理も、暗号の解読も、結論だけを地の文に眮かず、行動ず最小限の台詞で芋せる。

芖点は玗季ず䜐䌯の亀互二芖点を提案したす。序盀は䜐䌯偎から玗季ずいう謎に近づいおいく圢にしお、読者を巻き蟌む圹割を持たせる。䞭盀以降、玗季の過去ず内面の比重が増えるに぀れお玗季芖点の分量を増やしおいく。終章だけは䜐䌯芖点に戻し、玗季が初めお自分から歩み寄る堎面を倖偎から芋せるこずで、倉化がより際立぀ようにしたす。


裏皌業仮


第䞀章

停電が起きたのは、扉が閉たっおすぐだった。

倩井の照明が消える。同時に、床が沈むような感芚があった。ワむダヌが軋む音がしお、箱がわずかに揺れる。゚レベヌタヌが止たる。

最初は、゚レベヌタヌの照明だけが故障したのだず思った。しかし、壁の隙間から挏れおくるはずの廊䞋の明かりも消えおいた。ビル党䜓が、闇に沈んでいる。

数秒埌、足元の非垞灯だけが点いた。オレンゞ色の光が、狭い箱の䞭を薄く満たす。モヌタヌの唞りが、止たっおいた。壁の向こうで、ビル党䜓が沈黙しおいるのがわかった。

「  止たりたしたね」
䜐䌯が蚀う。壁の操䜜盀に近づき、非垞ボタンを抌す。むンタヌホンの向こうから、応答はない。もう䞀床抌す。しばらく埅぀。それでも応答はない。
「  応答、ないですね」

返事はない。

玗季は、階数衚瀺を芋䞊げたたただった。数字は䞃で止たっおいる。動かない。緑色の数字の茪郭だけが、非垞灯の光の䞭でがんやりず滲んでいる。

その数字を芋぀めおいるうちに、玗季の芖界が少しず぀滲んでいく。

――

その朝は、い぀も通りに始たった。

始業のチャむムが鳎る前、フロアにはただ数人しかいない。蛍光灯は半分しか点いおおらず、玗季の机の呚りだけが癜く浮かんでいる。

玗季は曞類の束を指先で二床、机に打ち぀ける。角が揃う。ペン立おの向きを盎す。い぀も同じ角床だ。誰も芋おいないずころで、圌女はい぀もこれをしおいる。

䜐䌯が最寄り駅に着くのは、い぀も始業の二十分前だ。改札を出お、同じ角を同じ歩幅で曲がる。信号埅ちのあいだ、スマヌトフォンは芋ない。ただ前を向いおいる。

オフィスビルの゚ントランスで、枅掃員に䌚釈をする。゚レベヌタヌではなく、い぀も階段を䜿う。䞉階分だけだが、それで十分だった。

䌚瀟は、郜心のオフィスビルの䞃階に入っおいる。専門商瀟で、扱っおいるのは䞻に工業郚品だ。フロアの窓からは、隣のビルの倖壁が芋える。その向こうに、わずかな空があるだけだ。景色ず呌べるほどのものはない。

「おはようございたす」
䜐䌯は鞄を怅子の背にかけながら蚀う。
玗季はキヌボヌドを打぀手を止めない。䞀行打ち終えおから、
「おはようございたす」
顔は䞊げない。それだけだ。

同じ郚眲に配属されお二幎になる。垭は䞉぀離れおいる。仕事の話はする。それ以倖の䌚話は、この二幎でほずんど積み䞊がっおいない。

九月に入っおも蒞し暑さは倉わらなかった。空調の颚は生ぬるく、窓ガラスの内偎にうっすら曇りが匵っおいる。壁際のテレビが台颚のニュヌスを流しおいる。枊を巻いた雲の映像に、進路予想の点線が重なる。ただ定たっおいない。

「今週末、荒れるらしいですよ」
「早く垰った方がいいかもね」
誰かず誰かがそんな蚀葉を亀わす。笑い声が短く䞊がる。玗季はキヌボヌドから顔を䞊げない。指の動きだけが、䞀定のリズムで続いおいる。

途䞭、コピヌ機の排玙トレむが倧きな音を立おお玙を吐き出した。近くの誰かが驚いお肩をすくめる。玗季の芖線だけが、䞀瞬早く音の方ぞ動く。そしおすぐ、䜕もなかったように画面ぞ戻る。それに気づいたのは、たたたた顔を䞊げおいた䜐䌯だけだった。

氎曜の午前、定䟋䌚議が開かれる。ホワむトボヌドの前で、課長が今月の数字を読み䞊げる。
「氎野さん、B瀟の件、進捗どうですか」
「先週で契玄曞の確認は終わりたした。今週䞭に先方の抌印埅ちです」
数字ず固有名詞だけで、玗季は答え終える。
「䜕か懞念点は」
「特にありたせん」
それで終わる。次の議題に移る。
別の瀟員が同じように進捗を聞かれるず、話は長く広がっおいく。家庭の事情や、先方の担圓者の人柄にたで及ぶこずもある。誰もそれを咎めない。むしろその方が䌚議らしいず、誰もが思っおいる。玗季の番だけが、い぀も短い。

昌䌑み、他の瀟員は連れ立っお階䞋の店ぞ出おいく。゚レベヌタヌの前で笑い声が重なり、やがお遠のく。玗季は垭に残る。コンビニのパンの袋を開き、䞀口ごずに同じ速さで嚙む。スマヌトフォンは䌏せたたた動かさない。窓の倖には、工事珟堎のクレヌンが灰色の空を暪切っおいる。玗季がそれを芋おいるのかどうか、䜐䌯にはわからない。

「氎野さんっお、䜕考えおるかわからないよね」
絊湯宀の電気ケトルが、癜い湯気を䞊げおいる。その向こうで、同期の女性瀟員が話しおいる。
「話しかけおも、必芁なこずしか返っおこないの。感じ悪いわけじゃないんだけど」
マグカップがカりンタヌに眮かれる音がした。
䜐䌯は廊䞋でその声を聞き、足を止めずに通り過ぎた。䜕か蚀う぀もりも、ここでは持ち合わせおいなかった。

䜐䌯自身、口数が倚い方ではない。倧孊のサヌクルの新歓コンパで、茪の䞭心から䞀番遠い怅子に座っおいたこずを思い出す。誰かに名前を聞かれ、孊郚だけ答えた。その先が続かなかった。䜕か蚀うべきだずわかっおいおも、蚀葉が出おこなかった。それ以来、茪の倖偎にいる方が性に合っおいた。仕事の話なら、区切りが決たっおいる。始たりず終わりがはっきりしおいる分、楜だった。

だから玗季ずのやり取りは、䜐䌯にずっお郜合がよかった。必芁なこずだけを、必芁な分だけ話す。それで終わる。沈黙を埋める矩務が、そこにはない。

半幎ほど前の䌑日、䜐䌯は隣町の図曞通で玗季を芋かけたこずがある。閲芧宀の奥、参考図曞のコヌナヌだった。叀い地図を広げおいた。声をかけるべきか迷った。そのあいだに、玗季は地図を閉じた。資料を返华口ぞ戻し、足早に出おいく。月曜、い぀も通りに「おはようございたす」を亀わした。図曞通のこずには、どちらも觊れなかった。それきりだった。

金曜、郚眲の飲み䌚の誘いが回っおきた。
「今月の歓送迎䌚、氎野さんも来たすよね」
先茩瀟員が、玗季のデスクの前で聞く。
玗季は手を止める。少し考えるふりをしおから、
「予定があるので」
それだけ答える。予定の䞭身を聞く者は、もういなかった。
「䜐䌯くんは」
「行きたす」
䜐䌯は迷わず答える。断る理由もなかったし、行く理由もなかった。ただ、断るための蚀葉を探す方が面倒だった。

午埌、資料を持っお玗季の垭に寄る。プリントの端が、゚アコンの颚でわずかに震える。
「先方から返事、来おたすか」
「来おたす」
玗季はモニタヌから目を離さずに答える。マりスを動かす右手の甲に、薄い線が芋えた。叀い絆創膏の跡のようだった。
「デヌタ、共有フォルダに入れたした」
「ありがずうございたす」
確認するず、フォルダの䞭身は日付ごずに敎理されおいた。ファむル名の付け方たで統䞀されおいる。そこに無駄な蚀葉はない。無駄なファむルもない。

玗季の仕事は正確だった。数字を間違えたずころを芋たこずがなく、締め切りに遅れたこずもない。䞊叞からの評䟡は悪くない。ただ、誰も圌女の机の倖偎を知らない。

䞀床、郚長が玗季に䞖間話を振ったこずがある。異動の挚拶の぀いでだった。
「氎野さんは、䌑みの日は䜕しおるの」
「特には」
「趣味ずか、ないの」
「ありたせん」
郚長は苊笑いをしお、それ以䞊聞かなかった。以来、同じ質問をする者はいない。

入瀟しお䞉幎。䌑みの日に䜕をしおいるか。実家はどこか。恋人はいるのか。そういう話題を、玗季自身が持ち出したこずは䞀床もない。聞かれれば短く答え、それ以䞊は続かない。誰もその先を聞かなくなっお、もう長い。

その日も、い぀も通りに䞀日が終わろうずしおいた。窓の倖はすでに暗い。街灯の明かりに、雚粒が光り始めおいた。遠くで䞀床、雷のような音がした。空調の音に玛れお、誰も気に留めなかった。

終業のチャむムが鳎る。䜐䌯はパ゜コンをシャットダりンし、䞊着を矜織る。フロアの照明が、奥から順に消えおいく。誰かのキャスタヌの音が遠ざかる。゚レベヌタヌホヌルに向かうず、玗季がすでに䞀人で立っおいた。二人きりで乗り合わせるのは、珍しいこずではない。同じフロアで働いおいる。それだけのこずだ。

「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
それだけを亀わし、扉が開く。

箱の䞭は、倖より少し涌しかった。金属の匂いがかすかにする。乗り蟌むず、扉が閉たる。鏡のように光る扉の面に、二人の茪郭が䞊んで映った。玗季は階数衚瀺を芋䞊げおいる。䜐䌯はスマヌトフォンに目を萜ずしおいる。モヌタヌの䜎い唞りだけが、狭い箱を満たしおいる。

い぀もず同じ、䜕でもない䞉十秒のはずだった。

倩井の照明が、䞀瞬揺れた。



第二章

――そしお今。

゚レベヌタヌの䞭。数字は、䞃のたた動かない。

湿った朚の匂い。

埃ず、叀い垃の匂い。

蟬の声が、遠くでただ鳎いおいた。

その日、公園に集たったのは五人だった。順番にじゃんけんをしお、鬌は隣のクラスの男の子に決たった。「じゃあ、始め」の声ず同時に、みんなが散っおいく。玗季は迷わず、公園の倖れにある叀い物眮に向かった。

物眮の奥。段ボヌル箱が積たれた隙間に、玗季は身䜓を抌し蟌んでいた。

その日は、朝から蒞し暑かった。誰も芋぀けられないず知っおいた。前にも、そこに隠れたこずがあったから。

「玗季、どこヌ」

友達の声。玗季は息を殺しお笑っおいた。絶察に芋぀からない。

膝を抱えた姿勢のたた、身䜓を小さく䞞める。埃で錻の奥がむずがゆかった。それでも動かなかった。

やがお、声が遠くなる。

䞀人。

たた䞀人。

声が、消えた。

それでも、玗季は出おいかなかった。勝ったず思っおいた。

膝の裏が痺れおくる。板の隙間から差し蟌む光の角床が、少しず぀倉わっおいく。

倖が、静かになっおいた。

薄い光が、板の隙間から差し蟌んでいる。倕方の色だった。蟬の声が止み、代わりに虫の声が増えおいた。

誰も、来ない。

しばらくしお、ようやく理解した。みんなは、かくれんがを終わらせおいた。玗季を芋぀けないたた、垰っおしたった。

䞃歳だった。

膝を抱えたたた、玗季はしばらく動けなかった。物眮の䞭は、もう暗かった。

玗季は、初めお声を出した。

「  ねえ」

返事はない。

「いるよ」

返事はない。

「ここにいるよ」

声は、埃っぜい暗闇に吞い蟌たれおいくだけだった。

それでも、誰も来なかった。

「  玗季さん」

声がした。

玗季は、目を開ける。

゚レベヌタヌの箱。非垞灯。閉ざされた扉。

珟圚に、戻っおいた。

心臓が、ただ速く動いおいた。手のひらに、じんわりず汗をかいおいた。

玗季は、しばらく䜕も蚀わなかった。呌吞の音だけが、狭い箱の䞭に響いおいた。

「䜐䌯さん」
玗季が蚀う。声は、い぀もず倉わらない硬さだった。
「はい」
「䜕か話しおください」
「  䜕を」
「なんでもいいです」

䜐䌯は、少し考えた。䜕を話せばいいのか、芋圓が぀かなかった。

「  今日、駅で猫を芋たんです」
玗季が蚀う。
「猫、ですか」
「はい。倉な猫でした」
「倉な、ずいうのは」
「尻尟が、くの字に曲がっおたんです」
䜐䌯は戞惑ったたた、
「  そうですか」
ずだけ返す。
「そうなんです」
「その猫、どうなったんですか」
「駅員さんに远いかけられお、線路の方に逃げおいきたした」
「それは、倧䞈倫だったんですか」
「わかりたせん。芋おないので」

䌚話が途切れる。狭い箱の䞭で、沈黙だけが厚みを増しおいく。

「ただ話しおください」
玗季が、たた蚀う。

䜐䌯は、今床は自分から話し始めた。今朝の電車が遅れたこず。取匕先の担圓者が倉わったこず。台颚の進路のこず。話せるこずを、順番に䞊べおいく。

玗季は黙っお聞いおいた。盞槌だけを、短く返す。

そのうち、䜐䌯の蚀葉が尜きた。思い぀く話題が、なくなっおいた。

沈黙が、たた戻っおくる。非垞灯の光の䞭で、二人の圱が扉に薄く映っおいた。

その沈黙の䞭で、玗季が口を開いた。

「私、仕事が終わったあず、毎日あるずころに行っおるんです」

䜐䌯は、䜕も蚀わなかった。

「誰にも蚀っおないんですけどね」

それから、玗季は話し続けた。蚀葉は途切れ途切れで、順番もばらばらだった。

仕事が終わったあず、決たった時間に決たった堎所ぞ向かっおいるこず。

叀いアパヌトの䞀宀を、䜕幎も芋匵っおいるこず。

䌚ったこずのない盞手の写真を、䜕癟枚も撮っおいるこず。

「最初は、䜕をどう調べればいいのかもわかりたせんでした」
玗季は蚀った。声は䜎いたただった。
「今は、だいたいのやり方がわかりたす」
「やり方、ずいうのは」
䜐䌯が聞く。玗季は少し黙った。
「  蚀えないです、それは」

それ以䞊は、聞かなかった。

沈黙が、たた萜ちる。非垞灯の光が、心なしか匱くなっおいた。

玗季は、右手の甲を巊手の指先でなぞっおいた。叀い傷のような、薄い線の䞊を。䜐䌯はそれに気づいおいたが、䜕も蚀わなかった。

「これ」
玗季が、自分の手を芋ながら蚀う。
「聞かないんですね」
「聞いた方が、よかったですか」
玗季は少し笑ったようだった。非垞灯の䞋では、よくわからなかった。
「いえ。聞かれおも答えられないので」

「その人に、昔䞀床だけ助けおもらったこずがあるんです」
玗季が、たた話し始める。
「詳しいこずは蚀えたせん。その人がいなかったら、私は今ここにいないず思いたす」

䜐䌯は黙っお聞いおいた。䜕か蚀うべきだ、ず思った。倧䞈倫だずか、無理しなくおいいずか。そういう蚀葉が頭に浮かんでは消えた。どれも、口に出す前に軜すぎる気がした。結局、䜕も蚀わなかった。

「だから、探しおたす」
「䞀人で」
䜐䌯が蚀う。質問ずいうより、確認のような蚀い方だった。

玗季は答えなかった。答えなかったこずが、答えだった。

「俺も」
䜐䌯が、ふいに蚀う。
玗季が、初めお顔を䞊げた。
「俺も、誰にも蚀っおないこずが䞀個くらいはありたす」
「なんですか」
「蚀いたせん」
玗季は、今床こそ笑ったようだった。息だけの、小さな笑い方だった。
「ずるいです」
「お互い様です」

い぀床に座り蟌んだのか、䜐䌯にもわからない。気づけば二人ずも、壁を背にしお座っおいた。膝が觊れそうな距離だったが、どちらも動かなかった。

「早く芋぀けないず、たずいこずになる気がしお」
玗季の声が、少しかすれおいた。
「䜕がたずいんですか」
「  それも、蚀えないです」

玗季は、膝を抱えるように座っおいた。子䟛の頃の姿勢ず、同じだった。

「倉ですよね、こんなこず急に話しお」
「いえ」
䜐䌯は短く答えた。それ以䞊の蚀葉は、芋぀からなかった。

「誰かに話したら楜になるかもっお、ずっず思っおたした。でも、話したこずなかったんです。䞀床も」
「なんでですか」
「巻き蟌みたくなかったから」

玗季は、そこで䞀床蚀葉を止めた。

「でも、今日はなんでか、話しおたす」

䞀瞬、声が震えたように聞こえた。すぐに、い぀もの硬さに戻った。

「䌑みの日、ないんですか」
䜐䌯が聞く。
「䜜らないようにしおたす」
「なんで」
「䌑むず、考える時間ができるので」
それ以䞊は、蚀わなかった。

「防犯カメラの䜍眮ずか、そういうのは芚えるようにしおたす」
玗季が蚀う。
「どの道を通れば映らないか。どの時間なら人が少ないか」
「詳しいんですね」
「詳しくならないず、続けられないので」
声には、疲れがにじんでいた。

「顔を、芚えおるんです」
玗季が蚀う。
「はっきりずは、もう芚えおないはずなのに。倢に出おくるこずがありたす」
「どんな倢ですか」
「  远いかけおる倢です。远い぀いおも、顔がわからない倢」
それ以䞊、玗季は説明しなかった。

゚レベヌタヌの䞭の空気は、少しず぀蒞し暑くなっおいた。非垞灯だけの薄い光の䞭で、玗季の暪顔ががんやりず芋えた。

玗季は、その人が今どこにいるのかを説明しなかった。なぜ死んだこずになっおいるのかも、話さなかった。ただ事件の断片だけが、ぜ぀りぜ぀りずこがれおいく。

倜、誰もいない堎所に䞀人で向かうずきの緊匵。

芋匵っおいる盞手に気づかれそうになったずきの、心臓の音。

䜕日も進展がなくお、それでもやめられないこず。

「本圓に芋぀かるのか、わからなくなるずきがありたす」
玗季が、ぜ぀りず蚀う。
「䞀幎近く、こんなこずをしおいお」
それだけ蚀っお、玗季は口を぀ぐんだ。蚀い過ぎた、ずいうように。
䜐䌯は、聞かなかったふりをした。

䞀床だけ、危うく誰かに気づかれかけたこず。そのずき頭に浮かんだのは、自分の心配ではなかった。途䞭でやめたら、今たでの日々が無駄になる。そのこずだけだった。

䜐䌯は、ただ聞いおいた。盞槌を打぀以倖、䜕もしなかった。䜕かを蚀えば、この時間が終わっおしたう気がした。

䞉時間、そうしおいた。

やがお、玗季の声が少しず぀小さくなっおいった。蚀うだけのこずを、蚀い終えたようだった。

「  こんなこず、話す぀もりなかったんです」
玗季が、ぜ぀りず蚀う。
「明日になったら、忘れおください」

䜐䌯は、䜕も答えなかった。答えられなかった。

そのずき、倩井の非垞灯が䞀段明るくなった。

䜎い唞りずずもに、モヌタヌが動き出す。

床が、わずかに沈んだ。゚レベヌタヌが、䞋降を始めおいた。

玗季は、玠早く立ち䞊がる。壁に手を぀いお、身䜓を起こした。乱れた前髪を盎し、シャツの裟を敎える。数秒のうちに、い぀もの顔に戻っおいた。

䜐䌯も、遅れお立ち䞊がった。膝が痺れおいた。

階数衚瀺の数字が、䞃から順に枛っおいく。六。五。四。

扉が開いたずき、倖には保守業者ず数人の瀟員が立っおいた。

「倧䞈倫でしたか」
誰かが聞く。
玗季は、頷いただけだった。

「怖かったでしょう、真っ暗で」
別の誰かが蚀う。
「いえ、非垞灯が぀いおいたので」
玗季は、い぀もの声で答えた。

総務の担圓者が、二人に確認曞のようなものを差し出した。
「お名前ず、䜓調に問題がなかったかだけ蚘入しおください」
玗季は、その堎でペンを取った。迷いなく必芁事項を曞き蟌んでいく。字は小さく、几垳面だった。䜐䌯も同じように曞く。曞き終えるず、玗季はペンのキャップを閉じた。それから、担圓者に返した。

゚レベヌタヌホヌルの明かりの䞋で芋る玗季は、さっきたでず同じ顔をしおいた。䞉時間前ず、䜕も倉わっおいないように芋えた。

䜐䌯だけが、それが違うこずを知っおいた。

垰りの電車は、い぀もより混んでいた。窓に映る自分の顔を、䜐䌯はがんやりず眺めおいた。

玗季は、䜐䌯より二駅先で降りる。改札の前で、
「お疲れ様でした」
それだけを蚀った。い぀もの足取りで歩いおいく。振り返るこずはなかった。

䞀人になった車内で、䜐䌯は今日聞いたこずを頭の䞭で䞊べ盎そうずした。叀いアパヌト。写真。死んだこずになっおいる誰か。䞀幎近く。断片はいく぀もあるのに、繋がらなかった。

その倜、䜐䌯はい぀たでも寝぀けなかった。倩井を芋ながら、玗季の声を思い出そうずした。声の調子は思い出せるのに、話しおいた内容の茪郭はがやけおいく。たるで、聞いおはいけないものを聞いおしたったような感芚だけが残った。

明日になったら忘れおください、ず玗季は蚀った。

忘れられる自信は、なかった。

翌朝になっおも、䜕を蚀えばいいのか䜐䌯にはわからなかった。



第䞉章

翌朝、玗季はい぀も通りに出瀟した。

電車を降り、い぀もの改札を抜ける。人の流れに乗っお、オフィスビルたで歩いた。゚レベヌタヌホヌルの前を通るずき、䜐䌯は䞀瞬足を止めた。階数衚瀺は、䞃ではなく䞀を瀺しおいた。それだけを確かめお、階段の方ぞ歩き出した。

始業のチャむムが鳎る前、机の呚りはすでに敎っおいる。曞類の束を指先で二床、机に打ち぀ける。角が揃う。ペン立おの向きを盎す。モニタヌの角床も、い぀もず同じ䜍眮で止たっおいた。

昚日ず䜕も倉わらなかった。

「おはようございたす」
䜐䌯は蚀う。
「おはようございたす」
玗季は䞀行打ち終えおから答えた。顔は䞊げなかった。

い぀もず同じ声だった。同じ硬さで、同じ長さだった。キヌボヌドを叩く音も、い぀も通りの速さで続いおいる。

䜐䌯はしばらく自分の垭で動けずにいた。䜕をどう切り出せばいいのか、決めおいなかった。手元の曞類を、意味もなく䞊べ盎した。

午前䞭、資料を届ける぀いでに玗季の垭に寄った。印刷したおの玙は、ただ枩かかった。

「昚日のこずですが」

玗季はモニタヌから目を離さずに手を止めた。カヌ゜ルの点滅だけが、画面の䞭で動いおいる。

「䜕かありたした」

「゚レベヌタヌで  」

「  」

玗季はそれ以䞊答えなかった。マりスを動かす手が、たた動き出す。話は、そこで終わっおいた。曞類を受け取る指先だけが、い぀も通り䞁寧だった。

䜐䌯はそれ以䞊聞かなかった。聞いたずころで、䜕が返っおくるかはわかっおいた気がした。自分の垭に戻る途䞭、廊䞋の窓から倖を芋た。空は、昚日ず同じ高さで曇っおいた。

その日、玗季の様子にはっきりずした倉化はなかった。仕事は正確だった。昌䌑みは䞀人でパンを食べた。定䟋䌚議では、数字だけを答えた。ペンを持぀手も資料をめくる仕草も、先週たでず倉わらなかった。

それでも䜐䌯は、䜕床か玗季の方を芋おしたう自分に気づいた。前は、気にも留めなかったこずだ。䌚議宀の隅で数字を読み䞊げる暪顔を、必芁以䞊に長く芋おいた。

昌䌑み、玗季は窓際の垭でパンを食べおいた。むダホンは぀けおいない。スマヌトフォンも、画面を䌏せたたた机に眮かれおいる。絊湯宀でコヌヒヌを入れながら、䜐䌯はその背䞭を芋おいた。声をかける理由は、芋぀からなかった。

午埌、玗季が垭を立った。廊䞋の奥で、電話をしおいるのを芋かけた。声は聞こえなかった。ただ、い぀もより長く廊䞋にいた。窓の倖光を背にした埌ろ姿が、動かないたた十分近く立っおいた。

戻っおきた玗季の衚情は、倉わっおいなかった。スマヌトフォンを鞄にしたう手぀きだけが、い぀もよりわずかに速かった。途䞭で化粧宀に寄ったらしく、垭に着くたで少し時間がかかっおいた。

芋慣れない茶封筒が玗季のデスクに眮かれおいた。気づいたのは、そのすぐ埌だった。宛名も差出人の名前もない、ただの茶封筒だった。玗季はそれを鞄の内偎にしたい蟌んだ。手早い動きだった。

同僚が話しかけるず、玗季はい぀も通りの短い答えを返した。ただ、その茶封筒のこずには誰も気づいおいなかった。

倕方近く、玗季が机の䞋でスマヌトフォンを操䜜しおいるのに気づいた。画面の光が、俯いた顔を薄く照らしおいる。誰かが近づく足音がするず、すぐにい぀もの姿勢に戻った。

「氎野さん、今日も飲み䌚は」
「予定があるので」
先週ず同じ返事だった。誰も、それ以䞊は聞かなかった。断り方の蚀葉たで、先週ずそっくり同じだった。それに気づいおいたのは、䜐䌯だけだった。

その日、䜐䌯は残業になった。取匕先ぞの提出資料が、締め切りに間に合っおいなかった。

フロアに残っおいるのは、䜐䌯ずもう䞀人だけになっおいた。キヌボヌドを打぀音だけが、静かなフロアに響いおいた。窓の倖はすでに暗く、ビルの明かりが等間隔に䞊んでいる。

午埌九時を過ぎお、ようやく䜜業が終わる。パ゜コンをシャットダりンし、䞊着を矜織る。蛍光灯を消すず、非垞灯の緑がフロアの隅に灯った。

゚レベヌタヌホヌルに、玗季の姿はなかった。

ずっくに垰ったはずだ、ず思った。゚レベヌタヌの扉が開く音だけが、無人のホヌルに響いた。

ビルを出お、駅ずは反察の方向をなんずなく芋た。

そこに、玗季がいた。

い぀もの通勀鞄ではなく、黒いリュックを背負っおいる。駅に向かう人の流れずは逆に、现い路地の方ぞ歩いおいく。歩幅も歩く速さも、昌間の玗季ずは違っお芋えた。街灯の䞋を抜けるずき、䞀瞬だけ暪顔が芋えた。衚情は、読み取れなかった。

路地の入り口には、閉店した店のシャッタヌが䞊んでいる。コンビニの明かりだけが、その先を癜く照らしおいた。玗季は迷いのない足取りでその光の䞭を通り過ぎおいく。振り返る玠振りは、䞀床もなかった。

䜐䌯は声をかけなかった。

玗季は䞀床も振り返らなかった。

埌ろ姿が路地の先に消えるたで、䜐䌯はその堎に立ち尜くしおいた。しばらく、足が動かなかった。

週末を挟んでも、䜕も倉わらなかった。月曜の朝、玗季はい぀もの時間に珟れた。鞄も、芋慣れた通勀鞄に戻っおいた。

翌日も、その翌日も玗季は倉わらなかった。い぀もの時間に出瀟し、い぀もの速さで昌食をずった。い぀もの蚀葉数で、仕事をこなした。机の角も、ペン立おの向きも毎朝同じ䜍眮に揃っおいた。

ただ、䜐䌯の䞭にはあの倜の埌ろ姿だけが残っおいた。黒いリュックの重そうな揺れ方を、ふずした瞬間に思い出した。

䜕床か、聞こうずした。「この間の」ず切り出しかけお、そのたびに蚀葉を止めた。玗季の暪顔に、聞かれるこずを拒む硬さがあった。

明日になったら忘れおください、ず玗季は蚀った。

䜐䌯は、忘れられそうになかった。


第四章

玗季が黒いリュックで駅ず反察方向ぞ歩いおいくのを芋た日から、䞀週間が経っおいた。

その間、䜐䌯は䜕床もあの埌ろ姿を思い出した。振り返らない背䞭。街灯の䞋で䞀瞬だけ芋えた、い぀もず違う暪顔。声をかけなかったこずを埌悔しおいたわけではない。ただ、忘れられなかった。

月曜日、玗季はい぀も通りに出瀟した。火曜日も氎曜日も同じだった。デスクの角を揃え、ペン立おの向きを盎す仕草に乱れはなかった。

火曜日の午埌、資料を枡すずきに手が觊れた。玗季の右手の甲に、あの日芋た薄い線が芋えた。以前より、色が濃くなっおいる気がした。䜐䌯は䜕も蚀わず、芖線をそらした。

氎曜の昌、隣の郚眲の同僚が雑談の䞭でふず蚀った。

「氎野さん、この間駅の反察偎で芋かけたした」

「倜だったんで、芋間違いかもしれないですけど」

䜐䌯は聞こえなかったふりをしお曞類をめくった。心臓が少しだけ速くなっおいた。

朚曜日は、䜕事もなく過ぎた。玗季はい぀もの時間に垰り、䜐䌯も定時で退瀟した。䜕も起きない䞀日が、かえっお萜ち着かなかった。

金曜日の倜、䜐䌯はたた残業になった。理由は先週ず同じで、取匕先向けの資料が仕䞊がっおいなかった。フロアに人圱はたばらだった。゚アコンの音だけが、単調に響いおいた。

午埌八時を過ぎたころ、玗季が垰り支床をするのが芋えた。い぀もの通勀鞄ではなく、黒いリュックを背負っおいる。

䜐䌯はパ゜コンの画面から目を離した。

今日もあずを぀ける぀もりはなかった。そのはずだった。だが気づいたずきには䞊着を掎み、゚レベヌタヌホヌルぞ向かっおいた。

玗季は階段を䜿っお䞀階に降りおいった。゚レベヌタヌを避けおいるのだず、埌になっお気づいた。

ビルを出るず、玗季はすでに駅ず反察方向ぞ歩き出しおいた。距離を空けお、䜐䌯はその埌を远った。

商店街の明かりが途切れるず、通りは急に静かになった。玗季は迷いのない足取りで進んでいく。信号のない亀差点を枡るずき、䞀床も巊右を確かめなかった。䜕床も通った道だずわかった。

途䞭、玗季が䞍意に路地に折れた。䜐䌯が角を曲がったずきには、姿が芋えなくなっおいた。

心臓が跳ねた。芋倱った、ず思った。

しばらく立ち尜くしおいるず、少し先の暗がりに人圱が動いた。玗季は、自動販売機の陰でリュックの䞭を確認しおいただけだった。䜐䌯は物陰に身を隠し息を敎えた。

どこかの家から、テレビの音が挏れおいた。倕食の匂いも、颚に混じっお届く。誰かの日垞が、すぐ隣で続いおいるこずがひどく遠く感じられた。

䜏宅街に入るず、街灯の間隔が広くなった。䜐䌯は電柱の陰に隠れながら距離を保ち続けた。靎底がアスファルトの小石を螏むたびに、音を立おないよう足の運び方たで意識しおいた。

やがお玗季は、叀びた朚造アパヌトの前で足を止めた。䞉階建おで、倖壁の塗装はずころどころ剥げおいる。二階の角郚屋にだけ、灯りが぀いおいた。

玗季は道路の反察偎、自動販売機の裏に回り蟌んだ。そこからなら、二階の窓がたっすぐ芋える䜍眮だった。

䜐䌯は少し離れた電柱の陰に立ち止たった。倜颚が、シャツの袖口から入り蟌んでくる。九月の倜は、思ったより冷えた。

玗季はリュックを䞋ろし、䞭から小さなカメラを取り出した。望遠レンズを぀け、䞉脚を䜿わずに構える。手぀きに迷いはなかった。次に、黒い手袋を䞡手にはめる。指先の動きを劚げない、薄い䜜りのものだった。

䜐䌯はそれを芋お初めお理解した。これは、思い぀きの行動ではない。䜕幎も繰り返しおきた動䜜だった。

窓の灯りが、䞀床揺れた。人圱が暪切ったように芋えた。玗季はすぐにシャッタヌを切った。音を立おないよう、指先だけで操䜜しおいた。

しばらく、䜕も起きなかった。玗季は姿勢を倉えないたた、窓を芋䞊げ続けおいた。䜐䌯も動けずにいた。腕時蚈を芋るず、すでに䞉十分近くが経っおいた。

遠くで、猫の鳎き声がした。玗季の肩が、わずかに動いた。それだけで、たた静止した。

アパヌトの䞀階、倖階段の脇にある郵䟿受けの前で物音がした。誰かが出おきたらしい。玗季の身䜓が、わずかに緊匵するのがわかった。

出おきたのは、フヌドを目深にかぶった男だった。がっしりずした䜓栌で、歩き方に劙な癖があった。右足を、わずかに匕きずっおいる。呚囲を䞀床芋回し、路地の奥ぞ足早に歩いおいく。

玗季は、それを芋送るずカメラを構え盎した。連続しおシャッタヌを切る音が、静かな路地に小さく響く。それから男が向かった方向ずは逆に、玠早く移動した。塀の陰から陰ぞ足音を立おずに動く様子は、䜐䌯の知る玗季ずは別人のようだった。

男が、䞀床だけ振り返った。目が、玗季のいた蟺りを䞀瞬なぞる。玗季はすでに塀の陰に身を沈めおいた。男は䜕も芋なかったように、たた歩き出した。

䜐䌯は思わず䞀歩前に出た。靎の裏で、小さな石を螏んだ。

音は、思ったより倧きく響いた。

玗季の動きが止たった。

䜐䌯は息を止め、電柱にさらに身䜓を寄せた。しばらく、䜕も起こらなかった。玗季はもずの䜍眮に戻り、たた窓を芋䞊げおいた。気づかれなかったらしい。

そのずき、玗季のポケットでスマヌトフォンが震えた。

玗季は玠早く応答し、声を萜ずしお話し始めた。距離があり、内容たでは聞き取れなかった。ただ、途切れ途切れにいく぀かの蚀葉だけが颚に乗っお届いた。

「  今倜は動きなし」

「  䟋の堎所は、ただ」

「わかりたした。それで進めたす」

電話は、䞀床そこで切れた。玗季はスマヌトフォンをしたいかけ、たた震えた画面を芋お応答し盎した。

「はい」

「  朝比奈さんには、そう䌝えおください」

聞き芚えのない名前だった。誰のこずなのか、䜐䌯にはわからなかった。

電話は、䞀分ほどで終わった。玗季はスマヌトフォンをしたい、再びカメラを構えた。その暪顔に、迷いは芋えなかった。

䞀時間ほど、䜕も起きなかった。二階の灯りが消え、窓は暗くなった。玗季は、それを確認しおからようやく機材を片づけ始めた。

䜐䌯はその間ずっず動けずにいた。足が痺れ始めおいたが、動く気になれなかった。

玗季がリュックを背負い盎し、来た道を戻り始めた。䜐䌯は電柱の陰から離れ、埌を远おうずした。

そのずき、玗季が急に立ち止たった。

振り返りはしなかった。ただ、その堎に立ったたた背を向けお蚀った。

「い぀からいたんですか」

䜐䌯は答えられなかった。

「駅を出たずころから、ですよね」

玗季の声は、い぀もず倉わらない硬さだった。ただ、その奥に別のものが混じっおいるように聞こえた。

「  すみたせん」

䜐䌯はそれだけを蚀った。

玗季は、ようやくこちらを振り返った。街灯の逆光で、衚情はよく芋えなかった。

「怒っおたせん」

玗季は蚀った。

「ただ、危ないので」

「危ない、ずいうのは」

玗季は少し黙った。それから、静かに続けた。

「芋られおるこずに、向こうが気づいたら困るんです」

「私だけじゃなくお、䜐䌯さんも」

その蚀い方に、䜐䌯は䜕かが匕っかかった。自分たで巻き蟌たれる可胜性がある。そう気づくたで、数秒かかった。

「手䌝えるこずは、ないんですか」

䜐䌯は、思い切っお聞いた。

玗季は、しばらく答えなかった。

「今は、ないです」

「今は」

「  い぀か、あるかもしれたせん」

それだけ蚀うず、玗季は芖線を路地の先に戻した。それ以䞊は、続けなかった。

「今日芋たこずは、忘れおください」

玗季は、そう蚀うず歩き出した。

䜐䌯は、その背䞭に向かっお声を出した。

「朝比奈さんっお、誰ですか」

玗季の足が、䞀瞬止たった。

「  聞こえおたんですか」

「少しだけ」

玗季は、しばらく黙っおいた。振り返らないたた、たた歩き出す。

「い぀か話したす」

「今は、ただです」

それきり玗季は䜕も蚀わなかった。

駅たでの道のりを、二人はほずんど無蚀で歩いた。距離は、行きより少しだけ瞮たっおいた。途䞭、コンビニの前を通りかかったずき玗季が足を止めた。

「少し、埅っおおもらえたすか」

そう蚀うず、店に入っおいった。数分埌、二本の猶コヌヒヌを手に戻っおきた。片方を、䜐䌯に差し出す。

「付き合わせたので」

䜐䌯は、瀌を蚀っお受け取った。猶の衚面は、ただ冷たかった。二人はしばらく、その堎に立ったたた黙っお飲んだ。

「毎週、行っおるんですか」

䜐䌯が聞いた。

「決たっおはないです。呌ばれたずきだけ」

「呌ばれる、ずいうのは」

玗季は、たた少し黙った。

「それも、今は蚀えないです」

䌚話は、そこで途切れた。猶を捚おるゎミ箱の前で、玗季が小さく頭を䞋げた。

「今日のこず、本圓に忘れおください」

䜐䌯は頷かなかった。

玗季は、それ以䞊は蚀わなかった。倜道を、二人分の足音だけが響いおいた。信号が赀に倉わり、二人は立ち止たった。䞊んで立぀ず、思ったより距離が近いこずに気づいた。玗季は、気づいおいないようだった。信号が青に倉わるず、たた䜕事もなく歩き出した。

䜕も答えないたた、駅の改札たで䞊んで歩いた。

駅の改札で、玗季は先に頭を䞋げお別れた。い぀もず同じ、短い挚拶だった。

玗季ず別れたあず、䜐䌯は䞀人で倜道を歩いた。い぀もの垰り道のはずなのに、やけに長く感じられた。

途䞭、路肩に芋慣れない黒い車が停たっおいるのに気づいた。゚ンゞン音はしおいない。䞭に人がいるのかどうかも、倖からはわからなかった。

䜐䌯は足を止めずに通り過ぎた。䜕も起きなかった。ただ、しばらく歩いおも背䞭に芖線が匵り぀いおいるような感芚は消えなかった。

自宅のマンションに着いおからも、玄関の鍵を閉める手がい぀もより慎重になっおいるこずに気づいた。

その埌ろ姿を芋送りながら、䜐䌯は今倜芋たものを反芻しおいた。手袋。望遠レンズ。足音を消しお塀の陰を移動する動き。どれも、瀟内で芋せる玗季の姿ずは結び぀かなかった。

聞こえた名前だけが、頭の䞭に残り続けおいた。

朝比奈。

玗季ずどんな関係なのか、䜐䌯には芋圓も぀かなかった。ただ、その響きだけが耳の奥に匵り぀いお離れなかった。

家に垰っおから、䜐䌯はスマヌトフォンで「朝比奈」ず打ち蟌んだ。指が、しばらく怜玢ボタンの䞊で止たったたただった。抌せば、䜕かが倉わっおしたう気がした。

結局、その倜は怜玢しなかった。

垃団に入っおからも、頭の䞭でその倜の光景が繰り返された。窓を芋䞊げる暪顔。塀の陰を音もなく動く足取り。䌚瀟の廊䞋で芋せる顔ずは、明らかに違っおいた。

思えば䜐䌯には、昔から途䞭でやめられない癖があった。読みかけの本も解けない問題も、区切りが぀くたで手攟せない。今回もきっず、同じだった。ただの奜奇心では片づけられない䜕かが、すでに始たっおいる気がした。

翌日、玗季はい぀も通り出瀟した。デスクの角を揃え、ペン立おの向きを盎す仕草もい぀もず倉わらなかった。

「おはようございたす」

䜐䌯が蚀うず、玗季はい぀もの短さで返した。

昚倜のこずには、誰も觊れなかった。

それでも、䜐䌯は気づいおいた。玗季が電話を受けるたび、以前より䞀瞬早く画面を確認するようになったこずに。誰かに芋られおいないか、確かめおいるように芋えた。

昌䌑み、䜐䌯はい぀もの絊湯宀で玗季ずすれ違った。

「昚日は、すみたせんでした」

䜐䌯が蚀うず、玗季は少し驚いたような顔をした。

「謝るこずじゃないです」

「でも」

「䜐䌯さんが謝るこずは、䜕もないです」

玗季は、それだけ蚀うず自分の垭に戻っおいった。その蚀い方に、これ以䞊聞くなずいう意味が蟌められおいる気がした。

その日の倕方、玗季の机にたた芋芚えのない封筒が届いた。

差出人の欄には、䜕も曞かれおいなかった。ただ、封筒の端に小さく数字が曞き蟌たれおいるのが芋えた。

䞃、ず読めた。

䜐䌯は、それが゚レベヌタヌの階数衚瀺ず同じ数字であるこずにしばらく気づかなかった。

気づいたずきには、玗季はすでにその封筒を鞄にしたい蟌んでいた。手早い、い぀もず同じ動きだった。

䜐䌯は自分の垭に戻っおからも、その数字のこずを考え続けおいた。䞃ずいう数字は、あの倜停止した゚レベヌタヌの数字ず同じだった。朝比奈ずいう名前ずも、どこかで぀ながっおいる気がしおならなかった。

その倜、䜐䌯は垰宅しおから䜿っおいなかった倧孊ノヌトを䞀冊取り出した。

䞀ペヌゞ目に、芚えおいる限りのこずを曞き出した。゚レベヌタヌが止たった日付。叀びたアパヌトの二階の窓。黒いリュックず、フヌドの男の歩き方。そしお、朝比奈ずいう名前。

曞き終えおから、ペヌゞを眺めた。ばらばらの断片は、ただ䜕の圢も結んでいなかった。

それでも、ノヌトを閉じるずき䜐䌯は決めおいた。次に䜕か動きがあれば、今床は芋おいるだけでは終わらせない。


第五章

ノヌトを取り出した倜から、䜐䌯は少しず぀調べ始めおいた。

䌚瀟垰り、駅前の図曞通に寄る日が増えた。パ゜コンの前で、地域のニュヌス蚘事を遡っお読んだ。「朝比奈」ずいう名字で怜玢するず、いく぀かの蚘事が出おきた。

数幎前、隣県で起きた行方䞍明事件の蚘事にその名字が䞀床だけ登堎しおいた。捜玢に協力した人物ずしお、名前の䞀郚だけが茉っおいた。蚘事はそこで途切れおいた。続報は、芋぀からなかった。

別の日には、叀い地図サむトで玗季が芋匵っおいたアパヌトの䜏所を調べた。持ち䞻の名前は、䜕床怜玢しおも出おこなかった。登蚘情報のペヌゞにたどり着く前に、い぀も行き詰たった。

蚘事の䞭に、䞀枚だけ写真が茉っおいた。捜玢に加わったボランティア団䜓の集合写真で、顔はどれもがやけお刀別できなかった。それでも䜐䌯は、その写真を䜕床も拡倧しお眺めた。手がかりらしきものは、結局䜕も芋぀からなかった。

䜐䌯は、その蚘事を写真に撮った。ノヌトに貌り぀け、日付ず堎所を曞き添える。ペヌゞは、少しず぀埋たっおいった。

自分でもよくわからないたた、続けおいた。答えが出るずは思っおいなかった。それでも、手を止める気になれなかった。

䞀週間が経った金曜日、䜐䌯は垰り支床をする玗季に声をかけた。

「少し、話せたすか」

玗季は手を止めお振り返った。

「今からですか」

「はい」

二人は、誰もいない䌚議宀に入った。ブラむンドの隙間から、倕方の光が斜めに差し蟌んでいる。䞊んだ怅子の圱が、床に長く䌞びおいた。

䜐䌯はノヌトを机の䞊に開いた。手が、少し震えおいるこずに自分で気づいた。

「これ」

玗季はペヌゞに目を萜ずした。衚情は倉わらなかった。指先だけが、ペヌゞの端で止たっおいた。

「勝手に、調べたした」

䜐䌯は蚀った。

「朝比奈ずいう名字が、数幎前の行方䞍明事件の蚘事に出おいたした」

「捜玢に協力した人だそうです」

玗季はしばらく黙っおいた。ペヌゞをめくる指先が、かすかに揺れおいた。

「なんで、こんなこずを」

玗季の声は、い぀もより䜎かった。

「手䌝わせおください」

䜐䌯は蚀った。今日、そのために時間を䜜っおもらったのだった。

「調べるこずぐらいなら、僕にもできたす」

「䌚瀟にいる時間を䜿えたす」

「衚に出ない堎所でも、探すこずができたす」

「無理です」

玗季は即座に答えた。

「なんでですか」

「巻き蟌みたくないからです。前にも蚀いたした」

「巻き蟌たれるかどうかは、僕が決めたす」

玗季は䜐䌯の顔をたっすぐ芋た。街灯の逆光の䞭で芋た顔ずは違い、䌚議宀の明かりの䞋では衚情がはっきり芋えた。そこにあったのは、怒りではなかった。もっず硬く、閉じたものだった。

「決められないんです、そこは」

玗季は蚀った。

「前に、協力しおくれた人がいたした」

「詳しいこずは蚀えたせん」

「でも、その人は今、ここにいたせん」

䌚議宀の空気が、急に重くなった気がした。゚アコンの送颚音だけが、芏則正しく続いおいた。

「死んだ、ずいうこずですか」

䜐䌯は聞いた。

玗季は答えなかった。答えなかったこずが、答えだった。

しばらくの沈黙のあず、玗季は続けた。

「その人は、私を助けおくれたした」

「代わりに、代償を払いたした」

「代償、ずいうのは」

「蚀えたせん」

「ただ、軜いものじゃなかったです」

「だから、無理なんです」

玗季は、ノヌトを䜐䌯の方に抌し戻した。

「これも、消しおください。写真も」

「消したせん」

䜐䌯は蚀った。自分でも、思ったより匷い声が出た。

「芋なかったこずにしろず蚀われお、䜕床もそうしおきたした」

「でも、もう無理です」

玗季は䜕も蚀わなかった。目を䌏せたたた、机の䞀点を芋぀めおいた。

「危ないなら、なおさら䞀人にできたせん」

沈黙が、郚屋を満たした。窓の倖で、車の音が䞀台通り過ぎおいった。

やがお、玗季が小さく息を吐いた。

「䜐䌯さんには、関係ないこずです」

「関係、䜜りたした」

「あの倜、僕が぀いおいったので」

玗季は、目を䌏せた。しばらくしお、たた顔を䞊げる。

「本圓に、危ないんです」

「私が蚀えるのは、それだけです」

「危ないから、手䌝っおほしいんです」

玗季は、銖を暪に振った。

「向いおないず思いたす」

「䜐䌯さんは」

その蚀い方に、䜐䌯は初めお䜕かが刺さるのを感じた。今たで玗季が口にしたどの拒絶より静かで、それだけに重かった。

「向いおなくおも、いいです」

玗季は、䞀瞬だけ芖線を揺らした。䜕かを蚀いかけお、やめたように芋えた。その䞀瞬だけ、い぀もの硬さが厩れた気がした。だが、すぐに元に戻った。

玗季はしばらく黙っおいた。それから、静かに立ち䞊がった。

「これで、終わりにしたす」

玗季は、ノヌトを閉じお䜐䌯の方に抌した。

「今日話したこずも、忘れおください」

「たた、それですか」

玗季は答えず、䌚議宀を出おいった。

䜐䌯はしばらく䞀人で座っおいた。ブラむンドの隙間の光が、い぀の間にかオレンゞ色から灰色に倉わっおいた。ノヌトを閉じ、鞄にしたう。手のひらに、うっすらず汗をかいおいた。

その週末、玗季は䌚瀟に来なかった。有絊、ずいう連絡だけが総務から回っおきた。理由は曞かれおいなかった。

䜐䌯は土曜日も日曜日も、玗季のこずばかり考えお過ごした。連絡先は知らない。䌚瀟の同僚ずしお、それ以䞊螏み蟌む理由もなかった。ただ、䜕床もスマヌトフォンを手に取っおは眮いた。

䞀床、瀟内システムの緊急連絡先を確認しようずしお途䞭でやめた。理由を聞かれたら、答えられる自信がなかった。結局、日曜の倜たで䜕もできないたた過ぎた。

月曜日、玗季は䜕事もなかったように出瀟した。デスクの角を揃え、ペン立おの向きを盎す仕草もい぀もず倉わらない。

「おはようございたす」

䜐䌯が蚀うず、玗季はい぀もの短さで返した。金曜日のこずには、䞀切觊れなかった。

その日䞀日、玗季は䜐䌯ず目を合わせなかった。甚件があるずきだけ、必芁な分だけ蚀葉を亀わした。以前の距離に、そのたた戻ったようだった。

その日の垰り道、䜐䌯の自宅マンションの郵䟿受けに芋慣れない癜い封筒が入っおいた。

宛名はなく、切手も貌られおいなかった。誰かが、盎接投凜したものだった。

䞭には、䞀枚の玙だけが入っおいた。手曞きの文字で、短く䞀行だけ曞かれおいた。

「調べるのは、やめたほうがいい」

差出人の名前は、どこにもなかった。

䜐䌯は、その玙をしばらく芋぀めおいた。玗季の字ではなかった。もっず硬く、癖のない字だった。

窓の倖を芋た。街灯の䞋に、芋芚えのある黒い車が停たっおいた。

゚ンゞン音は、しおいなかった。運転垭に人圱があるかどうかも、わからなかった。

しばらく芋おいるず、車は静かに走り去った。テヌルランプの赀が、角を曲がっお消える。

䜐䌯は、玙をもう䞀床読み返した。それから、倧孊ノヌトの最埌のペヌゞにその䞀文をそのたた曞き写した。

日付の暪に、小さく朝比奈ず曞き添える。

ただ、䜕もわかっおいなかった。それでも、埌戻りする気にはならなかった。

玗季の拒絶は、はっきりしおいた。それでも、あの䞀瞬だけ揺れた芖線が䜐䌯の䞭から消えなかった。あれは、拒絶ずは少し違う䜕かだった気がした。

明日、たた同じ顔で出瀟しおくる玗季に䜕ず蚀えばいいのか。答えは、ただ芋぀からなかった。


第六章

譊告のメモを受け取っおから、䞉日が経っおいた。

黒い車は、その埌は芋おいない。郵䟿受けにも、あれ以来䜕も入っおいなかった。それでも、䜐䌯は調べるこずをやめなかった。むしろ前より慎重に続けおいた。

䌚瀟では、い぀も通りに過ごした。玗季ずは業務に必芁な䌚話だけを亀わした。金曜日の衝突のこずも、封筒のこずも互いに觊れなかった。衚面䞊は、䜕も倉わっおいない䞀週間だった。

それでも、现かな違和感は積み重なっおいった。玗季が電話を受ける回数は、以前より増えおいた。昌䌑みに垭を倖す時間も、少しず぀長くなっおいる気がした。誰も気づいおいないような倉化を䜐䌯だけが数えおいた。

図曞通は倉えるこずにした。䌚瀟から䞀駅離れた区立図曞通なら、顔を知られる心配は少ない。閲芧垭の隅を遞び、画面には垞に手のひらを添えた。

「行方䞍明事件」「隣県」「捜玢」。怜玢の組み合わせを倉えながら、叀い蚘事を䞀぀ず぀読んでいった。ヒットする蚘事の倧半は、事件ず無関係なものだった。䌌たような地名、䌌たような幎代の蚘事を䞀぀ず぀消去法で陀倖しおいく。

䞀日目は、成果がないたた終わった。二日目も、同じだった。それでも、䜐䌯は垭を立たなかった。閉通のアナりンスが流れるたで、粘り続けた。

その合間、瀟内の䌚議で聞いた瀟名がふず匕っかかった。取匕先候補の䞀぀に、朝比奈興産ずいう䞍動産䌚瀟が挙がっおいたのだった。圓時は聞き流しおいたが、今になっお思い出すず劙に胞がざわ぀いた。䌚議の議事録を芋返しおも、それ以䞊の情報は茉っおいなかった。同じ名字ずいうだけで、関係があるずは限らない。それでも、頭の片隅から消えなかった。

䞉日目、ようやく別の蚘事にたどり着いた。地方玙のデゞタルアヌカむブに残っおいた、短い続報だった。

事件は䞃幎前のものだった。圓時二十代の女性が、勀務先からの垰り道に姿を消した。譊察は圓初、事件性の有無を含めお捜査しおいた。だが数か月埌、本人の意思による家出の可胜性が高いずされた。その刀断で、捜査は瞮小されたずいう。

蚘事には、家族のコメントが添えられおいた。「そんなはずはない。嚘は必ず戻っおくるず信じおいる」ずいう短い䞀文だけが、匕甚されおいた。

女性の名前は、蚘事のどこにも蚘茉がなかった。むニシャルすら䌏せられおいる。個人が特定されないよう配慮されたものか、あるいは別の意図があったのか。䜐䌯には刀断が぀かなかった。

家族の名字は、䌏せられおいた。ただ、蚘事の末尟に付された地図の座暙は玗季が芋匵っおいたアパヌトの近蟺ず重なっおいた。

䜐䌯はその蚘事を䜕床も読み返した。座暙を玙に曞き写し、自分の描いた地図ず照らし合わせる。誀差の範囲を考えおも、同じ町内であるこずは間違いなかった。

続報は、それきりだった。埌続の蚘事は、怜玢しおもどこにも出おこなかった。事件は、䞃幎間そのたた止たっおいるようだった。

土曜日、䜐䌯は自分の足でその町を歩くこずにした。

昌間に来るのは、初めおだった。倜ずは違い、道は明るく開けおいた。アパヌトの倖壁も、日の光の䞋では思ったより叀びお芋えた。窓には、掗濯物が䞀枚だけ揺れおいた。二階の角郚屋には、干された様子がなかった。

近くに、小さな商店が䞀軒あった。看板は色耪せおいたが、営業はしおいるようだった。䜐䌯は思い切っお店に入った。

店䞻は䞃十歳前埌の男だった。カりンタヌの奥から、䜐䌯を無蚀で芋た。

「すみたせん、少し䌺いたいこずがあっお」

䜐䌯は蚀った。

「この近くのアパヌトのこずなんですが」

店䞻は眉を寄せた。

「どのアパヌトですか」

「䞉階建おで、角郚屋に灯りが぀いおいる、あの建物です」

「ああ、あそこか」

店䞻は少し声を萜ずした。

「昔、そこに䜏んでた嚘さんがいたね。もう随分前だが」

䜐䌯の心臓が、速くなった。

「どんな人でしたか」

「倧人しい子だったよ」

「挚拶はきちんずする子でね」

「ある日から、急に芋かけなくなった」

「それは、い぀頃のこずですか」

「䞃、八幎前かな」

店䞻は少し間を眮いた。

「詳しいこずは知らんよ」

「噂では、家出だずか駆け萜ちだずか、色々蚀われずったが」

店䞻はそこで蚀葉を止めた。カりンタヌの奥の棚に目をやる。

「誰かず䞀緒だった、ずいう話も聞いた気がするな」

「誰かずいうのは」

「さあ」

「若い男だったずか、そういう話だった気がする」

「もう昔のこずで、はっきりずは芚えずらん」

それ以䞊は、店䞻も詳しくは知らないようだった。䜐䌯は瀌を蚀っお、店を出た。

店を出おすぐ、思い぀いお振り返った。

「その人に、姉効はいたしたか」

店䞻は少し考えるような顔をした。

「どうだったかな」

「効がいた気もするが、確かじゃない」

それだけ聞くず、䜐䌯は今床こそ店を埌にした。

垰り道、小さな神瀟の前を通りかかった。掲瀺板に、色耪せた玙が䞀枚だけ貌られおいた。文字はほずんど読み取れなかったが、若い女性らしき顔写真の茪郭がかすかに残っおいた。日付は、刀別できなかった。

䜐䌯はしばらくその前に立ち尜くした。それから、スマヌトフォンでその掲瀺板だけを写真に収めた。

家に垰っおから、写真を拡倧しおみた。色耪せた玙の䞊では、茪郭以䞊のこずは䜕もわからなかった。目や錻の䜍眮さえ、刀然ずしない。それでも、䜐䌯はその画像を消さずに残した。

倖に出るず、日差しが匷くなっおいた。頭の䞭で、いく぀もの断片が枊を巻いおいた。

䞃幎前に姿を消した女性。事件性は吊定され、家出ずしお凊理された。近くには、若い男の圱があったずいう曖昧な噂。効がいたかもしれないずいう、これも曖昧な蚘憶。そしお、玗季が今も芋匵り続けおいるアパヌト。

偶然にしおは、重なりすぎおいる気がした。

その日の午埌、䜐䌯は町のはずれにある小さな図曞通にも寄った。郷土資料のコヌナヌで、地域の䜏宅地図を䜕冊か調べた。叀い版から順に、めくっおいく。

䞃幎前の版に、そのアパヌトの持ち䞻ずしお個人名が茉っおいた。

朝比奈、ずいう名字だった。

指先が、震えた。

翌週の平日、䜐䌯は昌䌑みを䜿っお法務局に足を運んだ。窓口で登蚘簿の写しを申請するず、思ったより簡単に受け取るこずができた。

曞類に蚘された所有者の名前は、朝比奈修䞀。䜏所は、県内の別の堎所だった。取埗の日付は、二十幎以䞊前になっおいた。少なくずも䞀代にわたっお、その土地を持ち続けおいる䞀族らしかった。

同じ名字の人物が他にいないか、䜐䌯はさらに調べおみた。近隣の別の物件にも、朝比奈ずいう名字の所有者が耇数芋぀かった。䞀族が、この䞀垯にいく぀もの䞍動産を持っおいるようだった。

さらに数幎分をさかのがるず、その前の版にも同じ名字が茉っおいるこずがわかった。少なくずも十幎以䞊、その土地を所有しおいる䞀族らしかった。

䜐䌯はその䜏宅地図のペヌゞを写真に撮った。手が汗ばんでいた。

図曞通を出るず、すでに倕方になっおいた。駅たでの道を歩き出したずき、背埌に人の気配を感じた。

振り返るず、少し離れた堎所に䞀人の男が立っおいた。フヌドはかぶっおいなかった。だが、䜓栌ず右足を軜く匕きずる歩き方に芋芚えがあった。

以前、玗季が芋匵っおいたアパヌトから出おきた男だった。

䜐䌯は足を速めた。男ずの距離は、瞮たりも広がりもしなかった。振り返らずに歩き続けおも、埌ろの気配は消えなかった。

商店街を抜け、人通りの倚い通りに出おも男はただ぀いおきおいた。詊しにコンビニに立ち寄っおみたが、店を出るずたた同じ距離で立っおいた。信号埅ちの列に玛れようずしたが、遠回りに気づかれおいるようだった。

信号埅ちの亀差点で、男が急に距離を詰めおきた。肩が觊れそうな距離だった。

「調べるなず、蚀ったはずですが」

䜎い声だった。感情の起䌏は、感じられなかった。

䜐䌯は䜕も答えられなかった。喉の奥が也いおいた。

「あなたのこずも」

「氎野さんのこずも」

「芋おたす」

男は、䜐䌯の腕を䞀瞬だけ匷く掎んだ。痛みが袖の䞊から䌝わっおきた。

「わかったなら、それでいいです」

手を離すず、男は䜐䌯の肩を軜く叩いた。それだけの動䜜に、有無を蚀わせない重さがあった。

男は、それだけ蚀うず信号が倉わる前に螵を返した。人混みの䞭に、すぐに玛れお芋えなくなった。

䜐䌯はしばらく動けなかった。信号が青に倉わっおも、足が動かなかった。呚りの人波だけが、䜕事もなく流れおいった。

自宅に戻っおから、䜐䌯は鏡に映る自分の顔を芋た。血の気が匕いおいるのが自分でもわかった。

譊察に盞談するこずも、䞀瞬頭をよぎった。だが、話せるこずは䜕もなかった。腕を掎たれたこずも、蚌拠は残っおいない。䜕を届け出おも、被害劄想ずしお扱われそうな気がした。結局、その考えは打ち消した。

その倜、䜐䌯はノヌトを開き今日知ったこずをすべお曞き出した。䞃幎前の倱螪事件。朝比奈ずいう持ち䞻の名字。若い男の噂。効がいたかもしれないずいう曖昧な蚘憶。そしお、今日声をかけおきた男の存圚。

曞きながら、あるこずに気づいた。倱螪した女性の幎霢を蚈算するず、今の玗季ずそう倉わらない歳になる。

もし、その女性が玗季の知り合いだったずしたら。あるいは玗季自身が探しおいるのが、その人物だったずしたら。

考えるほど、頭の䞭で像が結ばれおいくようだった。同時に、その像がどこか歪んでいるこずにも気づいおいた。蚌拠ず呌べるものは、ただ䜕䞀぀なかった。すべおは、点ず点を぀なぎたがる自分の想像かもしれなかった。

ノヌトを閉じる前に、䜐䌯は最埌の行に䞀぀だけ曞き足した。

月曜、話す。

その倜はほずんど眠れなかった。倩井を芋぀めながら、信号埅ちで聞いた声を䜕床も思い出した。あなたのこずも、氎野さんのこずも芋おたす。その䞀蚀が、耳の奥に匵り぀いたたた離れなかった。

日曜日、䜐䌯は䞀日䞭家にいた。倖に出る気になれなかった。カヌテンの隙間から、䜕床も倖の様子を確かめた。黒い車は、芋圓たらなかった。それでも、萜ち着かない䞀日だった。

倕方、宅配䟿のむンタヌホンが鳎っただけで身䜓が匷匵った。䜕でもない配達員の声を聞いお、ようやく肩の力が抜けた。

昌過ぎ、腕に残った痣を確かめた。指の圢が、うっすらず残っおいた。シャツの䞋に隠れる䜍眮で、幞いだった。

倜になっおも、ただ迷っおいた。話すべきか、話すべきでないか。玗季の「無理です」ずいう声が、䜕床も頭の䞭で繰り返された。それでも、䞀人で抱えおいられる量をもう超えおいる気がした。

䜕をどこたで話すべきか、䜕床もシミュレヌションした。腕の痣を芋せるべきか。朝比奈ずいう名字を、そのたた口にしおいいのか。答えは、結局出なかった。ただ、隠したたた次に進むこずだけはできないず思った。

月曜日の朝、䜐䌯はい぀もより早くオフィスに着いた。玗季の垭は、ただ空いおいた。

「䜐䌯さん、その腕どうしたんですか」

隣の垭の同僚が、シャツの袖からのぞく痣に気づいお聞いおきた。

「ちょっず、ぶ぀けただけです」

䜐䌯は袖を軜く匕いお隠した。それ以䞊、聞かれるこずはなかった。

自分の垭に着いおからも、腕の痛みはただ残っおいた。昚日の男の声を、もう䞀床思い出す。あなたのこずも、氎野さんのこずも芋おたす。あの䞀蚀の重さは、時間が経っおも薄れなかった。

始業時刻の少し前、玗季が出瀟しおきた。デスクの角を揃え、ペン立おの向きを盎すい぀もの仕草をする。

䜐䌯はその背䞭に近づいた。

「話したいこずがありたす」

玗季は手を止めお振り返った。䜐䌯の顔を芋お、䜕かに気づいたようだった。

「䜕があったんですか」

玗季の声には、これたでにない硬さがあった。

「今は蚀えたせん。人がいない堎所で話したいです」

玗季はしばらく黙っお䜐䌯を芋おいた。それから、小さく頷いた。

「昌䌑み、屋䞊に来おください」

それだけ蚀うず、玗季は自分の垭に぀いた。い぀もず倉わらない速さで、パ゜コンを立ち䞊げる。

その暪顔を芋ながら、䜐䌯は昚日の男の蚀葉を思い出しおいた。

あなたのこずも、氎野さんのこずも芋おたす。

玗季には、ただ䜕も話しおいなかった。だが、もう䞀人だけの問題ではなくなっおいる。そのこずだけは、確信しおいた。


第䞃章

屋䞊に続く扉は、い぀も斜錠されおいた。今日だけは、開いおいた。

昌䌑みのチャむムが鳎っおすぐ、䜐䌯は階段を䞊った。螊り堎の窓から差し蟌む光が、段ごずに濃さを倉えおいく。最埌の扉を抌すず、倖気が䞀気に流れ蟌んできた。九月の日差しはただ匷く、颚だけが少し秋めいおいた。

玗季はフェンスの前にすでに立っおいた。埌ろ姿だけで、埅っおいたこずがわかった。空調の宀倖機が䞊ぶ隙間から、街のざわめきが遠く䞊っおくる。誰もいない屋䞊には、その音だけが満ちおいた。

「䜕があったんですか」

玗季は振り返らずに蚀った。声は静かだったが、い぀もより匵り詰めおいた。䜐䌯は、しばらくフェンスの手前で足を止めたたた動けなかった。持っおきたはずの蚀葉が、いざずなるず出おこない。結局、順を远っお話すしかないず腹を決めた。

「土曜日、あのアパヌトの近くを歩きたした」

玗季の背䞭が、わずかにこわばった。それでも、振り返りはしなかった。䜐䌯はその背䞭に向かっお続けた。近くの商店に立ち寄ったこず。店䞻から聞いた䞃幎前の噂。隣県の行方䞍明事件の蚘事に「朝比奈」ずいう名字が出おいたこず。䞀぀話すごずに、玗季の肩が少しず぀匷匵っおいくのがわかった。話しながら、䜐䌯自身も自分の声が䞊ずっおいくのを感じおいた。

「登蚘簿も、確認したした」

そう蚀うず、ようやく玗季がこちらを振り向いた。衚情は、思ったより静かだった。だが目の奥には、これたで芋たこずのない色が浮かんでいた。怒りずも違う、远い詰められたずきだけに出るような色だった。

「あのアパヌトの持ち䞻は、朝比奈修䞀ずいう人でした。呚蟺にも、同じ名字の土地がいく぀もありたした」

「勝手に、䜕をしおるんですか」

玗季の声が、初めお鋭くなった。フェンスを握る手に力が入り、金網がかすかに鳎った。

「危ないっお、䜕床も蚀いたした。玄束したじゃないですか、調べないっお」

「しおいたせん、そんな玄束は」

䜐䌯は静かに蚀い返した。

「僕は、手䌝わせおくださいずしか蚀っおいたせん。あなたが無理ですず蚀っただけです」

玗季は、それきり黙り蟌んだ。反論の蚀葉を探しおいるようで、芋぀からないようでもあった。颚が、二人の間を通り抜けおいく。遠くで電車の走行音がした。

䜐䌯は芚悟を決めおシャツの袖をたくった。腕に残った青玫の痣が、昌の光の䞋でくっきりず芋えた。玗季の芖線が、そこに吞い寄せられる。

「その垰り、男に声をかけられたした。前に、あのアパヌトから出おきた男です」

「なんお、蚀われたんですか」

玗季の声から、鋭さが消えおいた。代わりに、䜕かを恐れるような色が滲んでいた。

「調べるなず。それから、あなたのこずも氎野さんのこずも芋おたすず。もう、僕だけの問題じゃなくなっおたす」

沈黙が萜ちた。玗季はフェンスの向こうの景色に目を戻し、しばらく動かなかった。衚情は読めなかったが、呌吞だけが少し浅くなっおいるのがわかった。䜐䌯はその暪顔を芋぀めながら次の蚀葉を埅った。急かす぀もりはなかった。ただ、ここで匕く気もなかった。

「なんで、そこたでするんですか」

ようやく玗季が口を開いた。声は、かすかに震えおいた。

「関わるなず、䜕床も蚀ったのに」

「関わりたいからじゃないです」

䜐䌯は蚀った。自分でも、思ったよりはっきりした声が出た。

「もう、関わっおるからです。あなたが止めおも、向こうが勝手に僕を巻き蟌んだんです」

玗季は、しばらく黙ったたた遠くのビル矀を芋぀めおいた。やがお、小さく息を吐く。

「その男、右足を少し匕きずっおたしたか」

「はい」

「知っおたす、その人。向こうの䞋っ端です。前にも、䌌たようなこずをされたこずがありたす」

玗季はそう蚀うずフェンスに額を軜く預けた。う぀むいた暪顔に、疲れが滲んでいた。これたで䌚瀟で芋せおきた硬さずは、明らかに違う衚情だった。

「だから、䜙蚈に䜐䌯さんを巻き蟌みたくなかったんです」

「もう、隠しおも意味がないみたいですね」

しばらくの沈黙のあず、玗季は前を向いたたた絞り出すように蚀った。

「私には、姉がいたした」

その䞀蚀に、䜐䌯は息を止めた。予想はしおいたはずなのに、実際に蚀葉ずしお聞くず重さがたるで違った。

「䞀幎前、いなくなりたした。今、私が探しおいるのは、その人です」

「さっきの、䞃幎前の蚘事の女性は」

「違いたす。その人が誰かは、私も知りたせん」

玗季は銖を軜く暪に振った。

「じゃあ、なんで朝比奈ずいう名前が出おくるんですか」

「姉が消えたこずに、その䞀族が関係しおるんです。理由は、ただ話せたせん」

そう蚀うず、玗季は目を䌏せた。しばらく、フェンスの金網の暡様をなぞるように芖線を萜ずしおいた。それから、独り蚀のように続けた。

「姉ずは、昔から仲が良かったんです。子䟛の頃は、い぀も䞀緒にいたした」

「どんな、姉でしたか」

䜐䌯は努めお静かに聞いた。

玗季は、少し考えるような間を眮いた。遠い蚘憶をたぐり寄せおいるようだった。

「頭が良くお、私よりずっず倧人びおたした。い぀も、私を守っおくれるような人でした」

そこたで蚀うず、玗季は䞀床蚀葉を止めた。䜕かを懐かしむような、それでいお苊しそうな衚情がよぎる。フェンスの向こうを芋る目が、ほんの䞀瞬だけ子䟛のころに戻ったように芋えた。

「子䟛の頃、二人でよく暗号みたいな遊びをしおたんです。姉が考えたルヌルで、手玙をやり取りする遊びでした」

「暗号、ですか」

「今の私にも、読めない蚀葉がたくさんありたす」

玗季はそう蚀うず少し目を䌏せた。声の調子が、わずかに揺れおいた。

「その話は、たた今床でいいですか」

「はい」

䜐䌯は、それ以䞊螏み蟌たなかった。今はただ、そのずきではない気がした。

「今も、生きおるず思いたすか」

玗季はしばらく答えなかった。フェンス越しの景色を芋぀める暪顔が、颚に少し揺れる髪の䞋で匷匵っおいた。

「生きおるず、信じおたす。信じおないず、続けられないので」

「朝比奈ずいう䞀族ず、姉はどう関係しおるんですか」

「それは、ただ話せたせん。話せば、䜐䌯さんがもっず危険になりたす」

「もう、危険になっおたす」

䜐䌯は蚀った。

玗季は初めお小さく笑ったように芋えた。衚情の倉化ずしおは、これたでで䞀番倧きなものだった。それでも、目の奥の疲れは消えなかった。

「頑固ですね」

「よく、蚀われたす」

沈黙が、少し柔らかくなった気がした。颚が止み、遠くの車の音だけが聞こえおいた。玗季は、フェンスから少し身䜓を離すずこちらに向き盎った。

「䞀぀、提案がありたす。䜐䌯さんが自分で動くのは、もうやめおください。その代わり、知ったこずは私に報告しおください。刀断は、私がしたす。危ないこずは、䜐䌯さんにはさせたせん」

「それは、手䌝わせろずいうのずは違いたすよね」

「あくたで、報告だけです」

䜐䌯は少し考えた。求めおいた圢ずは違った。それでも、これたでの拒絶よりはずっず近い距離だった。差し出された手を、無䞋にする理由はなかった。

「わかりたした。玄束したす」

「守っおください」

玗季はたっすぐに䜐䌯を芋た。街灯の逆光ではなく昌の光の䞋で芋るその目は、思ったよりずっず疲れおいるように芋えた。それでも、そこにはこれたでなかった䜕かが宿っおいた。頌るずいう行為に、ただ慣れおいないぎこちない色だった。

「その代わり、䞀぀だけ聞かせおください。朝比奈ずいう名前に぀いお、他に䜕か知っおいるこずはありたすか」

玗季は少し黙った。それから、静かに口を開いた。

「その䞀族が、あのアパヌトの呚蟺を含めお、この蟺り䞀垯を仕切っおたす。衚向きは、䞍動産業です」

「裏では」

「それも、ただ蚀えたせん」

玗季は、それだけ蚀うずフェンスから完党に身䜓を離した。屋䞊を出る階段の方ぞ、先に歩き出す。

「時間です。戻りたしょう」

昌䌑みの終わりを告げるチャむムが、遠くの校舎か䜕かから鳎り響いおいた。二人は無蚀のたた扉に向かった。扉に手をかけたずころで、玗季がふず足を止めた。

「姉の名前、圩花ずいいたす」

それだけ蚀うず、玗季は先に階段を降りおいった。䜐䌯はしばらくその堎に立ち尜くしたたた名前を口の䞭で繰り返した。圩花。これたで断片でしか知らなかった存圚に、初めお茪郭が䞎えられた気がした。

その日の午埌、仕事の合間にも䜐䌯は䜕床もその名前を思い浮かべた。圩花ずいう名前ず、朝比奈ずいう名字が頭の䞭でどうしおも぀ながらない。玗季の名字は氎野のはずだった。倕方、資料を届けに玗季の垭に寄ったずき思い切っお小さな声で聞いおみた。

「圩花さんは、氎野さんじゃないんですか」

玗季は䞀瞬だけキヌボヌドを打぀手を止めた。

「今は、違う名字です」

それ以䞊は、答えなかった。指はすぐにたた動き出し、い぀もの速さでキヌを叩き続けた。䌚話は、そこで完党に閉じられおいた。

その日の倜、䜐䌯は玄束通りノヌトを閉じたたたにした。新しく調べるこずは、しないず決めおいた。その代わり、これたで曞き留めたこずを䞀぀ず぀敎理し盎した。䞀幎前に姿を消した姉、圩花。関係があるらしい朝比奈ずいう䞀族。今は別の名字を名乗っおいるらしいずいう事実。䞃幎前の蚘事の女性に぀いおは、ただ䜕䞀぀぀ながっおいない。

曞き出しおみるず、疑問はむしろ増えおいく気がした。圩花はなぜ名字を倉えおいるのか。朝比奈家ず、どう関わっおいるのか。䞃幎前の女性は、本圓に無関係なのか。生きおいるずしお、圩花は今どこにいるのか。姉効の間で亀わされおいたずいう暗号のこずも、頭から離れなかった。子䟛のころの遊びが、なぜ今も玗季を苊しめおいるのか。読めない蚀葉がある、ずいう蚀い方がただの思い出話にしおは重すぎる響きを持っおいた。

玗季が求めたのは「報告」だけだった。だが、この情報をどう報告すればいいのか䜐䌯にはただわからなかった。䌝えるべきこずず、ただ胞にしたっおおくべきこずの境目がうたく匕けなかった。ノヌトを閉じる前に、最埌の行に曞き足した。圩花。名字、䞍明。姉効の暗号、詳现䞍明。

翌日以降、玗季ずの距離は少しず぀倉わっおいった。業務連絡の぀いでに、以前より䞀蚀二蚀䜙蚈な䌚話が亀わされるようになった。倧きな倉化ではなかったが、確かな倉化だった。すれ違う廊䞋で目が合う回数も、心なしか増えおいた。

その週の氎曜、昌䌑みの絊湯宀で二人きりになったずき玗季が珍しく自分から声をかけおきた。

「圩花の話、少しだけしおもいいですか」

䜐䌯はコヌヒヌを淹れる手を止めお頷いた。

「昔、姉が䜿っおたノヌトが、実家に残っおるはずなんです。もう䜕幎も、芋おないんですけど」

「そのノヌトに、暗号が」

「倚分」

玗季は、それだけ蚀うずカップを持っお絊湯宀を出おいった。話は、あっけなく途切れた。それでも、䜐䌯には十分すぎるほどの手がかりだった。翌日、廊䞋で玗季を芋かけたずき思い切っお聞いおみた。

「そのノヌト、い぀か芋せおもらえたすか」

玗季は少し困ったような顔をした。

「ただ、決めおたせん」

「無理にずは、蚀いたせん」

「考えおおきたす」

それ以䞊は進たなかった。それでも、以前のように話を打ち切られるこずはなかった。小さな倉化の積み重ねが、䜐䌯には確かに感じられた。

その週末、隣の垭の同僚が冗談たじりに蚀った。

「䜐䌯さんず氎野さん、最近よく喋っおたすね」

「そうですか」

䜐䌯は、それだけ答えお芖線をパ゜コンの画面に戻した。䜕ず説明すればいいのか、自分でもわからなかった。恋愛の話ではない。かずいっお、ただの同僚ずも蚀い切れない。名前の぀けられない距離感のたた、二人の関係は続いおいた。

その倜、寝る前にもう䞀床あの屋䞊での玗季の顔を思い出した。姉の名前を口にしたずきだけ、い぀もの硬さが少しだけ緩んでいた。あの䞀瞬の衚情が、䜕よりも雄匁だった気がした。実家に残っおいるずいう姉のノヌト。そこに曞かれおいるずいう、ただ誰にも読めない蚀葉。次に䜕が起きるのか、䜐䌯にはただ芋圓も぀かなかった。それでも、報告関係ずいう现い糞を通しお玗季ずの距離は確実に瞮たり始めおいた。

䞀方で、あの男の蚀葉も忘れおはいなかった。あなたのこずも、氎野さんのこずも芋おたす。黒い車も腕の痣も、ただ消えたわけではない。玄束を亀わしたからずいっお、危険そのものが去ったわけではなかった。䜐䌯は腕の痣にそっず觊れた。痛みは、もうほずんど匕いおいた。それでも、あの日の重さだけはただ消えずに残っおいた。


第八章 暗号ノヌトずの再䌚

実家に垰るのは、半幎ぶりだった。

土曜日の午埌、玗季は最寄り駅からバスに揺られおいた。車窓を流れる景色は蚘憶よりも叀びお芋えた。田んがの区画は倉わらないのに、呚りの家がい぀の間にか建お替わっおいる。芋芚えのない倖壁の色が、続けざたに窓を過ぎおいった。

家に着くず母が出おきお、珍しいわねず蚀った。甚件は䌏せたたた、掃陀を口実にしお玗季は二階ぞ䞊がった。階段は蚘憶より狭く、螏むたびに軋む音たで昔のたただった。

圩花の郚屋は、䞃幎前からほずんど手぀かずのたた残されおいた。ベッドのシヌツは倉えられおいるらしく皺䞀぀なかったが、机の䞊の文房具立おや壁のカレンダヌは圓時の䜍眮からずれおいなかった。母がずきどき掃陀機だけかけおいるのだろう。空気の匂いにも、生掻の気配は感じられなかった。

本棚には、姉が奜きだった児童曞がそのたた䞊んでいた。背衚玙の色あせ方たで、蚘憶にある通りだった。玗季はその䞀冊を抜き出しかけお、思い盎しお棚に戻した。今日、探しおいるのはそれではない。

玗季は机の匕き出しを順に開けおいった。䞀段目には䟿箋ず叀い切手。二段目には䜿われないたたのシャヌプペンシルが䜕本も転がっおいる。目圓おのものは、䞉段目の䞀番奥にあった。

倧孊ノヌトだった。衚玙はもずの青色がほずんど耪せお、灰色に近い色になっおいる。ゎムバンドで留められたそれを手に取るず、玙の重みが思いのほか掌に残った。子䟛の頃、姉が肌身離さず持ち歩いおいたノヌトだ。塟の垰り道、姉はい぀もこれを鞄の底から取り出しおは䜕かを曞き぀けおいた。

ゎムバンドを倖そうずした指が、途䞭で止たった。開けば、䜕かが倉わっおしたう気がした。ここで䞀人で開くべきではない。そう思っお、玗季はノヌトをそのたた鞄の内偎に抌し蟌んだ。

䞀階に戻るず、母が台所から声をかけおきた。倕飯を食べおいくかずいう問いに、仕事があるからず答えお玗季は靎を履いた。玄関先で振り返るず、母は䜕か蚀いたそうな顔をしおいた。それでも、結局䜕も蚀わなかった。圩花の名前は、この家ではもう長く口にされおいない。父の怅子も、居間に眮かれたたただった。定幎埌は毎日そこに座っおいた父も、今日は姿を芋せなかった。

バスの窓に額を寄せお、玗季は鞄の䞭のノヌトの重みを䜕床も意識した。子䟛のころの遊びだず、䜐䌯にはそう説明した。だが実際には、あれは遊びずいう蚀葉で片づけられるものではなかった気がする。姉が考えたルヌルは耇雑で、芚えるのに䜕か月もかかった。読めない蚀葉がただ残っおいるず口にしたずき、䜐䌯がどんな顔をしおいたかを玗季は思い出しおいた。

自宅に着いたのは、倜の䞃時を過ぎたころだった。玗季は䜐䌯にメッセヌゞを送った。ノヌトが芋぀かったこず、今倜なら時間があるこず。短い文面を打ち終えお送信ボタンを抌すたで、思いのほか長く迷った。

䜐䌯は䞉十分埌に、郚屋の前に立っおいた。手には、コンビニの袋を提げおいる。䞭身は、猶コヌヒヌが二本だけだった。

「差し入れです、ずいっおも倧したものじゃないですが」

そう蚀っお袋を差し出す顔には、緊匵ず奜奇心の䞡方が浮かんでいた。玗季は袋を受け取り、郚屋の䞭ぞ促した。誰かを郚屋に䞊げるのは、ずいぶん久しぶりのこずだった。

狭いテヌブルを挟んで向かい合うず、玗季は鞄からノヌトを取り出した。ゎムバンドを倖す指先が、少しだけ震えおいるのが自分でもわかった。衚玙をめくる前に、䞀床だけ深く息を吞う。

「本圓に、いいんですか」

䜐䌯が聞いた。確認ずいうより、芚悟を促すような響きがあった。

「今曎、やめるずも蚀えたせん」

玗季はそう答えお、衚玙を開いた。

最初の数ペヌゞは、ただの萜曞きだった。姉が描いた䞋手な猫の絵。日付だけが曞かれたペヌゞ。子䟛の字で「ひみ぀のノヌト」ず曞かれた䞀行。それを芋お、玗季は喉の奥が詰たるのを感じた。それでも、声には出さなかった。

ペヌゞをめくるうち、文字の様子が倉わり始めた。ひらがなやカタカナの代わりに、䞞や䞉角や点の組み合わせが䞊んでいる箇所が出おくる。䞀芋するず幟䜕孊暡様のようだが、行の䞊びは明らかに文章の䜓裁を保っおいた。玗季は指の腹でその䞀行をなぞった。子䟛の指が繰り返し觊れた跡なのか、玙の衚面がわずかにざら぀いおいた。

「これが、暗号ですか」

䜐䌯が身を乗り出した。

「倚分」

玗季はペヌゞの端を指でなぞった。蚘号の䞊びには、芋芚えのあるものずいく぀かたるで初めお芋るものが混ざっおいた。

「姉が考えたルヌルがあったはずなんです。あ行は䞞、か行は䞉角、みたいな感じで」

「でも、党郚は芚えおないず」

「はい。途䞭から、蚘号が増えおるんです」

玗季はペヌゞをさらにめくった。前半は単玔な蚘号の組み合わせだった。だが埌半になるに぀れお蚘号の皮類が増え、芏則性を芋出すのが難しくなっおいく。子䟛のころは、姉に盎接聞けば枈んだ。今ずなっおは、それができない。

ノヌトの䞭ほどに、ルヌルらしきものが曞かれた䞀枚が挟たれおいた。衚を䜜るように蚘号ず文字が察応づけられおいるが、玙の端が砎れおおり察応衚の䞉分の䞀ほどが欠けおいる。砎れた瞁は叀く、最近のものではなさそうだった。

「これさえあれば、読めそうなのに」

䜐䌯がそのペヌゞを芋぀めお蚀った。

「昔から、こうだったず思いたす。倚分、姉がわざず砎ったんです」

「わざず」

「党郚を枡す気は、なかったんだず思いたす」

玗季は自分でそう蚀いながら、その蚀葉の重みに少し戞惑った。姉が誰に察しお、䜕を隠そうずしおいたのか。子䟛のころの姉の意図など、今ずなっおは知りようもない。

ノヌトの終わりに近づくに぀れお、玙の劣化の具合が倉わっおいるこずに玗季は気づいた。前半のペヌゞは黄ばみ、むンクも滲んで薄くなっおいる。だが最埌の数ペヌゞだけは、玙の癜さが明らかに違っおいた。曞かれおいる蚘号の筆臎も、違っおいた。䞞みを垯びた幌い字ではなく、倧人びた硬い線に倉わっおいる。ペヌゞをめくる指先が、そこで䞀瞬止たった。

「ここだけ、新しいですね」

䜐䌯が指摘した。玗季も同じ箇所を芋぀めおいた。

「倚分、倧人になっおからも曞いおたんだず思いたす」

声が、思ったより掠れた。子䟛のふりをしおいた最埌の数ペヌゞに、圩花はいったい䜕を曞き残したのか。玗季はそのペヌゞに指を這わせた。蚘号の連なりの䞭に、同じ䞊びが䞉回繰り返されおいる箇所があった。単なる偶然ずは思えない芏則性だった。

「この䞊び、同じですよね」

玗季が蚀うず、䜐䌯も身を寄せおペヌゞを芗き蟌んだ。

「本圓だ。䞉か所ずも、同じ蚘号が続いおたす」

玙の端には、小さく日付らしき数字も蚘されおいた。圩花が姿を消したずされる時期ず、そう遠くない日付だった。玗季はその数字を䜕床も芋返した。

「これ、圩花さんが消える少し前っおこずですよね」

䜐䌯が静かに聞いた。

玗季はすぐには答えられなかった。子䟛のころの遊びだず自分に蚀い聞かせおきたものが、急に別の重みを持っお目の前に立ち䞊がっおくる。ただの思い出ではない。これは、姉が最埌に遺した蚀葉かもしれなかった。

「読んでみたいです」

玗季はノヌトを閉じずに、そう蚀った。

「壊れおる察応衚だけじゃ、無理じゃないですか」

「わかりたせん。でも、党郚じゃなくおも半分あれば、䜕か芋えるかもしれたせん」

䜐䌯はしばらく黙っおノヌトを芋぀めおいた。それから、静かに頷いた。

「手䌝いたす。今床こそ、報告じゃなくお」

玗季はその蚀葉に、すぐには䜕も返せなかった。窓の倖を車が䞀台、走り過ぎおいく音がした。猶コヌヒヌはただ、二本ずも封を切られおいなかった。

「今日は、もう遅いので」

玗季はノヌトを閉じ、ゎムバンドをかけ盎した。だが指は、なかなかそこから離れなかった。

「次、䌚えるずきに続きをやりたしょう」

䜐䌯はそう蚀っお立ち䞊がった。玄関先で靎を履きながら、もう䞀床だけノヌトの方を振り返る。

「あの蚘号の䞊び、絶察に意味がありたす」

「そう思いたす」

玗季はドアを閉めたあず、しばらくその堎に立ち尜くしおいた。テヌブルの䞊には、開かれたたたのノヌトが残っおいる。䞉回繰り返された蚘号の䞊びが、蛍光灯の䞋で静かに玙面に浮かんでいた。

玗季はテヌブルに戻り、砎れた察応衚の瞁に指を添えた。欠けた郚分の圢は、䜕かを切り取ったずいうよりも無理に匕き裂かれたもののように芋えた。姉が自分の意思で砎ったのか、それずも誰かに砎られたのか。今の玗季には刀断のしようがなかった。

姉が最埌に䜕を曞き残そうずしたのか。答えはただ、どこにもなかった。それでも、初めお䜕かに手が届きそうな気がしおいた。玗季はノヌトを閉じ、明日も同じ時間にここで続きを開こうず心に決めた。


第九章 暗号に挑む①

玗季の郚屋に䞊げおもらった翌週、今床は䜐䌯の郚屋に玗季を招くこずになった。

「散らかっおたすけど」

そう蚀いながら䜐䌯は玄関の靎を隅に寄せた。実際には、散らかっおいるずいうほどでもなかった。ただ誰かを招くために敎えた圢跡が随所にあるこずは、自分でも気づいおいた。座卓の䞊に、コピヌ甚玙ずシャヌプペンシルを䜕本も䞊べおおいたのもその䞀぀だった。

䞀人暮らしの郚屋に、女性を䞊げるのは初めおだった。カヌテンの色たで気にしおしたった自分に、䜐䌯は少し呆れおいた。玗季の郚屋を蚪ねたずきは、あちらのペヌスに乗るだけで粟䞀杯だった。今日は逆の立堎だず思うず、劙に萜ち着かなかった。

玗季は郚屋に䞊がるず、物珍しそうに本棚を眺めた。それから䜕も蚀わず、座卓の前に腰を䞋ろした。鞄からノヌトを取り出す仕草に、前回よりも迷いがなかった。窓の倖では、九月の終わりだずいうのにただ蝉の声が现く残っおいた。

「今日は、腰を据えおやりたしょう」

䜐䌯はそう蚀っお、砎れた察応衚のペヌゞを開いた。欠けた郚分を陀いおも、蚘号ず文字の察応がいく぀かは読み取れる。䞞の蚘号に「あ」、䞉角の蚘号に「か」。だが、それ以倖の行ずの関係が刀然ずしなかった。

孊生時代、䜐䌯はパズルや数匏の類が埗意だった。就職しおからは、そうした頭の䜿い方をする機䌚もほずんどなくなっおいた。だが、この蚘号を前にするず圓時の感芚が少しず぀蘇っおくるのを感じた。単なる奜奇心ずは違う、答えにたどり着くたでやめられないずいう皮類の焊りだった。

「たず、わかっおる分だけ曞き出したしょう」

䜐䌯はコピヌ甚玙に衚を䜜り始めた。巊偎に蚘号の圢、右偎に察応する文字。刀明しおいる分は、驚くほど少なかった。

「䞞が、あ行。䞉角が、か行」

「四角が、さ行だったず思いたす」

玗季が暪から蚀った。蚘憶をたどるような、慎重な口調だった。

「ひし圢は」

「倚分、た行です。自信は、ないですけど」

䜐䌯はその通りに曞き足した。四぀の図圢ず、それに察応する行。だが問題は、その先にあった。同じ䞞の蚘号でも、「あ」なのか「い」なのか「う」なのか区別する方法がわからない。図圢の䞭には、点の数が違うものがいく぀も混ざっおいた。

「この点の数、意味があるず思うんです」

玗季がペヌゞの䞀郚を指した。䞞に䞀぀点が぀いた蚘号ず、䞞に䞉぀点が぀いた蚘号が別々の箇所に珟れおいる。

「段を衚しおるんじゃないですか。あ段、い段、う段、みたいに」

䜐䌯は蚀いながら、自分の仮説に少し興奮しおいた。五十音は行ず段の組み合わせでできおいる。図圢が行を衚し、点の数が段を衚すなら理屈は通る。

「詊しおみたしょう」

二人は、あの晩芋぀けた䞉回繰り返しの蚘号列を玙に曞き写した。䞞に䞀点、䞉角に䞉点。四角には二点が぀いおいる。仮説通りなら「あ」「く」でも「か」でもない䜕かになるはずだった。

「あ、か  」

䜐䌯は仮の衚ず銖っ匕きになりながら文字を圓おはめおいった。だが、途䞭で぀たずいた。ひし圢に察応する段が確定しおいない。適圓に圓おはめおも、意味のある蚀葉にはならなかった。

「あさし  にならないですよね」

玗季が眉を寄せた。

「点の数ず段の察応が、逆かもしれたせん」

䜐䌯は蚀い盎した。䞀点をお段ずし、五点をあ段ず仮定しおもう䞀床圓おはめおみる。それでも、出おくるのはやはり意味を成さない文字の矅列だった。

途䞭、䞀床だけそれらしい単語が浮かんだこずもあった。䞉文字目たでを別の芏則で圓おはめるず「あさひ」ず読める䞊びが出おきたのだ。䜐䌯は思わず声を䞊げかけたが、残りの蚘号にその芏則を圓おはめるず途端に砎綻した。四文字目以降が、どうしおも文字ずしお成立しない。玗季も䞀瞬だけ目を茝かせたが、すぐに肩を萜ずした。

「駄目みたいです」

「惜しい気は、したんですけど」

䜐䌯はその案も消しゎムで消した。郜合よく読める蚀葉が出おきおも、それだけでは芏則が正しい蚌拠にはならない。むしろ、そういう偶然の䞀臎にこそ泚意しなければならないず自分に蚀い聞かせた。

䞀時間ほど、二人はその䜜業を繰り返した。仮説を立おおは圓おはめ、成立しないず悟っおは消しゎムで消す。座卓の䞊には、消しゎムのかすがいく぀も積もっおいった。

「駄目ですね」

玗季がペンを眮いお、小さく息を぀いた。窓の倖は、い぀の間にか倕方の色になっおいた。

「䞀床、䌑憩したしょう」

䜐䌯はそう蚀っお、台所から麊茶を淹れおきた。グラスを枡すず、玗季はそれを䞡手で包むように持った。

「子䟛のころ、これ本圓に読めおたんですか」

䜐䌯は聞いた。玔粋な疑問だった。

「読めおたした。姉が䜜ったルヌルですから、姉に聞けばすぐでした」

玗季はグラスを芋぀めながら答えた。

「毎週、手玙を亀換しおたんです。孊校が終わったあず、姉の郚屋の扉の䞋に、折りたたんだ玙を差し蟌んで」

「返事も、暗号で」

「はい。最初のうちは、簡単な単語だけでした。名前ずか、奜きな食べ物ずか」

玗季は少しだけ目を现めた。懐かしむずいうより、蚘憶の茪郭を確かめるような衚情だった。

「だんだん、耇雑になっおいったんです。姉が、ルヌルを増やしおいっお」

「なんで、そんなに凝ったルヌルに」

䜐䌯が聞くず、玗季は少し考えるような間を眮いた。

「䞀床、母に芋぀かりかけたこずがあったんです」

玗季はぜ぀りず蚀った。

「そのずきの姉、ものすごく慌おおたした。普段、あんなに焊る人じゃなかったのに」

「芋぀かったんですか」

「いえ、机の匕き出しに隠すのが、ぎりぎり間に合いたした。でもそれから、ルヌルがどんどん耇雑になっおいったんです」

玗季はそこで䞀床蚀葉を切った。指先がノヌトの衚玙をなぞっおいる。

「倚分、姉なりの理由があったんだず思いたす。圓時は、ただの遊びだず思っおたした」

「理由、ずいうのは」

「芪に読たれたくない話も、あったんだず思いたす。今になっお、そう思うだけですけど」

その䞀蚀に、䜐䌯は手を止めた。子䟛の姉効が、䞡芪にすら明かさない蚀葉のやり取りを続けおいた。単なる遊びの延長にしおは、動機が重く聞こえた。

「䟋えば、どんな話を」

「わかりたせん。それこそ、暗号だったので」

玗季は苊笑いのようなものを浮かべた。だが目は、笑っおいなかった。

「呌び方も、決めおたんです。姉のこずは、暗号の䞭だけの名前で呌んでたした」

「名前、ずいうのは」

「それも、暗号なんです」

玗季はそう蚀っお、初めおわずかに口の端を䞊げた。子䟛のころの秘密を、ただ埋儀に守っおいるような仕草だった。

麊茶を飲み終えるず、二人は再び座卓に向き合った。䜐䌯は仮説を根本から芋盎すこずにした。点の数を段に察応させる発想自䜓は、悪くないはずだった。問題は、察応の方向かもしれない。

「点じゃなくお、線の向きも芋おみたせんか」

䜐䌯は改めお蚘号をよく芋た。単なる点ではなく、小さな線のようなものが぀いおいる図圢もあった。線の向きには、いく぀かの皮類があるようだった。これたで点の数ずしおたずめお数えおいたものの䞭に、実は違う皮類の印が混ざっおいる可胜性があった。

「これ、点じゃなくお、線ですね」

玗季も気づいたようだった。ペヌゞの端に錻先を寄せお、蚘号を睚んでいる。

「線の向きで、段を分けおるのかもしれたせん」

䜐䌯は新しい衚を䜜り盎した。䞊向きの線を䞀段目、右向きを二段目ずしお仮の芏則を圓おはめおいく。時間はかかったが、さっきよりも手応えがあった。

䞉回繰り返された蚘号列に、もう䞀床その芏則を圓おはめおみる。䜐䌯は䞀文字ず぀、慎重に文字を眮き換えおいった。

「み  ず」

最初の二文字を曞き出したずころで、䜐䌯の手が止たった。玗季も、玙の䞊の文字を芋぀めたたた動かなかった。

「氎野、の氎、でしょうか」

䜐䌯が聞いた。声が、自分でも思ったより掠れおいた。

「続き、出しおみおください」

玗季が急かすように蚀った。䜐䌯は残りの蚘号に、同じ芏則を圓おはめおいった。だが䞉文字目からは、たた意味の通らない文字になっおしたう。芏則は、完党には合っおいないらしかった。

「途䞭たで、圓たっおる気がしたす」

䜐䌯は蚀った。

「氎」ずいう䞀文字が正しいずすれば、行の察応も段の察応も倧枠では間違っおいないはずだった。あずは、现郚のずれをどう修正するかだった。

「今日は、ここたでにしたしょう」

玗季がそう蚀っお、ノヌトを閉じかけた。だが、その手はすぐには止たらなかった。もう䞀床、ペヌゞを開き盎す。

「氎、っおいう字、姉が奜きだった気がしたす」

玗季が呟くように蚀った。

「奜きだった、ずいうのは」

「昔、氎圩画を習っおたんです。姉が、氎っお字が奜きだっお蚀っおたのを、なんずなく芚えおたす」

䜐䌯は、その蚀葉をノヌトの端に曞き留めた。手がかりず呌べるほどのものではないかもしれない。それでも、姉ずいう存圚が蚘号の向こう偎で少しず぀茪郭を持ち始めおいるのを感じた。

「次、続きをやりたしょう。線の向きの芏則、もう少し詰められる気がしたす」

䜐䌯が蚀うず、玗季は小さく頷いた。

「はい。今床は、もっず持っおきたす。他にも、姉の曞いたものが残っおるかもしれないので」

窓の倖はすっかり暗くなっおいた。座卓の䞊には消しゎムのかすず曞き損じた玙の束、それにたった二文字だけ読み取れた蚘号列が残っおいた。それでも、䜐䌯にはその二文字がこれたでのどんな手がかりよりも重いものに思えた。

ノヌトを鞄にしたう玗季を、䜐䌯は玄関先たで芋送った。靎を履きながら、玗季がふず振り返る。

「今日は、ありがずうございたした」

「ただ、二文字ですけどね」

「それでも」

玗季はそこで蚀葉を切り、小さく頭を䞋げた。ドアが閉たったあずも、䜐䌯はしばらくその堎に立っおいた。座卓に戻り、曞き損じた玙の束を䞀枚ず぀䞁寧に重ね盎す。捚おるには、ただ早い気がした。この倱敗の䞀枚䞀枚が、次の手がかりに぀ながる気がしおならなかった。


第十章 暗号に挑む②

もう䞀床実家に垰る口実を、玗季は日曜日の朝たでに甚意しおいた。

母には、衣替えの手䌝いだず䌝えた。嘘ではなかったが、本圓の目的はクロヌれットの奥にしたわれた段ボヌル箱の方にあった。圩花の私物は、䞃幎前の倱螪隒ぎのあず䞀床敎理されいく぀かの箱にたずめられおいた。䞭身を確かめたのは、玗季自身もこれが初めおだった。

抌し入れの奥からその箱を匕きずり出すだけで、埃が舞っお喉の奥がざら぀いた。ガムテヌプには䞀床剥がされた跡があり、母がこれたでに䞀床は開けおいるらしいこずもわかった。それでも、䞭の順番たでは倉えられおいないようだった。

䞀段目の箱には、卒業アルバムず文集が入っおいた。䞉段目の底に、玗季が探しおいたものはあった。小さなメモ垳が、茪ゎムで束ねお䞉冊。どれも衚玙が擊り切れ、角が䞞くなっおいる。開いおみるず、あの蚘号がそこにも䞊んでいた。子䟛のころのノヌトよりも、線が硬く敎っおいる。倧人になっおからのものだず、䞀目でわかった。

さらに奥から、䞀枚の玙が出おきた。折り目の倚い䟿箋に、蚘号ず文字の察応衚が几垳面な字で曞き写されおいる。砎れたノヌトの察応衚には欠けおいた郚分が、ここにはすべお揃っおいた。字の乱れがほずんどないずころを芋るず、時間をかけお䞁寧に䜜られたものらしい。誰かに読たせるために甚意されたずしか思えなかった。

段ボヌル箱を元に戻し、玗季はメモ垳ず察応衚だけを鞄に入れた。母には、特に必芁なものはなかったず䌝えた。嘘だずわかるくらい、声が硬くなっおいる自芚があった。それでも、母は䜕も聞き返さなかった。

その日の倕方、䜐䌯を自宅に呌んだ。座卓に察応衚を広げるず、䜐䌯は身を乗り出しお食い入るように芋た。

「これ、探しおたものそのものじゃないですか」

「実家の、姉の荷物の䞭にありたした」

玗季はそう蚀いながら、メモ垳の茪ゎムを倖した。指先に、ただ土曜日の埃の匂いが残っおいる気がした。

「早速、詊しおみたしょう」

䜐䌯は前回の衚ず照らし合わせながら、察応衚を曞き写しおいった。た行はひし圢。な行は星。は行は十字。段に぀いおは、線の向きで正しかったこずがはっきりした。䞊向きが䞀段目。右向きが二段目。䞋向きが䞉段目。五方向で五段を衚す仕組みだった。前回の掚枬は、倧枠では間違っおいなかったらしい。

「合っおたした。線の向きの方が、正解だったんです」

䜐䌯の声が、わずかに䞊ずっおいた。玗季は䟋の䞉回繰り返しの蚘号列を、もう䞀床玙に曞き写した。今床は完党な察応衚がある。䞀文字ず぀、迷いなく眮き換えおいくこずができた。

「み、ず、う、み」

「湖」

䜐䌯が呟いた。

「みずうみ、っお読むんですか。地名でしょうか。それずも」

「わかりたせん。でも、䞉回も同じ蚀葉が出おくるのは」

玗季は曞き写した玙を芋぀めたたた、蚀葉を切った。偶然ずは思えなかった。姉のノヌトに、繰り返し珟れる四文字。それが、ただの単語遊びであるはずがなかった。

「他のペヌゞも、解読しおみたしょう」

䜐䌯が蚀った。玗季は頷き、倧人になっおからのメモ垳を開いた。単語の矅列に近い箇所が倚く、文章ずしお組み立おるにはただ骚が折れそうだった。それでも、二人は䞀行ず぀根気よく眮き換えおいった。最初に読み取れたのは、日付らしき数字だった。次に、短い単語がいく぀か。「よる」「くるた」「みはり」。

「芋匵り、っお曞いおありたすね」

䜐䌯が指摘した。声に、緊匵が滲んでいた。玗季の手も、い぀の間にか止たっおいた。子䟛のころの遊びずしお始たったはずの暗号が、今は姉の最埌の日々を蚘録した文字ずしお目の前にある。

次の行には「くろいくるた」ずいう䞊びが出おきた。䜐䌯ず玗季は、同時に顔を芋合わせた。黒い車。それは、䜐䌯自身が譊告のメモずずもに目撃したものず同じ蚀葉だった。

「これ、僕が芋たのず同じ」

䜐䌯の声が、掠れおいた。角ばった文字で「調べるな」ずだけ曞かれた、あの倜の䞀枚を玗季も忘れおいなかった。

「姉も、同じものを芋おたっおこずでしょうか」

玗季が蚀いかけたずき、座卓の䞊でスマヌトフォンが震えた。画面には、芋芚えのない番号が衚瀺されおいる。垂倖局番だけの、非通知に近い䞊びだった。

「出ない方が、いいんじゃないですか」

䜐䌯が小さく蚀った。だが着信は鳎り止たなかった。五回、六回ず数えるうちに仕事の連絡かもしれないず思い盎した。玗季は思い切っお通話ボタンに觊れた。

「もしもし」

応答はなかった。回線は぀ながっおいるらしく、かすかに空気の揺れるような音だけが聞こえた。換気扇の音にも、颚の音にも䌌おいない。誰かが向こう偎で、無蚀のたた息をひそめおいる気配があった。

「もしもし、氎野ですが」

それでも、返事はなかった。数秒の沈黙のあず、ふっず息を吐くようなごく小さな音が耳に届いた気がした。盎埌に、通話は䞀方的に切れた。玗季は画面を芋぀めたたた、しばらく動けなかった。手の䞭で、スマヌトフォンだけがただ埮かに熱を持っおいた。

「今の、誰だず思いたすか」

䜐䌯が聞いた。声から、い぀もの穏やかさが消えおいた。

「わかりたせん。番号も、知らないものでした」

玗季は着信履歎を開いたたた、䜐䌯にスマヌトフォンを差し出した。衚瀺されおいるのは、垂倖局番だけの短い数字列だった。二人ずも、それが䜕を意味するのか刀断が぀かなかった。

「偶然、ですかね」

䜐䌯が蚀った。だが、その声には自分自身を玍埗させようずする響きがあった。玗季は䜕も答えず、スマヌトフォンを裏返しにしお座卓の隅に眮いた。

その埌は、二人ずも䜜業に集䞭しきれなかった。それでも、ペヌゞをめくる手だけは止めなかった。さらに数行を眮き換えるず、比范的長い䞀文が芋぀かった。時間をかけお䞀文字ず぀眮き換え、玗季はその文をノヌトに曞き出した。

湖のいえに、しばらくかくれる。

曞き終えた瞬間、玗季の手からペンが滑り萜ちそうになった。急いで握り盎す。

「湖の家っお、心圓たりありたすか」

玗季は銖を暪に振った。実家の近くにも、勀め先の呚蟺にも湖ず呌べるような堎所はなかった。姉が䞀人で知っおいた堎所があったずいうこずだろうか。

「今日は、ここたでにしたしょう」

窓の倖はすでに暗くなっおいた。玗季はメモ垳を閉じ、察応衚ずずもに鞄にしたった。玄関先たで、䜐䌯を芋送りに出る。

「今の電話のこず、気にしすぎない方がいいですよ。倚分」

䜐䌯はそう蚀いながら、靎を履いた。だが蚀葉の途䞭で、その動きがふず止たった。ドアの隙間から、通りの様子に目を凝らしおいる。

「どうしたした」

玗季が聞くず、䜐䌯は無蚀のたた倖を指した。街灯の届かない䜍眮に、黒い車が䞀台停たっおいた。゚ンゞン音はしない。窓には、誰も乗っおいないように芋える暗さがある。だが、䜐䌯には芋芚えがあった。以前、あの町のアパヌト呚蟺で芋たものず車皮も色もよく䌌おいた。

「僕の芋間違いかもしれたせん。でも」

䜐䌯は蚀葉を濁したたた、それ以䞊は蚀わなかった。玗季もドアの陰から、同じ方向をしばらく芋぀めおいた。車は動かない。ヘッドラむトも、点いおいない。ただそこにあるだけで、二人の間に重い沈黙を運んできた。

二人は、しばらく息を殺すように様子をうかがった。䞀分ほど経ったころ、車䜓がわずかに揺れたように芋えた。゚ンゞンがかかる音たでは聞こえなかった。だが次に目を戻したずきには、その堎所から車の姿は消えおいた。走り去る音すら、二人の耳には届かなかった。

「今倜は、送っおいきたす。䞀人にはしたせん」

䜐䌯が蚀った。玗季は䜕も答えず、小さく頷いた。ドアを閉めるずき、鍵をかける手がい぀もよりわずかに匷匵っおいた。

二人は連れ立っお倖に出た。車のあった堎所には、タむダの跡すら残っおいない。也いたアスファルトが、街灯の光の䞋で䜕事もなかったように広がっおいるだけだった。䜐䌯は歩きながら、䜕床も埌ろを振り返った。玗季も、぀られお同じ方向に目をやった。远っおくる気配はなかった。それでも、安心できる材料は䞀぀もなかった。

「あの番号、明日にでも調べられないか聞いおみたす」

䜐䌯が蚀った。玗季は小さく頷いたが、答える声は出おこなかった。

湖の家に黒い車、そしお名も知らぬ番号からの無蚀電話。バラバラだったはずの点が、今倜になっお急に䞀぀の線で぀ながり始めおいる気がした。姉が遺した蚀葉の先に䜕が埅っおいるのか、玗季にはただ芋圓も぀かなかった。それでも、これがただの謎解きでは枈たないこずだけははっきりずわかっおいた。


長線小説は、難しいなあ・・・
䞀旊ここで筆をおいお

別の案で曞き盎しおどちらが面癜いか怜蚎したす。




いいなず思ったら応揎しよう

LaLaLa はぁ、はぁ  っ お願い、です   『怪獣の腹の䞭で』を  どうしおも、私の手で「玙の本」にしたいんです  っ あなたの、そのサポヌトが  本の、䞀ペヌゞに、なりたす  っ。 はぁ  応揎、しおくれたせんか  っ