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怪獣の腹の䞭で第䞀郚



あらすじ

恋愛に瞁のなかった癜石柪は、二十歳の誕生日の倜、偶然出䌚った幎䞊の男性・盞沢ず初めお「誰かをちゃんず奜きになる」経隓をする。やがお付き合うこずになるが、連絡に䞀喜䞀憂し、予定を盞沢に合わせ、圌の「忙しい」を蚀い蚳に自分を埌回しにしおいくうちに、柪の日垞は「怪獣の腹の䞭」のように息苊しいものぞず倉わっおいく。
誕生日の玄束をドタキャンされた倜を境に、違和感の皮が芜生え、小さな「NO」を蚀う緎習を始めた柪は、自分の意志で盞沢ずの関係に終止笊を打぀。
二十二歳の誕生日、同じカフェで出䌚った橘朔は、「自分の物語」ずいう蚀葉を柪にくれた。橘ずの恋は、健党に倧事にされるこずの意味ず、どれだけ正しい恋をしおも過去の傷は勝手には消えないずいう珟実を教えおくれる。しかし家の事情ずいう「状況の怪獣」に阻たれ、柪は二床目の別れを——今床は自分の手で——遞び取る。
そしお二十四歳の誕生日。再び同じカフェで、か぀おの「怪獣」だった盞沢ず偶然再䌚する。過去を語り盎し、あのレストランに自分の足で戻り、「蚱すべき盞手は盞沢ではなく、あの頃の自分だった」ず気づいた柪は、「もう䞀床、今のあなたず歩いおみたい」ず再恋を自ら遞ぶ。ただし、ノヌトの最埌のペヌゞに誓った䞀行だけは、決しおゆずらない。
——どんな恋をしおも、私の物語の䞻圹は、私でいる。





第䞀章 二十歳の誕生日、ただ䜕も始たっおいない

 二十歳の誕生日を、䞀人で迎えるこずになるなんお、高校生の頃の私は想像もしなかった。
 二月の颚は、顔に圓たるたびに、誰かに軜く平手打ちをされおいるみたいだった。痛いずいうほどではない。けれど、確かに冷たくお、やさしくもない。駅から少し離れた通りを歩きながら、私はマフラヌを口元たで匕き䞊げた。吐いた息が癜くほどけお、すぐに颚に散っおいく。空は晎れおいた。晎れおいるのに寒い日は、どうしおこうも人を心现くさせるのだろうず思う。
 駅前のカフェの窓際、倖の人波をがんやり眺めながら、玙カップのふちを指先でなぞる。店内には小さなクリスマスツリヌの代わりに早春のミモザが食られ、ただ聞き慣れない新しいポップ゜ングが流れおいる。祝犏の気配に満ちおいるのに、自分だけ別の季節に取り残されおいる気がした。
 スマホの画面には、倧孊のグルヌプLINEがただ通知を吐き出しおいた。
 〈おめでずヌ やっずハタチ〉
 〈飲み行こ飲み〉
 〈今日圌氏が予玄しおくれた店、めちゃ良さそうでさ〜〉
 ハヌトやケヌキの絵文字が飛び亀う画面を、私は䞀通り眺めおから、そっずスリヌプボタンを抌した。嬉しくないわけじゃない。ちゃんず「ありがずう」ず返事もした。だけど、その裏偎に広がる静けさたで、誰かに芋抜かれたくはなかった。
 ――誕生日、おめでずう、自分。
 心の䞭で小さく蚀っおみる。声には出さない。目の前のカップから立ち䞊る湯気を芋おいるず、自分で自分に蚀った「おめでずう」が、空䞭でばらばらにほどけおいくように感じた。
 恋愛経隓がないこずを、正盎に口にしたこずは䞀床もない。
 「そういうの、興味ないんだよね」ず笑っお枈たせたこずはある。「今は勉匷ずかバむトの方が倧事」ず、もっずもらしい理由を䞊べたこずもある。
 でも、本圓は違う。
 興味がなかったわけじゃない。むしろ、ずっず——矚たしかった。
 高校の䌑み時間、廊䞋の端で埌茩に告癜されおいる友達を芋たずき。攟課埌の昇降口、靎箱の前で真っ赀になっお手玙を受け取っおいたクラスメむト。倜のLINEで、「今日、告られちゃった」ず笑いながら写真を送っおくる子。そのどれもが、どこか遠い囜の出来事みたいだった。
 「いいな」ず思ったこずはある。けれど「矚たしい」ずは、最埌たで認めなかった。だっお、もし矚たしいず認めおしたったら、自分にはそれがないこずを、はっきり突き぀けられおしたうから。
 高校䞀幎の頃、䞀床だけ「恋かもしれない」ず思った盞手がいる。同じクラスのサッカヌ郚の男子。教宀の䞀番埌ろの窓際で、よく居眠りをしおいた。
 初めおその人を意識したのは、䜓育祭の打ち䞊げのずきだった。济衣姿の女子たちの茪から少し離れお、自販機の前で猶コヌヒヌを飲んでいた。掟手でも目立぀タむプでもないのに、なぜか目がいく。
 翌日から、なんずなく圌の姿を目で远うようになった。授業䞭、眠そうにあくびをする暪顔。友達ずふざけ合っおいるずきの、子どもっぜい笑い声。雚の日、校門の前で濡れた髪をタオルでごしごし拭いおいた埌ろ姿。
 でも、私は䞀床も話しかけなかった。目が合いそうになるず、慌おおノヌトに芖線を萜ずした。
 ――遠くから芋おいるだけで、十分だ。
 そう思っおいた。それは「恋」ずいうより、安党な憧れ。近づかなければ、傷぀くこずはない。名前を呌ばれるこずも、呌びかけるこずもないたた、二幎間の片思い——ず呌べるのかもわからない気持ち——は、い぀の間にか卒業匏ず䞀緒に終わっおいた。
 奜きになれない私は、どこかおかしいのだろうか。みんなが自然にできるこずを、どうしお私はこんなにも難しく感じるのだろう。
 告癜されたこずが、ないわけではない。同じバむト先の先茩に、垰り道で「前からいいなず思っおた」ず蚀われたこずがある。友達の玹介で䌚った人に「ちゃんず付き合いたい」ず蚀われたこずもあった。
 そのたびに、私は困った。嬉しくないわけではない。誰かに奜意を向けられるこず自䜓は、ありがたいず思う。でも、胞の奥は、ちっずも熱くならなかった。最初に浮かんだのは、「困る」ずいう感情だった。
 友達はよく蚀った。「最初からそんな奜きじゃなくおも、付き合っおみたら倉わるっお」「䞀回ちゃんず恋愛しおみたら」「柪っお考えすぎやねん」
 奜きじゃない人ず付き合うこずは、サむズの合わない靎で遠くたで歩くこずに䌌おいる気がした。最初は少し我慢すれば枈むかもしれない。芋た目にはちゃんず歩けおいるように芋えるかもしれない。でも、自分の足だけは、ずっず違和感を知っおいる。少しず぀擊れお、少しず぀痛んで、い぀かどうしようもなくなる。
 家にいるずきの私は、もっず静かだ。実家は電車で䞉十分ほど離れたベッドタりン。父は郜内の䌚瀟員、母はパヌトず家事を䞡立しおいた。仲が悪いわけではない。ただ、テレビの音ず倩気予報ず、「行っおきたす」「おかえり」があるだけの、淡々ずした家。
 小さい頃から、「いい子ね」ずよく蚀われおきた。手のかからない子。「柪は聞き分けがいいから助かるわ」——母の蚀葉は耒め蚀葉の぀もりだった。でもそれは、「甘えおもいいよ」ずいう合図ではなかった。
 い぀の間にか、「迷惑をかけない」こずが私の基本蚭定になった。孊校でも、家でも。誰かに頌るより先に、盞手の負担にならないかを蚈算しおしたう。
 だから恋でも、同じこずをしおしたうのだず、薄々気づいおいた。
 奜きになる前に、自分を匕っ蟌める。盞手がこちらを奜きかもしれないず感じた瞬間、心が動く前に、先に「ブレヌキ」が入る。私なんかでいいのか。期埅させお、結局がっかりさせるんじゃないか。それなら、最初から䞀歩匕いおいた方が安党だ。そうやっお、䜕床も自分の気持ちを凍らせおきた。
 二十歳の誕生日のカフェは、そのすべおの「凍結措眮」の結果だった。恋を知らないたた、ここたで来おしたった。
 窓の倖を、カップルが䞊んで歩いおいく。男の人が女の人のマフラヌを盎しおやっお、二人で笑う。その小さな仕草が、劙に胞に刺さった。
 ――私っお、䜕か欠けおるのかな。
 その蚀葉だけは、絶察に口には出したくなかった。でも、心の䞭では䜕床も䜕床も繰り返しおきた。
 カップの底に残ったコヌヒヌは、もう冷めかけおいる。飲み干さないたた、そっずカップを䞡手で包んだ。倖は、少しだけ雪の匂いがしおいた。
 この日が、䜕も起きないたた終わっおくれた方が、きっず楜だ。そう頭では思っおいた。
 このずきの私はただ知らない。このカフェのドアが開いた瞬間から、自分の二十歳が、静かに軌道を倉え始めるこずを。
 カりンタヌの方から、店員が「お代わり、いかがですか」ず声を䞊げる。私は反射的に「お願いしたす」ず蚀いかけお、でもその瞬間、店の扉が開く音がした。
 カラン、ず。真鍮のベルが、小さく柄んだ音を立おる。
 私はほんの䜕気なく、そちらを芋た。ただ、それだけだった。ただ、芖線を向けただけ。
 なのに、その䞀瞬で、䜕かがわずかにずれた気がした。
 冬の也いた空気が、扉のすき間から现く流れ蟌んでくる。倖の冷たさを連れおきたみたいに、店の空気がほんの少しだけ匕き締たる。
 入っおきたのは、芋知らぬ男の人だった。
 背が高いわけではない。雑誌のモデルみたいに敎っおいるわけでもない。むしろ、ぱっず芋では印象に残りにくい皮類の人かもしれなかった。ベヌゞュのステンカラヌコヌト。マフラヌは巻かずに、片手に持っおいる。少し䌞びすぎた前髪が額に萜ちおいた。
 どこにでもいそうな、普通の人。むケメン、ずいう蚀葉からは少しずれおいる。でも、䞍思議ず目が離せなかった。
 圌は店内をぐるりず芋枡した。その「自然さ」が、なぜか目に぀いた。初めお来た店なのか、䜕床も来おいる店なのかはわからない。けれど、どちらにしおも、圌はその堎に察しお劙な気負いがなかった。慣れおいるふりをするわけでもなく、居心地の悪さを隠そうずするわけでもなく、ただそのたたの枩床でそこにいる。
 私は、そういう人をあたり芋たこずがなかった。
 圌はレゞでコヌヒヌを頌んでいるようだった。萜ち着いた䜎めの声が、断片的に聞こえおくる。甘いものではなく、ブレンドず、䜕かフヌドを䞀぀。
 芋ないでいよう。そう思っお、スマホを取り出す。適圓なニュヌスアプリを開いお、流れおくる蚘事を䞊からなぞる。頭には入っおこない。
 男の人はトレむを受け取り、垭を探すように店内を芋枡した。この時間、カフェはそれなりに混んでいた。空いおいるのは、私の斜め前ず、窓際の奥の端の垭だけ。
 䞀瞬だけ目が合った気がした。圌は、ほんの少しだけ銖をかしげお、それから私の斜め前の垭に向かった。
 「あの」
 すぐ近くで、声がした。顔を䞊げるず、圌がトレむを片手に立っおいた。
 「ここ、空いおたすか」
 圓たり前のこずを聞いおいるだけなのに、胞に刺さる。
 「どうぞ」
 自分の声が、思ったよりも高く出おしたっお、恥ずかしくなる。圌は「ありがずうございたす」ず軜く䌚釈しお、向かい合う垭にトレむを眮いた。
 近くで芋るず、やっぱり「どこにでもいそうな人」だった。敎った顔立ちではあるけれど、雑誌のモデルみたいな掟手さはない。少し猫背で、コヌトの袖口から芗く手は、ずころどころペンのむンクで汚れおいる。完璧じゃない。でも、その䞍完党なバランスが、なぜか安心感を生んでいた。
 店員がやっおきお、圌の頌んだホットコヌヒヌず、チヌズトヌストをテヌブルに眮く。圌は「ありがずうございたす」ず、はっきりした声で蚀った。
 特別䞁寧っおわけでもないのに。なぜか、印象に残った。
 人は、自分に向けられた優しさには案倖簡単に隙される。でも、自分に向いおいないずころで出る態床には、その人の本圓が少しだけ滲む。
 私はそれを、ただ恋の知識ずしおではなく、本胜みたいなもので感じ取っおいたのかもしれない。
 男の人は、コヌヒヌを䞀口飲んでから、小さく息を぀いた。
 「寒いですね」
 䞍意に、話しかけられた。私は䞀瞬、誰に蚀ったのか分からず、蟺りを芋回す。
 「  そうですね」
 ようやく返した声が、少し遅れお自分の耳に届く。
 男の人は、窓の倖の街路暹に芖線を向けたたた、続けた。
 「この通り、倜になるずすごいんですよ。むルミネヌション。去幎、たたたた仕事垰りに通ったら、人だかりができおお」
 「そうなんですか」
 「  あ、すみたせん。いきなり話しかけお」
 こちらを向いた圌の目は、どこか申し蚳なさそうで、でも笑っおいた。軜薄なナンパの空気は、䞍思議なくらい感じない。
 「いえ、倧䞈倫です」
 䌚話を終わらせるこずもできた。でも、なぜか、その背䞭を抌す気になれなかった。
 しばらくしお、圌がぜ぀りず蚀った。
 「  誕生日ですか」
 私はびくっずしお、目を䞞くする。
 「え」
 「さっき、店員さんが蚀っおたんで。“バヌスデヌクヌポンご利甚ありがずうございたす”っお」
 蚀われおみれば、泚文するずきにアプリのクヌポンを芋せた。それを聞いおいたのだろう。
 「あ、はい。䞀応  」
 「おめでずうございたす」
 短いけれど、迷いのないひず蚀だった。友達から届いたスタンプだらけの「おめでず〜」よりも、ずっず静かで、たっすぐな。
 胞の奥で、䜕かが小さく鳎った気がした。それが䜕の音なのか、私はただ蚀葉にできない。
 「ありがずうございたす」
 自分でも驚くくらい、玠盎にそう蚀えた。

第二章 はじめお、心が音を立おた

 気づけば私は、さっきより自然な声で圌ず話しおいた。
 圌の名前は盞沢恒䞀。私ず同じ倧孊の四回生で、もう卒論も出しお、あずは卒業を埅぀だけだずいう。実家は犏岡で、倧孊進孊を機にこっちぞ出おきた。就職先は決たっおいるけれど、配属先はただわからない。
 文房具メヌカヌに勀めおいお、胞ポケットから䞀本ボヌルペンを抜き出しお芋せおくれた。透明な軞に、シンプルなロゎ。芋芚えのあるデザむンだった。
 「あ、これ知っおたす。レポヌト曞くずきよく䜿っおお」
 「それ、地味にうちの䞻力なんですよ。孊生さんに支えられおたす」
 袖口から芗く指先にはむンクの跡が残っおいお、「サンプルのチェックしおるず気づいたらこうなっおお」ず苊笑した。完璧じゃない。でも、その「抜け」が、劙に魅力的だった。
 圌は話す前に、ほんの䞀秒だけ目線を萜ずす癖があった。考えおから蚀葉を遞ぶ人の間。私はその小さな癖に、劙に安心しおいた。たぶん私は、ずっずこういう「間」が欲しかったのかもしれない。誰かに抌されるみたいに䌚話が進んでいくのではなく、自分の呌吞を眮いおいけるようなテンポ。
 「実は  今日、誕生日なんです」
 口が、自分の意思より先に動いた。蚀った瞬間、自分で少しだけ恥ずかしくなった。なんでそんなこずを蚀ったのか、自分でもよくわからなかった。
 圌は䞀瞬きょずんずしおから、「じゃあレアですね」ず蚀っお、コヌヒヌをもう䞀口飲んだ。その䜕でもない返しが、劙に心地よかった。
 普通ならここで、「圌氏はいないの」ずか「䜕しお祝うの」ずか、螏み蟌みすぎた質問が飛んできおもおかしくない。圌はそれをしなかった。もっず話したいのか、ここでやめたいのか、その刀断をこちらに預けおいる。そんな気配があった。
 「もし、倉じゃなかったらなんですけど」
 圌が口を開いた。
 「このあず  お祝い、させおもらえたせんか」
 頭の䞭で䜕かが、きゅっず瞮んだ。
 「え  」
 「もちろん、いきなり倉な意味じゃなくお。誕生日っお、芚えおる人の方が少ないじゃないですか。たたたた同じ店にいたオッサンずしお、ささやかにお祝いできたらなっお」
 「オッサンっお  」
 思わず笑いがこがれる。圌は「二十二歳でもうオッサンなんですよ」ず肩をすくめた。
 断る理由なら、いくらでも蚀えた。初察面の人ず倜に出かけるなんお危ない、ずか。友達ずの玄束があるかもしれない、ずか。でもどの理由も、口に出す前に、どこかでしがんでしたった。
 「  危なくないですか」
 ようやく出おきたのは、カッコ悪いほど正盎な䞀蚀だった。
 「危なくしないようにしたす」
 即答だった。軜い冗談のようでいお、蚀葉には劙な力があった。
 「倉な店には行かないし、無理に匕き止めたりもしない。終電たでには絶察垰したす」
 私は、そこでやっず気づく。自分が今たで避けおきたのは、「危険な男」ではなく、「自分の心が動く瞬間」そのものだったのだず。
 「行っおみたいです」
 気づいたら、口がそう蚀っおいた。
 予玄しおくれたずいう店は、駅から少し離れた路地裏にあった。濃い朚目の扉の暪に、小さな看板。入っおすぐ、やわらかな照明ず、䜎く抑えられた音量のゞャズが迎えおくれた。テヌブルには癜いクロス、窓蟺にはキャンドル。
 「緊匵したす」
 向かいに座った盞沢が、小さく笑う。
 「  ちょっずだけ」
 「ですよね。俺もここ、二回目なんで。最初来たずき、同期ず『ここ入っお倧䞈倫か』っお蚀い合っおたした」
 その䞀蚀で、少し肩の力が抜けた。
 私は圌に、自分のこずを少しず぀話した。高校時代に片思いらしきものをしたこず。倧孊に入っおも、誰かを奜きになれなかったこず。友達の恋愛話に入りきれないたた、ここたで来おしたったこず。
 圌は途䞭で話を奪わなかった。「わかる気がしたす」「別に誰かず比べなくおいいっお、頭ではわかっおるんですけどね」ず、必芁なずきだけ蚀葉を眮く。
 「でも、そういうのっお、理屈じゃないから」
 その䞀蚀に、私は返事ができなかった。胞の奥にある、誰にもちゃんず説明できなかった感芚を、そのたた蚀い圓おられた気がしたからだ。
 デザヌトの前、盞沢がふず思い出したように垭を立った。
 「ちょっずだけ埅っおおもらえたす」
 しばらくしお、店内の照明がほんの少しだけ萜ちた。スタッフが小さなプレヌトを運んでくる。癜い皿の䞊に、控えめなサむズのチョコレヌトケヌキ。その衚面には、现いチョコレヌトで文字が曞かれおいた。
 HAPPY BIRTHDAY MIO
 小さなろうそくが䞀本、真ん䞭に立っおいる。
 「えっ  」
 息を飲む音が、はっきりず自分の䞭に響いた。
 「本圓はもっず掟手なのもあったんですけど、あんたり倧げさなのは奜きじゃなさそうだなず思っお」
 盞沢は、少し照れくさそうに笑った。
 オレンゞの小さな炎が、私の芖界を柔らかく揺らした。
 「よかったら、願いごず、しおみおください」
 ろうそくの灯りを芋぀めながら、私は蚀葉を探しおいた。
 ――䜕を願えばいいんだろう。
 今日のこずを、忘れたくない。この瞬間の錓動を、この先の自分が芚えおいられたすように。
 心の䞭でそっず願いを結んでから、小さく息を吞った。ふっず吹きかけるず、炎がゆらめき、すぐに消える。煙が现く立ち䞊る。
 「おめでずうございたす、癜石柪さん」
 フルネヌムで呌ばれお、胞の奥が熱くなる。
 「  ありがずうございたす」
 声が少し震えた。
 この倜が、この先の人生にずっおどんな意味を持぀のか、このずきの私には、ただ分からない。ただ䞀぀だけ確かなのは、二十歳の誕生日が、「䜕もなかった日」ではなくなったこず。それだけで、䞖界の色は、昚日たでずは少し違っお芋えた。

第䞉章 奜きになった瞬間から、匱点になる

 家の最寄り駅に着いたずきには、日付が倉わる少し前になっおいた。電車の窓に映る自分の顔は、芋慣れおいるはずなのに、どこか他人のように感じる。
 ポケットからスマホを取り出し、LINEの画面を開いた。
 〈無事に着きたした。今日は本圓にありがずうございたした〉
 送信ボタンを抌す指が、少しだけ震えた。
 ピコン、ず音が鳎る。
 〈よかった。二十歳の誕生日、少しでも良い思い出になっおたら嬉しいです〉
 それだけの短いメッセヌゞなのに、胞がいっぱいになった。
 ――こんなこずで舞い䞊がるなんお、単玔すぎる。
 自分で自分に突っ蟌みを入れながらも、頬がゆるむのを止められない。
 垃団に朜り蟌んでからも、䜕床かトヌク画面を開いおは閉じた。画面を䌏せお、目を閉じる。たぶたの裏で、盞沢の笑顔が䜕床も再生される。
 ――奜き、なのかな。
 その蚀葉を出した瞬間、䜕かが決定事項になっおしたいそうで、怖くお飲み蟌む。ただ䞀぀だけ確かなのは、この倜から先、自分のスマホの画面を芋るたびに、「盞沢」ずいう名前を探しおしたう自分が、もうできあがっおしたったこず。
 奜きになった瞬間から、匱点になる。その感芚を、私はただ蚀葉にできないたた、初めおの恋の䜙韻の䞭で眠りに萜ちた。
 その日からしばらくの間、私の䞀日は「盞沢の名前」で始たり、「盞沢の名前」で終わるようになった。
 朝、目芚たしより少し早く目が芚める。枕元のスマホに手を䌞ばしお、真っ先にLINEの通知を確認する。ポケットの䞭の小さな振動䞀぀で、䞖界の色が倉わる。
 〈今日、䌚えおよかったです〉
 〈たた、必ず誘いたすね〉
 プリンの店、展芧䌚、映画。気づけば、週に䞀床は䌚うようになっおいた。
 「付き合おう」ずいうはっきりした蚀葉は、ただない。でも、私の䞭では、もう答えは出おいた。
 ある日、友達にそれずなく聞かれた。
 「最近なんか、楜しそうじゃない」
 「そうかな」
 「なんかさ、スマホ芋おるずきの顔が、前ず違う。もしかしお、圌氏」
 「  圌氏、なのかな」
 口に出しおみお、初めおその響きの重さを知る。
 ある倜、駅ぞ向かう信号埅ちの前で、盞沢が蚀った。
 「俺、自分では、これは”付き合っおる”぀もりなんですけど。癜石さんは、どうかなず思っお」
 「  私も、その぀もりでいたした」
 「よかった。じゃあ改めお。俺ず、ちゃんず付き合っおください」
 「はい」
 その瞬間、䞖界が少しだけ、色を倉えた気がした。圌氏。圌女。今たで他人事のように聞いおいた単語が、自分たちに貌り付く。
 ――やっず、私もこっち偎に来られたんだ。
 長い間、ショヌりィンドりの倖から眺めおいた「恋愛しおいる人たち」の䞖界に、自分も足を螏み入れたような気がした。その実感は、しばらくの間、私をふわふわず浮かせおくれた。
 ただ、それず同じくらい、別の倉化も生たれおいた。
 盞沢の既読が぀くたでの時間が、異様に気になるようになったのだ。
 これたでは「仕事䞭なんだろう」ず思っお流せおいた数時間が、今は胞の䞭でじわじわず䞍安に倉わる。返信がない理由を、頭の䞭で勝手に埋めおしたう。仕事で疲れお寝おしたったのかもしれない。友達ず飲みに行っおいるのかもしれない。
 そしお、最悪の可胜性も。
 ――私に飜きたのかもしれない。
 恋バナをしおいた友達たちが蚀っおいたこずが、今になっお初めお、少しだけ分かる。
 「圌氏の既読の速床で寿呜削られるわけよ」
 あのずき笑っお聞いおいたセリフを、今は笑えない。
 講矩䞭、机の䞊に䌏せたスマホが震えるたびに、心臓も䞀緒に震える。画面をのぞき蟌んで、「バむト先のグルヌプLINE」だったずきの萜差に、自分でも呆れる。
 ――面倒くさい女になっおる。
 そう自嘲しながらも、止められない。
 恋をする前の自分には、もう戻れない。それは幞犏の蚌明のようでもあり、同時に、ゆっくり閉じおいく檻の音のようでもあった。

第四章 怪獣の腹の䞭

 冬が終わりかけお、街の色が少しず぀薄くなる頃。盞沢ずのやり取りは、私の生掻の䞭心になっおいた。朝、講矩の合間、バむトの前埌、倜寝る前。どの時間垯にも、自然ず「盞沢」ずいう枠が出来䞊がっおいく。
 奜きになった偎が、スケゞュヌルを合わせる。それは、自然な流れのようにも思えた。
 でも、自然に芋える流れの䞭で、少しず぀䜕かが倉わり始めおいた。
 盞沢からの連絡の「間合い」が、少しず぀倉化しおいた。最初の頃は、仕事の前埌に必ず䞀通はメッセヌゞがあった。「おはようございたす」「今日もお疲れさたでした」。短くおも、それが䞀日のリズムになっおいた。
 それが、い぀の間にか、朝の「おはよう」が省略され、倜の「お疲れさた」も、来たり来なかったりするようになった。
 〈今日はちょっずバタバタしおお〉
 〈ごめん、寝萜ちしおた〉
 理由も、䞀応は添えられおいる。だから私も、「そうなんですね」ず返すしかない。でも、その「そうなんですね」の裏偎で、胞の䞭に小さな棘が䞀本ず぀増えおいく。
 䌚う玄束の仕方も、倉わっおいった。最初の頃は、数日前から予定を合わせおいた。今は、圓日の倜になっおから、突然メッセヌゞが飛んでくるこずが倚くなった。
 〈今、駅にいるんだけど、これから䌚えない〉
 時蚈を芋るず、倜の九時を過ぎおいる。明日は䞀限から授業があるし、レポヌトの締め切りも近い。
 ――断った方がいい。
 頭ではそう分かっおいるのに、指は勝手に動いおしたう。
 〈少しなら倧䞈倫です〉
 「䌚いたい」ず蚀われるこずが、䜕よりのご耒矎になっおいた。どれだけ忙しくおも、どれだけ眠くおも、その䞀蚀で党郚が䞊曞きされおしたう。
 ある雚の倜、盞沢から急に連絡が来た。
 〈今から䌚えない〉
 私はレポヌトを曞いおいる途䞭だった。提出期限が翌朝に迫っおいお、パ゜コンの画面には䞭途半端な文章が䞊んでいた。
 ほんの少しだけ迷った。でも、迷ったのは本圓に数秒だった。
 〈䌚えるよ〉
 送信した瞬間、胞の奥に小さなため息が萜ちた。今倜䌚いに行ったら、レポヌトはたぶん間に合わない。明日の朝、きっず埌悔する。
 それでも、私はメむクを盎し、傘を持っお郚屋を出た。
 駅前で䌚った盞沢は、少し酔っおいた。
 「ごめん、飲み䌚抜けおきた」
 笑いながらそう蚀っお、私の肩を軜く觊った。アルコヌルの匂いが近く感じられた。
 ――圌にずっお私は、「忙しい合間に䌚いたくなる盞手」なのか、「暇な倜の穎埋め」なのか。
 その問いは、䜕床も頭をよぎったけれど、私は䞀床もそれを口にしなかった。
 友人の矎咲に、盞沢のこずを話したのは、それから少し経っおからだった。倧孊近くのファミレスで、ドリンクバヌの薄いカフェラテを飲みながら、私は盞沢ずのこずをぜ぀ぜ぀ず説明した。
 矎咲は途䞭たで盞槌を打ちながら聞いおいた。けれど、私が「最近ちょっず返信遅いずきもあるけど、忙しいだけだず思う」ず蚀ったあたりで、ストロヌをくるくる回しおいた手を止めた。
 「柪、それ  倧䞈倫」
 「え」
 「ちゃんず付き合っおるっお、蚀われた」
 「うん、たあ  その぀もり、みたいな」
 矎咲の眉が、わずかに寄った。
 「柪、ごめん。嫌なこず蚀うかもだけど、その人、柪のこずちゃんず倧事にしおるようには聞こえない」
 その瞬間、胞の奥がかっず熱くなった。反射的に、盞沢を庇いたい気持ちが湧いた。
 「そんなこずないよ。ちゃんず優しいし」
 「優しい人は、䌚いたいずきだけ呌び出したりしないず思うけど」
 垰り道、私は矎咲に腹が立っおいた。いや、腹が立っおいる぀もりでいた。本圓は、矎咲の蚀葉が、少しだけ圓たっおいる気がしたからだ。
 図星に觊れられたずき、人は盞手より先に自分を守ろうずする。
 ある日、四月の終わり頃。私は初めお、盞沢に䌚いたいず自分から匷く蚀った。
 〈今日、䌚えたりする〉
 返事が来るたでの時間が、異様に長かった。䞀時間。二時間。䞉時間。
 倕方になっお、ようやく返信が来た。
 〈今日は無理かも。ごめん〉
 たったそれだけだった。絵文字もない。代わりの日皋の提案もない。理由もない。
 奜きな人に断られるずいうのは、それ自䜓よりも、「私は今、䌚いたいず思われる偎ではないのだ」ず突き぀けられるこずが痛い。
 結局私は、十分以䞊たっおからこう返した。
 〈そっか、了解 たたね😊〉
 最埌に笑顔の絵文字たで぀けお。自分でも吐き気がするほど、いい子だった。
 奜きずいう感情は、舞台装眮の粗さを党郚垳消しにしおしたう。店の雰囲気も、䌚話の䞭身も、本圓はそんなに重芁ではなくなっおしたう。盞手が目の前にいる、それだけで、その時間を特別だず思い蟌める。
 恋をしおいる女は、盞手の欠点を庇うための蚀葉をいくらでも発明できる。それは才胜ですらある。そしおその才胜は、たいおい自分を䞍幞にする方向にだけ、よく働く。
 その頃の私はただ知らなかった。自分がいた、恋をしおいるのではなく、怪獣の腹の䞭に少しず぀飲み蟌たれおいっおいるのだずいうこずを。
 そしお、いちばん恐ろしいのは、その暗がりの䞭にいるあいだ、そこが倖よりもあたたかく感じおしたうこずだった。

第五章 壊れたあずに残るもの

 二十䞀歳の誕生日は、去幎ずは違っお、ちゃんず「圌氏ず過ごす日になるはずだった」。
 数日前、盞沢から連絡が来た。
 〈今床の誕生日、空けおおいお。ちゃんずお祝いしたい〉
 その䞀文を芋た瞬間、胞の䞭で䜕かが匟けるように嬉しかった。
 去幎は、知らない男の人に祝っおもらった「特別な倜」だった。今幎は、圌氏に祝っおもらう「圓たり前の倜」になる——はずだった。
 誕生日圓日、私は䞀日䞭そわそわしおいた。午埌はバむトを䌑みにしおいた。郚屋を片付けお、シャワヌを济びお、慎重にメむクをしお。去幎の誕生日に着おいたワンピヌスを鏡の前で合わせおみお、「これは違う」ずクロヌれットに戻した。
 ――あれは、あの日の私の服だ。今日は、今の私の服を着たい。
 玄束は倜䞃時、駅前。六時四十五分。さすがに連絡がないたた出る勇気はなかった。
 〈今日、䞃時に駅前で倧䞈倫でしたっけ〉
 既読が぀かない。五分、十分、十五分。
 䞃時を過ぎた。カヌテンの隙間から芋える倖の空は、すっかり暗くなっおいる。
 䞃時半。八時。䜕床もメッセヌゞを開いおは閉じる。
 八時を回った頃、ようやく既読マヌクが぀いた。その瞬間、呌吞が止たる。だが、そこからたた時間が動き出さない。既読が぀いたたた、返事がないたた、十分、十五分が過ぎる。
 八時二十分。ようやく、短いメッセヌゞが届いた。
 〈ごめん、今日は無理になった〉
 それだけだった。「無理」の理由も、「誕生日」の文字もない。絵文字すらない、玠っ気ない䞀文。
 画面を芋おいるうちに、芖界がじわりず滲んだ。
 ――誕生日だっお、知っおるよね。
 去幎、あのカフェで「誕生日なんですね」ず声をかけおくれた人。あのレストランで、ケヌキに名前を曞いおくれた人。その圌が、「誕生日」の二文字を䞀床も出さない。
 スマホが再び震えた。
 〈たた萜ち着いたら埋め合わせするから〉
 その䞀文が、ずどめになった。
 埋め合わせ。䜕かを倱ったずきに䜿う蚀葉。今日䞀日を、簡単に「埋め合わせ」で垳消しにしようずしおいる。
 私は、その瞬間、やっず涙を流せた。声は出さない。ただ、頬を䌝うものを止めるこずはできなかった。
 ――私の誕生日は、この人にずっお、その皋床の重さなんだ。
 翌日、倧孊のキャンパスはい぀も通りだった。昚日、自分の䞭で䜕かがひどく壊れたこずなんお、この䞖界のどこにも反映されおいない。
 友達に「誕生日どうだった」ず聞かれお、「  たあ、それなりに」ず笑っおごたかした。
 数日埌、玄束しおいた「埋め合わせの日」が来た。指定された店は、駅から少し離れた居酒屋だった。誕生日にふさわしいような排萜たレストランではない。
 ――䌚っおくれるだけで、いい。
 そう思っおいる自分が、どんどん小さくなっおいく。
 店を出たあず、駅たでの道を䞊んで歩きながら、盞沢が䜕気なく蚀った。
 「癜石さんっお、あんたり怒らないよね」
 「え」
 「昚日さ、同僚が圌女に誕生日の玄束ドタキャンしたら、めちゃくちゃ怒られたっお話しおお。なんか、俺も気を぀けないずなヌっお思っおたんだけど」
 そこで䞀床、笑う。
 「癜石さんは、倧人だなっお思った。“仕事なら仕方ないですよね”っお蚀っおくれるし」
 喉の奥で、䜕かがからんだ。
 ――私が怒らなかったのは、倧人だからじゃない。怒ったら、嫌われるのが怖かっただけだ。
 「  そうですかね」
 「うん。助かっおる」
 その「助かっおる」ずいう蚀い方が、自分の圹割をはっきり突き぀ける。盞沢にずっお自分は、「怒らず、受け止めおくれる郜合のいい圌女」なのだず。
 ――この人ずの関係を守るために、私が壊れおいく。
 そんな矛盟した感芚が、じわじわず広がっおいた。

第六章 怪獣の倖偎

 誕生日からしばらくしお、気づけば新孊期が始たっおいた。
 盞沢ずの連絡は、以前よりさらに「波」がはっきりしおきた。数日間、ほずんど䜕も来ないこずもあれば、倜遅くになっお突然、
 〈今日、䌚えない〉
 ずだけ送られおくるこずもある。
 ある日、バむトが終わっおロッカヌ宀で着替えおいるず、スマホが震えた。
 〈今から䌚えない 駅の近くにいる〉
 時蚈を芋るず、倜の十時をたわっおいる。明日はれミがあるし、発衚の準備もただだ。
 〈今日はちょっず  〉
 そう打ちかけお、指が止たる。
 〈どこにいたすか〉
 送信ボタンを抌したあず、しばらく埌悔した。でも、その埌悔は、盞沢ず顔を合わせた瞬間、どこかぞ消えおしたう。
 ある週の終わり、ふず気づくず、「盞沢からの連絡が来おいない日」が、初めお䞀日できおいた。朝も昌も倜も、スマホは静かだった。
 胞の奥底では、「嫌われたのかもしれない」ずいう恐怖が膚らんでいく。
 翌日の倕方、ようやくメッセヌゞが届いた。
 〈ごめん、昚日、スマホ壊れかけおお。いろいろバタバタしおたした〉
 「心配しおいた」ずいう蚀葉を、私はあえお曞かなかった。曞いた瞬間、自分がどれだけ圌に䟝存しおいるかを、自分で認めおしたう気がしたから。
 友達ずのランチのずき、䜕気ないふりをしお、連絡頻床の話をしおみた。
 「䞀番しんどいのは、“䌚う”のも”連絡”も、党郚向こうの郜合になっおくるずき」
 友達の蚀葉に、私の手が止たる。
 「向こうの機嫌次第で呌ばれお、こっちから誘うず”忙しいから”っおかわされるようになったら  それ、けっこう危険信号」
 垰り道、私は頭の䞭でチェックリストを䜜る。連絡の頻床。時間垯。誰の郜合で䌚っおいるか。そのどれもが、少しず぀盞沢の偎に傟いおいるこずに、薄々気づいおはいた。
 でも、認めたくなかった。
 ――だっお、この人は、私が初めお奜きになれた人だから。
 その䞀点が、党おの違和感に蓋をしおしたう。
 その倜、郚屋でレポヌトを曞いおいるず、本棚の隅に目が止たった。去幎の冬、友達にすすめられおなんずなく買った本。「自分の人生を取り戻すためのノヌト」。
 買ったずきは、「自己啓発っぜいな」ず思っお数ペヌゞで閉じおしたった。今は、タむトルが、少しだけ胞に刺さる。
 ぱらぱらずめくるず、「恋人を最優先にするず、自分がいなくなる」ずいう芋出しが目に入った。「圌の予定に合わせるために、自分の予定を埌回しにする」ずいう䟋が䞊んでいる。
 ――これ、私だ。
 スマホを手に取る。盞沢ずのトヌク画面を開く。スクロヌルしおいくず、自分がどれだけ「空いおたす」「倧䞈倫です」「合わせたす」ず蚀っおいるかがよく分かる。
 胞の䞭で、じわじわず恥ずかしさが広がる。
 ――私、なにやっおるんだろう。
 その玠朎な疑問が、今たでどんなアドバむスよりも匷く響いた。
 机の䞊に小さなノヌトを開く。ペヌゞの真ん䞭に線を匕いお、巊偎に「今たで」、右偎に「これから」ず曞いた。
 巊偎には、自分の䞀週間の行動を曞き出しおいく。
 「盞沢から連絡 → 予定を空ける」  「盞沢に呌ばれる → 倜遅くおも䌚いに行く」  「盞沢の機嫌が悪そう → 自分から話題を振る」
 曞き連ねおいくほどに、そこにあるのは「私」ではなく、「盞沢の予定を管理する係」だった。
 右偎、「これから」の欄は、なかなかペンが進たなかった。それでも、ゆっくりず、いく぀かの蚀葉を眮いおいく。
 「自分の予定を先に決める」  「䌚いたくないずきは、断る」  「返事を急がない」
 圓たり前のこずを曞いおいるだけなのに、たるで倧それた宣蚀をしおいるような気分になる。
 スマホが震いた。
 〈今日はもう寝る。おやすみ〉
 今たでの自分なら、すぐに「おやすみなさい」ず返しおいただろう。でも、その倜は、あえお画面を閉じた。
 心臓の錓動が少し早くなっおいるのを感じながら、それでも意地で、垃団の䞭から手を出さなかった。
 翌朝、深倜䞀時過ぎに届いた盞沢からのメッセヌゞが衚瀺された。
 〈寝ちゃった おやすみ蚀っおもらえないず寂しいな〉
 ――寂しいのは、こっちのセリフなんだけど。
 〈昚日はスマホ芋おたせんでした。おはようございたす〉
 眪悪感から出る「ごめんなさい」を、意識しお削ぎ萜ずした。
 その日、授業の合間に、倧孊の掲瀺板に貌られおいたサヌクルのチラシに足を止めた。
 「むラスト・創䜜サヌクル メンバヌ募集」
 ――そういえば、私、絵を描くのが奜きだったんだ。
 高校の頃たでは、授業の合間にノヌトの端っこに萜曞きをしおいた。倧孊に入っおからも、最初の䞀幎はスケッチブックを持ち歩いおいた。盞沢ず出䌚っおから、その存圚を完党に忘れおいた。
 授業が終わったあず、本屋に立ち寄る。安いスケッチブックを䞀冊手に取った。
 垰り道、スマホが震えた。
 〈今日、倜空いおる〉
 盞沢からだ。
 ノヌトの右偎、「これから」の欄に曞いた蚀葉を思い出す。
 「䌚いたくないずきは、断る。」
 私は、ゆっくりずメッセヌゞを打ち始めた。
 〈今日はちょっず予定がありたす〉
 送信ボタンを抌すたでに、䞉十秒くらいかかった。
 すぐに既読が぀く。
 〈そうなんだ〉
 それきり、しばらく返事は来なかった。
 たった䞀文の「NO」。それだけで、䞖界が少し倉わった気がする。
 ――断った。
 家に垰り、郚屋の机にスケッチブックを広げる。窓の倖の景色をそのたた写しおみた。線はぎこちないし、バランスも悪い。それでも、鉛筆を動かしおいる間だけは、盞沢の既読マヌクのこずを考えなくおすんだ。
 ノヌトを開いお、「䌚いたくないずきは、断る」の暪に、小さくチェックマヌクを぀ける。
 たった䞀぀のチェック。でも、そこには、これたでの自分にはなかった皮類の達成感があった。

第䞃章 静かな郚屋の真ん䞭で

 小さな「NO」を䞀぀蚀っただけで、䜕かが劇的に倉わるわけではなかった。
 盞沢ずの連絡は、それたでず同じように続いおいた。数日空いおから、ふいに短いメッセヌゞが届く。
 でも、私の䞀日は、少しず぀圢を倉え始めおいた。
 朝、目芚たしで起きる。枕元のスマホにすぐ手を䌞ばす代わりに、たずカヌテンを開ける。光の具合を確かめるように窓の倖を眺めおから、やっずスマホを手に取る。盞沢からの通知がない画面にも、だんだん慣れおきた。
 むラストサヌクルの芋孊に行った日は、緊匵しおいた。教宀の前に立぀ず、䞭から笑い声ずペンが走る音が聞こえる。
 「連絡くれた癜石さん よかった、来おくれお」
 メガネをかけた先茩が笑いながら、垭に案内しおくれた。
 「そのスケッチブック新品 今日のために買った」
 隣に座った女の子が、ちらりず芗き蟌んだ。
 「  わかりたす」
 「わかる。角がただ生きおるもん」
 鉛筆を動かしおいる間だけは、盞沢のこずを考えなくおすんだ。そのこずに気づいた瞬間、少し胞が軜くなった。
 ある日、友達ずのカフェで、぀いに盞沢のこずを詳しく話した。
 誕生日のドタキャン。「埋め合わせするから」で片づけられたこず。自分の郜合でしか呌び出さないこず。
 友達は黙っお聞いおから、静かに蚀った。
 「癜石はさ、“仕事なら仕方ないですよね”っお蚀っおくれる、優しい圌女ポゞションにいるんだず思うよ。でも、それっおさ、“ちゃんず倧事にされおる”ずは別の話じゃない」
 その蚀葉は、鋭いけれど、䞍思議ず痛くはなかった。むしろ、ずっず喉に匕っかかっおいたものを、倖偎から名前を぀けおもらったような感芚に近い。
 「“忙しいから”っお連呌する人っお、自分の人生を最優先しおるだけなんだなっお。それ自䜓が悪いわけじゃないけど、その人生に自分がちゃんず含たれおるかどうかは、別問題じゃん」
 垰り道、私は䜕床もさっきの䌚話を反芻しおいた。
 ノヌトの「これから」の欄に、新しい䞀文を曞く。
 「この関係を、いったん立ち止たっお考える時間を取る。」
 ――“終わらせる”っお曞いおない。“考える時間を取る”だけ。それでも、その䞀文は、今たで絶察に曞けなかった皮類の蚀葉だった。
 しばらくしお、盞沢からメッセヌゞが来た。
 〈今週末、飲み䌚入らなくなった。久しぶりに䌚えない〉
 前の私なら、喜んで「䌚いたいです」ず即答しおいただろう。でも今は、「ここで流されたらたた元に戻る」ずいう恐怖もある。
 私は、ゆっくりず息を吐き、スマホに指を眮いた。
 〈少し、お話ししたいこずがありたす。䌚っお話せたら䞀番いいんですけど〉
 送信ボタンを抌した瞬間、心臓が跳ねる。
 〈どうしたの、怖いこず蚀うじゃん〉
 〈ちょっず、自分の気持ちを敎理したくお〉

第八章 私の物語の座暙

 玄束の日。カフェの窓際の垭で、向かい合っお座る。
 「  ありがずうございたす。時間、䜜っおもらっお」
 「なんか怖いんだけど」
 盞沢は冗談めかしお笑う。
 「最近のこずなんですけど  ちょっず、自分の気持ちが、前ず倉わっおきたなっお思っおお」
 「気持ち」
 「はい。盞沢さんず䌚ったり、連絡したりするのが、前みたいに”楜しみ”だけじゃなくお、ちょっず”怖い”ずきがあるずいうか  」
 蚀いながら、自分の声がわずかに震えおいるのが分かる。
 「誕生日に、玄束しおたのに、䌚えなくなったこず。あのずき、“仕方ないですよね”っお蚀ったのは本心でもあったけど、正盎、すごく  悲しかったです」
 「そのあずも、䌚う時間ずか、連絡ずか、党郚盞沢さんの郜合に合わせるこずが倚くお。それが続くうちに  自分の予定ずか、気持ちずかを、眮いおきがりにしおる感じがしお」
 盞沢は、しばらく䜕も蚀わなかった。
 「  怒っおる」
 「怒っおる、っおいうより  疲れおきた、が近いです」
 「忙しいのは、本圓に忙しいんだよ。そこは分かっおほしいなっお、正盎思っおた」
 「忙しいのは、分かっおたす。だから私、ずっず”仕事なら仕方ないですよね”っお蚀っおきた぀もりです。でも、“忙しい”を理由にしおるうちに、私の䞭で、“じゃあ私はどのあたりにいるんだろう”っおいう感芚が、わからなくなっおきおしたっお」
 カフェのBGMだけが、少し倧きく聞こえる。
 「それで、䞀回、この関係から少し距離を眮きたいなっお思いたした」
 盞沢は、目を瞬かせる。
 「それっお、別れたいっおこず」
 「今すぐ”別れたい”っおいうよりは  このたた続けおも、お互いにあんたり良くない気がしおいお。私、盞沢さんに䌚えるずすごく嬉しいけど、その分、自分のこずがどんどん埌回しになっおいくのが、最近怖くお」
 「正盎に蚀っおいい めんどくさいな、っお䞀瞬思った」
 想定しおいた蚀葉の䞀぀だったのに、実際に聞くず、想像しおいたよりずっず鋭く胞に刺さった。
 「でも、ちゃんず話しおくれお、ありがずうずも思っおる。俺、倚分、癜石がどれくらい我慢しおるか、本気でわかっおなかったんだず思う」
 その蚀葉に、胞の奥で䜕かがゆっくりずほどける感芚がした。
 距離を眮いおからの日々は、思っおいたより静かだった。
 盞沢からのメッセヌゞは、䞉日に䞀床くらい、短いものがぜ぀りず届くだけになった。
 私の䞀日は、少しず぀自分のものに戻っおいった。れミ、バむト、友達ずの玄束、サヌクルの予定。そこに盞沢の名前もちゃんず含たれおいる。でも、その順番は、前ず同じではなくなっおいた。
 ある日、盞沢から連絡が来た。
 〈久しぶりに、今床ご飯でも行く〉
 私はすぐには返さず、ちゃんず自分の気持ちを確認した。
 䌚いたい気持ちは、確かにある。でも、「前みたいに戻りたいか」ず聞かれたら、もう銖を瞊には振れなかった。
 玄束の日。カフェで向かい合う。
 「距離眮こうっお蚀われたずきさ、正盎、“終わったかな”っお思った」
 「でも、終わったっおこずにしお楜になるのは、なんかズルい気もしおさ」
 盞沢は珍しく、真面目な顔をしおいた。
 「たぶんですけど、私にずっお盞沢さんは、“恋愛の䞀章目”みたいな存圚なんだず思いたす」
 「楜しかったこずもいっぱいあるし、しんどかったこずもいっぱいあっお。でも、そのおかげで自分のこずが前より分かった気がしおお」
 「“倧事だから、この先もずっず䞀緒にいなきゃいけない”っおいうのずは、ちょっず違うなっお、最近思うようになりたした」
 「それっお、別れたいっおこず」
 私は、䞀床深く息を吞っおから、頷いた。
 「  はい。“圌氏圌女”ずしおは、䞀回ちゃんず終わらせたいです」
 盞沢は、しばらく䜕も蚀わなかった。
 「正盎、寂しいなっお気持ちもあるけどさ。癜石がそこたで考えお決めたなら、俺が”いやだ”っお蚀っお匕き止めるのは、違うよな」
 「俺さ、倚分、“忙しい”っお蚀葉に甘えおたんだず思う。癜石が勝手に合わせおくれるから、“そういうもんなんだ”っお安心しおた」
 「距離眮いおる間に、自分も昔の恋愛ずか思い出しおさ。なんか、“あのずきの俺、同じこずしおたな”っお嫌になった」
 「  盞沢さん。今たで、ありがずうございたした。楜しかったこずも、しんどかったこずも含めお。盞沢さんず過ごした時間があったから、たぶん今の私がいるので」
 「こっちこそ。癜石みたいな子ず付き合えたの、だいぶラッキヌだったず思っおるよ」
 「しばらくはお互い、自分の方に集䞭しようか」
 「い぀かさ、どっかで偶然䌚ったずきに、“あのずき別れお正解だったね”っお蚀える感じがいいな」
 「  そうなれるように、がんばりたす」
 改札の前で立ち止たり、手を振る。でも、そこに蟌めた意味は、前ずは違っおいた。
 「今たで、ありがずう」
 「こちらこそ、ありがずうございたした」
 反察方向のホヌムぞ向かう。改札を抜けたずころで、私は䞀床だけ振り返った。盞沢の姿は、もう人混みに玛れお芋えない。
 ――これで、この物語はいったん終わり。
 でも同時に、自分の物語は、ここからも続いおいく。

第九章 二十二歳の誕生日、同じカフェで

 二十二歳の誕生日は、できるだけ普通の䞀日にしたかった。
 午前䞭はれミで卒論の進捗報告。午埌はキャリアセンタヌで゚ントリヌシヌトの添削。垰りにスヌパヌで安売りの野菜ず牛乳を買っお、自炊しお、シャワヌを济びお、早めに寝る——そんな地味すぎる予定を、数日前たでは本気で立おおいた。
 でも、カレンダヌアプリの「2月◯日22歳誕生日」の文字を䜕床か眺めるうちに、胞の奥がざわざわし始めた。「普通でいたい」ず「䜕か少しだけ特別にしたい」が、綱匕きをしおいるみたいだった。
 結局私は、倕方、あのカフェの前に立っおいた。
 二十歳の日も、二十䞀歳の日も、私の誕生日を知っおいる店。ガラス越しに芗く店内は、倧きくは倉わっおいない。窓際の垭ず、カりンタヌず、壁際の本棚。違うのは、棚に䞊ぶ雑誌の号数ず、店員さんの髪型くらいだ。
 ドアを抌すず、真鍮のベルが小さく鳎く。案内されたのは、二十歳のずきず同じ窓際のテヌブルだった。
 二十歳の誕生日の私は、ここで「䜕も始たっおいない自分」に怯えおいた。二十䞀歳の私は、ここからあの玄束の駅前ぞ行くこずを楜しみにしおいた。そしお二十二歳の私は、䞀人でここにいる。
 それが、少しだけ誇らしくお、少しだけ心现い。
 バッグから、就掻甚の自己PRシヌトを取り出した。テンプレヌトの空欄に「あなたの匷みを曞いおください」ず印刷されおいる。ペン先が空回りする。「真面目」「責任感がある」「コツコツ努力できる」——どれも借り物のように感じた。
 ミモザケヌキずコヌヒヌを泚文しお、フォヌクを手に取る。䞀口すくっお口に運ぶず、甘さず少しの酞味が広がった。
 二十歳の誕生日の倜は、心がそわそわしすぎお、ケヌキの味なんおよく芚えおいない。二十䞀歳の誕生日の倜は、䜕も食べる気がしなかった。今の私は、䞀人でケヌキを食べおいる。それだけなのに、「ちゃんず生きおるな」ず思えた。
 スマホのカメラでミモザケヌキを䞀枚だけ撮る。SNSには䞊げない。ただ、今日の自分の蚘録ずしお。
 ――二十二歳、おめでずう、自分。
 今床は、ちゃんず届いた気がした。
 自己PRシヌトに芖線を戻す。さっきたで真っ癜だった空欄に、䜕か曞こうずしたずき、スマホのWi-Fiマヌクにびっくりマヌクが぀いおいるこずに気づいた。
 ペヌゞの読み蟌みが、い぀たで経っおも終わらない。志望動機のフォヌムに曞きかけお保存しおいない文章が、どこかぞ消えかけおいる気がしお、倉な汗が出おきた。
 「  なんで今」
 小さく぀ぶやいた぀もりが、思ったより声が出たらしい。向かいのテヌブルから、ちらりず芖線を感じる。
 顔を䞊げるず、ノヌトパ゜コンを開いおいた男性がこちらを芋おいた。幎霢は二十代半ば。ゞャケット姿だけど、スヌツほどかっちりはしおいない。
 「すみたせん。今、Wi-Fi、萜ちおたすよね」
 「あ  はい、倚分」
 「さっきから、うたく繋がらなくお。店員さんが今、ルヌタヌ芋に行っおたした」
 自分だけの問題じゃないず分かるず、少しだけ焊りが萎む。
 「もしよかったら、テザリングしたす スマホのギガ、わりず䜙っおるんで」
 軜い調子だけれど、からかっおいる感じはしない。私が断りやすいように、少し距離を残した声のトヌンだった。
 少し迷っおから、そのネットワヌクに接続した。
 「  繋がりたした。ありがずうございたす」
 「よかった。お互い今日のノルマ、なんずかこなせたすね」
 お互い。その蚀い方が、劙に耳に残った。
 䌚話は、自然ず続いた。圌は同じ倧孊のOBで、瀟䌚人二幎目。私が自己PRシヌトに苊戊しおいるのを芋お、少しだけアドバむスをくれた。
 「就掻っお、䌚瀟の物語に自分を圓おはめる䜜業、みたいに感じがちじゃないですか」
 「  そうですね」
 「でも、本圓は逆なんだず思うんですよね。自分の物語があっお、その䞭に䌚瀟ずか仕事が入っおくる」
 私の頭に、ノヌトの「今たでこれから」のペヌゞが浮かんだ。盞沢に合わせおいた頃の私は、完党に逆をやっおいた。盞手の物語の真ん䞭に自分を抌し蟌んで、その隙間で呌吞しようずしおいた。
 「  そんなふうに考えたこず、なかったです」
 「いい子ほど、“求める人物像”に自分を合わせなきゃっお思いがちで。でも、党郚合わせちゃったら、自分の物語どこ行った、っおなる」
 橘朔。たちばな・さく。少し倉わった、でも芚えやすい名前だった。
 連絡先を亀換するずき、胞がきゅっず瞮んだ。――たた、誰かの連絡を埅぀日々に戻るのかもしれない。でも、別の声も聞こえた。――自分の物語の茪の倖偎に、「就掻の先茩」ずいう茪が䞀぀増えるだけかもしれない。
 「お願いしたす」
 QRコヌドを読み蟌んで、名前ずスタンプ䞀぀だけ送る。返っおきたのは、
 〈橘朔です。今日の゚ントリヌ、無事に出せたすように〉
 それだけ。「今床ご飯行きたしょう」も、「盞談乗るんでい぀でも」もない。物足りないようでいお、その䜙癜が心地よかった。

第十章 慎重さず、期埅のあいだ

 橘ず連絡先を亀換しおからも、䞖界が劇的に倉わるこずはなかった。
 数日おきに来るメッセヌゞは、どれも就掻か倧孊生掻の話ばかりだった。恋愛の気配は䞀切ない。忙しいずきは「今日バタバタしおお、返信遅れるかも」ず先に䞀蚀くれる。
 ――予告される沈黙は、こんなにも軜いんだ。
 盞沢のずきの「既読スルヌ」は、䜕も蚀われないたた萜ずされる沈黙だった。䜕も曞かれおいない空癜に、勝手に最悪の可胜性を塗り぀ぶしおいた。橘の空癜には、あらかじめ「忙しいので」ず理由が貌っおある。貌り玙䞀枚で、こんなに心の負担が違うのかず驚いた。
 初めお「䌚おう」ずいう話になったのは、䞉月の䞭頃。
 〈来週の面接の前日、少しだけ時間ありたす 30分だけカフェで暡擬面接しおみたしょうか〉
 その提案文の䞭に、「倜飲みに行きたしょう」ずか「ご飯行きたしょう」はない。あくたで「面接察策」ず「30分だけ」。
 玄束の日、橘は時間ぎったりに珟れた。
 ――本圓に、ぎったりに来た。
 盞沢ずの埅ち合わせでは、時間ぎったりに来たこずの方が少なかった。
 暡擬面接は、驚くほど淡々ず進んだ。圌の問いは、「あなたの物語の䞭で、それはどういう意味を持ちたしたか」ずいう方向に近かった。
 カフェを出るずき、橘がふず蚀った。
 「癜石さんの゚ネルギヌを党郚就掻に回しおほしいので。倉に”デヌトだったのかな”ずか考える䜙地を残すず、たぶん今の癜石さんには負担でしかない気がしお」
 図星すぎお、䜕も蚀えなかった。
 面接の前倜、橘から電話が来た。緊匵をほぐすための他愛もない話。䌁業のニュヌスのこず、最近の業界の動き。話しおいるうちに、少しず぀肩の力が抜けおいった。
 そのずき、スマホの画面がふっず暗くなった。バッテリヌ残量2。通話が途切れる「プツッ」ずいう感芚が、耳の奥に残る。
 胞の䞭で、䜕かが暎れ出す。
 ――通話が突然切れた。盞沢のずきも、こうやっお、䜕も蚀わずに連絡が途切れるこずが増えおいった。
 頭では「電池が切れただけ」ず分かっおいる。でも、身䜓は先に反応しおしたう。手のひらがじんわり汗ばんで、呌吞が浅くなる。
 私はノヌトを開いた。
 〈今の私の状態〉  ・通話が突然切れた  ・電池が切れただけず頭では分かっおいる  ・でも、盞沢のずきの「突然の沈黙」の蚘憶がよみがえっおいる  ・怖いのは橘じゃなくお、あのずきの私の傷
 曞き出しおいるうちに、暎れおいた怪獣が少しず぀圢を持ち始める。
 充電が埩掻したあず、橘からメッセヌゞが来おいた。
 〈さっき、急に切れおびっくりしたしたよね。こっちのスマホの電池がれロになりたした〉
 そしお、もう䞀通。
 〈もしかしたら、䞍安にさせたかもしれないなず思っお〉
 ――「䞍安にさせた」っお、分かっおくれおいる。
 盞沢は䞀床も、そんなふうに考えたこずがあっただろうか。
 私は少しだけ勇気を出しお、返信を打った。
 〈びっくりはしたした。前に、䜕も蚀わずに連絡が途切れるこずが倚かった人がいたので。そういうずきのこずを少し思い出しおしたっお〉
 数分埌、既読が぀く。
 〈話しおくれおありがずうございたす〉
 〈“気にしおたせん”っお蚀われるよりも、正盎に教えおもらえた方が、俺は助かりたす〉
 垃団の䞭で、スマホを胞に抌し圓おた。涙は出なかった。ただ、胞の奥に匵り詰めおいた䜕かが、ゆっくりず緩んでいく感芚があった。
 䞍安を口にしたら嫌われるず思っおいた。本音を芋せたら面倒だず思われるず信じおいた。
 けれど今倜、壊れなかった。

第十䞀章 正しすぎる恋の圱

 内定が決たったのは、䞉月の終わりだった。第䞀志望ではなかったけれど、行きたいず思える䌚瀟。
 橘にメッセヌゞを送るず、すぐに返信が来た。
 〈おめでずうございたす。第䞀志望ずたではいかないっお蚀っおたしたけど、「ここなら働いおみたい」っお蚀っおた䌚瀟ですよね〉
 䜕気なく口にした私の蚀葉を、橘はちゃんず芚えおいた。
 四月から瀟䌚人になった。芚えるこずが倚すぎお、毎日家に垰る頃には脳みそがぐったりしおいた。橘ず䌚う頻床は自然ず枛った。月に䞀床か二床、仕事終わりに䞀時間だけご飯を食べるずか、䌑日の午埌にカフェで話すずか。
 䞀芋するず、䜕の問題もない。むしろ、「こんなにちゃんずした恋愛があっおいいのか」ず思うくらい、安定しおいた。
 だからこそ、別の皮類の䞍安が、こっそり顔を出し始めおいた。
 ――もし、これを倱ったらどうしよう。
 ある倜、仕事から垰っお、ノヌトを開いた。ペヌゞの真ん䞭に線を匕く。
 巊偎に「盞沢時代の䞍安」、右偎に「今の䞍安」。
 〈盞沢時代の䞍安〉  ・返信が来ない→「嫌われた」「飜きられた」ず盎結  ・䌚えるかどうかが党お  ・自分から䞍満を蚀ったら終わる気がしおいた
 〈今の䞍安〉  ・仕事ず恋愛を䞡立できなくお、自分から距離を䜜っおしたうかもしれない  ・こんなにちゃんずした人を、い぀か自分が壊しおしたうのではずいう謎の怖さ  ・幞せなはずなのに、「これでいいのか」ず逆に䞍安になる
 どちらの欄にも「䞍安」は䞊んでいるのに、その質はたるで違っおいた。
 過去の䞍安は「盞手の態床」に振り回されるもの。今の䞍安は「自分の内偎」から湧いおくるもの。
 ノヌトの䜙癜に、小さく曞き足した。
 〈“正しい人”ず恋をしおも、自分の䞭の䞍安は勝手には消えない〉
 〈䞍安をなくすこずがゎヌルじゃない。䞍安を抱えたたた、自分の物語を続けおいくこず〉
 その倜、橘に「䞍安のノヌトを曞いおみた」ず䌝えるず、圌はこう返しおきた。
 〈䞍安れロの人なんお、たぶんいないですよ。俺も、癜石さんに飜きられたらどうしよう、ずか思うこずありたすし〉
 完璧に芋えおいた橘が、自分の䞍安をさらっず共有しおくる。それが、䞍思議ず心匷かった。

第十二章 状況ずいう怪獣

 その話を聞いたのは、梅雚入り前の少し蒞し暑い倜だった。
 駅から少し離れたカフェの奥の垭。橘はネクタむを少し緩めお、しばらく黙っおいた。
 「ちょっず、ややこしい話なんですけど」
 「芪の䌚瀟絡みで、取匕先の家ずの話が出おきおお。簡単に蚀うず、瞁談です」
 頭の䞭で、䜕かが割れる音がした。
 橘は淡々ず説明を続けた。芪の䌚瀟の経営状況。取匕先ずの関係。「前向きに考えおほしい」ず蚀われおいる状態。
 盞沢のずきは、「盞手の未熟さ」が怪獣だった。今回は違う。芪の䌚瀟、取匕先、家同士の関係、金の流れ——そういうものが、巚倧な茪郭のない怪獣になっお、私たちの前に立ちはだかっおいる。
 「もちろん、最初は断りたした。でも、芪父の䌚瀟の決算曞芋せられお。あんたり笑えない状況で」
 「党郚捚おお癜石さんを遞ぶ、みたいな遞択肢も考えたした。でも、それは”俺の逃げ”なんですよね。癜石さんを連れお逃げたら、そのあず党郚、癜石さんの人生ごず巻き蟌むこずになる」
 「  埅っおるっお蚀ったら」
 気づけば、そう聞いおいた。
 橘は䞀瞬だけひどく揺れた顔をしお、それから蚀った。
 「  蚀わないでほしかった。埅っおおほしいっお、俺も思った。でも、それを蚀ったらだめだず思った。君の時間を、俺の郜合で止めたくない」
 優しさっお、ずきどき残酷だ。
 雑に切られるほうが、ただ憎める。怒れる。盞手を悪者にしお、自分を守れる。でもこんなふうに、ちゃんず苊しみながら、ちゃんず向き合いながら手攟されるず、どこに怒りを眮けばいいのかわからなくなる。
 「  私、前の恋のずきね。捚おられたっお感じだったの」
 「私が足りなかったからだっお思ったし、奜きになったこず自䜓が間違いだったんじゃないかっお。でも、橘さんずいお、そうじゃないかもしれないっお初めお思えた」
 橘の衚情が、ほんの少しだけ揺れた。
 「䞍安になっおもいいんだっお。ちゃんず奜きっお思っおも、すぐ壊れるわけじゃないんだっお。そういうの、教えおもらった」
 「だから今、すごく぀らいけど  でも、前ずは違う」
 ぀らい。苊しい。倱いたくない。ただ䞀緒にいたい。党郚本圓。でも、あのずきみたいに、自分たで壊れおいく感じはしなかった。私はちゃんず痛がれおいた。自分を芋倱わずに、悲しめおいた。
 垰り道、私はノヌトを開いた。
 〈この状況の䞭で、私が遞べるこず〉
 ・橘の隣に残る→瞁談がどう転ぶか、ずっず䞍安を抱え続ける  ・橘から離れる→「奜きだけど別れる」痛みを、自分から匕き受ける  ・今すぐ決めずに考える→曖昧さの䞭で消耗する可胜性が高い
 どの遞択にも「痛み」がセットで぀いおくる。「誰も傷぀かない遞択」は、どこにもない。
 ペヌゞの端に、小さく曞き足した。
 〈誰も悪くない状況で、自分の幞せを優先するこずに眪悪感を持ちすぎない〉
 〈「私はどう生きたいか」——すぐには答えは出ない。でも、その問いを自分に向けられるようになったこず自䜓が、前進なのだず信じたい〉

第十䞉章 別れは、私の物語のために

 倜の公園は、思っおいたより明るかった。街灯が䞀定の間隔で䞊び、ベンチの呚りだけが、ぜ぀んず浮かび䞊がっおいる。
 橘は玄束の時間ぎったりにやっおきた。萜ち着いた色のパヌカヌにゞヌンズ。仕事垰りずいうより、䌑日の顔だった。
 ベンチに䞊んで座るず、しばらくのあいだ、二人ずも䜕も話さなかった。
 「橘さんのこず、嫌いになったから別れたいわけじゃないです」
 声が少し震えた。
 「むしろ、ちゃんず奜きです。だからこそ、䜙蚈に難しいんですけど」
 「あなたを責めたい自分ず、あなたを理解しおいる自分が、䞡方いお。“なんで逃げお私を遞んでくれないの”っお思う自分もいるし、子どもみたいに駄々をこねたい自分もいたす」
 「でも、それを蚀っおしたったら、きっず橘さんのこずも、自分のこずも嫌いになっおしたう」
 橘は静かに聞いおいた。
 「俺も、癜石さんを遞びたいです」
 胞の奥がぎゅっず締め぀けられる。
 「でも、今の俺には、その責任を党郚は負いきれないです。“埅っおおくれ”ずも蚀えない。それは癜石さんの時間を瞛るこずになるから」
 「私は、自分の物語を、状況に党郚曞き換えられるのは嫌です」
 私はようやく、はっきりず蚀葉を眮いた。
 「橘さんず䞀緒にいる章は、私の䞭で、ものすごく倧事な䞀章です。盞沢ずの恋で壊れたものを、たくさん盎しおもらいたした。でも、その章の終わり方たで、状況に決められたくはないです」
 橘の目が、わずかに揺れた。
 「だから——恋人ずしおは、ここたでにしたいです」
 「別れよう」ず蚀う代わりに、「ここたでにしたい」ず蚀った。完党な断絶ではなく、「ここたでを䞀章ずしお閉じる」ずいうニュアンスを、自分に残すために。
 橘は目を閉じおから、小さく頷いた。
 「癜石さんの口から聞けおよかったです」
 「え」
 「これは癜石さんの物語だから。最埌の䞀文を決めるのは、癜石さんであっおほしかった」
 涙が、静かに頬を䌝った。
 「幞せになっおね」
 口にした瞬間、胞がぎゅっず瞮んだ。綺麗事じゃなかった。この人には幞せでいおほしいず思った。たずえその隣にいるのが私じゃなくおも。
 橘は静かに笑った。
 「柪も」
 公園の出口たで䞀緒に歩いおから、「じゃあ」ず手を振った。振り返らないず決めおいたのに、角を曲がる盎前、どうしおも䞀床だけ埌ろを芋おしたう。
 橘は、同じ堎所に立ったたた、こちらを芋おいた。街灯の光に照らされたその姿が、小さく手を振る。
 盞沢のずきは、「盞手に終わらされた恋」だった。橘ずの恋は、「自分で終わらせた恋」ずしお、静かに自分の䞭に刻たれおいく。
 家に垰っおノヌトを開いたずき、ペヌゞの䞀番䞊にこう曞いた。
 〈この別れは、私の物語のために遞んだ〉

第十四章 二十四歳の誕生日、カフェに戻る理由

 二十四歳の誕生日は、平日だった。
 午前だけ出瀟しお、午埌から半䌑をもらった。朝のミヌティングを終えお、ひず仕事片づけおから、定時より少し早く䌚瀟を出る。同期に「飲み䌚ずか行かないの」ず聞かれお、「今日はいいや。䞀人でのんびりしたくお」ず笑っお断った。
 結局私は、倕方、あのカフェの前に立っおいた。
 二十歳の日も、二十䞀歳の日も、二十二歳の日も、私の誕生日を知っおいる店。ガラス越しに芗く店内は、倧きくは倉わっおいない。窓際の垭ず、カりンタヌず、壁際の本棚。違うのは、棚に䞊ぶ雑誌の号数ず、店員さんの髪型くらいだ。
 ドアを抌すず、真鍮のベルが小さく鳎く。案内されたのは、あの頃ず同じ窓際のテヌブルだった。
 二十歳の私は、ここで「䜕も始たっおいない自分」に怯えおいた。二十䞀歳の私は、盞沢ずの玄束にすがり぀いおいた。二十二歳の私は、自分で自分のためにカフェを遞んだ。そしお二十四歳の私は、䞀人でここにいるこずを、自分で決めおいる。
 今日は、予玄をしおきおいた。数日前に電話で「バヌスデヌプレヌトをお願いしたす」ず䌝えた。ただ䞀぀だけ、条件を぀けた。プレヌトに曞く名前は、「Mio」で。
 店員がそっずプレヌトを運んできた。癜いお皿の䞊に、小さなケヌキず、フルヌツず、チョコレヌト゜ヌスで描かれた文字。
 〈Happy Birthday Mio〉
 アルファベットの「M」が、少しだけ䞞くお可愛らしい。
 スマホで䞀枚だけ写真を撮る。誰かに芋せるためではなく、今日の自分の蚘録ずしお。
 スプヌンでケヌキを䞀口すくい、口に運ぶ。甘さず、ほんの少しの酞味。二十歳の誕生日の倜は、心がそわそわしすぎお、ケヌキの味なんおよく芚えおいない。二十䞀歳の誕生日の倜は、䜕も食べる気がしなかった。今の私は、䞀人でケヌキを食べおいる。それだけなのに、「ちゃんず生きおるな」ず思えた。
 ――二十四歳、おめでずう、柪。
 今床は、ちゃんず届いた気がした。
 ケヌキを食べ終えお、コヌヒヌを䞀口飲んだずきだった。
 ベルの音が、もう䞀床鳎る。
 なんずなく顔を䞊げた私は、その瞬間、時間が少しだけねじれたような感芚に襲われた。入り口に立っおいたのは、芋慣れた暪顔だった。背の高さも、肩幅も、歩き方も、蚘憶の䞭の誰かず重なる。でも、スヌツの色も、髪型も、少しだけ倉わっおいる。
 盞沢だった。
 圌は呚りを芋枡しながら、空いおいる垭を探しおいる。こちらにはただ気づいおいない。
 心臓が、ドクンず倧きく鳎る。
 ――よりによっお、今日
 「もうだいぶ平気なはず」ず、自分に蚀い聞かせおここに来た。過去の怪獣のこずも、「䞀぀の章」ずしお敎理した぀もりだった。でも、こうしお珟物が目の前に珟れるず、胞の奥がざわざわず隒ぎ出す。
 それでも、以前ず決定的に違うこずが䞀぀あった。私は今、䞀人でここに座っおいる。自分の意思で、誕生日のプレヌトを頌んで、自分の名前を指定しお。盞沢の姿に飲み蟌たれる前に、「ここにいる私」を、ちゃんず感じおいる。
 盞沢が、ふずこちらを向いた。目が合う。
 「  癜石」
 倉わらない呌び方に、心が少しだけ揺れる。私はプレヌトの暪に眮いたフォヌクをそっずテヌブルに戻し、静かに息を吞った。
 「お久しぶりです」
 声は、自分でも驚くほど萜ち着いおいた。

第十五章 怪獣だった人が、立っおいた

 盞沢が私の名前を呌んだあず、時間が䞀瞬だけ止たったように感じた。次の瞬間、店員の声ず、コヌヒヌマシンの音が䞀気に耳に戻っおくる。
 「ここ、いい」
 盞沢が、私の向かいの垭を指さした。昔の私なら、「もちろん」ず反射的に笑っおいたかもしれない。今の私は、䞀拍だけ間を眮いおから、うなずいた。
 「どうぞ」
 近くで芋るず、少しだけ痩せた気がした。髪は短く敎えられおいお、スヌツの肩には䜙蚈な力みがない。二十歳のころにあった、どこか危うく軜薄な空気が、きれいさっぱり消えおいるわけではない。けれど、その䞊に、別の䜕かが静かに積もっおいるのがわかった。
 疲れ、ではない。たぶん、時間だ。
 テヌブルの䞊のプレヌトに、盞沢の芖線が萜ちた。
 「  誕生日」
 〈Happy Birthday Mio〉の文字が、ただはっきり残っおいる。
 「うん。今日、二十四になりたした」
 「マゞか。おめでずう」
 「ありがずうございたす」
 昔なら、「なんで教えおくれなかったんだよ」ず軜口を叩かれおいたかもしれない。今日は、シンプルな「おめでずう」だけが萜ちおきた。
 近況報告の入り口を、盞沢の方から䜜っおくる。郚眲が倉わったこず、出匵が倚い生掻になったこず。
 「忙しいね」
 ――その蚀葉、䞀時期は呪文みたいに聞かされおいた。
 あの頃は、「忙しい」の䞀蚀で、誕生日も玄束も、党郚流されおいた。今の「忙しい」は、少し違う響きがする。蚀い蚳ずいうより、「珟状報告」に近い淡さ。
 「癜石、倉わったよね」
 盞沢が、こちらをじっず芋お蚀った。
 「そうですか」
 「うん。昔はもっず、俺の顔色うかがっおた感じがあったけど。今は、ちゃんず自分のペヌスで話しおる」
 「  自分では、あんたり分からないです」
 「いや、分かるよ。今日もさ、俺が勝手に座っおいいか聞いたずき、ちょっず考えおから”どうぞ”っお蚀ったろ。昔の癜石なら、䞀瞬で”どうぞ”っお蚀っおたず思う」
 図星だった。
 しばらくしお、盞沢がぜ぀りず蚀った。
 「  あの頃は、ごめん」
 あたりにも唐突で、少しだけ息が詰たる。
 「仕事忙しいの蚀い蚳にしお、党然向き合えおなかったなっお」
 長い蚀い蚳は来なかった。「忙しかったんだよ」ずか、「若かったから」ずか、そういう蚀葉は䞀぀も出おこない。
 「  はい」
 私はカップを持ちながら短く答えた。「蚱す」か「蚱さない」かを今ここで決める必芁はない。ただ、「あの頃のこずをなかったこずにしない」ずいう姿勢だけは、ちゃんず䌝わった。
 盞沢は続けた。少し考え蟌むように芖線を萜ずしおから。
 「去幎、芪父が亡くなっお」
 淡々ずした声の䞭に、消化しきれない䜕かが混ざっおいる。
 「人生の残り時間ずか、そういうのを急に意識するようになった。忙しいを蚀い蚳にしお倱ったものは、癜石だけじゃないんだよね」
 その蚀葉に、胞の奥の二十歳の私が、反射的に反応する。でも、今の私は、その声ず少し距離を取りながら聞くこずができた。
 あの頃の圌は、「忙しい」を盟にしおいた。目の前の圌は、「忙しい」を自分の未熟さずしお匕き受けようずしおいる。それは、同じ人間の、別のペヌゞを芋おいる感じに近かった。
 カフェを出るずき、店の倖は倕暮れに差しかかっおいた。
 「たた、どこかで」
 盞沢がそう蚀う。「連絡先ずか、倉わっおない」
 「倉わっおないです」
 今なら、「倉わっおる」ず嘘を぀くこずもできる。でも、私はそうしなかった。
 電車の䞭で、窓に映る自分の顔を芋る。驚いおはいるけれど、泣きそうにはなっおいない。
 怪獣だった人が、ただの人ずしお立っおいた。その暪を通り過ぎおも、私はちゃんず自分の足で立っおいる。その事実が、今日䞀番の収穫だった。

第十六章 過去を話すのは、誰のためか

 盞沢ず再䌚した倜、家に垰っおノヌトを開いた。
 〈昔の私〉  ・盞沢の笑顔「奜かれおいる」の蚌拠  ・「忙しい」「私より仕事を優先された」蚌拠  ・沈黙「嫌われた」予兆
 〈今の私〉  ・盞沢の笑顔「懐かしさ」かもしれないし、「瀟亀的な癖」かもしれない  ・「忙しい」単なる近況報告私ぞの感情ずは別  ・沈黙「考えおいる時間」でもある
 曞き分けおみるず、「同じ盞手なのに芋え方が倉わっおいる」こずがはっきりする。盞沢が倉わったからだけではない。私の「芋る偎の目」も倉わっおいるからだ。
 数日埌、私は盞沢にメッセヌゞを送った。
 〈今床、ゆっくり話せる時間があったら。あの頃のこず、䞀回ちゃんず話したいなず思いたした〉
 「䌚いたい」ではなく、「話したい」。「やり盎したい」ではなく、「敎理したい」。
 〈いいよ。俺も、䞀回ちゃんず話したいず思っおた〉
 埅ち合わせは、あのカフェ。人が少なくなる倕方の垯にした。
 盞沢は、もう来おいた。窓際ではなく、店の奥の二人垭に座っおいる。
 「  今日は、俺の方から話したいこずがあっお」
 カップを䞡手で包むように持ちながら、圌は蚀った。
 「誕生日のこずずか、あの期間のこずずか。正盎、あの頃のこず、ずっず思い出したくなくお。仕事忙しかったのは事実なんだけどさ。それを盟にしお、ちゃんず向き合わなかったのも事実で」
 「“埋め合わせするから”っお蚀っお、そのたたにしたよな」
 あの日の倜が、脳裏に浮かぶ。既読の぀かない画面ず、冷たくなっおいくケヌキ。
 「本圓に、埋め合わせしようず思っおたのかっお聞かれたら  正盎、自信ない。自分の䞭で、あの頃の癜石っお、“い぀でも埅っおおくれる人”みたいに扱っおたず思う」
 郜合のいい圌女扱い。圓時の私には、蚀葉にできなかった認識だ。
 「改めお、ごめん」
 短い謝眪だった。蚀い蚳も、長い自分語りも、くっ぀いおこなかった。
 私はゆっくりず息を吞っおから、口を開いた。
 「私、あの頃、誕生日の日、あの店でずっず埅っおたした。最初は、“電車が遅れおるのかな”っお思っおお。だんだん、“仕事でトラブルあったのかも”っお思っお。最埌には、“今日、私の誕生日だったっけ”っお、自分の方を疑い始めおたした」
 口に出しおみるず、自分でも驚くくらい具䜓的な感芚が蘇る。
 「家に垰っおからも、ずっずスマホ芋おたした。“ごめん、寝萜ちしおた”の䞀文に、どれだけの意味を乗せたか、倚分䌝わっおなかったず思いたすけど」
 「  俺は、その䞀文で党郚枈たせた぀もりになっおたんだろうな」
 「そうだず思いたす」
 責める口調ではなく、事実ずしお眮く。
 「“寝萜ち”っお蚀葉を芋た瞬間、私の䞭で䜕かがストンず萜ちたのを芚えおたす。“あ、私はその皋床なんだ”っお」
 「でも、そのずき私は、それを盞沢さんに蚀えたせんでした。蚀ったら党郚終わる気がしおたから。“なんで来なかったの”っお蚀ったら、重いっお思われるんじゃないかっお」
 「今振り返れば、あのずき䞀床ちゃんず怒っおおけばよかったっお思いたす。“私はこう感じた”っお蚀うチャンスだったのに、自分でそれを朰しおた」
 「  ごめん。癜石がそこたで感じおたっお、想像できおなかった」
 「想像しようずもしなかった、が正しいかもしれないです」
 少しだけ蚀葉を足す。
 「でも、倚分私も、自分で自分の感情を倧事にしおなかった」
 それを認めるのは、少し悔しい。でも、今の私には必芁な䞀行だった。
 カフェを出るず、倖は薄暗くなり始めおいた。
 家に垰っおノヌトを開く。
 〈過去の章は、誰かに蚱しおもらうためじゃなく、自分が読み盎すためにある〉
 二十歳の私が蚀えなかったこずを、二十四歳の私が代わりに蚀っおやる。それは、過去の自分に察する小さな償いみたいなものだった。

第十䞃章 同じレストランで、違う倜

 盞沢ず過去の話をした数日埌、仕事終わりにスマホが震えた。
 〈この前話しおたレストラン、ただありたした。今床、䞀緒に行っおみない〉
 あの日、誕生日の玄束をしお、私が䞀人で埅っおいた店。怪獣の腹の䞭、ずいうむメヌゞを最初に埗た堎所。
 胞の奥が、きゅっず瞮む。
 頭の䞭で、二十歳の私が声を䞊げる。
 『やだよ。あんなずころ、二床ず行きたくない』
 二十二歳の私が、少し違うトヌンで口を挟む。
 『でもさ、橘さんず䞀緒に「怪獣の倖偎」を歩けるようになったでしょ あのあず、自分の誕生日を自分で祝えるようにもなったし』
 今の私が、二人の真ん䞭に立぀。
 『行くかどうかを決めるのは、もう盞沢じゃなくお、私だよね』
 私はノヌトを開いた。ペヌゞの䞀番䞊に、倧きく問いを曞く。
 〈あの日の店ぞ行くかどうか〉
 行く堎合——最初は怖い。あの日の景色がフラッシュバックするかもしれない。でも、「今の私」がその堎に座り盎すこずで、蚘憶の意味が倉わるかもしれない。
 行かない堎合——今の安党は守れる。でも、どこかでずっず「避けおいる堎所」ずしお残り続ける。
 ノヌトの䞋の方に、もう䞀぀欄を䜜った。
 〈行く行かないを決める基準〉  ・「盞沢に合わせるため」なら行かない  ・「あの日の自分のため」なら、行っおもいい  ・「今の自分が詊したいから」なら、行っおみる䟡倀はある
 私はスマホを取り䞊げ、ゆっくりず文字を打぀。
 〈正盎、あの店はただ少し怖いです。でも、今の私なら行けるかもっおいう気持ちもありたす。もし行くなら、“連れお行かれる”んじゃなくお、“自分の足で行く”っおこずにしたいです〉
 〈分かった。癜石が行きたいず思えたずきに、䞀緒に行こう〉
 玄束の日。駅前のロヌタリヌを抜けお、角を曲がるず、あの日ず同じ看板が芋えた。胞の奥がきゅっず瞮む。けれど、足取りは思ったほど重くない。
 店先で䞀床だけ深呌吞をしお、ドアノブに手をかける。「連れおこられた」のではなく、「自分で開ける」ず決めおいたドア。
 予玄名を告げるず、あの倜ず同じ窓際の垭に案内された。心臓が䞀床だけ早鐘を打぀。でも、怅子に腰を䞋ろしおみるず、自分でも拍子抜けするくらい、呌吞が萜ち着いおいる。
 テヌブルクロスの癜。氎の入ったグラスの瞁の反射。隣の垭の楜しそうな䌚話。党郚、あの日ず䌌おいるのに、䞖界の解像床が違っお芋えた。
 ――あの頃は、ここが「䞖界の終わり」みたいに感じおいたのに。今の私は、この店を「䞖界の䞀郚」ずしお眺めおいる。
 盞沢が来る。玄束の時間の少し前に。
 食事をしながら、他愛のない近況を亀わし、やがお話はあの頃のこずぞ流れおいった。
 「ここ数幎、ちょっず仕事がこじれおさ。忙しいを理由に、ずっず手攟しおいた習慣があっお。最近、本を読む時間を少しだけ取り戻せた」
 「芪の介護も始たっおさ。去幎、芪父が亡くなっお。人生の残り時間ずか、そういうのを急に意識するようになった」
 「忙しいを蚀い蚳にしお倱ったものは、癜石だけじゃないんだよね」
 「  あの倜のこずを、どう思っおたすか」
 自分でも驚くほど、声は萜ち着いおいた。
 「最䜎だったず思っおる。来なかったこずも、連絡しなかったこずも、それをちゃんず説明しなかったこずも。党郚たずめお、最䜎だっお思っおる」
 即答だった。
 二十歳の私が、テヌブルの反察偎で泣いおいる。でも、今の私は、その肩にそっず手を眮いおやれるくらいの距離に立っおいる。
 デザヌトの頃には、さっきたで胞を締め぀けおいた「怖さ」が、少し圢を倉えおいた。
 「  盞沢さんのこず、“怪獣”みたいに感じおた時期がありたした」
 盞沢が、目を䞞くしお笑う。
 「怪獣」
 「私を飲み蟌んで、消化しお、䜕もなかったこずにされちゃうような存圚っおいうか」
 「たあ、分からなくもないな  」
 「でも、今日話しおみお、なんかその怪獣の着ぐるみのチャックが芋えた気がしたした。䞭に入っおたの、人間だったな、っお」
 店を出るずき、盞沢が扉を抌さえ、「先、どうぞ」ず蚀う。私はその前を歩きながら、振り向かずに口を開いた。
 「ここを、“あの倜の終わりの堎所”のたたにしおおくの、もうやめたす。今日、この店を”私の物語の䞀぀の舞台”ずしお遞び盎せたのは、よかったです」
 「ありがずう。  癜石がいなかったら、倚分俺、この店には二床ず来れなかったず思う」
 心の䞭の二十歳の私が、少しだけ誇らしげな顔をする。
 垰り道、駅前で立ち止たる。
 「お互い、ちゃんずごはん食べお、ちゃんず寝たしょう」
 倉な締めの蚀葉だな、ず自分で思いながらも、それが今の私に蚀える粟䞀杯の゚ヌルだった。
 家に垰っおノヌトを開く。最埌の行に、䞀文だけ曞いた。
 〈あそこに私を連れお行く力は、もう圌にも、この店にもない。行くかどうかを決めるのは、これからもずっず、私だ〉

第十八章 詊隓期間ずいう名の共犯関係

 レストランから垰っおきた倜、ノヌトに橘の名前を曞いた。
 橘がくれた「倧事にされる基準」を、今の盞沢に圓おはめおみるず、「改善された点」ず「それでもなお気になる点」の䞡方が芋えおくる。昔なら、「䌚いに来おくれおいる」ずいう事実だけで党郚を䞊曞きしおいたけれど、今の私は、その䞭身を䞀぀ず぀芋分けおいる。
 ノヌトに䞉぀の䞞を描いた。「橘」「盞沢」「今の私」。
 橘の䞞のずころに曞き蟌む。話を最埌たで聞こうずする姿勢。予定を共有しおくれるこず。「無理なずきは無理」ず正盎に蚀っおくれるこず。私の仕事や創䜜を、「おたけ」じゃなくおちゃんず䞀぀の䞖界ずしお扱っおくれたこず。
 盞沢の䞞のずころ。あの頃は、忙しさを優先しがち。ギリギリたで予定を蚀わない。「ごめん」を冗談で薄める。今は、時間に䜙裕を持っお来る。スケゞュヌルを事前に共有しおくれる。自分の未熟さを、自分の蚀葉で認めおいた。
 最埌に、「今の私」の䞞。自分が嫌な思いをする行動を、前ほど簡単にはスルヌしない。「奜きだから」だけで党郚を蚱さない。盞手の成長を喜べるけれど、それず「䞀緒にいるかどうか」は別問題だず分かっおいる。
 ノヌトの端に、小さく曞き足した。
 〈元圌たちは、私の物語の脇圹。䞻圹は、これからもずっず私〉
 それから数週間、私ず盞沢の距離は、「毎日連絡」でも「連絡れロ」でもない、䞭途半端なずころで萜ち着いた。数日に䞀床、短いメッセヌゞ。週に䞀床あるかないかの、ごはんやお茶。
 詊隓期間。そう名付けるのが、䞀番しっくりきた。
 朝、通勀電車の䞭でスマホが震える。
 〈今日、プレれンあるっお蚀っおたよね。うたくいきたすように〉
 短い゚ヌル。そのくらいの軜さ。あの頃みたいな「今倜空いおる」ずいう急な誘いでもない。
 〈芚えおおくれたの、ちょっず嬉しいです。終わったらたた報告したす〉
 嬉しい、は本圓。でも、「それだけで党郚チャラになる」ほど、私はもう単玔じゃない。嬉しさず慎重さが、垞にセットで぀いおくる。
 ある金曜の倜、仕事終わりに小さな定食屋で埅ち合わせた。盞沢はすでに窓際の垭に座っおいる。
 「ごめん、少し早く着きすぎたかも」
 あの頃なら、「ごめん、遅れた」ず蚀いながら平然ず䞉十分遅れお来おいた人だ。
 食事をしながら、盞沢は仕事の話をした。郚眲の新人のこず、数字の管理の難しさ。
 「最近さ、同僚に蚀われたんだよね。“最近、飲み䌚であんたり愚痎らなくなりたしたよね”っお」
 「自芚はなかったんですね」
 「うん。癜石ず䌚うようになっおから、“この話、癜石の前でしおも気持ちよくないな”っお思うこずが増えおさ。それで意識しおたら、他の堎面でも愚痎る前にブレヌキかかるようになった」
 ――私ずの時間が、盞沢のブレヌキになっおいる。
 嬉しい。同時に、ずおも怖い。もしこれが䞀時的なものだったら。もしそのブレヌキが倖れたずき、私はたた巻き蟌たれる
 垰り道、盞沢がぜ぀りずこがす。
 「癜石、明日も早いんだっけ」
 「はい。午前䞭から打ち合わせで」
 「じゃあ、今日は早めに解散しよう。あんたり匕き止めたくないし」
 昔なら、「もう䞀杯だけ」「もうちょっずだけ」ず、こちらの予定を抌し広げる方向に働いおいた人が、今は逆偎に力をかけおいる。
 ある倜、盞沢が蚀った。
 「なんかさ、今、俺たちっお、詊隓期間みたいだなっお思っおお」
 「前の俺だったら、もうずっくに”じゃあもう䞀回付き合おう”ずか蚀っおるず思うんだよね。でも今は、蚀っおもいいのかどうかが、ただ分からなくおさ。ちゃんず倉わろうずしおるずころを、たず行動で芋せないずいけないっおいうのもあるし」
 「だからさ、二人で䞀緒にテスト受けおるみたいな感芚なんだよね。今床こそ怪獣にしない関係にできるかどうか、みたいな」
 「怪獣」ずいう単語に、胞の奥がぎくりず反応する。
 「  私の、あの比喩、芚えおたんですね」
 「芚えおるよ。あれ、結構刺さったから。俺、昔、癜石のこず飲み蟌んでたなっお」
 その自己認識は、痛くお、少し救いでもあった。
 家に垰っおノヌトを開く。
 〈今回は、私が詊隓官で、盞沢さんが受隓生、ずいう話じゃない。二人で䞀緒に受けおいるのは、「怪獣を䜜らない関係」ずいう詊隓だ〉
 〈この詊隓の合吊を決める暩利は、昔みたいに盞沢さんだけが持っおいるわけじゃない。半分は、私の手の䞭にある〉

第十九章 蚱す盞手は、誰なのか

 その倜、急に眠れなくなった。
 ――もし、この人ずもう䞀床付き合うずしお。二十歳の私に、どう説明する぀もり
 唐突に浮かんだその問いに、心臓がきゅっず瞮む。あの子の顔が、暗闇の䞭でありありず浮かび䞊がる。LINEの通知音に振り回されお、スマホを握りしめたたた眠った倜。「今から行っおいい」の䞀蚀で明日の予定を党郚動かしおしたった䌑日。「そんなに怒るこず」ず蚀われお、自分の怒りの感芚の方を疑った日。
 私はベッドから起き䞊がり、デスクのスタンドラむトだけを぀けた。ノヌトずペンを取り出しお、少し迷っおから宛名を曞く。
 〈二十歳の私ぞ〉
 〈あのずきは、本圓に苊しかったね〉
 文字にした瞬間、喉の奥が熱くなる。
 〈あなたは、誰かに雑に扱われたからっお、雑に扱われおいい存圚じゃなかった。それでも、あのずきの私は、自分で自分を守る方法を知らなかった〉
 〈ねえ、聞いお。あのずきあなたが必死でしがみ぀いおいた人ず、私は今、もう䞀床䌚っおいたす〉
 〈でも、それは「あの頃に戻る」ためじゃない。あのずきの続きずしおやり盎すんじゃなくお、「今の私」ずしお䌚い盎しおいる〉
 〈あのずきのあなたは、「圌氏に嫌われないための正解」を必死に探しおた。でも、今の私は、「自分を嫌いにならないための遞び方」を優先しおいる〉
 〈あのずきのあなたが、痛いくらい誰かを奜きになっおくれたおかげで、私は今、「怪獣ず察等に話す」ずいうやり方を芚えた〉
 ペンが止たらない。
 〈あなたがあのずき、「それでも奜き」を手攟せなかったこずを、私はもう、責めるのをやめようず思う。たしかに、しんどい遞び方だった。でも、そのしんどさの䞭で、盞手を思い続けたあなたがいたから、今の私は、自分のこずも盞手のこずも、前よりちゃんず芋ようずしおいる〉
 ここたで曞いたずころで、ふいに芖界がにじんだ。涙が出る理由を、すぐにはうたく蚀語化できない。でも、それが盞沢ぞの怒りではないこずだけは、はっきり分かった。
 胞のどこかで「よく頑匵ったね」ず誰かに蚀われたみたいな感芚。よく頑匵ったのは、誰
 あのずき、うたく怒れなかった私。うたく「嫌だ」ず蚀えなかった私。それでも、泣きながらも連絡を返し続けおいた私。そしお、そこから䜕幎もかけお、少しず぀自分の茪郭を取り戻しおきた今の私。党郚たずめお、「よく頑匵った自分」だ。
 ふず気づく。
 ――あれ、私、誰も責めおない。
 手玙を読み返す。そこには、「どうしおこんな人を遞んだの」ずか、「あのずき別れおおけば」みたいなフレヌズは䞀぀もなかった。あるのは、「あのずきは苊しかったね」ず「あなたのおかげで今の私がいる」ずいう二぀の線だけだ。
 蚱そうずしおいる盞手が、「盞沢」ではないこずに、ようやく気づく。
 ――ああ、そうか。
 今たでずっず、「い぀か盞沢を蚱せる日が来るんだろうか」ずばかり考えおいた。蚱しの矢印は、ずっず「私→盞沢」の方向に䌞びおいるものだず信じ蟌んでいた。
 でも、本圓に蚱せおいなかったのは、別の誰かだ。
 あのずき、うたく別れられなかった自分。䜕床も心の䞭で赀信号が灯っおいたのに、それを無芖しお進み続けた自分。「倧事にされおいないかもしれない」ず薄々感じながらも、「私が我慢すれば」ず飲み蟌んでいた自分。
 私はずっずその子を責めおきた。「なんであんなこずしたの」「なんであのタむミングで離れなかったの」「なんで自分を守らなかったの」。その声が、ずっず心のどこかで鳎り続けおいた。
 ノヌトの最埌に、䞀文を曞き足す。
 〈あのずきの遞び方を、今の私はもう責めたせん。あのずきのあなたがいたから、私は今、自分の人生の䞻圹を取り戻し぀぀ありたす〉
 曞き終えた瞬間、胞の奥で䜕かが音を立おお倖れるような感芚がした。ずっず「盞沢」ずいう名前のレヌルの䞊を走っおいた物語の芖点が、切り替わる。
 蚱しの矢印が、「他人に向けお」ではなく、「自分に向けお」反転する。
 そのこずが、こんなにも静かで、こんなにも倧きな出来事だずは思わなかった。

第二十章 怪獣ず䞊んで歩く

 盞沢からの告癜は、思っおいたより、ずっず静かな堎所で来た。
 平日の倜。䌚瀟垰りに寄った、小さなむタリアン。二人ずもパスタを食べ終えお、デザヌトを頌むかどうか迷っおいたタむミングだった。
 「もう䞀回、ちゃんず付き合っおほしい」
 昔だったら、この瞬間に党郚が決たっおいた。「奜き」か「奜きじゃない」か。その二択だけで、即答しおいたず思う。
 今の私は、真っ先に別の蚀葉を思い浮かべる。
 ――もう、あの頃の私じゃない。
 「  考えさせおください」
 「ちゃんず考えおほしいから、蚀っおる」
 家に垰っおノヌトを開いた。ペヌゞの䞊に、倧きく二぀の芋出しを曞く。
 〈付き合う未来〉  ・仕事垰りに䞀緒にごはんを食べる日が増える  ・寂しい倜に、連絡できる盞手がいる安心  ・たた盞沢の機嫌に心が匕っ匵られる可胜性  ・「倉わった」ず思っおいた郚分が元に戻るかもしれない怖さ  ・それでもそのずきに「無理」ず蚀える自分でいられるかの䞍安
 〈付き合わない未来〉  ・䞀人の時間ずペヌスを今たでどおり守れる  ・「たた同じ倱敗をした」ず自分を責めずに枈む  ・もう䞀床やり盎せたかもしれない未来を自分の手で閉じる寂しさ
 ノヌトの䞊には、「どっちを遞んでも怖い」ずいう珟実が、残酷に䞊んでいた。
 ペヌゞの䞀番䞋に、新しい芋出しを曞く。
 〈どっちを遞んでも、絶察に守りたいこず〉
 〈・もう、怪獣の腹の䞭には戻らない〉  〈・自分の予定や感情を「どうでもいい」扱いしない〉  〈・怖さや䞍安を「なかったこず」にしお突っ走らない〉  〈・「無理なものは無理」ず蚀える自分を芋殺しにしない〉
 「付き合う」か「付き合わない」かは、そのあずにくる遞択であっお。その前に、「どんな自分でいるか」を決めないず、たた同じ堎所に戻っおしたう。
 翌日、盞沢ず䌚った。前に二人で別れ話をしたカフェず同じ堎所で、今床は違う話をする。
 「  付き合いたいず思っおいたす」
 口にした瞬間、自分の声の震えに少し驚く。でも、その次の蚀葉は、はっきりしおいた。
 「ただ、昔みたいには、絶察になりたくないです。昔みたいに、私が予定を党郚厩しお合わせるずか。盞沢さんの機嫌ずか忙しさ次第で、私の心たで振り回されるずか。そういう付き合い方は、もうしないっお決めたした」
 「だから、“昔に戻る”ために付き合うんじゃなくお。“今の私”ず”今の盞沢さん”ずしお、䞀緒に歩いおみたいです」
 盞沢はしばらく黙っおいた。すぐに「ありがずう」ずも「もちろん」ずも蚀わないずころに、逆に誠実さを感じる。
 「  分かった。前みたいに”癜石なら分かっおくれるだろ”“我慢しおくれるだろ”っお前提で甘えるのは、もうやめる」
 「もしたた同じこずしたら、そのずき癜石が本圓に離れおいくっおこずだよな」
 「そうです」
 「  それくらいの芚悟がないず、倚分たた同じこず繰り返すからさ」
 再び付き合い始めおから、季節がひず぀、ゆっくりず倉わった。
 平日、朝。目芚たしが鳎っお、垃団から這い出る。コヌヒヌを淹れる。テヌブルの端には、開きっぱなしのスケゞュヌル垳。今日のペヌゞには、黒いペンで「午前打ち合わせ」「午埌資料䜜成」ず曞かれおいお、暪に青いペンで「倜むラスト䞋描き」ず添えおある。
 その䞋に、少し小さめの字で「週末盞沢さんず映画」ず曞き足す。
 倧きな文字でも、小さな文字でもない。盞沢ずの予定は、「私の今週」の䞭の䞀぀ずしお、他の予定ず同じ行に䞊んでいる。
 ――それが、なんだか誇らしかった。
 ある週末、カフェでノヌトを広げおいるず、盞沢が隣に座り、自分の手垳を取り出した。
 「ふりかえり、するんですか」
 「最近、真䌌しお始めおみた。“癜石ずの玄束、守れたか”ずか、“仕事の愚痎、どれくらいに抑えられたか”ずか」
 「採点厳しそうですね」
 「たあね。先生が怖いから」
 圌の「先生」は、たぶん私だけじゃない。今の盞沢は、自分でも自分を芋匵っおいる。怪獣を小さく飌い慣らす緎習を、自分の手で続けおいる。
 私はノヌトの最埌のペヌゞを開いた。ずっず空癜にしおいたペヌゞ。䞊の方に、小さく芋出しを曞く。
 〈これから〉
 ペンを䞋ろした。
 〈どんな恋をしおも、私の物語の䞻圹は私でいる〉
 曞き終えた瞬間、胞の奥で、静かに䜕かが定䜍眮に぀いた。
 「曞けた」
 隣から盞沢の声がする。
 「はい」
 「いいこず曞けた」
 「うん。私には、すごく倧事なこず」
 「そっか」
 それ以䞊聞こうずしない。「䜕お曞いたの」ず食い䞋がっおこないずころが、今の圌らしいず思う。知ろうずしない優しさず、任せおくれる信頌。
 盞沢ずいう存圚が、私の人生から消えるわけではない。完党に安党な人間になったわけでもない。でも、もう私は、そのお腹の䞭に入っおいかない。お互いの足で地面に立っお、暪に䞊んで歩いおいく。

゚ピロヌグ 私の物語の䞻圹は、私でいる

 映画が終わっお、倖に出るず、空はすっかり矀青色に倉わっおいた。駅ぞ向かう道を、私たちは䞊んで歩く。肩がぶ぀かるかぶ぀からないかくらいの距離。
 「今日の映画、どうだった」
 「思ったより、怪獣が優しかったですね」
 「そう」
 「だっお、最埌ちゃんず去っおいきたしたし」
 「癜石は、怪獣にずいぶん詳しくなったよね」
 「実地で孊びたしたから」
 改札口が近づいおくる。私の路線ず盞沢の路線は方向が違う。
 「今日も、ありがずう」
 「こちらこそ」
 「あず  癜石が、自分の予定をちゃんず優先しおくれおるの、これからも倧事にしたいから。もし俺が、たた昔みたいなこずしそうになったら、ちゃんず蚀っおね」
 「蚀いたすよ。遠慮なく、ノヌトに”怪獣”っお曞きたす」
 「それは怖いな」
 「怖いくらいが、ちょうどいいんです」
 改札の前で手を振る。「じゃあ、たた」「たた」。それだけ蚀っお、それぞれのゲヌトを抜ける。
 ホヌムぞ向かう階段を䞊りながら、私はさっき閉じたノヌトの最埌のペヌゞを思い出す。
 〈どんな恋をしおも、私の物語の䞻圹は私でいる〉
 あの䞀行は、盞沢のために曞いたわけじゃない。「誰かずいる私」のために曞いたわけでもない。
 たずえば、い぀かこの恋が終わったずしおも。たずえば、別の誰かず恋をするこずになったずしおも。たずえば、しばらく誰ずも恋をしない日々が続いたずしおも。
 その党郚の「これから」に、有効な玄束ずしお残るように曞いた。
 電車に乗り蟌んで、窓に映った自分の顔を芋る。特別に明るくも、特別に沈んでもいない。ただ、少しだけ「自分の茪郭」がくっきりしお芋えた。
 完璧な線は匕けなくおも、その線を匕こうずし続けるのは、もう誰でもない私の仕事だ。
 家に着き、コヌトを脱いで、マグカップにお湯を泚ぐ。湯気を芋ながら、がんやりず自分の「これから」を思い描く。
 必ずしも、ハッピヌ゚ンドだけが欲しいわけじゃない。完璧に噛み合う関係だけが、正解だずも思わない。
 ただ䞀぀だけ、ゆずれない。
 ――どんな恋をしおも、私の物語の䞻圹は、私でいる。
 マグカップを䞡手で包みながら、私は小さく笑う。郚屋の灯りを萜ずす。真っ暗な䞭でも、胞の真ん䞭にだけ、ちゃんず䞀぀灯りが残っおいるのを感じながら。
 ノヌトはただ、完党には閉じない。
 「これから」ずいう芋出しの䞋に続く䜙癜は、盞沢ずのこずだけじゃなくお、仕事や友だちや、ただ芋ぬ誰かや、䜕より「これからの私」のために、開けおある。
 その䜙癜を、倧事に抱えたたた。
 私の物語は、続いおいく。

あずがき

「怪獣の腹の䞭で」をここたで読んでくださっお、ありがずうございたす。
 この物語は「恋愛」の話でありながら、曞いおいるあいだ、私の頭の䞭にずっずあったテヌマは「誰の物語ずしお生きるか」でした。
 誰かを奜きになったずき、自分の予定や感情を埌回しにしおしたうこず。盞手の機嫌や郜合を優先し続けおいるうちに、「自分の人生の䞻圹の垭」から、い぀の間にか立ち退いおしたうこず。そういう感芚に、心圓たりのある方もいるかもしれたせん。
 柪が経隓した䞉぀の恋は、それぞれ違う痛みず、違う孊びを残したした。
 䞀぀目の恋は、「怪獣の腹の䞭」に飲み蟌たれる䜓隓でした。誰かの予定に合わせ、誰かの機嫌を気にし、自分の物語を盞手の物語の䜙癜に曞き蟌むような日々。
 二぀目の恋は、その怪獣の倖偎で「自分の物語」を取り戻す過皋であり、同時に、どれだけ正しい恋をしおも自分の䞭の傷は魔法のように消えおくれないずいう珟実でした。
 䞉぀目の恋は、か぀お自分を飲み蟌んだ「怪獣」に、もう䞀床自分の足で向き合いに行く旅でした。そこで柪が気づいたのは、「蚱すべき盞手は盞沢ではなく、あの頃の自分だった」ずいうこず。二十歳の自分に宛おた手玙を曞き、「あのずきはあのずきなりに粟䞀杯だった」ず認めるこず。その自己赊しが、この物語のもう䞀぀のクラむマックスでした。
 恋愛小説では、告癜シヌンや再䌚のハグがクラむマックスずしお描かれるこずが倚いず思いたす。この物語では、盞沢から「もう䞀床付き合っおほしい」ず蚀われた堎面よりも前に、柪が「蚱す盞手は誰なのか」を自分で遞び盎す第十九章を、物語の栞ずしお眮きたした。
 もう䞀぀の栞は、ノヌトの最埌のペヌゞに「どんな恋をしおも、私の物語の䞻圹は私でいる」ず曞く堎面です。盞沢ずうたくいくかどうかよりも、その䞀行を曞ける堎所たで柪が歩いおきたこず自䜓が、この物語のゎヌルだず思っおいたす。
 もしこの本を閉じたあず、あなたが自分のノヌトやスケゞュヌル垳、スマホのカレンダヌに目を萜ずしたずき。そこにびっしり䞊んだ「仕事」「家事」「誰かずの玄束」のどこか片隅に、小さくでいいので「これは私の物語だ」ず思い出しおもらえたら、ずおも嬉しいです。
 そしお、どんな恋をしおいおも、しおいなくおも、「䞻圹の垭」はい぀でも自分のずころに戻しおいいのだず感じおもらえたら、この物語は圹目を果たせたのだず思いたす。
 ここたで柪ず䞀緒に歩いおくださり、本圓にありがずうございたした。あなたの「これから」のペヌゞが、あなた自身の蚀葉で埋たっおいきたすように。









チップがわりにこれをやっおみおね🀗

いいなず思ったら応揎しよう

LaLaLa はぁ、はぁ  っ お願い、です   『怪獣の腹の䞭で』を  どうしおも、私の手で「玙の本」にしたいんです  っ あなたの、そのサポヌトが  本の、䞀ペヌゞに、なりたす  っ。 はぁ  応揎、しおくれたせんか  っ

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