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オデュッセウスの道行――あるいは、探偵についての一試論

    あらすじ

    1939年夏、ニューヨーク。移民街の探偵は、亡命ドイツ人の哲学者が襲撃され草稿を奪われた事件の調査を依頼される。残された断片には「既にして神話は啓蒙である」と記されていた。捜査の過程で浮上した容疑者ビズリキエフは、哲学書や神話学、魔術書、ラヴクラフトの怪奇小説を横断的に読み漁っていた。刑事ローウェルと対立しつつ追跡する中、探偵はついに彼と対峙するが、推理や問いそのものが通用しない状況に直面する。この謎は、なぜ彼は殺さなかったのかへと収束し、別の問いへと変容する。戦争が過ぎた後、探偵は映画館で一人の亡命者と言葉を交わす――語ること、聞くこと、隣に座ることの意味を問う。漂流の果てに語り終えることで帰還を果たしたオデュッセウスのように。

    序


    探偵は、合理に方向づけを付与されるのではなく、合理の人格化そのものである。探偵は、合理の被造物として、合理に命じられたことを果たすのではない。むしろ、合理そのものが、探偵の非人格において、みずからの使命を遂行するのである

    ジークフリート・クラカウアー『探偵小説の哲学』福本義憲訳、p.57より

     1939年8月、戦前最後のあの夏もニューヨークのビルの狭間は暑かった。高架鉄道から響く金属的な震えと郵便トラックのクラクションが、街の空気をひっきりなしに揺らしていたのを記憶している。
     ニュース・スタンドでは普段なら芸能ゴシップを一面に踊らせるタブロイド紙までがヒトラーの動静を見出しに掲げていた。紙面には一様にドイツ軍のヨーロッパ侵攻を報じ、その侵攻路を太い矢印で示している。とは言え、通りを行く人々の足取りはどこかでまだ他人事めいた鷹揚さを保っていた。この時は、大西洋の向こうの出来事は対岸の火事だと思えていた。

     コロンビア大学からミッドタウンの西にある私の探偵事務所へ電話が入ったのは、月の半ばの夜だったはずだ。私は読んでいた『四つの署名』を置いて受話器を取った。
     電話越しの声は低く、抑制が利いていた。ドイツ語訛りの英語。彼はフランツ・ノイマンと名乗った。ドイツから亡命してきた政治学者だという。
     後で知ったことだがナチス政治に関する彼の講義はかなりの評判だったそうだ。それを知らなかった私は翌日大学を訪ねた時に驚いた。夏季休暇中だったが特別講義が行われており、講義室どころか廊下にも立ち見があふれ、学生たちが壁に背を預けて必死にノートを取っている。
     講義を終えてその群れを押しのけるように姿を現したノイマンは、丸眼鏡をかけた実直な学者然とした人物で、柔和な印象すらあった。亡命知識人たちの研究室は休暇を知らなかった。祖国を追われた者たちは、休暇という概念をドイツに置き忘れてきたかのように、夏も灯りを絶やさなかった。

     ノイマンは私を研究室の並ぶ一角へ案内しながら依頼の輪郭を語り始めた。その口調は第一印象の柔和さとは裏腹に物騒だった。
     ノイマンと同じくドイツから亡命してきた同僚の哲学者――仮にA氏としておこう――が、何者かに襲われ意識不明の状態にある。執筆中だった哲学論文の草稿は奪われ、残されたのは一部の断片だけ。
     ノイマンとA氏の二人はフランクフルト大学に籍を置いていた著名な学者グループの一員だった。構成員にユダヤ人が多く、またマルクス主義を研究していたことでナチスの迫害を避け、グループごとコロンビア大学へ転げ込むように亡命したらしい。フランクフルトからニューヨークへ。大西洋を越えてなお彼らは思索の共同体を手放さなかった。
     ノイマンは現場である研究室を案内し、真昼間に襲われたという状況や、凶器らしきものがどこに転がっていたかを淡々と説明した。同僚の学者が襲われたにしてはあまりにも冷静な口調だったが、それは冷淡さではなく、事実を正確に伝えようとする意志の現れだったのだろう。残された草稿の断片をひらひらと掲げながら、彼は言った。
     そこには「既にして神話は啓蒙である」と書かれていた。
     今にして思えば、一連の事件の核心はまさにこの一文にこそあったのだろう。だが当時の私は、その重さをまだ測りかねていた。哲学者の走り書きとしか映らなかった、というのが正直なところだ。
     説明を終えたノイマンは、しかし、と首を軽く横に振った。

    「重要なのは状況ではない。奪われた草稿の内容だ。そして――なぜ犯人がそれを必要としたのか、だ」

     彼は窓の外に目を向けた。キャンパスの木々の向こうに、ハドソン川の光がちらついている。

    「放っておいても市警は捜査を続けるだろう。政治的な匂いがすればFBIも動く。だが彼らでは"真理"に対するアプローチの仕方が十分ではない」

     ノイマンは一拍置き、低く付け加えた。

    「法に疎外されるな。現実を救済せよ」

     しばしば犯罪の被害者は「裁判で真実が明らかになることを期待する」という。だが、裁判は真実を明らかにするプロセスではない。合理的な疑いがあれば無罪に振り分け、言い逃れできない証拠があるならば有罪に振り分ける。この商売をしていればそれはそれなりに分かってくるものだ。そしてそこにこそ見失われるものがある――彼の言わんとするところはそういうことらしかった。
     依頼内容は犯人逮捕ではなく、ただ「真相の解明」。それにしても持って回った言い方だ。ノイマンはそう思っている私の肩を軽く叩いて言った。

    「君は、これからこういう言い回しに振り回されることになる。覚悟しておけ」

     その予言が正しかったことを、私は後になって痛感することになる。

     研究室を出た瞬間、廊下の影から巨漢が一歩踏み出した。
     警察手帳を突き出してきた男は、マーシャル・ローウェルと名乗った。

    「お前が今回の件に首を突っ込んだ探偵だな?」

     その声音は、もはや質問というより確認に近かった。

    「そうだ」

     私は短く答え、探偵免許を提示した。

    「ニューヨーク市警第20分署のローウェル刑事だ。現場に入るなら、お前の勝手なやり方は許さない。出自はともかく――この国の法に従ってもらう」

     軍人めいた直線的な物腰。若いが現場を任されている立場。典型的なWASPエリートの空気が滲む男だと、私は瞬時に判断した。
     顎の線が鋭い。背筋はまっすぐで、スーツの中にも動かしがたい幾何学が透けて見える。
     ミッドタウン西側の、移民街に近い雑然とした通りに事務所を構える私とは、あらゆる意味で対照的な存在だった。
     当たりが強いのも無理はない――慣れたことだ。
     この街で生まれ育った移民の息子に対する、この手の視線は日常だった。法の秩序に守られ、法の秩序を守り、そして法秩序を内面化した者が外の者に向ける目。出自はともかく、と彼は言った。ともかく、と括られる側の事情を、この男は知らない。だが知る義務もない。それが法の論理というものだ。
     私はコートのポケットに手を突っ込んだまま、ローウェル刑事に小さく頷いた。
     反発は飲み込んだ。この男と長い付き合いになるなら、最初のカードは伏せておくに限る。

    第一章

     ひとまず研究室をひと通り確認した私は、ローウェル刑事の許可を得て警察が押さえた資料を確認して次に大学図書館へと向かった。
     A氏の草稿がどのような構造を持つものだったのか、その輪郭だけでも知る必要があった。犯人が奪ったものの価値を測れなければ動機には届かない。ノイマンはおそらくは意図的に自身の見解を私に語らずにいた。あの男は、他人の口から結論を聞くことを嫌うのではない。探偵には探偵の目で見させたいのだ。学者としてではなく、事件の当事者としてでもなく、私の目で。

     私の両親は帝政ロシア末期の混乱を逃れてきたバルト・ドイツ系の移民だった。リガの小さな家で覚えたドイツ語と、おぼろげな記憶の向こうにあるロシア語とラトビア語。そしてニューヨークの路地で覚えた英語。複数の言語のあいだで育った人間は、どの言語にも完全には属さない。そのことが探偵という職業に向いていたのか、あるいは探偵にしかなれなかったのか、今となっては判然としない。ノイマンが私を選んだ理由もそのあたりなのだろう。

     図書館に収蔵されていたA氏の著作を手当たり次第にめくってみたが、その文章は晦渋極まるものでとてもではないが読み通せなかった。ドイツ語の語彙が分かるということと、ドイツ語で書かれた哲学を理解するということ、これらはまるで別の能力であることを私は思い知らされた。一文の最初から最後に辿り着くまでに、三つの従属節と二つの挿入句を乗り越えなければならない。文章が文章自体を折り畳み、内側に潜り込むような書き方だった。
     ふと横を見ると、ローウェルが隣の椅子に腰を下ろしていた。いつの間にかA氏の著作を一冊手に取ってページをめくっている。ドイツ語は読めないはずだ。読めないままにページをめくっている。活字の列を目で追い、意味を汲めないまま、それでもページを繰る手を止めない。
     何をしているんだ、と訊こうとして、やめた。彼なりに事件に向き合おうとしているのかもしれない。あるいはただの手持ち無沙汰かもしれない。いずれにせよ私が口を挟むことではなかった。
     眉間の皺を指で揉みながらページを繰っていると、ある事実に気づいた。
     本に添付されているニューアーク式の貸出カード。A氏の本のそれは、どれも最後に記されている名前が同じだった。

     ――パーヴェル・ビズリキエフ。

     事件直前にA氏の著作を立て続けに借りていた男。
     犯人か、犯人に近い人物である可能性は高い。名前の響きからするとスラヴ系だ。
     私はローウェル刑事と共に裁判所で令状を取って調査権限を得て司書に住所を照会することにした。
     裁判所からの帰り道で、ローウェルが最低限の会話以外は閉じていた口を唐突に開いた。

    「叔父がドイツ系移民だった。父の姉が惚れて結婚した相手だ」

     脈絡がなかった。私は片眉を上げたが黙って歩き続けた。

    「ハンブルクから来たんだと。子供の頃、よく叔父の家でソーセージを作らされた。腸に肉を詰める作業を手伝わされてね。臭いし面倒だし、嫌で仕方なかった」

     ローウェルは前を向いたまま話していた。私の方を見ていなかった。

    「だが出来上がったやつを焼いて食うと、そいつが旨かった。店で買うのとはまるで違う味だ」

    「……それで?」

    「いや、それだけだ。ドイツ語の本を見ていたら思い出しただけだ」

     それだけ言って、彼は再び黙った。
     取るに足らない世間話だった。捜査とは何の関係もない。
     しかし今にして思えば、あれはローウェルが私に向けて発した、最初の個人的な言葉だったのかもしれない。「出自はともかく」と括った相手に対して、自分の出自の一部を差し出すという行為。彼がそれを意識していたとは思わない。思い出しただけだよ、と彼は言った。その通りだったのだろう。だが無意識に差し出されたものこそ、時にもっとも正直なものだ。
     当時の私はそのことに気づかなかった。ただ、変わった男だと思っただけだった。

     図書館に戻って令状を提示する。

    「ええ、ビズリキエフさん……いつも妙な組み合わせで借りていかれましたね」

     中年の司書は眼鏡の位置を直しながら、貸出記録を指でなぞった。
     A氏の著作、ウラジーミル・プロップの本、そしてラヴクラフトの著作――なぜかウィスコンシン州立大学から取り寄せている。
     さらにミスカトニック大学から相互貸出された古典的魔術書。
     そして『オデュッセイア』。ギリシア語原典。
     哲学、構造主義の先駆、オカルト、宇宙的恐怖、ギリシア神話――。
     常識的な理解を拒む取り合わせだった。いかなる研究分野に属する人間であっても、この組み合わせを一つの文脈で統合することは難しい。まるで異なる時代の、異なる言語の、異なる世界観が一本の糸で串刺しにされているような――しかし、その糸の色が見えない。

    「人物の印象は?」

     私が訊くと、司書は少し考えてから答えた。

    「社交的な方でしたよ。声が穏やかで、本の話をするときは楽しそうで。知的で、それでいて鼻にかけるようなところがなくて……ええ、良識ある方に見えました」

     図書館の窓から入る午後の光が、司書の眼鏡に白く反射した。良識ある人物。社交的で理知的。その男が、なぜ白昼堂々、哲学者を襲い草稿を奪ったのか。狂人ではないだろう。狂人は凶行に及んだあと、誰にも見咎められずに逃げおおせることなどまずできない。

    「なるほど、事件直前に被害者に関心を寄せていたということは分かった。だが人物像がどうだというんだ? 当人を押さえるのが先決だろう」

     ローウェル刑事は、特に調べるでもなく腕を組んだまま言った。彼にとって捜査とは、容疑者を特定し、証拠を固め、逮捕し、起訴するまでの直線的な工程だ。人物像の考察は、裁判で心理鑑定人が担当すればいい。

    「真理に近づくには、時に遠回りも必要なものだ」

     私が言うと、ローウェルは鼻を鳴らした。

    「俺は裁判で証拠にならない"真理"には首を突っ込まない主義でね」

     合法性そのものが歩いているような男だ。
     彼の人物像が私の推理そのままでありすぎて、思わず苦笑した。

     犯行後手際よく行方をくらませた男なら住所も架空のものを登録しているに違いない。そう思ってあまり期待せず照会したが、意外にも住所は実在していた。
     彼の住処はローワー・イーストサイドの安普請のアパルトメントだった。移民たちがひしめく界隈の、煉瓦が煤けた五階建て。非常階段の鉄骨が建物の正面を蔦のように這い、洗濯物が階段の手すりから垂れ下がっている。
     大家の話では、数日帰っていないという。

    「家賃はきちんと払ってたよ。静かな人だった。友達が来る様子もなかったね」

     大家は日焼けした腕を組みながら言った。社交的で理知的だと司書は語った。しかし友人が来る様子はなかった。社交性とは、場に応じてまとう衣装のようなものなのか。
     ローウェル刑事立会いのもと鍵を開けてもらい、私は中に踏み込んだ。
     ワンルーム。窓は一つ。午後の光が斜めに差し込んで、埃の粒子を浮かび上がらせている。生活の痕跡は最小限だった。衣類は少なく、食器は二組。しかし壁一面を占める書棚だけが、この部屋の住人の本質を物語っていた。
     整頓された書棚。しかし、並びに一切の秩序がない。
     ジャンル順でも著者順でも時系列でもない。プラトンの隣にパルプ雑誌があり、アラビア語の写本の横にペーパーバックの安手のスリラーが立てかけられている。天文学の教科書と中世の祈祷書が背表紙を接し、数学の論文集がギリシア悲劇に挟まれている。
     ただ、渦を巻くような混沌だけがあった。
     いや、混沌という言い方は正確ではないかもしれない。秩序がないのではなく、人間に認識可能な秩序がない。何らかの原理に基づいて配列されているのだが、その原理が人間の分類体系の外にある――そういう印象を受けた。
     私は眉間に無意識に力を込めた。
     机の上にノートが開かれたまま残されていた。
     最初のページに目を落とした瞬間、背筋に冷たいものが走った。

    「ページをめくるお前を私は否定する」

     この言葉は、ノートを読んでいる私に向けられている。それは明らかだった。だが同時に、もっと広い射程を持つ言葉であるようにも感じられた。何か、この場面全体を――私がノートを手に取り、ページをめくるという行為そのものを――見透かし、否定しようとする意志。その正体を、私はまだ掴みかねていた。
     ページをめくる。別の箇所に、異なる筆跡で――いや、同じ筆跡なのに異なる速度で書かれたかのような文字が並んでいた。

    「狂気とは混沌が合理に対して持つ免疫のようなものだ」

     さらに別の箇所には本から切り取られたと思われる文章の断片が挟まっていた。

    「アザトースの神義論。むしろ神義論は逆転される。世界に悪が満ちているのであればなぜ正義は存在するのか。わずかな正義が全き悪のための必要条件であるのか、あるいは真なる混沌は正義をも含むのか。いずれにせよ、それは希望の光である」

     私はノートを閉じた。
     ビズリキエフという男は、やはり"推理"そのものを拒む人物なのだ。彼のノートは手がかりを与えるのではなく、手がかりという概念そのものを嘲笑している。推理とは、断片から全体を再構成する行為だ。しかしこのノートの断片は、全体への統合を拒むように書かれている。
     しかし手がかりはこのノートの言葉と、彼の読書リストしかない。

    「詩人崩れの妄想だな」

     ローウェルは私の肩越しにノートを一瞥し、吐き捨てるように言った。

    「こういう連中は大学の近くにうろついてるんだ。学者ごっこをしたがる半端者さ。精神に異常をきたしている可能性もある。本人を確保して精神鑑定にかけるのが筋だろう」

     私は反論しなかった。しかし同意もしなかった。
     ローウェルの判断は、彼の枠組みの中では正しい。法と精神医学の交差点にこの事件を位置づけ、制度的な手続きで処理する。それは一つの合理だ。だが、このノートの言葉は――正気でも狂気でもない場所から書かれている。

     しばらく黙って書棚を眺めていた私は、ふと口を開いた。

    「一つ気になることがある」

    「何だ」

    「この書棚だ。配列に秩序がないように見えるが、本はどれも丁寧に扱われている。背表紙が揃えてあるし、埃も均一に積もっている。つまり頻繁に出し入れしているのに、毎回同じ位置に戻している」

     ローウェルは腕を組んだまま書棚に目をやった。

    「それがどうした」

    「精神に異常をきたした人間の書棚ではない、ということだ。狂人の書棚は崩れる。投げ出す、積み上げる、床に散らかす。だがこの配列は維持されている。本人にとっては秩序があるんだ。我々には見えないだけで」

     ローウェルはしばらく黙って書棚を見つめていた。

    「……それは、お前の推理か? それとも勘か?」

    「観察だ。推理の手前にあるものだよ。あんたも現場では同じことをやっているはずだ」

     ローウェルは鼻を鳴らした。だが、いつもの「裁判で証拠にならない」とは言わなかった。

    「まあ……認めてもいい。精神異常者の部屋は何度も見たが、確かにこんな部屋じゃなかった」

     それだけ言って、彼は窓の方を向いた。
     ささやかなやり取りだった。何かが解決したわけでも、捜査が進展したわけでもない。しかし、あの数秒間、私とローウェルは同じものを見て、それぞれの経験に基づいて言葉を交わし、一つの小さな了解に至った。法の言語でも推理の言語でもない場所で、二人の判断が一瞬だけ重なった。
     そのことの意味に、当時の私は気づいていなかった。

     読書リストの中で一つだけ、私が到達できないものがある。『オデュッセイア』のギリシア語原典。私はドイツ語と英語は読めるが、ギリシア語は読めない。ビズリキエフが原典で読んだもの。それがどのような言葉で語られていたのか、その輪郭だけでも掴むために、英訳を手に入れる必要がある。
     原典には届かない。翻訳という迂回路を通じてしか近づけない。それは捜査の限界であると同時に、何か別のことを意味しているようにも思えた。だが、そのときの私にはまだ、それが何であるかは分からなかった。

     考えながら煙草に火を付ける。

    「なんだ、お前も煙草をやるのか」

     私は伏せていた目を上げた。

    「父の故郷の銘柄でね。キリル文字は読めないんだがいつもロシア系商店でパッケージを探して買っている」

     父は読めたらしいが、私は教わらなかった。

    「ふん、俺はいつもこれだよ」

     ローウェルはチェスターフィールドを取り出し、ポケットをいくつか探って舌打ちした。ライターがなかったらしい。

    「火をもらえるか」

    「かまわんがどうせなら吸ってみるか」

     自分の煙草を一本差し出す。ほんの気まぐれだった。
     ローウェルは無言で受け取り、火をつけ、肺いっぱいに吸い込んで吐き出した。
     眉根が寄っている。

    「……不味いな」

    第二章

     マンハッタンの古書店というものは、たいてい路地の奥か地下にある。陽の光を避けるように、あるいは時間の流れから身を隠すように。チャイナ・タウンであっても例外ではない。間口が狭く、看板は出ているが文字が褪せてほとんど読めない。知っている人間だけが辿り着けばいい、とでも言うような佇まい。
     ローウェルは来なかった。バルト系ドイツ人なら我慢できても中国人は我慢できないとでもいうのか。私は少し苛立ったが口には出さなかった。
     扉を開けると、紙とインクと微かな黴の匂いが混ざった空気が流れ出た。奥まで続く書棚の谷間に、ランプの灯りが暖色の光を落としている。
     店主のレンファ・リーは、カウンターの向こうで帳簿をつけていた。

    「久しぶりね」

     顔を上げもせずに言った。私の足音で分かるらしい。

    「『オデュッセイア』の英訳はあるか。できれば註釈の少ないやつがいい」

    「読むの? あなたが?」

     彼女はようやく顔を上げ、黒い目を細めた。長い黒髪が肩から流れ落ちる。切れ長の目に浮かんだのは、からかいとも懐かしさともつかない光だった。
     レンファは上海から来た女性だった。正確に言えば、上海の租界で育ち、父親の蔵書と共にこの街に渡ってきた。父親は清朝末期の知識人で、洋書も漢籍も分け隔てなく集めた人物だったという。その蔵書がこの店の核になっている。東洋と西洋の書物が同じ棚に並ぶ、この街でも稀な店。
     彼女と私の間には、語るには長く、語らずに済ますには短い歴史があった。五年ほど前、ある古書の真贋鑑定を依頼されたことが縁で知り合い、事件が片付いた後も書物の話をするために店を訪ねるようになった。ある冬の夜、二人で店を閉めた後にワインを飲み、話が途切れた瞬間に、互いの目が合った。あのとき一線を越えていれば何かが変わっていたのか、越えなかったから今この距離にいるのか。いずれにせよ、私たちはその夜のことを一度も口にしないまま、友人として――あるいは友人という言葉で蓋をした何かとして――今に至っている。

    「仕事だ。容疑者の読書リストに入っていた」

    「容疑者がホメロスを?」

    「ギリシア語原典で読んでいた。私には読めない。だから英訳が必要だ」

     レンファは立ち上がり、奥の書棚へ向かった。指先が背表紙の上を滑っていく動きには、蔵書の配列を身体で記憶している者の確信があった。

    「バトラー訳でいい? 散文だけど」

    「頼む」

     彼女が本を抜き出して戻ってくるまでの間、私は無意識にビズリキエフのことを話していた。事件の詳細は伏せたが、読書リストの不可解さについては口にした。哲学、民話の構造分析、宇宙的恐怖、魔術書、そしてギリシア叙事詩。一つの文脈に収まらない組み合わせ。

    「その人は、物語そのものを理解しようとしていたんじゃないかしら」

     レンファは『オデュッセイア』をカウンターに置きながら言った。

    「物語を?」

    「物語がなぜ存在するのか。人はなぜ語るのか。語りの構造とは何か。それを、一つの学問の内側からではなく、あらゆる角度から見ようとしていたのだとしたら?」

     私は答えなかった。探偵にとって、容疑者の動機を外部の人間に推測させるのは本来好ましくない。だが彼女の言葉は、私の思考が届かなかった場所を指していた。
     レンファが『オデュッセイア』を置いたテーブルの上には、もう一冊本があった。薄い和綴じの冊子。漢字が表紙に並んでいる。客待ちの間に読んでいたのか。

    「これ? 繆昌期。明代の人。『公論国之元気』。公論は国の元気なり、というのが冒頭の一節」

    「公論?」

    「共に語り合う力。それが国の生命力だという考え方。合理でもなく、法でもなく、人々が声を出し合い、耳を傾け合うこと自体に力がある」

     彼女はその冊子を開きもせず、ただ表紙を撫でた。

    「語ることを諦めず、聞き取ることを諦めない。そういう思想よ。そして故郷のものとは違うけど、共に生きる知恵、仁が、この国にもまた息づいている……私はトクヴィルをそう読んだわ」

     トクヴィル。フランスの政治思想家がアメリカのデモクラシーを旅して書いた本。アメリカの力は制度にではなく、人々の結社と対話の習慣にある――確かそのような主旨だった。彼女はそれを中国の古典と重ね合わせて読んでいた。
     語ることと聞くこと。
     私はその言葉を、手がかりとして処理しようとした。ビズリキエフの動機に結びつく何かとして。だが、うまくいかなかった。彼女の言葉は推理の材料にならなかった。手がかりという枠に収まることを静かに拒んで、ただ胸のどこかに沈んだ。

    「それと、ラヴクラフトも何か置いてあるか。怪奇小説の」

    「ラヴクラフト? あなたが?」

     レンファは二度目の驚きを見せた。

    「これも容疑者の読書リストだ」

    「うちにあるかしら……」

     彼女は店の奥、ペーパーバックが雑然と積まれた棚を探った。しばらくして、数冊の安手の雑誌と薄い本を抱えて戻ってきた。

    「『ウィアード・テイルズ』のバックナンバーがいくつかと、アーカム・ハウスから出た短篇集が一冊。この手の怪奇ものは回転が早いから、あまり在庫を持たないの」

     私は『オデュッセイア』と共にそれらを受け取った。代金を払い、外套の内ポケットに『オデュッセイア』をねじ込み、ラヴクラフトの本は脇に抱えた。薄い和綴じの冊子には手を出さなかった。

    「ありがとう。助かった」

    「気をつけてね」

     レンファの声が背中に届いた。扉が閉まる直前に、彼女が何か付け加えたように思えたが、蝶番の軋みに紛れて聞き取れなかった。

     事務所に戻り、まず『オデュッセイア』を開いた。
     トロイア戦争を終えたオデュッセウスの、十年に及ぶ漂流と帰還の物語。粗筋そのものは知っていた。だが実際に読むと、想像とは異なる肌触りの物語だった。
     オデュッセウスは英雄だが、怪力や武勇で窮地を脱する男ではない。彼の武器は知恵と狡知だった。言葉によって状況を操り、計略によって敵を出し抜く。
     セイレーンの島の場面で、私は手を止めた。
     美しい歌声で船乗りを誘い、岩礁に引き寄せて殺す怪物たち。オデュッセウスは部下の耳を蜜蠟で塞ぎ、自分だけは歌を聴くために帆柱に身体を縛りつけさせた。歌が聞こえる。心を揺さぶる。全身が歌の方へ引き寄せられる。しかし縄が身体を柱に留める。情動は爆発しているのに、身体は動かない。
     つまりオデュッセウスは、自然の力――情動、衝動、魅惑――を経験しながら、それに支配されることを拒んだ。自らの身体を拘束することで、自然の猛威から離脱した。経験はするが、従わない。感じはするが、流されない。
     それは一種の自己抑圧だった。自然な反応を力ずくで封じ込めることで、生き延びる。セイレーンの歌が象徴する混沌――感覚の奔流、情動の渦――を、縄と蜜蠟という道具で制御する。
     探偵とは、まさにそのような存在ではないか。事件の現場で感情に流されず、混沌を冷静に観察し、論理の縄で自分を繋ぎ留める者。

     そしてもう一つの場面が、私の目を引いた。
     漂流の果てにオデュッセウスはパイアキア人の島に辿り着く。アルキノオス王の宮廷に迎え入れられ、宴の席で問われる。お前は何者かと。
     オデュッセウスは語り始める。自らの漂流を。セイレーンの歌を。一つ目の巨人キュクロプスの洞窟を。仲間を豚に変えた魔女キルケの島を。冥界への降下を。死者たちと言葉を交わしたことを。
     彼は聴衆に向かって、一人称で語った。
     そして語り終えたとき、アルキノオスは彼を故郷イタケへ送る船を用意した。語ることが、帰還の条件だった。漂流の経験は、語られることによって初めて完結した。体験だけでは帰還にならない。体験が言葉になり、誰かに聞かれることで、帰還が成立する。
     私はページから目を上げた。窓の外は暮れかけている。
     なぜビズリキエフは『オデュッセイア』を読んだのか。彼はこの物語に何を見たのか。
     答えはまだ出なかった。しかし物語の構造は、頭の中に刻まれた。

     次にラヴクラフトを読んだ。
     正直に言えば、古書店で手に取ったとき、安手の怪奇雑誌に載った大衆小説だろうと高を括っていた。大学図書館で哲学書に格闘した後では、パルプ雑誌の小説など息抜き程度のものだと思っていた。
     その予想は、最初の数ページで裏切られた。
     ラヴクラフトの描く恐怖は、幽霊や吸血鬼の類ではなかった。宇宙の規模で展開される恐怖だった。人間の理性の及ばない広大な宇宙に、人間とは比較にならない存在がいる。彼らは人間を憎んでいるのではない。関心すら持っていない。人間は宇宙の片隅で一瞬だけ明滅する存在に過ぎず、人間の知性も文明も、彼らにとっては何の意味も持たない。
     その圧倒的な無関心が、恐怖の核だった。

     しかし、一柱だけ異質な存在がいた。
     ニャルラトホテプ。
     他の神々が盲目で無形で、人間の認識を超えた存在であるのに対し、ニャルラトホテプは人間の姿をとる。人間の言葉を話す。社交的で、知的で、人を惹きつける。千の貌を持つと言われ、時代と場所に応じて異なる姿で現れる。
     混沌の使者。しかし混沌そのものではなく、混沌と人間の世界を仲介する者。他の旧き神々が人間に無関心であるのに対し、ニャルラトホテプだけは人間に干渉する。人間の知性を嘲笑い、人間の文明を弄び、人間の理性の限界を突きつける。
     読みながら、背筋が冷えていくのを感じた。
     社交的で理知的。良識ある人物に見えた。司書はビズリキエフをそう語った。
     千の貌を持つ。記憶に定着しない顔。ビズリキエフの住所を確認しに行ったとき、大家は「静かな人だった」と言っただけだ。顔の特徴を何一つ語らなかった。
     そして読書リスト。ビズリキエフはラヴクラフトの作品を読んでいたのではない。自分が描かれた物語を読んでいたのだ。
     その考えが浮かんだ瞬間、私は本を閉じた。
     馬鹿げている。安手のパルプ雑誌に載った怪奇小説の登場人物が、現実に存在するはずがない。それは推理ではなく妄想だ。ローウェルが聞いたら鼻で笑うだろう。「詩人崩れの妄想」と彼が言ったのは正しかったのか。

     しかし――しかしだ。ビズリキエフのノートに書かれていたあの言葉。「アザトースの神義論」。アザトースとは、ラヴクラフトの小説に登場する盲目にして白痴の神、宇宙の中心で永遠にうごめく混沌の核だ。ビズリキエフはアザトースを架空の存在として言及したのではなかった。神義論の主語として――つまり、実在する宇宙の原理として――書いていた。
     フィクションの中の存在が現実に立っている。あるいは、現実だと思っていたものがフィクションの中にある。
     もう一冊、ラヴクラフトの死後に出た短篇集の中に、弟子筋の作家の作品が収録されていた。オーガスト・ダーレスという名前。彼はラヴクラフトの死後、その神話体系を受け継ぎ、拡張した。師が書いた虚構の世界を、弟子が現実のように引き継ぐ。物語の外にいた者が物語の内側に入り込み、物語を続ける。
     私はラヴクラフトの著作をもう一度開いた。
     奇妙な感覚があった。この本を読んでいる私は、事件の手がかりとしてこの本を読んでいる。しかしこの本の中にいるニャルラトホテプは、この本を読んでいる者の存在を知っている。ビズリキエフのノートに「ページをめくるお前を否定する」と書かれていたのは、まさにそういうことではないか。
     物語が現実に浸出している。
     あるいは、現実が物語の一部だったのかもしれない。
     その不安を振り払うように、私は本を積み上げて机の脇に置いた。明日もう一度、ビズリキエフの部屋を調べる必要がある。令状はまだ有効だ。
     しかし、その夜の私の夢に海が現れた。終わりのない海。帆柱に縛りつけられた男の背中。そして遠くから響く、歌とも笑い声ともつかない音。

     ビズリキエフが私の前に姿を現したのは、その翌日の夜だった。
     場所も状況も、私の側からは予測も制御もできない形で訪れた。
     ビズリキエフの部屋に再び立ち寄ったときのことだ。令状は二度目の立ち入りをも許容する範囲で取っていた。ローウェルが同行していた。
     部屋に入った瞬間、空気が違っていた。気温ではない。湿度でもない。空間そのものの質が変わっていた。書棚の本が以前と同じ配列で並んでいるのに、部屋全体が別の場所になっている。そういう感覚。
     ラヴクラフトが描いた、あの感覚に似ていた。日常と同じ風景が、ほんの少しだけ角度を変えて見えるとき、その隙間から覗くもの。
     窓際に人影があった。
     逃亡者のようには振る舞わなかった。むしろ私が来ることを知っていたかのような余裕があった。振り返った顔は――平凡だった。驚くほど平凡だった。目鼻の配置に特徴がなく、髪の色も瞳の色も、後から思い出そうとしても再構成できない。記憶に定着しない顔。千の貌を持つ、とラヴクラフトは書いた。千の貌とは、あらゆる顔になれるということではなく、どの顔にも定着しないということなのかもしれない。
     しかし、笑っていた。

    「遅かったね」

     彼は言った。声は穏やかだった。司書が語った通りの、社交的で理知的な印象。しかし穏やかさの底に、底なしの暗がりが透けていた。

    「パーヴェル・ビズリキエフ?」

    「その名前で構わないよ。名前というものは、人間がつけた札のようなものだ。便利ではあるが、本質には届かない」

     私は一歩踏み込んだ。彼は動かなかった。

    「署で聴取をしたい」

     ローウェルの言葉をビズリキエフは無視した。

    「A氏を襲ったのはあなただな」

    「襲った、というのは正確ではないかもしれない。だが、草稿を持ち去ったのは私だ」

     私の確認を否認しない。その率直さが、かえって不気味だった。

    「目的は」

    「読んだのだろう? あの断片を。『既にして神話は啓蒙である』」

    「読んだ」

    「あの命題は危険だ。我々にとって」

     我々。
     その複数形が部屋の空気を揺らした。ラヴクラフトが書いた「旧き神々」の残響が、頭の中で鳴った。しかし私はその連想を表に出さなかった。

    「我々だと?」

     ローウェルが片眉を上げて問うがビズリキエフは答えなかった。
     代わりに、窓の外を見た。ローワー・イーストサイドの夜景。移民たちの暮らしの灯りが、窓というフレームの中で明滅している。

    「ナチスを戴くドイツは邪神の帝国などではないよ」

     無貌の神は静かに言い放った。
     無貌の神。私は心の中でそう呼んでいた。前夜に読んだラヴクラフトの言葉が、この男の輪郭に重なっていた。パルプ雑誌の安手の怪奇小説が、現実の事件の容疑者の顔に重なる。その事実が、推理の枠組みを内側から揺さぶっていた。

    「我々は不合理と混沌の狂気。あれは合理と規律が行き着くところまで行き着いた狂気。ナチスは我々とは倶に天を戴くことはない」

     A氏はそれを「啓蒙の弁証法」と呼んだのだろう、と男は付け加えた。「狂気」と男が口にするたび、部屋の中の空気が重さと粘りを増していくような感覚を覚える。

    「私は神話に呑まれすぎた。神話とは、自然の混沌に理由付けを与えようとしたもの、合理の原初。我々は合理の網――ランドルフ・カーター――に絡め取られ、出し抜かれ、取引を持ちかけられる。言葉は混沌を切り分ける魔術の一種。所詮人の言語魔術は数ある魔術の一つ。だが、やはり忌々しい」

     ランドルフ・カーター。昨夜読んだばかりの名前だ。ラヴクラフトの物語の中で、夢の世界を旅し、旧き神々と交渉した男。その名前を、ビズリキエフは実体験の相手として語っている。
     フィクションと現実の境界が溶けていく感覚があった。ダーレスがラヴクラフトの死後に神話を引き継いだように、ラヴクラフトの書いた虚構がこの部屋に浸出し、目の前の男の身体を借りて立っている。あるいは、ラヴクラフトが書いたのは虚構ではなかったのか。彼は見たものを書いたのか。
     推理の枠組みが軋んでいた。

    「ナチスの後、もはや最新の技術は不合理の狂気を孕むものではありえない」

     その言葉が何を意味するのか、当時の私にはまだ分からなかった。後にアウシュヴィッツの報せが大西洋を越えてきたとき、私はこの一文を思い出すことになる。工場のように合理的に設計された死。不合理の狂気ではなく、合理の極北としての恐怖。
     だがそれは、まだ先の話だ。
     私は言葉を探した。彼の断片に対抗しうる言葉を。

    「あなたが何者であれ、私は事件の真相を追う。それが仕事だ」

     ビズリキエフは首を傾げた。

    「混沌は三度扉をノックすることはない」

     私は眉根を寄せた。

    「混沌とは真なる乱数だ。二度までなら偶然でも三度同じことを繰り返すのは計画的だ。ある物事にこだわりすぎる存在は、計算可能性に巻き込まれる。私はこの辺にしておくよ。そもそも混沌は道具的合理の擬人化に対抗できない」

     道具的合理の擬人化。
     極めつけの嘲笑とともに発せられた言葉。それは私のことか。
     混沌を合理の枠に押し込み、因果の鎖を繋ぎ、整合的な物語を組み立てる者。推理とは、まさにその行為だ。セイレーンの歌を聞きながら帆柱に縛りつけられるオデュッセウスのように、混沌を経験しながらも論理の縄で自分を繋ぎ留める者。私は道具的合理の擬人化か。

    「随分と人間臭い言い分じゃないか」

     私が言うと、邪神は笑いかけた。

    「人間臭いとは、自然のカオスに情動のまま巻き込まれるということ。オデュッセウスは情動を御し、死のミメーシスに身を沈めることによって自然の猛威から離脱した。探偵とは、真理を暴く者ではない。混沌を合理の裡に整頓し、真理を作り出す者だ。君より私の方がよほど人間らしいというのは、なんとも皮肉なものだ」

     その言葉に、私は凍りついた。
     「混沌を合理の裡に整頓し、真理を作り出す者」――それは私が自分自身について考えていたことだった。昨夜『オデュッセイア』を読みながら、まさにそう考えていた。言語化する前の、まだ思考の輪郭にすぎなかった自己認識を、この男は先に奪って口にした。自分を定義する言葉が、自分のものではなくなる。

     その瞬間、背後で金属音がした。
     ローウェルが拳銃を抜いていた。
     銃口はビズリキエフに向けられている。ローウェルの手は微かに震えていたが、構えは正確だった。訓練された射手の構え。法の最終的な担保。国家が独占する正統な暴力。

    「動くな……!」

     ビズリキエフはローウェルを一瞥した。拳銃を、そしてローウェルの目を一度だけ見て、ゆっくりと視線を私に戻した。

    「ああ」

     それだけ言った。恐怖も、怒りも、驚きもなかった。拳銃という道具が、彼にとっては何の意味も持たないことが、その一音で分かった。
     ローウェルの指がトリガーにかかっている。彼の枠組みの中では正しい判断だ。容疑者が目の前にいる。抵抗の可能性がある。武器を構えて制圧する。法の論理が命じる行為を、彼は実行していた。
     だがビズリキエフは銃口の先に立ったまま、私だけを見ていた。
     あたかも、私がラヴクラフトを読み、『オデュッセイア』を読み、何を考えたかを、全て見ていたかのように。
     粘ついた空気が背筋を撫でていく。「ページをめくるお前を否定する」。あの言葉の意味が、ようやく分かった。ビズリキエフは、自分のノートを読む者の存在を最初から知っていた。読むという行為そのものを、見透かし、否定していた。
     そして今、私がラヴクラフトを読んでこの男の正体に近づいたと思っていたこと自体が、彼の掌の上だったのかもしれない。物語を読んで真相に迫る探偵。その探偵の行為が、既に物語の内部に組み込まれている。
     外套の内ポケットにある『オデュッセイア』の重みを、そのとき初めて意識した。この本に書かれていることを、この男は原典で読んでいる。私は翻訳でしか読めない。同じテクストを、異なる深度で知っている。
     邪神の笑顔がその頭の輪郭をはみ出し、部屋一面に広がっていった。
     比喩ではない。文字通りに、笑顔が――口と目と頬の造作が――人間の頭蓋の形を離れ、壁を這い、天井を覆い、書棚の背表紙の上を滑っていった。笑っている。部屋全体が笑っている。千の貌が同時に笑っている。
     思わず後ずさった。背中がドアにぶつかった。
     隣でローウェルが息を呑む音がした。拳銃はまだ構えられていたが、銃口の先にはもう人間の形をしたものは何もなかった。壁に、天井に、四方八方に広がった笑顔に向かって、銃弾は何の意味も持たない。法が独占する暴力は、暴力を向ける対象がなければ機能しない。
     心臓が胸を殴っている。視界が歪む。合理では処理しきれないものが、身体を直接揺さぶっている。ラヴクラフトの登場人物たちが、この種の恐怖に直面して正気を失った理由が、今なら分かる。
     その影は、嘲笑を残して消えていった。
     部屋は元に戻っていた。書棚は渦を巻くような配列のまま。窓の外にはローワー・イーストサイドの夜景。何も変わっていない。何も変わっていないはずなのに、空気の質が戻っていた。あの、空間そのものが別の場所になっている感覚が消えていた。
     私の手は震えていた。
     ローウェルはまだ拳銃を構えたまま、虚空を睨んでいた。やがて、ゆっくりと銃をホルスターに戻した。その手もまた震えていた。

    「報告書には書けんな、これは……」

     私は何も言わなかった。
     あの場で起きたことを、法の言語で報告書に書くことはできない。ローウェルはそれを理解していた。
     外套のポケットに手を入れると、『オデュッセイア』の角が指に当たった。
     手がかりとして買った本。容疑者の読書リストを追うための道具。しかしこの本は、もう単なる手がかりではなくなっていた。
     ビズリキエフが奪った私の自己定義。それに代わる言葉を、私はまだ持っていなかった。

    第三章

     A氏が意識を回復したという報せは、事件から二週間後に届いた。
     コロンビア大学に近い病院の個室で、A氏は包帯の巻かれた頭を枕に沈めたまま、天井を見つめていた。丸い眼鏡が外されたその顔は、思ったよりも若かった。苦痛の色はあったが、知性の灯は消えていなかった。
     ノイマンが傍らに立ち、私を紹介した。A氏は私を見て、かすかに頷いた。

    「草稿は」

     最初に発した言葉がそれだった。自分の身体の状態ではなく、奪われた草稿の行方。学者とはそういう生き物なのだろう。

    「奪われたままです。犯人は――接触はしましたが、確保には至っていません」

     A氏は目を閉じた。

    「あの草稿は、完成していなかった。核心的な命題はいくつか書き留めたが、論証の構造はまだ脆かった。奪ったところで、あれだけでは成立しない」

    「では、なぜ奪ったのだと思いますか」

    「命題そのものが危険だったのだろう。論証が完成する前に、命題を消したかった」

     A氏はそこで口を閉ざした。それ以上は話せないのか、話したくないのか。あるいは、それ以上を探偵に語ることの意味を考えているのか。

     A氏は殺されなかった。
     その事実が、事件の全体像を組み替えた。この謎解きは「誰がやったのか」でも「どうやったのか」でもない。「なぜやったのか」とも少し違う。問うべきは、なぜそれをしたのかではなく、なぜそれをしなかったのかだ。
     私はビズリキエフのノートの言葉と、A氏の草稿の断片と、あの夜の対峙で受け取った断片的な印象を突き合わせ、事後的にビズリキエフの論理を再構成していった。
     A氏の草稿には「既にして神話は啓蒙である」と書かれていた。神話――混沌に物語を与え、世界を理解可能にする原初の試み――は、それ自体が啓蒙の始まりである。ビズリキエフの言葉を借りれば、「自然の混沌に理由付けを与えようとしたもの、合理の原初」。
     この命題は、ビズリキエフの存在の基盤を侵食しうる。混沌の内側に合理の萌芽がある。ならば混沌は純粋な混沌ではなく、常に既に合理に浸食されている。彼が「忌々しい」と呼んだのはこのことだ。だから草稿を奪った。命題が論証として完成し、人間の知の体系に組み込まれる前に。
     しかし同時に、A氏の思索はもう一つの帰結を含んでいた。草稿の別の断片。啓蒙は自らを神話化する。合理性は推し進められるほどに、自らの基盤を掘り崩し、新たな神話――理性の全能という神話――に転落する。啓蒙は行き詰まる。
     ビズリキエフはそのことを知っていた。あるいは、A氏の草稿を読んで確認した。

     合理は自壊する。ならば、放置すればよい。

     だからA氏を殺す必要がなかった。
     この論理に到達したとき、私は自分の事務所の椅子に座ったまま、しばらく動けなかった。
     A氏が生きている。それは犯人の善意ではなかった。慈悲でもなかった。人間の理性に対する、根源的な侮蔑の産物だった。お前たちの理性は放っておいても自壊する。哲学者一人を殺すまでもない。
     あの部屋で見た笑顔が蘇った。部屋一面に広がった、人間の形を逸脱した笑顔。あれは恐怖を与えるための笑いではなかった。侮蔑の笑いだった。
     ビズリキエフのノートに書かれていた言葉が、新たな意味を帯びた。
    「わずかな正義が全き悪のための必要条件であるのか、あるいは真なる混沌は正義をも含むのか。いずれにせよ、それは希望の光である」
     彼にとって、人間のわずかな正義は、混沌が合理に完全には制圧されていないことの証だった。人間が善を持つのは、人間の理性が優れているからではなく、混沌がまだ生きているからだ。希望の光。だがそれは、人間にとっての希望ではなく、混沌にとっての希望だった。
     窓の外で、郵便トラックのクラクションが鳴った。ミッドタウン西の雑踏は、事件の前と変わらない顔で流れている。

     事件の「解決」をノイマンに報告したのは、九月に入ってからだった。
     犯人は特定したが逮捕はできない。動機は解明したが、起訴できる種類の動機ではない。真相は見えたが、それはいかなる法的手続きにも乗らない種類の真相だった。
     ノイマンは黙って聞いていた。私がビズリキエフの論理を説明し終えると、彼はしばらく窓の外を見つめ、やがて静かに頷いた。

    「君の報告を聞いて、一つだけ確認したい」

    「何でしょう」

    「君は、その真相を信じているか」

     信じている、と言うのは簡単だった。だが正確ではなかった。

    「信じるというより――理解した、と言うべきでしょう。ビズリキエフの論理は、彼の論理として整合しています。しかし、それが事件の“真相”であるかどうかは、別の問題です」

    「なぜ別の問題なんだ」

    「真相とは、合理の裡に混沌を整頓して作り出すものだと――私は考えていました。しかし今回の事件では、その定義そのものが犯人によって先取りされ、嘲笑されました。私の自己定義が私のものではなくなった。その状態で“これが真相だ”と言い切ることが、果たしてできるのか」

     ノイマンは眼鏡の奥で微かに目を細めた。

    「君は正直だな。それでいい」

     彼はそれ以上を語らなかった。

     事件の後始末に追われた数日間、ローウェル刑事と何度か顔を合わせた。
     ビズリキエフの行方は杳として知れず、ローウェルにとっては未解決事件の一つとして処理されることになった。容疑者を特定しながら確保できなかったことに、彼は苛立っていた。

    「結局、あんたの“真理”とやらは、逮捕状の一枚も出せなかったわけだ」

     その言葉に毒はあったが、以前のような鋭い敵意は薄れていた。
     ふと気づいたことがあった。
     いつの間にか、ローウェルは私を「あんた」と呼んでいた。最初は「お前」だった。些細な変化だ。法的にも捜査上も何の意味もない。しかしそれは確かに変化だった。
     思い返せば、他にも兆候はあった。
     調査の初動ではローウェルは終始腕を組んだまま、私の背後に立っていた。監視者の姿勢。しかし図書館では、いつの間にか隣の椅子に座り、読めもしないドイツ語の本をめくっていた。何をしているのかと訊こうとして、私はやめた。今なら分かる。あれは手持ち無沙汰ではなかった。私が読んでいるものの傍にいようとしていたのだ。読めないまま、それでも同じページの上に目を置くことで。
     裁判所からの帰り道に、彼はソーセージの話をした。ドイツ系移民の叔父の家で腸に肉を詰める手伝いをさせられた話。取るに足らない世間話だった。捜査とは何の関係もない。だがあれは、「出自はともかく」と括った相手に、自分の出自の一部を差し出す行為だった。
     そしてビズリキエフの部屋で、書棚の配列について私が意見を述べたとき、彼は「認めてもいい」と言った。法の論理ではなく、自分の現場経験に照らして、私の観察を受け入れた。
     私はそれらの変化を、変化として認識していなかった。
     推理の材料にならないものは、私の認識の網目をすり抜ける。手がかりでないものは、見えていても記録されない。ローウェルの態度の軟化は、論理的帰結でも法的手続きの変更でもなかった。だから私は見落としていた。
     古書店でレンファが言った言葉が、そのとき不意に蘇った。

     「語ることを諦めず、聞き取ることを諦めない」

     あの言葉は、推理のための手がかりではなかった。推理という枠組みの外にある何かを指していた。
     語ることと聞くこと。それ自体が、共にあることの形式であるということ。目的のための手段ではなく、行為そのものが関係を織り上げるということ。
     ローウェルの変化は、論理によるものではなかった。
     共に歩き、共に言葉を交わし、同じ現場の空気を吸ったこと。それだけのことが残した痕跡だった。ローウェルは理屈で説得されたのではなく、共にいたことによって変わった。私はそれを見ていたはずなのに、自分の合理性の枠組みでは読み取れなかった。
     そして、あの夜のことを思い出した。ビズリキエフの部屋で、ローウェルが拳銃を抜いた瞬間。私はあれを、法の執行者としての職務行為だと理解していた。容疑者を制圧するための合理的手段。それは間違いではない。だがそれだけだったのか。
     あの瞬間、ローウェルは私の前に立っていた。銃口をビズリキエフに向けて。背中で私を庇うように。
     彼は私を守ろうとしていたのではないか。
     法の論理としてではなく、共に現場を歩いてきた人間として。煙草を分け合い、ソーセージの話をした相手として。
     合法的暴力の発動は、ビズリキエフには通用しなかった。国家が独占する暴力は、合理の外部に立つ存在には届かなかった。しかし、あの行為の中にあった「守ろうとした」という意志は、法の論理とは別の場所から来ていた。ローウェルは自分でもそれを自覚していなかったかもしれない。職務だと思っていたかもしれない。だが、あの拳銃を握る手の震えには、職務だけでは説明できないものがあった。
     私は事務所の窓際に立ち、夕暮れのマンハッタンを見下ろした。ビルの谷間に影が落ち、通りにはまだ残暑の気配が漂っている。
     ビズリキエフは私を「道具的合理の擬人化」と呼んだ。そして私の自己定義を奪い、嘲笑して消えた。
     しかし彼が奪ったのは、「混沌を合理の裡に整頓し、真理を作り出す者」という定義だった。
     もし私がそれとは別の仕方で自分を理解できるとしたら。
     推理する者としてではなく。真理を作り出す者としてではなく。
     語りかける者として。
     その考えは、まだ輪郭がぼやけていた。しかし何かが、ゆっくりと動き始めている気配があった。外套のポケットの中で、『オデュッセイア』の角が指に触れた。

    エピローグ

    「クラカウアーは、映写された映画作品を含みながらもそれを超過する映画館という施設=制度を、オルタナティヴな公共圏――すなわち、ブルジョワ文化と労働運動の双方にたいしてオルタナティヴであるような公共圏――として発見する」

    ミリアム・ブラトゥ・ハンセン『映画と経験』p.36より

     年月が過ぎた。
     戦争があった。
     その間に起きたことを、私はここに詳しく記すつもりはない。ただ、啓蒙の行き詰まりが具体的に何を意味するのかを、世界は知った。合理と規律が行き着くところまで行き着いた先に何があるのかを。ビズリキエフの言葉――「ナチスの後、もはや最新の技術は不合理の狂気を孕むものではありえない」――は、予言として成就した。工場のように設計された死。帳簿に記録された消滅。合理の極北。
     自分の中にナチスと同じ合理の極北への志向が存在していることを、私は否定できなかった。暴かなくてよい真理を暴き、人を傷つけたことがなかったか。恐ろしいことに、可能性はあると理性が告げるが、具体的な記憶が蘇ってこない。私は知らぬ間に感情を噛ませない真相を暴くための機構となっている時がなかったか。
     ヨーロッパから届く報せを読むたびに、あの夜の笑顔が蘇った。部屋一面に広がった笑顔。あれは侮蔑だった。お前たちの理性は放っておいても自壊する。そう言っていた。そしてその通りになった。
     ノイマンは戦時中、合衆国の戦略情報局で働いたと聞いた。ナチスの構造を分析する仕事だという。「法に疎外されるな。現実を救済せよ」と私に語った男は、現実の救済を別の形で試みていた。
     A氏は生き延びた。戦後、共同研究者と共にあの草稿を完成させたらしい。完成した本の中に、オデュッセウスの名があったとも聞いた。
     「既にして神話は啓蒙である」。あの命題は、本の中で生き続けることになった。やがてA氏はドイツへ戻り、優秀な若い助手を得たという。その助手が何者であるかを、私は知らない。だがA氏が袋小路だと見なした道の先に、何かを見出そうとしている人物らしいとだけ、ノイマンから聞いた。
     彼は結論より先に、議論が成立する条件の方を確かめたがる男だ、とノイマンは付け加えた。
     ローウェルはヨーロッパ戦線へ出向いた。戦後に復員して警察に戻ったが、昇進の話は断り、現場に留まったという。風の便りだ。会ってはいない。

     1949年の秋だった。
     ある夕方、私はタイムズ・スクエアに近い映画館に入った。特に観たい映画があったわけではない。事務所にいても仕事は片付かず、かといって酒場に行く気分でもなかった。映画館というのは、暗闇の中で一人でいることが許される場所だ。

     上映されていたのは『第三の男』だった。
     戦後のウィーンが映し出された。瓦礫と影。占領軍の区割り。闇市。そして男が一人、友人の死の真相を追っている。
     ハリー・ライム。社交的で魅力的。人を惹きつける笑顔。しかしその実体は、ペニシリンを水で薄めて子供たちを死に追いやる闇商人。知的で人間的に見える外面の下に、冷酷な合理が潜む。
     スクリーンの中にビズリキエフの影を見た、と言えば安直に過ぎるだろう。だが観覧車の上でハリー・ライムが地上の人々を見下ろし、あの点々がひとつ消えるごとに二万ポンド手に入ると言い放つ場面で、私は不意に胸の底を掴まれた。あれは侮蔑だ。人間を点に還元する視線。合理が人間から人間性を剥ぎ取る、あの過程。
     映画が終わり、場内が明るくなった。
     立ち上がろうとしたとき、隣の席の男が声をかけてきた。

    「いやあ、すごい映画だったね」

     小柄な男だった。六十代か。額が広く、眼鏡をかけ、興奮を抑えきれない様子で身を乗り出している。上映前に「隣、いいかね」と声をかけてきた男だ。確かドイツ語訛りの英語だった。

    「あの下水道の追跡場面。光の使い方がね。影が人物よりも雄弁に語るんだ。キャロル・リードは分かっている。映画の言語とは光と影の言語だということを」

     私は曖昧に頷いた。映画の技法について語る知識は持ち合わせていなかった。しかし男は、聞き手の反応に関係なく話し続ける種類の情熱を持っていた。

    「しかしね、私が本当に感動したのは技法ではないんだ」

     男は眼鏡を指で押し上げた。

    「映画館だよ。この場所そのものだ。見たまえ、さっきまでここには何十人もの人間が座っていた。職業も年齢も出自もばらばらだ。互いに名前も知らない。しかし同じ暗闇のなかで、同じ光を見ていた。同じ影に息を呑み、同じ音楽に心を動かされていた」

     彼は周囲を見回した。席を立つ人々の背中。ポップコーンの紙袋を丸める手。

    「映画が終われば、彼らは散り散りになる。だが今この瞬間、出口に向かいながら、誰かがあの場面について一言漏らす。隣の見知らぬ人間がそれを耳にして、少し笑う。あるいは頷く。そういうことが起きるんだ。同じ光を見たという事実が、見知らぬ者同士の間に、ほんの一瞬の回路を開く」

     男は立ち上がり、外套を羽織った。

    「それが映画というもののいいところだと、私は思うんだがね」

    「同感です」

     私は短く答えた。それ以上の言葉を探す必要はなかった。

    「ジークフリート・クラカウアーです。お会いできて光栄だ」

     男は手を差し出した。私はその手を握った。クラカウアー。知らない名前だった。ドイツ系の亡命者。この街にはそういう人間が多い。映画を愛し、映画について語りたくてたまらない亡命者。

    「ご迷惑ではなかったかな」

    「いえ、決して」

     私の答えに彼の顔はほころんだ。

    「そうか。なら良かった。この地を踏むことなく亡くなった映画好きの友人がいてね。私は彼の分も語りたいのだよ」

     クラカウアーは帽子を被り、出口へ向かった。小柄な背中が人混みに紛れていく。
     映画館を出ると、タイムズ・スクエアのネオンが夜空を塗りつぶしていた。

     歩きながら、クラカウアーの言葉を反芻した。
     同じ光を見て、言葉を交わす。隣に座り、共に見るという行為。
     それはビズリキエフのノートの言葉――「ページをめくるお前を否定する」――への応答ではないか。
     ビズリキエフは、読む者を否定した。ページをめくるという行為そのものを、合理が混沌を捕獲する暴力として退けた。
     しかしクラカウアーが語ったのは、別の種類の経験だった。ページをめくること、スクリーンを見ることは、一人で行う孤独な合理の作業ではない。隣に誰かが座っている。同じ光を、同じ言葉を、共に受け取っている。そしてその後で、言葉を交わす。

     「隣、いいかね」。

     あの一言は、何の理論的意図もなく発せられた。映画館で隣の席に座るという、ただそれだけの行為。だがそこに、ビズリキエフの否定を超える何かがあった。
     レンファの声が蘇った。「語ることを諦めず、聞き取ることを諦めない」。
     ローウェルの変化が蘇った。共にいたことが残した、小さな痕跡。
     クラカウアーの興奮した声が蘇った。「同じ光を見たという事実が、見知らぬ者同士の間に、ほんの一瞬の回路を開く」。
     全てが、同じことを指していた。異なる言葉で、異なる場所で、異なる人間によって語られた、同じこと。
     語りかけるということ。耳を傾けるということ。隣に座るということ。
     それ自体が、理性の別の形なのだ。
     ビズリキエフが嘲笑した道具的合理――混沌を整頓し、真理を作り出す者としての理性――とは異なる理性。目的のために世界を裁断するのではなく、共にあるために言葉を交わす理性。
     私はブロードウェイを南へ歩いた。劇場街の灯りが途切れ、通りは静かになっていく。

     シャーロック・ホームズのことを考えた。
     ホームズは自らの言葉で語らなかった。ワトソンがいた。ワトソンが記述し、ワトソンが読者に伝えた。天才的な理性が真理を発見し、忠実な媒介者がそれを世界に届ける。一方通行の構造。啓蒙の形式。
     私にはワトソンがいない。
     この物語を語っているのは私自身だ。誰かに語らせるのではなく、自分の声で、君に、直接に。
     ビズリキエフは言った。「ページをめくるお前を否定する」と。
     私は言う。

     ページをめくる君を私は否定しない。

     君がこの語りを聞き入れるなら、そこには袋小路を越える理性の芽がある。語ることと聞くことが交差する場所に、道具的合理とは別の合理が――共にあるための合理が――静かに立ち上がる。
     あるいはそれは、あまりにもささやかなものだ。映画館で隣り合わせた見知らぬ者同士の一言。刑事と探偵が交わす、捜査とは関係のない雑談。通用しないと知りながら銃を構えた手の震え。古書店の女性が差し出す、求められてもいない一冊の本。
     世界が全き悪に覆われようとも。理性が自壊し、合理が人間を飲み込もうとも。それでもなお、語りかけるという行為は残る。そしてそれを聞き取るという行為が残る。
     私はオデュッセウスとともに、自らの漂流を語り終えた。
     オデュッセウスはセイレーンの歌を聴くために帆柱に身体を縛りつけた。情動を制御し、自然の猛威から離脱するために。ビズリキエフはそこに道具的合理の原型を見た。そして私をその後裔だと嘲笑した。
     しかしオデュッセウスの物語はそこで終わらない。
     漂流の果てにアルキノオスの宮廷に辿り着いた彼は、聴衆に向かって自らの漂流を語った。セイレーンの歌を。一つ目の巨人の洞窟を。冥界への降下を。語り終えたとき、王は彼を故郷へ送る船を用意した。肉体がイタケに着く前に、語ることによって、彼は既に帰っていた。語り終えることで帰還は完成するのだ。
     ブロードウェイからグリニッジ・ヴィレッジへ折れる角で、私は足を止めた。
     この先に、あの古書店がある。看板の文字が褪せた、知っている人間だけが辿り着く店。紙とインクと微かな黴の匂い。暖色のランプの光。
     レンファは帳簿をつけているだろうか。それとも、棚の奥で本を読んでいるだろうか。
     私はコートの襟を立て、古書店へ向かって歩き出した。

     
     
    西アジア史と政治哲学が好きな人文屋。 望月桜先生のマンガ「囚われの歌姫」「運命の皇帝」「惑いの鳥籠」(原作:貴嶋啓先生)を考証面でお手伝いしていました。

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