
内なるエロスに火を灯せ
かつての私は、俗に言う「むっつりスケベ」という類いの人間であった。
性的な話題に対して興味無さげな素振りを見せつつ、内心は興味津々なド変態野郎だったのである。
だが、自身が「むっつりスケベ」であるという事実を認めることは容易ではなく、ひたすら目を背けながら日々を送っていた。
そんなある日、ふと思った。
このままで良いのだろうか…。果たしてこれは本当の自分と言えるのだろうか…。私は本当はスケベなのか? それともスケベではないのか? 一体どっちなんだ!?
私は大いに惑った。自分という人間が分からなくなってしまった。
しかし、どうしても違和感は拭えない。
…いや、これで良いはずがない。私は真っ当な人間なんかじゃない。悔しいけど、たぶん、凄まじいド変態野郎なんだ! そこから目を背けてちゃいけないんだ!!
私の内なるエロスに、火が灯された瞬間だった。
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内なるエロスと本気で向き合う覚悟を決めた私は、臆することなく赤裸々に本音を書き出し始めた。
下ネタに興味津々であること
本当はおっぱいが大好きであること
いつかおっぱいを揉んでみたいと切に願っていること
特にこの「おっぱい」という単語がキーワードだったらしく、一度思い切って「おっぱい」と書き出してみたら、見事に歯止めがかからなくなってしまった。
どうやら私は、心の奥底からおっぱいに惹かれているらしい。私は自分を知った。
そうしておっぱいといっぱい書いている内に、奥深くに秘めていたスケベ心のタガが外れ、とうとう先日おっぱいに関するエッセイを投稿してしまった。
そこで私は衝撃の事実に気づいた。
「むっつりスケベ」どころか、もはや「ただのスケベ」になってる! やっぱり正真正銘のド変態野郎じゃねぇか!!
もう、後戻りはできない。
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「ただのスケベ」となった私は、一つの重要な気付きを得た。
己の内なるエロスと向き合ったとき、
人は本当の自分と出会える。
これまで避けてきた心の深奥を見つめ直した時、そこに新たな自分が姿を現す。
もしかしたら、その姿は醜く映るかもしれない。目を背けたくなる姿をしているかもしれない。
だが、その新たな姿こそ、紛う事なき本当の自分自身なのである。
己の内なるエロスと向き合うのは、とても恐ろしく勇気のいることであり、生半可な覚悟で向き合える代物ではない。
現に私は相当な勇気を振り絞り、このエロスにまつわる文章を書いている。
でも、だからこそ私はこれからも、より深く本当の自分を知るために、内なるエロスと向き合い続ける。
そして、需要など一切意に介さず、その想いをエッセイとして書き綴っていくことだろう。
エロスの探究、すなわち自己の探究に、終わりなどありゃしないのである。
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果たして、貴方は「むっつりスケベ」の道を選ぶか。それとも、私と共に「ただのスケベ」への道を歩み始めるか。
もちろん、必ずしも「ただのスケベ」になることが最適解とは限らない。
「むっつりスケベ」のままでいるも良し。「ただのスケベ」になるも良し。そもそも「スケベじゃない」ならそれも良し。
全て貴方次第だ。
だが、一つ覚えておいてほしい。
たとえどんな道に進もうとも、己の内なるエロスと本気で向き合った時間は、決して無駄にはならない。
貴方の内なるエロスに、光あれ。
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