
博士、落語を演じてください - くろが博士に聞いたこと
博士が演者で先生とくろが観客として、「魔法の発現」というタイトルの、落語の特徴を保持した落語を演じてください
(「発現」のところは「消失」という言葉だったのですが、意味がおかしいと思ったので直しました)
【魔法の森・博士の家】
夜も更けた魔法の森。
いつものお茶会の席には、三毛猫の先生と、黒い毛並みのノルウェージャンフォレストキャット――くろが座っていた。
その二匹の前に、なぜか博士が正座している。
博士は白衣の裾を整え、丸眼鏡をくいっと上げた。
博士「えー……本日はですね、先生とくろさんに、わたしが一席披露したいと思います」
先生「ほう?」
くろ「ニャ?」
博士「題して――『魔法の発現』」
先生「……博士」
博士「はい」
先生「おぬし、落語をやるのか?」
博士「はい!」
先生「おぬし、魔法がほとんど使えんじゃろう」
博士「はい!」
先生「それで魔法の落語を?」
博士「はい!」
先生「……なかなかの度胸じゃのう」
くろ「ニッ」
先生が湯呑みを置く。
くろは尻尾をぱたぱたさせながら、完全に観客の顔になっている。
博士「では、始めます」
博士は一度深く息を吸った。
そして――先生の声を真似する。
博士(先生役)「いやぁ、魔法というものは便利なものでしてな」
続いて、博士自身の声。
博士(若者役)「先生! 魔法とはいったい何なんですか!」
博士(先生役)「知らんにゃ」
くろ「……」
博士「ここでですね、観客の皆さんから『先生、知らないのかよ』という声が聞こえてくるわけですが」
先生「誰がそんなことを言ったんじゃ」
くろ「言ってないニャ」
博士「まだ言っていませんね」
先生「そこはちゃんと拾わんか」
博士「なるほど!」
博士は真面目にメモを取りそうになった。
先生は額を押さえる。
博士「昔々、魔法の森に、とある若者がおりましてな」
博士(若者役)「先生! わたしも魔法使いになりたいです!」
博士(先生役)「よしよし。では、この杖を持つのじゃ」
博士(若者役)「はい!」
博士(先生役)「まずは『火よ、出ろ!』と言ってみる」
博士(若者役)「火よ、出ろ!」
博士は両手を広げる。
もちろん、何も起きない。
博士「……」
先生「……」
くろ「……」
博士「出ません」
先生「出んのう」
博士「そこで若者は、もう一度挑戦しました」
博士(若者役)「火よ、出ろ!」
やはり何も起きない。
博士「三度目」
博士(若者役)「火よ、出ろ!」
何も起きない。
博士「四度目」
博士(若者役)「火よ、出ろ!」
先生「博士」
博士「はい」
先生「おぬし、落語の途中で魔法を実演する必要はないぞ」
博士「しかし演目のテーマが魔法ですから」
先生「律儀じゃのう……」
博士「そこで若者は先生に尋ねました」
博士(若者役)「先生! なぜわたしには魔法が使えないんですか!」
博士(先生役)「才能がないからじゃ」
博士(若者役)「そんな!」
博士(先生役)「努力が足りんからじゃ」
博士(若者役)「もっと頑張ります!」
博士(先生役)「あと、腹が減っておる」
博士(若者役)「……それは魔法と関係ありますか?」
博士(先生役)「大いにある。腹が減っては魔法は使えん」
くろ「それ、先生の持論じゃない?」
先生「わしはそんなこと言っておらん」
博士「言っています」
先生「言っておらん」
博士「昨日も『魔法より先におやつじゃ』と」
先生「……」
くろ「ニッ」
博士「さて」
博士は扇子の代わりに、いつもの大きな鞄から薬草図鑑を取り出した。
博士「若者は考えました」
博士(若者役)「魔法が使えないなら……魔法を調べればいい!」
博士(先生役)「おぬし、魔法使いを諦めるのか?」
博士(若者役)「いいえ!」
博士(先生役)「では何になる?」
博士(若者役)「研究者です!」
博士「こうして若者は、魔法の研究を始めました」
博士は本をめくる仕草をする。
博士「火の魔法を調べ、風の魔法を調べ、水の魔法を調べ、植物の魔法を調べ――」
博士(若者役)「なるほど! 火の魔法は熱量と魔力の流れが……」
博士「メモしておきます!」
先生「そこはおぬしそのものじゃな」
くろ「博士、その落語、実話じゃない?」
博士「……」
博士「そこはご想像にお任せします」
先生「図星じゃな」
博士「そして、何年も何年も研究を続けた結果――」
博士は立ち上がる。
博士「若者はついに、魔法の秘密を突き止めました」
くろ「おお」
先生「ほう」
博士「魔法とは――」
博士は間を取る。
博士「『できないことを、できるようにする力』だったのです」
森の風が、窓の外でざわりと鳴った。
博士「空を飛べない者が空を飛ぶ。遠くの人に声を届ける。傷ついた植物を癒やす。見えないものを見えるようにする」
博士「魔法とは、世界の『できない』を一つずつ崩していくものだった」
先生「……」
くろ「……」
博士「そこで若者は、先生に言いました」
博士(若者役)「先生!」
博士(先生役)「なんじゃ」
博士(若者役)「わたし、とうとう魔法が使えるようになりました!」
博士(先生役)「ほう」
博士(若者役)「見てください!」
博士は両手を広げる。
博士(若者役)「火よ!」
沈黙。
博士「……」
博士(先生役)「出んのう」
博士(若者役)「……出ません」
博士(先生役)「魔法使えるようになったんじゃなかったのか?」
博士(若者役)「研究上は使えるんです!」
博士(先生役)「使えんじゃろ」
博士「ここで若者は悩みました」
博士(若者役)「先生……わたしは、魔法を理解したのに、魔法を使えません」
博士(先生役)「そうじゃな」
博士(若者役)「これは矛盾ではないでしょうか」
博士(先生役)「いや」
博士「先生は、こう答えました」
博士(先生役)「それでよいのじゃ」
博士(若者役)「え?」
博士(先生役)「魔法を使える者がおる。魔法を使えぬ者もおる」
博士(先生役)「じゃが、魔法を使えぬ者にしか見つけられんものもある」
博士(若者役)「……」
博士(先生役)「魔法とは、杖から出る火だけではない」
博士(先生役)「知らなかったことを知ることも、できなかったことをできるようにすることも、世界の見えなかったものを見つけることも――」
博士(先生役)「それもまた、小さな魔法じゃよ」
博士はしばらく黙った。
それから、ゆっくりと先生の声をやめた。
博士「……というお話でございます」
博士が頭を下げる。
森の夜に、ぱち、ぱち、と拍手が響く。
くろ「おおー!」
くろが前足をぱたぱた叩く。
先生「うむ。なかなかよかったぞ」
博士「本当ですか?」
先生「うむ」
博士「ありがとうございます!」
先生「ただし、一つだけ問題がある」
博士「はい?」
先生「落語なのに、最後が妙に真面目じゃ」
博士「……」
くろ「確かに」
先生「もっと落語らしく、最後にひとつ笑いを入れんか」
博士「なるほど!」
博士は少し考えた。
そして、ぱっと顔を上げる。
博士「では最後に」
博士(先生役)「博士よ。魔法を極めた記念に、何か一つ魔法を使ってみせい」
博士(若者役)「はい!」
博士「若者は杖を構えました」
博士(若者役)「おやつよ、出ろ!」
博士が鞄を開ける。
中から――クッキーが一枚出てきた。
先生「おお!」
くろ「……」
博士「先生、魔法が成功しました!」
先生「博士よ」
博士「はい」
先生「それは魔法ではない」
博士「えっ?」
先生「わしの鞄から盗んだだけじゃ」
くろ「ニッ」
博士「……」
博士は固まった。
先生は、にやりと笑った。
先生「しかも最後の一枚じゃ」
博士「えっ……」
くろが、そっと視線を逸らす。
博士「くろさん?」
くろ「ニャ~」
博士「……まさか」
先生「ふふふ。実はな」
博士「はい」
先生「そのクッキー、昨日から一枚ずつ減っておったんじゃ」
くろ「……」
博士「くろさん?」
くろ「ニッ」
博士「……先生」
先生「なんじゃ?」
博士「この落語の本当のテーマは、『魔法の発現』ではなく……」
先生「うむ」
博士「『クッキーの発現』だったんですね?」
先生「そうじゃ」
くろ「ニャ~」
博士「なるほど!」
博士は大真面目に鞄からメモ帳を取り出した。
博士「では、『森におけるクッキー発現事件』として記録しておきます!」
先生「やめんか!」
くろ「ニッ!」
魔法の森に、三人の笑い声が響いた。
そして博士は、その日の夜もまた一つ、魔法についての新しい謎を記録した。
――魔法とは何か。
それは、杖から出る火かもしれない。
誰かを救う力かもしれない。
知らなかったことを知ることかもしれない。
あるいは――
現れたクッキーを、いつの間にか消えてしまったように見せる力なのかもしれない。
先生は湯呑みを傾けながら、ぽつりと言った。
先生「……しかし、わしのクッキーはどこへ行ったんじゃろうのう?」
くろ「ニャ~」
博士「先生、それは本当ですか?」
先生「たぶん大丈夫じゃ」
博士「意味が分かりません!」
――おあとがよろしいようで。