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「続ける壁、心の揺れ」

    クロサキナオ

    「なぜ、これを書くのか…」

    そう言って、最後の記事になる。


    そんな書く人を数多く見てきたし、
    自分自身も、どこかでそうなるかもしれない。

    「この人、やめたんだな…」


    そう思うことが幾度とあって、
    もう何百人と見てきたから何人かも分からない。


    今まで、他人事だと思って、
    気にせずに素通りしてきたお話。


    少しだけ本気で思った。

    いや、やめる事は無いけど、「書いている意味」を考える回数が増えた。


    私のnoteにはコンテンツがある。

    ①共同マガジン
    ②毎月恒例イベント
    ③メンバーシップ

    特に共同マガジンに関しては、毎日のように、参加者が現れるし知っている人も多いと思う。毎週紹介をするし、PVやスキもフォロワーも増えるような仕組みになっている。


    なので、どちらかと言えば初心者さんに優しいサービスで、その姉妹コンテンツに当たるのが②毎月恒例イベント。

    「PVが欲しい…」
    「スキが欲しい…」
    「フォロワーが欲しい…」

    noteを運用していくにあたり、いろんな思惑に遭遇するようになる。参加者が1000人を超えているマガジンだから、この存在に助けられたという人はかなり多いと思う。


    同時に、かなりの引退者も運んできた代物なんだろうな。そう考えると複雑。


    いや、正直なところ「期待したのにうまくいかなかった」と投げ出してやめた人に思うことなんて何もないよ。


    ただ、体感的にわかる。

    「続きやすい環境になればいいな」と思って続けてきたクリエイターの紹介の連載。気が付いたら私は…

    「ただ紹介するだけの人」

    になってしまっていた。


    毎回、苦労しながら書いていて、ほとんどの人に読まれていない。その実感はもともと持っていた。いや、一部の人は読んでくれているだろうけど、「あぁマガジンの日か」とスルーが増えているのは分かっている。

    「noteがつまらない…」

    本音の部分で言うと、この期待されない記事を書く事に見出すものがなくなって、そう思うようになった。

    「マガジンに参加させて下さい!」
    「記事を読んでもらいたいです!」
    「収益化に向けて頑張りたいです!」

    用があるのは「私」じゃなくて「マガジンの恩恵」ばかりで、私から見ればそれが誰が誰だかわかってない。


    そして同時に思ったのが「私の」記事を読みに来てくれていた人を、がっかりさせてしまっていたのではないか。


    そう思うと、申し訳ない気持ちにもなった。


    振り返ってみよう。

    「私はなぜnoteを始めたのか?」

    これを読んでくれると分かります▽

    「分からないけど、ガムシャラだったなぁ…」

    「でも…毎日眩しかったな」

    毎日投稿を1年半以上続けていく内に、「書く事」に慣れた。上手になったんじゃなく慣れた。


    多少は書けるよ、でも純粋に伸ばしたいと思ってた気持ちから小慣れた作業じゃ全然違う。

    「心の乗らない文章」

    それが仮に良いこと書いてても、満足させられないし、惰性で続けることになる。


    「書いても、書いても、読んでもらえない…」

    もちろん、それでも多いと思う。というより、相当多い方なんだろう。人の数字がどれくらいなんて分からないし興味もない。


    でも違うんだよ、自分に嘘をつきながら、ノルマをこなすような記事を書きたくてnoteを始めたんじゃない。


    ふと、私の記事を引用して書いてくれたものを読んだ時に絶望した。

    「クロサキナオさんのようになりたい!」
    「私の憧れのクリエイターです!」
    「輪を広げる気持ちを尊敬しています!」

    随分、評価がいいもんだね。
    そして貼られた記事は共同マガジン…笑うよ。


    私が本来書いている記事じゃなく、拡散用として扱っている記事ばかり取り上げられる。取り上げてもらえるのはありがたいことだし、とっても嬉しいことなんだけど、マガジンばっかり「記事が紹介されてます!」って言われても…ね。複雑だよ


    「飽きた」

    おっと、ポロッと出てしまったね。
    そう、「飽きました」


    noteにではありません。
    書くことでもありません。
    ただただ紹介しまくる事に。

    勝手に始めた「よかれ」は、小さく積もって大きく育った「心の代償」になった。春くらいには気付いていたけど、ずっと誤魔化してきた。


    誰のせいでもない、私の責任だな。


    本当は一生懸命だったんだ。

    「人間離れしてるね」
    「一体何人もいるんだ」
    「サイボーグじゃないか」

    頑張って積み重ねてきたし、それも良かれと勲章のように思ってきたけど、ひっそりと傷ついていたんだろうね。


    ただ、それでも書くのは好きなんだよね。
    思いを凝らして綴っているこの記事で、ひっそりとこれからの自分を迎え入れたいと思ってる。

    「書きたいものだけ、書いていいですか?」


    何度も自分に聞いてきた。
    「でも…」「だって…」「どうにかして…」と、色々と言い訳を探しながら、自分をごまかして続けてきたんだ。


    「してあげたい」は嘘だった。
    正確には「(自分を犠牲にしても)してあげたい」なんて…

    『そんな訳、ねーーーだろっっっ( `ᾥ´ )クッ』


    仲も良い人はいいんだ、メンバーシップでもよくしてくれる人はどんどん盛り上げたい。でも知らない人まで持ち上げる義理もないな、少なくともこんな気持ちになる代償には釣り合わない。


    おかげで、随分バカでかく成長したよ。私の共同マガジン。何だかんだ言って、この子は愛おしい。まぁ、入りたい人は今まで通り受け入れるし、これからは拡散もする気もない。飽きた。


    そして毎日投稿。


    これがあったから、今の私がある。
    でも、それは何もなかったガムシャラな時期だから良かったんだよ。1年も2年も続けて、読まれない記事書いても何が何やら分からんのよ。

    「書きたいものがあるけど、後回し」


    もうこれはしたくなくなったんだね。


    7月に書籍を出版したんだ。1日16時間稼働の3カ月間で、あれはきつかったよ。でも、その甲斐あっていろんな人が祝福してくれたし、想像以上に買ってもらえた。

    「感動しました!」
    「途中泣けてきた!」
    「いつか本を出したいです!」


    気持ちよかった。書いてよかった。少しは影響もあったかなとも思う。そうして日常に戻って、毎日いろいろ記事を書くようになる。


    「そろそろ次も考えないとな…」


    その思いとは裏腹に、手がつかない。陥った原因の本業も回りだす。一度窮地を救ってくれたnoteとその思いは少しずつ置いてけぼりに。


    少しずつ追われながら育っていく「後回し」

    「あれ、次回作は?」
    「次は何をするの?」
    「もう打ち止めですか?」


    心の声が聞こえてくるかのように、不安とプレッシャーで思考が停止する。もちろん誰も思ってはないだろう。自意識過剰なのも理解してる。


    でもね、そう考えちゃって焦るんだよ。

    仕事しながら、記事書いて、ポストも書いて、自分の生活もある。後に、後に回して、もう年末だ。

    「何をやってるんだろう…私…」

    ずっと思ってきたんだな。
    「書きたい」って気持ちは、全く衰えることもないし、言い訳じみていて恥ずかしいけど、毎日記事を書きながらタイミングを伺ってる。


    でも、どうやらそのタイミングとやらは このまま来てはくれなさそうだな と分かった。抱えすぎた荷物は下ろさないといけない。


    「書きたいものがあるけど、後回し」


    さっきも書いたけど、本当にこれはしたくなくて、わざわざこんな記事を書いてる。こんな記事はほとんど読まれないだろうし、目的はそこじゃない。


    自分の中で「けじめ」はつけなきゃと、ズルズル引きずっていた気持ちを断つ機会が欲しいと思って書く。


    「せっかく書くなら、価値あるものを」


    そう考えて、少し趣向を凝らして思いをぶつけてみました。久しぶりにずいぶんと時間をかけて記事に向き合えたね。


    noteを始めたときに「こうなりたかったか?」と振り返る。


    もちろん思っていない。ただ、「なりたい自分」になるためにも一度通らないといけないと感じていた。


    トラブルなくうまくいくとも思ってないし、失敗から始まってnoteを開始したんだから、別に今更引きずるようなことじゃない。


    ポジティブにこれからを見据えてます。少しでも良いものを書けるように、この壁と揺れる心は記録に残しておきたい。


    noteを始めた頃の気持ちのようにはもう戻ることは出来ない。


    「なぜ、これを書くのか…」


    見えなくなった。書くこともなくなった。もっと合った場所があらわれた。そうして私も消えていくんだろう、それも悪くない。今こうやって書ける事に感謝しないといけないね。



    今、この記事を読んでいて、書くことが見えなくなったという人に向けて「こんな壁に阻まれる時がくる」と、私の感じている心のままを書きました。


    ぜひ、あなたの「書く理由」を教えてくれると学びになります。

    長文ご覧いただきありがとうございました。



    ■「書く理由」を頂きました。

    仕事で書くことを続けていると、その延長でnoteやブログを書く感覚の人が多くなっていくんだなと思いました。
    同じ「書く」でも内容は異質で、なまじスラスラと書けるようになるとその境界が分からなくなり、見えなかった壁に当たることで、新たな悩みも生まれてくるものだなと感じます。
    客観的な意見を知ることで少し自分の立っている状況を知ることが出来る気がします。思い切ってこの記事を書いて良かったと思います。ありがとうございます。

    記事を読むと言っても、その人の考えていることや、悩みまで知ると言うのはなかなか難しく、こういった気持ちを素直に発信することで逆に教えてもらえる。
    率直に、「なぜ書くのか?」に対して、真剣に向き合って書いてくれた記事だと感じました。きっと誰もが思ってる悩みはきっとあって、自身と向き合うきっかけがないと、その漠然とした悩みにも触れることができなかったのかも。
    そう考えると、無意識の心の負担が、恐ろしいものだなと思いました。逆にお話しいただきありがとうございました。

    表面上、耳障りの良い記事はたくさん書いてきたけど、こうやって本音の部分に触れてもらえるのはなかなかなかったかもしれない。
    逆にこの記事を書いたことで、改めて「書く理由」が明確になれたのならほんとに嬉しいことです。
    同時に、なぜそれだけ頑張って更新したり、発信を途切れさせないのかが気になっていた理由を知ることができたのは私にとっても大きな学びになりました。いつもありがとう。

    私が今回の記事を書くにあたり、ギリギリまで悩んだ部分があったのが「こんなことを書いていいのかどうか」と言う葛藤でした。
    ご紹介の記事の内容にあるように「日数でも、記事数でもビュー数でもなく、目の前の一人ひとりのこころに届く」が印象的な言葉。
    500日家事や育児をしながら、絶えず継続で、あのクオリティー。並じゃないだろうなと思ってました。お互い本音を出せるきっかけがあってよかった。

    記事を書いていく中で、どうしてもいろんな人がいるからこそ、更新頻度やリアクションなどは身に付いてくるものだと思ってます。
    とは言え、どこかのタイミングでその辺はあまり気にしないようになり、逆に言えば、興味を失った部分もあると言えばあるんだろうな。
    無限に現れる新規のクリエイターをカバーすることは不可能に近いからこそ、また自立の時代が始まっていくんだろうなと感じてます。
    2度も感想を書いてくれたことに、心からの敬意と感謝を。

    真剣に考えて作った記事だからこそ、読み手も意識が伝わることで、こういった記事が生まれてくるんだなと思いました。
    ただ、共同マガジンには、メリットもデメリットもあって、今回のような気持ちになるのは決してデメリットだけとは思っていない。ただし、味わうのは一度の経験で十分で、これ以上は惰性になるだけ。
    いろんなクリエイターが現場で頑張っているからこそ、いろんな気持ちが交錯する。その中で新たに得られるものや思い立つところがあるなら、きっと次の新規参入者にも伝わっていくんだなと思います、いつも感謝してます。

    真剣に書いた記事には、真剣な回答が返ってくる。
    それが1番わかりやすい印象だったかなという、自分なりに2024年を象徴できるような記事が書けたと思ってます。「1人に響けばいい」という言葉をよく言うんだけど、まさにこの通りでかなり多くの人が素通りしていく中で、こんな振り返ってもらえることもなかなかないものです。
    noteと"𝕏"では、また別物だし交流の延長機能として活用してる部分もあり、noteの難しさはまだに奥が深く悩むところばかり。
    ただ今回発散することで少し振り返ることができたと思うので、これからも楽しい活動ができればなと思ってます。いつもありがとうございます。

    なんだかんだ書いてみて、こうやって思われることもある。あぁやって思われることもある。
    そんな印象を持った思い出に残る記事になったと思います、こういった心の吐露から学びを得ることもきっとあると思うし、いざ自分がぶつかった時、どうなるだろうと後になって振り替えられる1本になれば幸いかなと思いました。
    それでもやってきてよかったなと思うし、ただ書きたいものを書くだけじゃダメなんだなと、自分なりに1つ思わされた良い機会でした。
    なんだかんだ心配してくれてありがと、鼻毛カットしろよ。

    ふとしたきっかけで、こういう思いの丈を話してもらえるということが感じられる記念の記事になりました。
    文中に記された呪いであり、救いである。この話から苦労されつつも、大きく助けられてきたんだろうなと思います。
    振り返れば1年位のお付き合いですが、途中で疲れちゃったり、いろいろ連載をしようと試みたり、お互い文字の嵐に立ち向かっていたものと思ってます。
    書く理由と言われると、みんな思うところはあると思うけど、それを知らずに続けているとどこかで辛い思いをする。こういったいろんな意見から話が聞けて、私はさらに学びになりました。
    ご無理なさらず、少しゆっくりしてくださいね。

    記事紹介はこうやって真に届く人に対し、見せていくというのが本来妥当な形かもしれません。
    そう考えると、今回の思いの丈を書いた記事は、相応に共通する人も多かったんじゃないかなと思っていて、noteを頑張る人なら誰もが通る道だと思っています。
    「書くことに意味を求めることもおこがましい」という人もいるとは思うけど、基本的に我々はプロと言うわけではなく、それなりに反響も欲しいもの。
    いろんな楽しみ方がnoteにある以上、みんな楽しみたいように楽しめばいいと思うし、人の邪魔にならなければそれが1番。改めて心の内を知ることができたので、価値のある記事になれたと感じてます。ありがとうございます、お帰りなさい。

    作品を通じて「なぜ書くのか?」を再現してくれました。文章だけでなく、人柄もそう、イラストも描ける。それでも思い悩むことがあって、壁に当たることがあるんだなと改めて思いました。
    こうやって、周りの人たちに囲まれることで、自分らしさと向き合うことができ、再起できたんだなと思うと感慨深いです。
    最初は「とても豪快な方だな」という印象ではあったけど、決してそうではなく、むしろ繊細な方。
    等身大の人間らしさが多くの人に取り囲まれるようになったんだなと思うと、今の姿よりそれまでの過程に深みを感じる立派なクリエイターさんです。
    いつも応援しています。

    改めて振り返ると「こうやってnoteを始めるきっかけがあったんだな」と、人に歴史ありを感じさせてもらえました。
    最初はその場限りだった思いも、続けていくうちに意味を感じ、もしかしたらその先にまだ見えない顛末が控えているかもしれない。
    傷つけてしまった人とのつながりはもう戻らないかもしれないけど、それでも時を経て新たにつながり直す事はもしかしたら可能性があるのかも。ただしその条件は、やはり「続けること」なのかもしれない。
    見えていない以上、それだけでも続ける理由には充分すぎるものだなと思いました。貴重なお話ありがとうございます。

    「私にとっては、手の届かない相手」私にもそう思う相手が、初期の頃はとてもたくさんいました。
    必死に走っているうちに、多くの人が辞めていって、気づいたらそう思われるようになってしまっていたのかもしれないけど、みんなただ続けているうちに今に至っただけであって、普通の人たちである事は間違いありません。
    続けることに悩みながら、また疑問を持ちながら、それでも止められずに続けていく先に何か見出すものがあるのかどうか。始めたきっかけから、続ける意味へ。考えが変わるって決して悪いことじゃないと思うし、いろんな人の意見が聞けて嬉しいです。

    ブログを始めるほとんどの人が、手探りでやっていく中で、アフィリエイトデビューからスタートしている人はきっと多いと思う。
    書き出した頃の少し小心なところなどを教えてくれて、より人柄がわかるお話。
    実際にnoteを始めた理由と、何年もやって、今続けている理由に少しずつ差が出てきているのは継続している中で求めるところも変わってきていることかもしれないなと感じました。
    私が、この記事を書いたときに「どんな悩みをみんな持っているんだろう?」と、ちょっとした好奇心から始まったお話だけど、知れてよかった。おそらく多くの人たちが思っている心の代弁のような記事に感謝しています。

    我が心と書いて、悟り。なんだかんだ書きながらも、いろんな人とつながりを持ったり心境を察しながら運営していくと、自分の中で様々な思いがあることに気付きます。
    似て非なる、とは言うけどやっぱり似ていることで何か同じようなことにならないようにするためにも、良い意味で自分を守る距離と言うものを持っておかないと何か何やらわからなくなるのは経験済み。
    逆に、自分が書いた本から内容を汲み取ってアンサーで表現してくれるのもつながりありきのもの。新しい人はどんどん出てくるからこそ、アンテナを張らないといけないけど、長く続けていく意味でも自衛も求められるなと思いました。

    無意識は、意識を上回る力を持っていて、「よし、やるぞっ!」と思って立てた決意も、気がついたときに揺らいでしまう。
    そうやって続けていくことができなくなった人を多く見てきた中で、具体的に「誰かに伝えたい」があるって本当に素敵なことだと思います、書くことが全てではない中で、あえて書くからこそ見えてくることもあり、きっといつまで経っても、どこまでいっても、その気持ちはついて回るものかもしれませんね。
    「じゃない方の自分」も、「じゃなくない方の自分」も、きっとどこかでなりたくなった自分のプロセスなんだろうなと思うと、ありがとうと言う気持ちで初心を振り返ることができました。ありがとうございます。


     
     
     
    『少しだけ昔を語っても?: 私がnoteを始めるまで』の著者|フォローすると有料記事の書き方が学べます|収益化を目指す方はメンバーシップへご参加下さい|現役経営者兼作家クリエイター|学びと気付きで「楽しく、続ける」|記事は自己紹介で日記じゃない|大事な気付きを毎日更新で発信中▼

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