DAWNという絵葉書について
A HEART FULL EPISODE
「天文古玩」というブログで、一枚の古い絵葉書に出会いました。そこには、新月の空に腰かけて空を見上げるひとりの子どもと、夜明け前の海辺の風景が描かれていました。
タイトルは「DAWN(夜明け)」

このブログは、天文やアンティーク蒐集をテーマにしたサイトで、稲垣足穂の世界観に共鳴するような、蒐集品と深い解説が並ぶ場所です。ものすごい数のコレクションが掲載されており、僕はインターネットの良き例、あるいはヴァーチャル博物館として大大ファンです。
惹かれた理由
この絵を見たとき、なぜか強く惹かれました。その理由は明確ではありませんが、思い当たることはいくつかあります。
まず、描かれている月が右向き=新月であること。これは稲垣足穂がこだわる部分ですが、しばしば一般的には「誕生」や「再出発」の象徴とされるオブジェクトです。
そして、画面には夜明け、新月、幼児という三つのモチーフがそろっています。
いずれも新しい人生の始まりを表す、静かで強いメタファーです。
その中心にいる子どもは後ろを向いていて、性別も表情もわかりません。
僕にはちょうど娘が生まれたばかりだったので、その姿に自然と親しみを覚えました。懐かしさや優しさのようなものが、静かに自分の中に染み込んでくるようでした。

なぜ私はこの絵葉書にこれほどまでに惹かれるのか。答えは、美しい海波や夜明けのグラデーション、そして稲垣足穂を思わせる月のモチーフにあります。しかし、最も心を動かしたのは間違いなく、月に腰掛ける子供の後ろ姿です。
寝癖のついた髪、愛おしい背中、その全てが私の心に訴えかけます。この子はどんな表情をしているのでしょうか。笑顔なのか、満足しているのか、あるいは寂しげなのか―想像は尽きません。
この絵葉書を初めて見たのは、2017年。そして実際に手に入れたのは2023年の年明けです。およそ10年近い時間が経っていました。もちろん、緊急性のある欲求ではありませんでした。「いつか手元に欲しい」という思いはあったものの、日々の中で忘れていた時期もあります。
けれど、確実にこの絵は自分の感性の一部として残り続けていました。
ふとしたときに思い出し、また画面越しに眺めてみる。むしろ、絵葉書のほうが僕を見つめていたような感覚さえあります。、これはつまり、自分の中でゆっくりと熟していた「なんかいいな」という感覚と、この100年前のエフェメラが、どこかでぴたりと重なったということなのだと思います。
あなたにも、そう言うことありませんか?
急に取り憑かれたように、自分の内側に潜む趣味や嗜好の断片が偶然の出会いによって目覚め、そのあとは自分の通奏低音になります。
日常化
2023年、寝る前にふとまた画像を眺めたあと、なんとなく検索してみました。すると、ebayで販売されているのを偶然見つけ、購入しました。
思っていたよりもずっとあっさりと手に入れることができました。
現在は簡素な額縁に入れ、部屋の隅に飾っています。はじめのような高揚感は薄れましたが、それはむしろ、生活に溶け込んだからなのかもしれません。
作品の由来
この絵葉書の出自が気になり、これまで何度も思い出しては画像検索をしていました。「DAWN postcard」などのキーワードで調べても、決定的な情報にはなかなか辿り着けず、
ある日、Pinterestで海外のユーザーが投稿していた絵葉書の画像を見ているうちに、同じシリーズと思われる別の絵葉書の存在に気づきました。
そこから注意深く画面を見ていくと、絵葉書の右上に「J. Harrap & Son」という文字が印刷されていることを発見しました。
調べてみると、これはどうやら絵葉書の出版社であるようです。けれども、この情報だけでは作品そのものの手がかりにはなりませんでした。
次に目を向けたのは、画面内にある黒い縦書きのサインのようなものです。低解像度の画像では判別が難しく、「WAIHAN RONON」とも読めそうな崩れた文字列が浮かび上がります。もしこれが人名であれば、作者のサインである可能性があります。
同じ出版社が他にも同じイラストレーターを起用しているかもしれないと考え、「J. Harrap & Son」の名前でさらに検索を続けたところ、『CUPID SEARCHING FOR A HOME』という別の絵葉書に辿り着きました。
その作品には横書きのサインがはっきりと記されており、そこには「W. Heath Robinson」の文字が確認できました。

W. Heath Robinson(ウィリアム・ヒース・ロビンソン)は、20世紀初頭にイギリスで活動していた画家・挿絵作家で、日本では全く無名ですが、本国では売れっ子であったらしく、この幻想的な水彩画から風刺的な機械仕掛けの図版まで、幅広い作品を残しています。
この絵の由来を知りたくなり、Heath Robinson Museum に問い合わせてみました。絵葉書の画像を添え、「これはW. Heath Robinsonの作品と思われますが、詳細をご存知でしょうか」と。
数日後、返信が届きました。内容は次のようなものでした:
この絵は1916年に制作され、「The Graphic」という新聞に掲載された可能性があります。しかし、それ以上の詳細は当館でも確認できていません。
ただ、この回答には少し違和感がありました。
というのも、私が最初にこの絵葉書を見た天文古玩さんの記事では、「1913年の消印が押された実物」が紹介されていたのです。
つまり、この絵葉書は少なくとも1916年より前に流通していたことになります。
自分でも『The Graphic』のアーカイブを調べてみましたが、この時期のカラー印刷が使われていたのは主にクリスマス特別号で、そこにもこの図柄は見当たりませんでした。 (もちろん、ヒース・ロビンソンのイラストはたくさんありました。売れっ子だったんですね。)
こうした状況から考えて、私はこの絵が絵葉書用の描き下ろし作品である可能性が高いと思っています。
物語の”つづき”

僕はヒース・ロビンソンの関連作品を調べ続けました。
その中で目に留まったのが、『The Moon’s First Voyage』という一枚の絵です(作品リンク)。これは1916年に、ウォルター・デ・ラ・メアの詩集『孔雀のパイ(Peacock Pie)』の挿絵として描かれたとされている作品です。
ただし、実際には詩集本編には収録されておらず、単体で残されている図版のようです。描かれているのは、波立つ砂浜と、淡く色づく空のグラデーション。
私はすぐに『DAWN』との共通点を感じました。
特に、空に浮かぶギザギザと尖った三日月──『DAWN』で子どもが腰かけていた新月とは形が違いますが、
この絵では、三日月に乗って航海を楽しむ複数の子どもたちが描かれています。
おそらく、この場面は『DAWN』で夜明けを見つめていたあの子どもの、その後の物語なのではないか。
きっとその後ろ姿です。
それらのあいだに時間的な連続性があるかはわかりませんが、世界観としての地続き感は確かにあるように思います。
「集める」と言う行為について
この出来事を通じて、あらためて思うことがあります。
それは、蒐集という行為が、単なる物欲とは少し違うのではないかということです。
以前書いた「わたしの「わたしの耽美主義」」という文章にも重なりますが、蒐集とは、自分の心にぴったり合う何かを、自分の世界に迎え入れる行為なのだと思います。
それがあなたにとっては、川辺の石ころかもしれないし、高価ブランドバッグかもしれません。けれど、そういうものを「自分の人生のピース」として持つことは、人生を確実に豊かにします。
多くの場合、それらの「収集対象」は自分の人生とは切り離された時間空間を生きてきたはずで、これからも生きていくはずです。自分とは本来非同期だった存在を、自分の人生に取り入れる。
こんな素晴らしいことありますか?
”ものを少なく持つことが美徳とされる時代”ではありますが、自分と深く呼応する何かを手元に置いておくこと──それは、無駄どころか、意味のある選択なのでは、と思っています。
この絵の来歴は、今も完全には明らかになっていません。だって100年も前のものですから。
けれど、わからないまま関わり続けることにも意味があると思っています。断片を拾い集め、思索しながら、自分との関係を深めていく。そうした時間そのものが、収集の本質なのかもしれません。
参考リンク
1869年創刊、1932年廃刊のイギリスの週刊新聞。
ヒース・ロビンソンの作品と資料を所蔵するロンドン郊外の美術館。
