暮らしの森|トースターを買えない男
暮らしの森には、登場人物それぞれの物語を辿れるエリアがあります。

今現在、開いているエリアは、
『アキラの思考の迷路』。
森の図書館で働くアキラは、
何かを決めるとき、少し時間がかかります。
考えて、調べて、また考える。
本人に言わせれば、慎重なだけなのですが、
周りから見ると、時々考えすぎに見えることもあります。
古びた図書館の整理に追われ、
ようやく新しい図書館が開館したと思ったら。
今度は自動整理ロボット・リブロの登場で仕事が減り始めました。
家に帰れば、ちょっと口の強い奥さん。
さらにハヤトからは、聞いたこともない遺跡への誘いまで。
いろいろ抱えてはいますが、アキラは今日もなんとか日々を過ごしています。

森で一番考える男
図書館をいつもより早く出たアキラは、予定通り電気屋に立ち寄った。
店内には、さまざまな機能のトースターが並んでいる。多機能なものや、手入れがしやすいもの。アキラは一台ずつじっくり眺めていた。
「……なるほど」
値札を見て、説明を読んで、また別の棚へ移る。それから、アキラはスマートフォンを取り出した。
「これも……悪くないな」
「うーん……」
◆
家に着くころには、すっかり日が暮れていた。
玄関で靴を脱ぎながら、小さく咳払いをする。
「……ただいま」
「おかえりー」
奥さんがキッチンから顔を出した。
「あら?手ぶら?」
アキラはほんの少し間を置き答える。
「……候補は3つに絞った」
「買ってないのね」
「……」
古いトースターは電源を入れても、うんともすんとも言わない。
「これ、壊れてるのよ」
「……分かってる」
「じゃあ、明日も焦げたパン?」
アキラは口をつぐんだ。今朝もフライパンで焼いて、黒焦げにしたばかりだった。
「……それは、避けたい」
「じゃあ買えばよかったじゃない」
「……」
「いや……ちゃんと選ぼうと思ってだな」
「で?」
「一つは焼き上がりがいい。もう一つは手入れがしやすい。耐久性の面では──」
「結局?」
「……選べなかった」
奥さんは呆れたような顔をしながら、
おもむろに口を開いた。
「ねぇ。あなたが一番重視してるのは何?」
「……一番か」
アキラは少しの間考えた。
性能か、耐久性か。
それとも手入れのしやすさか。
価格だって軽視できない。
「……悩ましいな」
「あれこれ考えすぎると、決められないわよ」
「まぁ……そうだな」
奥さんは急かさずに待っている。
しばらくして、アキラが口を開いた。
「……壊れないこと、だな」
「前のは何年使えた?」
「7年だったかな」
「じゃあ、次も7年使えるか調べ続けるの?」
「いや、それは……」
アキラは言葉に詰まった。
確かに7年後のことなど誰にも分からない。
「………」
「それより、明日のパンが焼ける方が大事か」
「そうよ。その方がずっと大事」
「……そうだな。明日は買ってくるよ」
─アキラの部屋にて─

情報は増えたはずなのに、
進めなくなったのはなぜなのか?
アキラは自分の部屋に行き、机に向かった。
椅子に座っても、さっきのトースターのことが頭に残っている。
情報は、十分すぎるほど集めた。
店員にも話を聞いたし、比較記事も読んだ。
なのに、決められない。
「……なんでだろうな」
以前は、ここまで悩んだだろうか。
アキラはしばらく画面を見つめていた。
「……そういえば最近、知恵袋見てないな」
ふと、以前よく見ていたサイトのことを思い出した。
質問への答えだけではなく、そこに寄せられた別の人の意見や、それに対する反応まで眺めるのが好きだった。
答えを知るというより、いろいろな考えを読みながら、「わかる。」「いや、それはないだろ。」と、自分なりに解釈していく時間が楽しかった。
「結局、答えはそっちのけだったりしてな」
アキラは苦笑した。
「そういえば、Wikiも見なくなったな」
あれだけの情報が整理されているのに、
最近では読むのが億劫に感じる。
答えに辿り着くまでに、時間がかかるせいかもしれない。
今は、最初から情報がきれいに整理されている。すぐに要約が出てくるし、動画や音声で説明してくれるものもある。
欲しい情報には、一昔前よりずっと早くたどり着けるようになった。
なのに。
選べない。
むしろ、どれも正しそうに見えるからこそ、逆に選べなくなっているのかもしれない。
アキラはパソコンの画面を見つめたまま、小さく息をついた。
「……たかがトースターなのにな」
椅子の背にもたれながら、さっきの言葉を思い出す。
“明日の朝、パンが焼ければいい”
あれくらいでいいのかもしれない。
そう思えば、ずいぶん簡単な事のような気がしてくる。
「とりあえず、明日は買ってくるか」
そうつぶやくと、アキラは静かに画面を閉じた。
アキラという男⑤(終)
洗濯物を前に立ち止まる男
スマホを開封できない男
