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ヘヴンズ・レターー感情を紡ぐ不器用なおじさんと、それを記す少年の話ー【1巻】

    あらすじ

    落選続きの無名小説家・河目桜太郎は、ある日、奇妙な能力を持つ高校生・天砂和織と出会う。

    文才はあるが人との対話が苦手な桜太郎。
    他人の筆跡を完璧に再現できるが、自分自身の字が書けない和織。

    ひょんなことから出会った二人は、“天国から届く手紙”を代筆するサービス『ヘヴンズ・レター』を立ち上げることになる。

    行き詰まった作家と、過去に囚われた少年。
    これは、言葉にできなかった想いを綴り直すことで、生きている者と死者、そして自分自身をも救おうとする、不器用な二人の再生の物語。


    序章

    『この度は当雑誌のコンテストへご応募頂き、ありがとうございました。
    厳正なる審査の結果、誠に残念ながら今回は落選となりました。』

    またか…。
    ふぅ、と浅いため息を吐いて、無機質な言葉が羅列されたノートパソコンを閉じる。
    五分おきに更新ボタンを押していたWebメール。そこに届いたのは先日応募した、優勝者は小説家デビューを確約としたコンテストの結果通知だ。

    平日のファーストフード店は比較的空いてる。
    特にここは駅から少し離れているし、看板も目立たない為に良い穴場であった。
    次第に増えてくる学生の姿に、春休みが終わったのだな、と実感する。
    自堕落な生活をしていると季節感が薄れて良くないとは思いつつ、ペンを取る手をやめられなかった。
    …店が混みだす前に出て行こう。

    コーヒー1杯で何時間も粘るメンタルは持ち合わせていない。
    使い古されたよれよれのトートバッグにパソコンを無造作に入れて、テーブルを片付ける。
    席を立つ時に隣のテーブルに腰が当たり、衝撃で何かが落ちる音がした。

    「あっ、すみません…。」

    咄嗟にしゃがんで床を覗き込めば、綺麗な青色のボールペンが目に入る。恐らくこれが落ちたんだろう。

    「す、すみませんでした。」

    拾い上げて体を起こし、ボールペンの先を自分に向けながら、頭を軽く下げる。
    落とし物を差し出した右手を視界に入れれば、机の上に広げられたノートに目がいった。

    …こんなことになってしまい、申し訳ない。
    …いずれ言おうと思っていたまま、
    …愛する妻と子に残せるものが、

    一部分とはいえ、妙に引っかかる変な文章だ。
    まるで…遺書のような…。
    リストラとか、何かがあったサラリーマンだろうか。
    右手がスッと軽くなり、ペンの主が受け取ってくれたのだと安心して顔を上げれば、想像していなかった姿にまた驚いた。

    「どうも。」

    美人だ。
    いや、声の低さから男、それも学生服だった。
    透き通ったビー玉のような、綺麗な目が見えた気がしたが、次の瞬間には普通のこげ茶色の瞳だった。
    軽く会釈して立ち去りながら、頭の中は応募した小説が落選記録を更新したことよりも先程の文字とキラキラと光る瞳のことでいっぱいだった。
    ゴミの乗ったトレイを機械のように片して、店を出る。
    温暖化の所為か、4月だというのに夏日のような日差し。
    それを避けるように、用もないスーパーを通り抜けて、借りているアパートへ向かう。

    駅から徒歩20分。築46年、独身男性しかいないちょっと古臭いアパートには実家よりも落ち着く謎の安心感がある。
    鍵を差し込んでいつもの通り玄関に入った途端、まるで頭に石像でも乗ったかのように膝から崩れる。
    薄れゆく意識で走馬灯のように今日の出来事が駆け巡る。
    なぜ。
    なぜ、あんな綺麗な少年が遺書を?
    妻子持ち?いや、高校生くらいだよな?
    小説でも書いてるのか?
    ぐるぐると先程の光景がフラッシュバックする。
    何より気持ちが悪いのは、どの文章も同じペンで書かれてる様だったのに、
    『すべて筆跡が違った』ことだった。

    ーチュンチュンチュン…
    スズメの声がする。今日も1日が始まったのだ。

    ふと、独特な臭いが鼻を刺激して不快な気分になる。
    焦点を定めるように目を凝らせば、汚れた白い壁に黒い紐が交差していて、リボンが結ばれている。
    これは…。

    「くっっっさ!!!」

    自分の履き古したスニーカーだ。
    どうやら、あのまま力尽きて、玄関で寝ていたらしい。
    コンテストの結果が気になり、応募してからずっと眠りが浅かったからか、
    時計を見ればおおよそ店を出てから18時間は過ぎていた。
    今日はバイトが無くて良かった。
    生活が出来るギリギリのラインでアルバイトをして、
    それ以外の時間はすべて小説に費やしている。
    つまるところ、今日は執筆日だ。
    洗面台で顔を洗って歯磨きをし、デスクに向かう。

    昨日の子、変な字だったけど、妙に綺麗だった。
    なんというか、生きている字に見えた。
    それぞれが違う人生の字のような…。

    「いや、何を言ってるんだ俺は…。」

    広げたカレンダーの裏紙に文字を綴るが、ミミズの這ったような汚い字が躍る。
    それも、二行目にすら辿り着けない。

    「ああ、クソ…ッ!」

    気晴らしに行こうと玄関を出た足は、昨日のファーストフード店へと向かっていた。
    のんびり歩いたつもりが、思ったより早めに着いてしまった。
    ワンコインのコーヒーだけを頼んで、昨日の席を見れば、隣に昨日の少年が座っていた。
    平日の真っ昼間だというのに、学校はいいのだろうか?
    席に着く際、ちらりと机の上を見れば「遺書」という文字が見えてぎょっとする。
    いや、予想はしていた。
    けど、なんだ、人間、顔だけじゃどうにもならないのだな、と他人事のように思う。
    実際、他人事だ。
    けど、惜しい。
    あれだけきれいな字が書けるのに?
    俺なんて字が汚いから慣れないパソコンで代筆してるのに…?
    そう思うと、俺は少しムカムカしてきた。
    入賞しなかった八つ当たりではない。断じて。
    周りに客が少ないのをいい事に、俺は声をかけた。

    「君、何書いてるの。」

    少年はびくりと全身を震わせて、ノートを隠した。
    自分自身、思ったより無機質な声が出てしまい、動揺した。
    なにせ人と話すのは久しぶりだった。
    戸惑うような少年の視線に、俺は咄嗟にネタに使える何かを持ってる子だと思った。
    思いたかっただけかもしれない。

    「いや、その辺のおっさんくらいの方が話しやすいこともあるかなーと思って、はは。」

    全然うまく話せない。
    変な空気になってしまい、内心冷や汗がたれる。
    不審者がられて、帰られるかもな。
    けれど、少年は予想に反して口を開いた。

    「…遺書を、書いてました。」

    「え。」

    「死にたいなって思って。でも、自分の字がわからないんです。」

    「え、何?どういうこと…?自分の、字…?」

    俺が盛大に混乱していると、
    少年は表情を変えることなくノートを見せた。
    ノートにはやっぱり違う筆跡の羅列で、気味が悪いくらいだ。
    見事に違う筆跡。
    なのに、どれも迷いがない。

    「これは、隣の席の子の字、こっちは数学の先生、これは母親、これはその辺の落書きの…。」

    「ま、待って待って!?字って…、え!?真似してるってこと!?筆跡を!?」

    「真似っていうか…。見た字を頭の中でインストールしてプリントするだけ。簡単じゃん。」

    「は!???」

    なんなんだ、この子…。
    何を言ってるんだ…?
    でも、確かにノートの字はすべて同じペンで書かれていて…、見事に違う筆跡。
    これを…、1人で?
    この子が真似たっていうのか…?

    俺はトートバッグに入れてあったネタ帳を少年に見せる。
    自分以外には解読できなそうなほどの汚い字。

    「な、これ読めるか?そんで写せる…?」

    「え、…まぁ…。」

    少しだけ戸惑い気味に少年はメモ帳を見る。
    これは今書いてる小説の序章部分だ。
    少年の目が字を追うごとに、透き通って見えた。
    あの、ビー玉の瞳だ。
    見間違いじゃない。
    この子の目には、何かがある…!

    ペンを取った少年は、自分のノートにスラスラと書いていく。
    恐ろしいのが、ペンの握り方まで俺と同じだ。
    ゾッとしながらも、俺は胸が高鳴っていたように思う。
    ノートの上を走るインクは、寸分の違いもないようなミミズ文字。
    まるでコピー機でも使ったようだった。

    「…これ、面白い始まりだね。なんの本?」

    少年は変わらぬ態度で聞いてきた。
    俺は今、すごいものを見たと同時に、心臓が震えた気がした。
    恐ろしいほどのコピー能力。
    トレースでもしたかのような精密さ。
    見たはずもないのに、そっくりなペンの持ち方と書き癖。
    それと、今まで言われたこのない賞賛の言葉。
    彼は、俺の小説の冒頭を"面白い"と言ってくれた。
    遺書を書く少年に、興味を持たれた。
    それがどれほどすごい事なのか。
    そんなのは自画自賛だ。
    けど、俺は確実に、この少年の心を動かした。
    その事実に俺の止まりかけていた心臓が、確かに揺れた。

    「…俺が、書いたんだ。」

    「え、おじさん小説家なの?凄いね!」

    「…まだ、おじさんじゃない。それに1回も賞を取ってないし、本も出ていない。」

    「ふぅん…、大変そうだねぇ。」

    そう言って、少年はネタ帳をパラパラと読み出す。
    凄いな、俺の字を解読できるなんて。
    前に出版社にアナログ原稿を送って、唯一来た返答が『文字は丁寧に書いてください。』だった。
    だからパソコンに切り替えたというのに、結果は散々だった。

    「…僕、死んだ人からの手紙を書きたいんだ。」

    「…え?」

    「亡くなった人の未練ってよく聞くでしょ?でもさ、残された人間だって、未練はいっぱいなんだよ。
    "葬儀をして、はい、おしまい。"なんて、普通納得できないよ。」

    少年の言うことはもっともだ。
    実際、グリーフケアというものが存在している以上、遺族側のケアの重要性は高い。
    …そんなことを、この目の前の少年が考えるのか。
    死を考えてる人にこそ、わかることなのだろうか。
    俺は毎日打ちひしがれても、死にたいと思ったことはなかった。
    まだ書きたいことがたくさんあるからだ。

    「なんというか…、すごい考えだな。俺には思いつかない。
    …本当に、君のような子が、将来日本を背負ってくんだろうな…。」

    「…大袈裟。っていうか、遺書書いてる子供に言うことじゃないね。」

    少年は初めて笑った顔を見せた。
    自分と違う、綺麗な顔で、こんなにも切ない顔をするのか。
    何かを諦めたような、どこか冷めた笑いが脳裏に焼き付く。

    「でも、実際考えたんだよ。でもね、僕、相手の感情がよくわからないんだ。」

    「それで…、そんな人生を諦めたような顔をしてるのか。」

    「…はは、すごいね、おじさん。僕の表情が読めるんだ?」

    「違うな、表情もだけど、話を聞く限り、…君は、遺族側…なんじゃないか?」

    少年の表情が硬くなった。
    多分、図星だろう。
    そのことに触れられたくないのか、少年は話を戻した。

    「僕はこのサービスを"ゾンビレター"と名付けてみたんだけど…。」

    「いや、ゾンビレターって怖ぇな!?もう少し感動的にならないか!?」

    真面目な顔をしているが、ネーミングセンス皆無だ。
    そもそもゾンビなんて名前つけられて遺族が喜ぶ訳ないだろう。

    「仕方ないじゃん、こういうの苦手なんだよ…。」

    「…ったく…、そうだな…。
    亡くなった人からの手紙…、空…天国、ヘヴン…。
    ヘヴンズ・レターってのはどうだ?」

    「ヘヴンズ・レター…。」

    「それにしても、少年…。お前の遺書は文脈がぐちゃぐちゃだな…。」

    机の上に放られたノート。
    見えてる部分だけでも文にまとまりがない。

    「じゃあさ、おじさんが考えてよ!僕が代筆するから!」

    「…はぁ!?」

    「いいじゃん、小説のネタになるかもしれないよ?報酬も6対4。おじさんが6でいいよ。」

    「ぐ…ぬぅ…。」

    「…それでさ、最後は…。」

    少年が机の上のノートを見せる。

    「最期は、僕の遺書を手伝ってよ。」



    1話 効力のない遺言書(1)

    「改めまして、俺の名前は河目 桜太郎(かわめ おうたろう)。まだ、32歳だ。」

    「僕は天砂 和織(あまさ かずおり)。絶賛不登校の高校1年生だよ。」

    和織と名乗った目の前の少年はなんとも不思議な奴で、人の筆跡を真似ることができる。
    それに対して俺は素人小説家。
    この少年の壊滅的な文才を補助するためだけにいる。
    昨日、亡くなった人からの手紙を届けるサービス『ヘヴンズ・レター』を開業しようと決め、その実現のために常連になりつつあるファーストフード店に集まったわけだが。
    なるほど、不登校。
    どおりで昼間から集まれるはずだ。

    「あー…、俺は真っ当な大人じゃないし、とやかく言える立場じゃないから一応助言だけするけど…。」

    「うん?」

    「…制服やめたら?」

    「だって、ここ学割きくんだもん。」

    学校に行かない不登校の癖に学割は使うのか。
    確かにこの店は学生証の提示でバーガーセットが割引になる。
    けど、それなら制服の必要はないし、なんなら補導されそうなもんだけど…。
    …なんて思いながらも、他にも腑に落ちない点がある。

    「和織、お前さ。もしかしなくても、結構…金持ち?」

    少年の名前は天砂。
    確か、近所にあるでかい家の表札が天砂だった。
    そんなに多い苗字でもないだろうし、それに制服も多分どっかの私立高校だろう。

    「…そーかもね?」

    「なんだ、ボンボンには学校はつまんねぇか?」

    「…そうじゃない、けど。」

    言葉に詰まった和織を見て、俺はこれ以上追及するのはやめた。
    人間、深く関わりすぎると良くない。
    30年で学んだ俺の教訓だ。

    「で、どうやって依頼を受ける?」

    「火葬場で待機しようよ。」

    「…お前、本当凄い事考えるな…。」

    傷心中の遺族に突っ込んでいけとでもいうのか。
    メンタルが強すぎる。
    俺には絶対無理だとドン引きしていれば、和織は1枚の紙を出した。

    「チラシなり名刺なり、紛れ込ませばいいじゃん。」

    俺は顎に手を当てて考える。
    …正直、傷心中の人にだからこそ、ウケるものはあるだろう。
    こればっかりは好みだ。
    天国からの手紙なんて馬鹿にする人もいるし、縋る人もいる。
    だったら数打つしかないと思うのも事実…。

    「お前、結構頭いいのな。」

    「でしょ?」

    「人の気持ち読めなそうだけど。」

    「うるさいな!」

    そんな掛け合いをしながらチラシを考案していく。
    流石現代っ子とでもいうべきか。
    ものの十分ほどで、WEBサイトまで立ち上げてしまった和織。
    簡素とはいえ、最近はプロじゃなくてもここまで出来るのかと舌を巻いた。
    後はーー、相手の気持ちの理解力と文章力さえ上がれば…。
    …いや、俺には関係ないか。
    この子の乱雑な文をまとめる為だけにいるのだから。

    1時間後、出来上がったのは名刺サイズの広告。

    『ヘヴンズ・レター ~愛する人の天国からの手紙~
    故人様の手書きの文字、思い出のお話から手紙を綴らせて頂きます。』

    …こんなもんか。
    正直、和織の能力は見ないと伝わらない。
    この段階で勝負できるのは俺のキャッチコピーだけだ。
    そう思うとそれなりにプレッシャーがかかる。

    「いいね、シンプルだけど伝わる気がする。」

    「…じゃあこれを…、どうすんだ?俺、広告なんか作ったことないぞ。」

    「今時ネットで簡単に作れるって。僕つくっとくからさ、近くの火葬場調べてよ。」

    「お、おう…。」

    メンタルも強ければ行動力も凄いな。若いからか…?
    そう思ったが、自分が同じ年くらいの時でも、こんな行動力は無かったと思う。
    これがインターネット社会に取り残される気分なんだろうな…。
    カチカチと慣れないパソコンで近辺の火葬場を調べる。
    生憎、市内には火葬場が1個しかなかった。
    割と最近建て替えをしたらしく、写真では綺麗な火葬炉が写っていた。
    …俺にはまだ、葬儀の経験がないから、想像の域を出ない。

    「あった?」

    「お、おお…。1か所な。」

    「よし、今データできたから、印刷しに行こ。」

    テーブルの上にあった食事は既に和織の胃袋に詰められている。
    俺はしばらくこの行動力に付き合わなきゃいけないのか、と内心ため息をついて
    残っていたコーヒーを一気に飲みほした。

    車がないので電車で印刷所へ向かう。
    和織がスマホを操作すると、名刺サイズの広告が印刷機から吐き出された。
    …未知の世界だ。
    呆気にとられてる俺を無視して和織は店を出て先へと急ぐ。

    「…って、え、あれ?お金は…!?」

    「ネットで払ったよ?」

    「すげぇ…、じゃなくて、いや、学生に払ってもらうのも…。」

    「こういうの経費って言うんでしょ?報酬から引けばいいじゃん。」

    そもそも印刷代がいくらかなんて知らないが、確かに今すぐ払えと言われて払えるかは怪しい。
    俺は渋々頷いて出しかけた財布をしまった。
    火葬場というのは大概辺鄙なところにあるもので、バスを乗り継いで着いた頃には17時をまわっていた。
    式場が3か所あるらしく、看板を見る限り今日は2か所でお通夜が行われる予定らしい。

    「んで、どう紛れ込まそうか?」

    「そこはノープランかよ…。」

    「大人の知恵を見せてよ~。」

    「しゃーねぇな…。」

    とは言ったものの、この少年のような奇天烈な発想力など持ち合わせてはいないし、
    遺族の反感を買うような行動はしたくない。
    遺族の目につくところ…。
    ふと、ポケットに手を入れると未使用のポケットティッシュがあった。
    パチンコの広告が入ったよくあるティッシュだ。
    俺はふと、広告を抜き取って、ヘヴンズ・レターの広告に差し替えてみる。
    少し小さいのが気になるが、これなら式場に置いてあっても自然なんじゃ…?

    「和織。」

    「お、アイデア浮かんだ?」

    「これだ…!」

    ポケットティッシュを堂々と見せれば和織は素直に手を叩いた。

    「おお!すごい!!これなら自然に渡せるね!」

    「おう。って、わ、渡すのか…!?」

    「え、置いとくだけで見てもらえるかな?」

    なんでこいつはたまに核心を突くようなことを言うのだろう。
    そりゃあ、誰かが忘れてったように見えるティッシュを拾う人は少ないかもしれない。
    直接渡す…かぁ。
    未開封のティッシュだからいいものの、直接売り込むようで気が引ける。
    けど、確かにティッシュが必要な人ほど、悲しみに暮れているはず。
    そこに付け入る隙はあるだろう。

    「しょうがないな、じゃあ僕が売り込みに行こう。」

    「えっ…!?…大丈夫かよ…。」

    ティッシュを奪い取って和織が式場へと駆けていく。
    その背中を見送っていたが、なんだか嫌な予感がして俺は後を追った。

    「こんな日にまで争わなくたっていいじゃない…!!」

    扉一枚隔てた向こう側から、争う声が聞こえる。
    思わず、和織も俺も扉の前で足が止まった。

    「何よ、亜紀さんだって遺産配分に不満があるでしょう?」

    「そんなこと…っ!」

    「そもそも、爺ちゃんの日記が遺書じゃ効力は無いんだろ?」

    和織は扉に手を添えると、覗ける程度の隙間が開くように、ゆっくりと押した。
    誘われるままに、俺も隙間から様子を覗く。

    涙ぐむ喪服の女性は恐らく最初に聞こえた声の主だろう。
    気弱そうで、年齢は60代くらいだろうか?
    その隣の女性は60代の女性と打って変わって、悲しむどころか苛立った表情を隠しもしていない。
    おそらく50代で濃い化粧の所為もあり派手な印象だ。
    少し離れた先に、俺と年の近そうな眼鏡の男性。
    何やらスマホをいじりながら話をしていて、あまり関心がなさそうだ。
    奥には大きな花祭壇が見えて、遺影写真らしき所には高齢で優しそうな笑顔のお爺さんが写っていた。

    「…なんか、営業できる雰囲気じゃないね?」

    「…だな。もう一か所の方へ行こう。」

    静かにその場を離れて、他の式場へと移動する。
    式場には年配の女性と、その子供らしき人が3人だけ。
    いわゆる家族葬だろう。
    いきなり入ってきた俺たちを訝し気に見る。
    和織はまだしも、俺は大人で、喪服ですらない。
    どう考えても怪しいよな。
    そう思って思わず後ずさるが、和織は反対にどんどん前へと進んでいき、年配の女性に声をかけた。

    「急にすみません。僕こういうものです。良かったらどうぞ。」

    毅然とした態度で広告を見せながらティッシュを渡す。
    年配の女性は目を丸くしてそれを受け取った。

    「ヘヴンズ・レター…?」

    「亡くなった方からのお手紙を書きます。同じ筆跡、言葉で、亡くなった方のメッセージを代筆してるんです。」

    「…悪いけど、これから親父のお通夜なんだ。部外者は出てってくれないか?」

    「…もし!…もし、手紙でも良いから話したいこととかあれば…、ご連絡ください。」

    半ば追い出されるように、式場から出される。
    心なしか、和織の顔が曇っている気がした。

    「…大丈夫か?」

    「うん…。なんか、…うまく言えなかったな、と思って。」

    「…まぁ、普通信じないわな。亡くなった人からの手紙なんて。」

    言葉だけで信憑性は得れないだろう。
    俺だって、"筆跡が真似できる"なんて、この目で見なければ信じなかった。
    それに、文章を考えるのは俺だ。
    あくまで、俺が故人の人柄を読み取って、推測するだけ。
    受け取り手が信じなければ意味がない。
    とぼとぼと2人、火葬場の周辺を歩いていれば、後ろから声がかけられた。

    「あ、あの…、亡くなった人からの手紙…、というのは、本当ですか…?」

    振り向いた先には、眉を下げて目を赤くした、喪服姿の女性。
    最初の式場で覗き見た、その人だった。

    「あ、突然すみません。」

    深々とお辞儀をした女性は品が良く見えた。
    慌てて、俺は返事をする。

    「い、いえ、とんでもない。」

    「…その、亡くなったお義父さんの…、ことが知りたくて…。」

    「僕たちが話してたのは、これです。」

    和織は名刺サイズの広告をポケットから出す。
    女性は両手で受け取ると、文字をゆっくりと追い始めた。

    「…ヘヴンズ・レター…、思い出のお話から、手紙を…。」

    食い入るように見つめる女性に、この人は亡くなった人に心残りがある人だというのがわかる。
    問題は、この人の求めている手紙の内容だ。
    先ほど、揉めていた声が聞こえている以上、簡単な内容ではないだろう。
    依頼につながっても一筋縄ではいかない気がする。
    俺はなんとなく面倒事な予感がして、どうにか胡散臭さを出して依頼が来ないようにしようか、とまで考えていた。
    が、もう1人は違った。

    「あの…、死って、必ず訪れるのに、…突然の事が多いと思うんです。
    僕の母も、そうでした。あの時、もっと優しくすればよかった。
    ちゃんと話せばよかった。そんな後悔ばっかりが押し寄せる。
    だからこそ、誰かに救ってもらいたい時が、あると思うんです。」

    「……そう、あなたも、大事な人を亡くされたのね…。」

    「…お義父さんからの手紙、受け取ってもらえませんか?」

    まだ会って数日の仲だけど、和織は時折、大人びた表情を見せる。
    それは、母親という大切な存在を亡くしたからなのか。
    傷ついて、痛みを知って、その足で立ち上がっているからだろう。
    "誰かに救ってもらいたい時がある"それはきっと彼の本心で、
    おそらく『ヘヴンズ・レター』が出来た理由。
    …けど、遺書を書きたがっている。
    和織は今、どんな気持ちで『ヘヴンズ・レター』を請け負おうとしているのだろう?

    「…そうね…。お願い…、してみようかしら。」

    それはとても悲しい笑顔で、俺には救いを求めているように聞こえた。
    厄介事のありそうな遺族が、記念すべき1人目の依頼人となってしまった。

    お通夜が始まるから、と部外者である俺たちは、日を改めることにした。
    依頼人から連絡があったのはその2日後の事。
    他の遺族には話をしていない、とのことで近隣のファミレスで話を聞くことになった。

    「急にお呼び出しして申し訳ありません。」

    「いえ、こちらこそご依頼ありがとうございます。『ヘヴンズ・レター』の河目 桜太郎です。」

    「助手の和織です。」

    「私、鷹羽 亜紀と申します。今回依頼したいのは、亡き夫の父の事なのですが…、少々複雑なので、ゆっくりお話ししますね。」

    名前しか名乗らない和織に疑問を抱きつつ、俺はとりあえずノートを広げた。
    この2日間、何もしなかった俺ではない。
    あの日、式場で見た看板から故人が"鷹羽 篤次郎"という名前を確認し、
    和織に頼んでネットで検索をしてもらえば、市内じゃそこそこな不動産会社の会長であることがわかった。
    金持ちの葬儀で揉め事といえば、遺産相続が定番だろう。
    愛人がいたとか、隠し子だとか。
    そういう人物関係図を整理するにはやっぱり手書きのメモに限る。
    そして、可能な範囲で相続についての初歩的な知識も予習済みだ。

    「夫の父は、鷹羽 篤次郎と言います。
    子供たちで揉めているのは、そのお義父さんの遺言書のことなのです…。」

    亜紀さんの義父、篤次郎さんは遺言書をノートに記していた。
    その遺言書には法的な効力がない為、内容に納得のいっていない長女が抗議しているそうだ。
    篤次郎さんの妻は死別しており、親兄弟もいないことから、相続人は子供達に絞られる。
    長男、鷹羽 篤志さん…は逝去されていて、子供もいないので相続権から除外される。
    残るは長女の篤妃さん。
    末子の篤子さんの2人のみ。
    簡略的な家系図をノートに書きながら、俺は相続人の名前と関係性を記す。
    亜紀さんが鞄から取り出したコピー用紙には遺言書と書かれたノートの写真が印刷されていた。

    遺言書

    第1条 遺言者は、遺言者名義の次の預貯金を、長男 鷹羽篤志の妻 鷹羽亜紀に3分の1、長女 鷹羽篤妃に3分の1、次女 鷹羽篤子に3分の1相続させる。

     1 A銀行 ◯支店 普通 口座番号◯◯◯◯
     2 B銀行 ◯支店 普通 口座番号◯◯◯◯
     3 C銀行 ◯支店 普通 口座番号◯◯◯◯

    第2条 遺言者は、遺言者名義の次の不動産を、前記 長男 鷹羽篤志の妻 鷹羽亜紀に相続させる。

     1 土地
      所 在  ◯◯市◯◯町◯丁目
      地 番  ◯◯番◯
      地 目  ◯◯
      地 積  ◯◯平方メートル

     2 建物
      所 在  ◯◯市◯◯町◯丁目◯◯番地
      家屋番号 ◯◯番◯◯
      種 類  ◯◯
      構 造  ◯◯
      床面積  ◯階◯◯平方メートル
           ◯階◯◯平方メートル

     3 建物
      所 在  ◯◯市◯◯町◯丁目◯◯番地
      家屋番号 ◯◯番◯◯
      種 類  ◯◯
      構 造  ◯◯
      床面積  ◯階◯◯平方メートル
           ◯階◯◯平方メートル

     4 建物
      所 在  ◯◯市◯◯町◯丁目◯◯番地
      家屋番号 ◯◯番◯◯
      種 類  ◯◯
      構 造  ◯◯
      床面積  ◯階◯◯平方メートル
           ◯階◯◯平方メートル

    第3条 遺言者は、遺言者の有する現金、その他本遺言に記載のない一切の財産を前記 長男 鷹羽篤志の妻 鷹羽亜紀に相続させる。

    ◯年◯月◯日
    住所 ◯県◯市◯町◯丁目◯番◯号
    遺言者  鷹羽篤次郎 印

    「…これは…、本来、相続人ではないはずの"長男の妻"である亜紀さんが優遇されてますね。」

    「そうなんです。多分、お義父さんは私へのお礼のつもりだとは思うのですが…。」

    亜紀さんによる事情はこうだ。
    数年前に体調を崩し、代表取締役を退いた篤次郎さんは会長になり、後を継いだのは長男ではなく、長女の婿である薪次さん。
    本来ならば直系である篤志さんに継がせたいと前々から言っていたそうだが、
    亜紀さんが子供に恵まれないことから先の事を考え、篤志さんは別の道に進むことを決めた。
    ところが事故で命を落としてしまい、結局跡継ぎは薪次さんとなったのだ。

    篤次郎さんは容体が芳しくなく、身の回りのお世話をすぐ近くに住む亜紀さんが行っていた。
    お互い配偶者を亡くしていることもあり、家事を行い、一緒に食事をとることも多かったそうだ。
    長女の篤妃さんは元々篤志さんとも折り合いが悪いこともあり、亜紀さんの事もよく思っていないらしい。
    その為か、実家に寄り付くこともほとんどなく、篤次郎さんへのお見舞いや気遣いは見られなかった。
    次女の篤子さんは、電話のやり取りなどはあるものの、親子の仲がそこまで良くないのか、顔を出すことはほとんどなかったらしい。
    その結果が、財産は分配すれど、不動産の全権限は亜紀さんに譲るという遺言書だ。

    「なるほど…、それは確かに亜紀さん財産を渡したいのも頷ける…。」

    「と言っても、私は不動産の管理なんてできませんし…、なにより篤妃さんが納得されませんから…。」

    「ふむ…。」

    亜紀さんのしていたお世話、疎遠の長女夫婦、連絡はあっても、なかなか家に帰ってこない次女を考えれば、亜紀さんに比重が行くのは妥当といえば妥当だろう。
    ただ、何故ちゃんとした遺言書ではなくノート形式のメモ書きのような遺言書で残したのか。
    手紙を書くためにも、篤次郎さんの思考を読み解かなければならない。

    「亜紀さん、このノート…、実物見せて貰えたりって出来ませんか?」



    2話 効力のない遺言書(2)

    俺たちは亜紀さんの案内で鷹羽邸に足を踏み入れた。
    高そうな調度品が置かれた、恐らく応接室であろう部屋へ通される。
    皮張りのソファの前に立ち、亜紀さんが戻るのを待ちながら、和織に視線を向けた。

    「そういや、なんで名前名乗んなかったんだ?」

    「天砂の名前は…、…使いたくないんだよ。」

    苦々しい顔をして答えた和織を見て思考をめぐらす。
    金持ちの家だもんな。
    親の事業と関わりがあると思われても厄介ってとこだろうか。
    いや、親に迷惑がかかるとか、知られると困るってとこか。
    1人で納得をしていればノックの音が響いて、亜紀さんがノートを持って戻ってきた。

    「お待たせ致しました。どうぞおかけになってください。」

    促されてソファに浅く腰を掛け、机の上に出されたノートを見つめた。
    少し年季の入った大学ノート。
    表紙には達筆な文字で遺言書とだけ書かれていた。

    「…見てもよろしいですか?」

    「はい、どうぞ。」

    拝見します、と断わりを入れて中を開く。
    1ページ目は何も書いておらず、2ページ目から亜紀さんに見せてもらった内容が書かれている。
    それ以降は白紙が続いており、まるでメモ書きのようだった。
    そもそも遺言書として、このノートは成立するのだろうか。

    「ちょっと、失礼しますね。」

    俺はノートを机に戻し、スマホのインターネットで遺言書について調べる。
    先日、長女の篤妃さんが"この遺言書には法的な効力がないと抗議している"と言っていた。
    確かに、"公証役場で作成した以外の遺言書の効力は弱い"と、どこのホームページにも書いてある。
    会社や不動産を持っているような人なのだから、誰が見たって遺産相続で問題が起きることは予想できる。
    篤次郎さんのような上の立場の人が、それに気づかない訳がない。
    何故、ちゃんとした遺言書を用意しなかったんだろうか。
    前々から体調が良くなかったのなら、事前に用意する時間はあったはずだし、お金に余裕があるなら然るべきところに依頼だって出来たはず。
    もう一度ノートを手に取ってペラペラとページをめくると、最後のページに何かが書いてあった。

    「…?」

    大きなマス目に稲妻。
    その隣には下から上へのびた矢印。
    それと謎の四角が並んでいた。
    落書き…というより、何かの暗号だろうか。

    「亜紀さん、これ…。」

    ノートを開いたまま亜紀さんへ渡すと、彼女は驚いた顔をした。
    どうやら気づいていなかったらしい。

    「…な、なんでしょう。これ…。」

    「何かの暗号かと思ったんですけど…。」

    どうやら思い当たるものはないらしく、頬に手をあてて首を捻った。
    1行のマスの数がそれぞれ違うのも気になる。
    横に8マス。
    1番左が上から5マス。
    その右隣は7マス、次に5マス、7マス、5マス、6マス、5マス、7マス。
    何かの有名な詩か何かか?

    「47…。」

    突然、ノートを横で見ていた和織が呟いて、スマホを手に取る。
    そして俺の方を見て手を差し出した。

    「おじさん!ペンと紙貸して!!!」

    「え、お、おう…。」

    バッグにしまっていたノートとペンを取り出して、差し出された手に乗せれば、
    和織は直ぐノートに何かを書き込み始める。
    最初に、書かれていたのと同じマスを見ずに書いたかと思えば、マスの中に文字を入れ始める。
    いろはにほへと…、いろは歌か!

    「この稲妻の角の部分を、矢印の方向…、つまり下から読むと…。」

    「し、ょ、さ、い…。書斎…?」

    「亜紀さん、篤次郎さんの書斎は…、」

    「っ…!あります!」

    俺たちは立ち上がって応接室を飛び出した。

    亜紀さんに着いていけば、少し雰囲気の違う扉の前へとやってきた。
    この部屋は少し、空気が冷たく感じる。
    目配せをした亜紀さんが、扉をゆっくりと開けた。
    なんとなく、部外者を阻むような雰囲気があり、俺は半歩ずつ中に入る。
    足元には細かい模様の絨毯が広がり、高級感が漂っていて、
    目の前には重厚そうなデスク、横を見ればずらりと並んだ背の高い本棚の数々。
    ドラマで見るような立派な書斎だ。

    「書斎に何かあるってことだと思うけど…。」

    手に持っていたノートを見る。
    謎の四角…。
    左側に横長の四角、その隣には小さめの横長の四角が縦に3つ並んでおり、
    真ん中の四角だけ、何かを示すように塗りつぶされている。
    気になるのはその塗りつぶしが全部ではなく、下半分だけ塗られているように見える。
    …まずはこの四角の意味を探さなければ。
    まず目につく大きな本棚を仰ぐ。
    文学小説や経営関係の本、道徳の本であろうタイトルが陳列しているが、
    ジャンル分けしたとしても、ノートの四角に当てはまることはなさそうだ。
    これには和織も両手を組んで頭を悩ませているようだった。

    「…引き出し…?」

    ふと、亜紀さんが呟いて、扉の正面にあるデスクを見つめた。
    俺と和織はデスクの内側に回り込み、椅子を引いた。
    左側に1つ、右側に引き出しが3つある袖机…!
    ノートの図形と見比べれば、一致する。
    袖机の真ん中をあけて、中に入っているファイルを取り出す。
    演説の文や挨拶文など、様々な原稿がしまわれている以外、気になる書類はない。
    少し離れて覗き込んでいた和織が口を開いた。

    「この図形、2段目の引き出しの下だけを意味してるんだよね…?」

    「…まぁ、そう見えるな。」

    「僕が昔読んだ漫画で、引き出しが二重底になっているトリックがあったんだ。」

    二重底…、言われてみれば底が高く感じる。
    引き出しを空っぽにしてから底を調べれば、微妙に色味の違う板が敷かれているようになっていた。
    爪をひっかけて板をはずすと、出てきたのは紐で綴られた古い本だった。
    半紙のような薄い紙の本は、表紙に何も書かれていなかったが、中を開くと数年前の日付が記されている。
    何枚か捲ってみれば、日付はどんどん進んでいく。
    どうやら、日記帳のようだった。
    隠された場所と筆跡からするに篤次郎さんの物だろう。
    遺言書と何か関連があるのだろうか。
    いや、何かあるからこそ、見つかるように暗号を残したんだろう。
    俺は日記帳を亜紀さんに手渡した。

    「篤次郎さんの、日記帳と思われます。」

    受け取った亜紀さんは、その場で日記を静かに読み始めた。
    ペラペラと、ゆっくりと紙をめくる音だけが、書斎に響く。
    日記を読めば、篤次郎さんの考えがわかるかもしれない。
    そんな期待を込めて、俺は日記帳に視線をやる。
    時折、手を止めて涙ぐむ亜紀さん。
    その表情からは、懐かしい過去を慈しむような、どこか儚げな印象があった。
    最後のページ、静かな時間が流れ、一呼吸おいてから亜紀さんは視線を上にあげた。

    「…私には、お義父さんの意図はわかりません。
    けれど…、今までの出来事は、確かに"ここ"に記されています。」

    亜紀さんは日記を閉じると、俺の方へ差し出した。

    「こちらを参考に、お手紙の作成をお願いできないでしょうか。
    出来れば、私は…、お義父さんの不幸で家族と揉めたくないのです。
    私の相続権がなくなっても構いません。どうか、お願いいたします。」

    差し出された本を受け取ると、亜紀さんは深々と俺たちに頭を下げた。

    鷹羽邸を出て、俺たちは何も言わずに最寄り駅まで帰ってきた。
    自然と、いつもの店に向かいそうになった足を、和織が止める。

    「あのさ、…ご飯、食べない?」

    振り返れば、ファミレスに集合したのは14時。
    現在は18時。
    お腹が減ってきてもおかしくはないだろう。
    貧乏かつ不規則な生活をしているせいで、1日1~2食のことが多かったから忘れていたが、
    まだ学生の和織は、本来なら食べ盛りだろう。

    「えーと…、ファミレスとかでもいいのか…?高い店は連れて行けないぞ。」

    「うん。僕ファミレス好きだよ。あ、お金も自分で払うから大丈夫。」

    本当なら年上の威厳として奢りたいとこだが、それは報酬を貰った後にしよう。
    なにせ給料日前だ。
    このまま帰っていれば格安で買い置きしていたカップ麺で夕飯を済まそうとしていたが、
    どこか帰りたく無さそうな和織を前に、断ることは出来なかった。

    ファミレスに着いて、和織はチーズハンバーグセットとドリンクバーを頼んで、俺は安価なドリアだけにした。
    見てくれだけは大人びて見える和織も、ハンバーグとか子供らしい料理が好きなのだと思うと、
    まだまだ可愛らしい少年なんだな、とオジサン臭いことを考えた。

    「そういや、いろは歌、よく気付いたな。」

    「ああ…、あれ?中学の古文でやってたの思い出したんだよね。文字数がどっかで見たことあるなぁと思って。」

    ドリンクバーから持ってきたジュースを飲みながら返事が返ってきた。
    引き出しが二重底になってることにも気づいたし、発想が飛びぬけてることも考慮すると、やっぱり頭の回転が早い子だと思う。

    「…僕の遺書のことなんだけどさ、…亜紀さんに、お母さんが亡くなったって話したでしょ。」

    「…してたな。」

    「…僕、受験の時に…、お母さんといろいろあって、……それで…。」

    「お待たせいたしましたー。」

    タイミングが悪く、店員によってハンバーグとドリアがテーブルに置かれる。
    彼の目が店員を見て、すぐにハンバーグへと移動した。

    「いいよ、話さなくて。」

    「え…。」

    「あ、聞きたくないって訳じゃない!なんつーか…、…そんな顔してする話じゃないだろ…。」

    和織が一瞬、悲し気な表情をしたので、自分の言葉が悪かったと思い、すぐに訂正を入れる。
    だから文章じゃなくて、直接話すのは苦手なんだ…。
    どうも上手くまとまらないし、話し手と聞き手でどうにも相違が出てしまう。
    俺の弁明を聞いた和織は少し安堵した顔をしながら、自分の頬を両手で包んだ。

    「そんな顔ってどんな顔?」

    「…あー、悲しい、とまた違う…。痛い、みたいな…。」

    まるで、「傷を抉られたみたいな顔をしていた。」…と言うのは流石に憚られた。
    俺からしたら、まだ癒えていない傷を自分で抉ろうとしてるように見えたのだ。

    「話したくなったら、聞いてやるよ。…ほら、ハンバーグ食え。」

    「………うん。」

    ナイフとフォークを手渡して、食べるよう促す。
    俺もスプーンを取ってドリアをつつけば、向かいから小さな声で「ありがと」と聞こえたが、聞こえないふりをした。

    食事を先に終えた俺は、持ち帰った篤次郎さんの日記を読み始めた。
    奥さんが亡くなった時から始まった日記で、会社の事や子供らの事が書かれている。
    1ページに1日という訳ではなく、特に書くことがない時は1ページに3日分書かれていることもあった。

    〇月〇日
    長年連れ添った妻が他界した。
    いま思えば、もう少し、彼女に時間を使えばよかったかもしれない。
    会社のことでいっぱいで、ろくに遠出もしなかった。
    金銭に不自由をさせなかったとは思うが、それは彼女の幸せだったのだろうか?

    〇月〇日
    健康診断で肺に異常が見つかった。
    まだ誰にも伝えていないが、精密検査を受けなければいけなくなった。

    〇月〇日
    昨晩、夢で妻に会った。
    言葉は交わさなかったが、何やら呆れ顔だった。
    何を伝えたかったのだろう。

    〇月〇日
    肺がんと診断を受けた。
    まだ腫瘍の転移も見られないため、深刻になる必要はないと言われたが、
    歳なのだから仕方ないだろう。

    〇月〇日
    子供たちに病気を伝えることにした。
    皆、私の体調を伺ってきたが、長男の妻、亜紀さん以外、会いに来る者はいなかった。

    〇月〇日
    検査入院となり、亜紀さんが送迎をしてくれることになった。
    他2人の子供は仕事が忙しいと言っていたので来ないだろう。
    ただの検査だから来なくてもいいのだが、仕事ばかりの私に似てしまったのだなと思う。

    〇月〇日
    急変し、しばらく入院することになった。
    篤妃と篤子の顔を長いこと見ていない気がする。
    会社の売り上げが下がってきていると聞いたが、大丈夫なのだろうか。

    〇月〇日
    退院後、初めて会社に顔を出した。
    薪次が事業の拡大を考えていると言っていたが、目も当てられない計画だった。
    話を聞けば篤妃が唆したとのこと。
    あいつは目先の欲に囚われすぎる。
    鷹羽家の自覚が足りん。

    〇月〇日
    余命宣告を受けた。
    口うるさい頑固親父がいなくなると、子供たちはせいせいするのだろうか。

    「…何かわかった?」

    ハッとして顔を上げれば、食べ終わった和織がこちらを見ていた。
    …知らぬうちに読み込んでいたらしい。
    日記には寂しげな老爺の姿と、経営者である顔が見え隠れしていて、
    ふと、祭壇で見た優しい笑顔の遺影写真を思い出す。
    本当は、仕事ばかりだった自分に後悔していて、もっと家族孝行したかったのではないだろうか。
    日記からは、そんな風に受け取れる。
    この日記を子供たちに見せる…。
    そうすることで、篤次郎さんは自分を含む、子供たちの行いを省みてほしいのではないだろうか…?

    「…もう少し、読み込んでもいいか?」

    「当たり前でしょ。」

    そう言って和織は追加でデザートを頼んだ。


    3話 効力のない遺言書(3)

    鷹羽邸を訪れてから、3日が経った。
    軽快なメロディが客の来店を告げる。
    客が来たら、商品をレジ打ちして、決まった時間になれば商品を補充する。
    日記を思い返しながらでもこなせる作業で良かった。
    そう思いながらレジにカゴが置かれれば、口が勝手に「いらっしゃいませー。」と動く。
    客の顔を見ることもなく、カゴの中にある商品のバーコードをスキャンしていけば、
    目の前の客が話し始めた。

    「そんなんじゃ対応悪いんじゃないの?」

    その声は咎める言い方でも、嫌味を言う話し方でもなく、ただ呆れたように笑った。

    「…か、和織…!?」

    「ここでバイトしてたんだねぇ。通っちゃおうかなー?」

    ぜひとも止めてほしい。
    ニヨニヨと揶揄うように口角を上げた和織を無視して会計を促した。

    「980円でーす。」

    「はいはい、現金で。…ところで、」

    レジの機械に千円札が吸い込まれ、ボタンが押されると20円のおつりが吐き出される。
    そのおつりをしまいながら、和織は少し声を潜めて聞いた。

    「手紙どう?書けそう?」

    「…まぁ、おおかた暗記出来てるくらいには読み込んだからな…。」

    書けなきゃ困る。
    そう呟けば、和織は満足そうに頷いてレジ袋を受け取った。

    「今日何時まで?」

    「17時。」

    「オッケー。じゃあこの前のファミレスの裏にある喫茶店で会おうよ。」

    「…え、」

    「もし残業ならメッセージくれればいいからさ、じゃねー!」

    ひらひらと手を振って店を出ていく。
    それを見てた仲良くもない同僚から「…息子さんじゃないっすよね?」と
    不思議がられたが上手な返しも思い浮かばず、「ゆ、友人です…。」とだけ返した。

    急遽、和織に会うことになった。
    と、いうことは、手紙を進めなければならない。
    俺は休憩時間にノートを広げて、篤次郎さんの感情を思い浮かべ、思いつく限りの文章を羅列する。
    寂しさ、苛立ち、不甲斐なさ、様々な感情が交錯し、ふと、手がとまる。
    …俺が受け取った感情の中に、子供たち個々へ向ける想いはあっても、
    子供たち間で協力するだとか、仲良くという感情は存在しない。
    やっぱり、わざと遺言書を依頼しなかったんじゃないだろうか。
    公的な書類として作ってしまえば、裁判でもしない限り異議を唱えることは出来ない。
    大半は、遺言書に従うしかなくなってしまう。
    半ば強制的にだ。
    けど、こうやって粗のある遺言書を見れば、どうにか自分たちに利がいくようにと考える人もいる。
    今回のケースは篤妃さんだ。
    理由がわからなければ、納得のできない人が騒ぐのは明らかだろう。
    その納得できる理由の裏付けとして、篤次郎さんの日記が隠されていた。
    見えるところにあれば、誰かに破棄されたかもしれない。
    だから、暗号というヒントを残して、何があるとも知らせずに隠した。
    私利私欲関係なく、気になった人が見つけ出してくれるように。
    そして、この日記を子供たちに見て、自分の行いに気づいてほしかったのかもしれない。

    「…書ける。」

    篤次郎さんの想いに触れることができた気がした。
    ノートをめくり、今度は文章を整えていく。
    家長として残す言葉、伝えたいこと、言葉が脳に浮かんで、滑るように腕を流れていく。
    ペン先のインクから言葉が溢れて、落書きのような汚い線が系譜の様に紡がれる。
    夢中でペンを走らせ、気づけば休憩中いっぱいまで文章を綴っていた。

    今日は特に忙しくもなく、予定通り定時でバイトは終わった。
    約束の喫茶店へと向かえば、既に和織がジュースを飲んで待っていた。

    「お疲れ様。」

    「ん、お疲れ。」

    近くに通りかかったウエイターにコーヒーを頼んで、俺は日記を取り出した。
    そのまま和織へと手渡せば、彼はすぐに手を伸ばし、パラパラと読み始める。
    届いたコーヒーを飲んで読み終わるのを待っていれば、和織は気難しい顔をした。

    「んんー…。」

    「どうした?」

    「なんだろ、僕にはこの日記、難しいや。」

    そう言って、日記を閉じる。
    ジュースを一口飲んでから、和織は話した。

    「日記…にしては、不自然じゃない?あんまり自分のこと書いてないっていうか…。」

    「…多分、"自分の為に書いた訳じゃない"…からだと思う。」

    「え?日記なのに?」

    「篤次郎さんは、"子供の行い"を日記としてつけてたんだと思う。」

    何それ?と言った和織に、俺は推測したことを説明した。

    「まず、本来の相続権は長女の篤妃さんと篤子さんのみ。」

    「うん。…あれ、そういえば婿さんは?」

    「亜紀さんに聞いたが、篤妃さんの旦那は婿であって、篤次郎さんと養子縁組はしていない。
    …つまり、正式に子供となったわけじゃないから相続権はないんだ。」

    「ふうん…?」

    「だが、篤次郎さんは顔も見に来ない娘たちより、自分の面倒を見てくれた亜紀さんに感謝し、遺産を渡したいと思っていた、…はず。」

    うんうん、と頷く和織を視界に入れながら、俺は頭を整理して話す。
    手紙を書く時とは違う、第三者からの視点。
    視点を変えてみても、不自然なところがなければ俺の推測はおおよそ当たっているはずだ。

    「その事情もろくに知らないであろう娘からすると、遺産が減るのは勿論面白くない。
    じゃあ、どうやってそれぞれの行いを、事実として伝えるか。」

    「……それが、この日記…ってこと?確かに自筆だし、過去に娘と言い争いをしたとか、
    仕事のごたごたとかも書いてあった…!」

    「そう。篤次郎さんは、この日記を全員に見せて、自分たちが納得したうえで分配してほしかった。
    そして、………これが手紙だ。」

    俺は一枚の手紙を、机の上に置いた。
    和織は持ったままだった日記を机の上に置くと、手紙を手に取り、ゆっくりと開いた。
    彼の目が右から左へ文字を追う毎に、店内のBGMや周りの話声が聞こえなくなる。
    暑くもないのに、膝の上で作った拳の内側が、じわりと汗ばむ。
    …俺は、篤次郎さんの気持ちを代弁出来ているだろうか?
    彼の、和織の期待に、応えれているだろうか?
    何回か読み返しているのか、静寂が長く感じた。

    「ーーーすっっっごいね!!!桜太郎さん!!!」

    勢いよく手紙から顔をあげた和織は、普段と変わらない目の色なのに、一段とキラキラして見えた。
    顔の周りに星のエフェクトでも飛んでいるかのように、感極まった様子。
    俺は予想だにしていなかった反応に、面を食らった。
    てっきり、「わかんないけどいいと思う!」とか「ありがとー!」とか、軽い反応が来ると思っていた。
    何の裏もなく、ただ純粋な誉め言葉。

    (ああ、ちゃんと届いたのか、俺の言葉は。)

    そのことに、何よりほっとした。
    まだ、俺の言葉は死んでいない。
    誰かに伝えることができる。

    「よし…!次は僕の番だね。」

    和織は日記と手紙を鞄にしまい、力強い目で俺を見た。
    そうだ、俺の紡いだ篤次郎さんの気持ちは、篤次郎さんの文字となって亜紀さん達に伝わるんだ。
    届かないはずがない。
    俺はゆっくりと息を吐いて、返事をした。

    「任せた、和織。」

    「任された!」

    親指をぐっと立てて、和織は口角を上げる。

    「ま、とりあえず今日はここで夕飯食べちゃうね。腹が減ってはなんとやら。」

    「…はいはい。」

    ペースを乱されたが、自分の腹から催促が聞こえてきたので、
    俺も一緒に夕飯を食べることにしたのだった。

    翌日の夕方、和織から電話が来た。
    火葬場から帰る時に無理やり連絡先を交換されてから、
    なんだかんだで、よくメッセージのやり取りをしている。
    ちょうどバイトが終わって帰宅している途中だったので、電話に出た。

    「もしもし?」

    『おーたろーさん!!手紙!できた!!』

    「早ぇな…。」

    そう返しながら、そういえば行動力の塊だった、と思い出す。
    なんなら昨日、家に帰ってからずっとやってたかもしれない。
    彼にとって真似するのは難しくはない様だったが、
    手紙にバランスよく書くのはそれなりに難しいだろう。

    『でさ、じっくり見てほしいんだよね。』

    「お、おう…?」

    『今からおじさんの家行くね。』

    「はぁっ!???俺、今バイト終わって帰ってる所だし…、
    そもそもお前、俺の家知らな…」

    「…もう着いてたりして。」

    電話越しではない声が聞こえる。
    視線を地面から声のした方に向ければ、アパートの前に和織がいた。

    「……俺じゃなきゃ警察案件だぞ。」

    「わー!ごめんって!この前連絡先交換した時にGPSアプリ入れちゃった…!」

    「あ!最近、電池の減り早くなったと思ったらそれか!
    っつか何勝手にGPSアプリ入れてやがる…!」

    「ごめんってばー!!」

    両手を顔の前で合わせて謝る和織にため息をつく。
    ってことは何か、俺の行動は監視されてたということか。
    …まぁ見られて困るような行動はしていないし、
    どちらかといえば家でダラダラしてる大人で情けないという気持ちがある。
    いや、そんなしょっちゅう見るもんでもないか…?
    和織の方をじろりと見れば、眉を下げて視線をそらした。

    「そ、そんな…、たまにしか、見てないし…。」

    「ははーん、俺のバイト先知ったのはこれだな?」

    「そうです…。」

    どおりで都合よく見つかると思った。
    しかし、GPSアプリねぇ…。
    便利なものではあるんだろうが、監視されてると思うとどうにも息苦しい。
    浮気を疑われている世の男はこういうのされてるんだろうな。
    …俺は意味合いが違う気がするんだが。
    ペットか何かと思われてないか?

    「…ちなみに、これ、俺も見れんの?」

    「見れるよ?…貸して。」

    俺にも画面が見れるように、隣に来た和織が操作する。
    元々入ってた使わないアプリをつっこんだフォルダに、
    見覚えのないアプリがあり、それをタップした。
    なるほど、使わないフォルダに紛れ込ませてたってわけか。
    そりゃ気づかない訳だ。
    暫くすると、現在地のマップが画面に広がり、人のマークが2つ現れる。

    「この赤い方が自分で、黒いのは僕ね。」

    「はー…、すげぇな。っつか、お前は見られてもいいの?」

    「…え?うん。別にいいけど。」

    ジュネレーションギャップなのか、和織だからなのかはわからない。
    今時はこれが普通なのか…?
    小説を書くのにも、こういった情報はアップデートが必要かもしれないな…。
    そう考えれば身近に若者がいるのは良い勉強になる気がする。

    「…ま、いいか…。家入るんだろ?」

    「うん!」

    鍵を開けて、玄関に放ったままの靴を足でどかしながら、スペースを作る。
    人が来ることなど想定もしていないから、布団も朝起きた時のままだ。

    「ちょ、ちょっと片づけるから!そこで待機!」

    「はーい。」

    和織を玄関で立たせて、俺はせっせと部屋を片付ける。
    洗濯して放ったままの服を押し入れに押し込み、布団をたたむ。
    テーブルの上に散らばっていた缶チューハイやペットボトルも、まとめてゴミ箱とキッチンの流しへ移動させた。
    なんとか座れるスペースを確保して、和織を呼ぶ。

    「悪い、待たせた。こっち座ってくれ。」

    「気にしないから大丈夫なのに。」

    「俺が、気にするんだよ!」

    和織は案内されたテーブルの前に座ると、スクールバッグから書類ケースを取り出す。
    中には便箋と封筒が入っており、いよいよ手紙が見れるのかと、俺は年甲斐もなくワクワクした。
    本音を言えば書いているところも見たかったが、それはまた今度見せてもらおう。

    「じゃあ…、どうぞ。」

    恐る恐る差し出された便箋を、ゆっくりと受け取る。
    息を呑んで、俺は一字一字の造形を確かめるように読み進めた。
    ……一瞬、自分が考えた文章だということを忘れていた。
    それほどまでに、本物感がある。
    パソコンのフォントや、印刷されたものでは味わえない手書きの文字。
    紙に滲むインク、1つとして同じ形のない文字。
    これだけで妙な説得力がある。
    手紙を読み終えて、目を閉じ、息を吐く。
    ……うまく言葉が出ない。
    胸のあたりで言葉がつっかえているようで、開いた口から音が出なかった。

    「…ダメ、だった…?」

    不安げな声に顔を向ければ、和織がこちらの様子を伺っていた。
    違う、そうじゃないんだ。

    「俺…は、」

    脳裏で浮かんでは消えていく言葉を必死にかき集める。
    率直な感想を言えば素晴らしい出来栄えだと思った。
    けど、そんな見た目の話をしてるんじゃない。
    これが、本物にしか見えないことを伝えたい。

    「俺には、この手紙が…、篤次郎さんの手紙にしか、思えなかった。」

    まっすぐに見つめて出た言葉は、なんとも月並みな誉め言葉だったが、
    和織は安心したようにへにゃりと目尻を下げた。

    「……良かったぁ。」

    緊張していたのか、体を脱力させると、ラグの上へと大の字に寝転んだ。
    深く息を吐いて、なんとも清々しい顔をしている。
    まるで一仕事を終えた職人だ。
    いや、実際職人技みたいなものか。

    「これ…、亜紀さん達に読んでもらえるかな…。」

    「…読んでもらうさ。」

    それが依頼で、その為に書いたのだから。
    空を仰いだ和織の頭に、俺はそっと手を乗せた。


    4話 効力のない遺言書(4)

    「…こ、この度は、お時間いただき、ありがとうございます。
    『ヘブンズ・レター』の、河目 桜太郎…です。」

    無数の視線を受け、俺は震えながら自己紹介をすべく頭を下げた。
    まさか、こんなことになるなんて思ってもみなかった。

    遡ること1時間前。
    俺は出来上がった"篤次郎さんの手紙"を手に、亜紀さんに電話をかけた。
    勿論、手紙を渡して読んでもらうためだ。
    数コール後に出た亜紀さんに、今日会う約束を取り付け、和織と合流して鷹羽邸へ向かう。
    そこで待っていたのは、亜紀さん…だけではなく、篤次郎さんの子供たちが集合していた。
    貴族のダイニングのような横に広い部屋に通され、長机に俺と和織、
    反対側に長女の篤妃さん、旦那の薪次さん、次女の篤子さん、亜紀さんが並ぶ。

    「それで?貴方たちがお父さんの日記を見つけたって聞いたけど?」

    足を組んで高圧的な態度をとったのは篤妃さんだ。
    キリっとした目と眉で、長い前髪をセンターで分けたボブカット。
    派手な目元と口紅が、権力者のような威圧感を出している。

    「は、はい、お返しします…。」

    おずおずと日記を鞄から取り出して、机の上に置いた。
    目の前の篤妃さんは、鼻を鳴らして日記を雑に拾い上げた。

    「ボケ防止にでも書いてたのかしら?」

    「…ちょっと、篤妃さん…!」

    悪態をつきながらページをめくる篤妃さんに、薪次さんが口を出すが目で制される。
    肩書で言えば社長である薪次さんの方が立場が上だろうけど、見る限り篤妃さん方が権力は強いようだ。
    篤子さんも日記が気になるようで、横目でチラチラと眺めている。
    亜紀さんは、まるで口を開いてはいけないと命令されてるかのように、静かに座っていた。

    「…何これ?私への愚痴?」

    一通り読んで、篤妃さんは日記をテーブルに放る。
    程なくして篤子さんが日記を手に取り、読み始めた。

    「で?あんたは何者なの?お父さんの知り合い?」

    「いえ、……平たく言えば、手紙の代筆屋です。」

    「代筆ぅ?何…、そんなに弱ってたの…?」

    少々バツが悪そうに、彼女は露骨に目をそらした。
    お見舞いにいくどころか、容体の把握もろくにしていなかったのか…。
    それほど、篤次郎さんを気にかけていなかったのがわかる。
    俺はバッグから、文房具屋で買った高級そうに見えるクリアケースから手紙を取り出した。
    全員が見えるように手紙を持ち上げ、わざとらしいくらいゆっくりとテーブルに置く。

    「篤次郎さんが、皆さんにお伝えしたかったことです。」

    向かいに座る、全員の眼差しが手紙に集まる。
    誰一人、指を動かさなかった。
    最初に口を開いたのは、篤妃さんだ。

    「薪次、……読んで。」

    「え、ぼ…、僕が…!?」

    「いいから、早く。」

    押し切られ、恐る恐る手紙に触れる。
    触れたらどうにかなるわけではない。
    ただ、触れてはいけないような、空気を纏っている。
    震える手で、封筒から中身を取り出し、たたまれていた便箋を開く。

    「んん、…ん。…『子供たちよ、私の遺言者は確認しただろうか?

    このような書を残さなければいけなかったのが、遺憾に思う。
    たしかに、私は仕事人間で、お前たちにたくさんの愛情を注げていなかったやも知れない。
    それが、結果として現れた。
    後悔などしていない。
    もし時を遡っても、私は同じ決断をしただろう。

    (中略)

    日記には、嘘偽りなく書いた。
    各々、自分の行動をしっかり思い返し、また、鷹羽家としてお互いのしてきたことも十分把握しておくこと。
    私が一代で築いてきた鷹羽家である。
    鷹羽家の人間として、恥じぬ行動を心掛けよ。
    私の亡き後、墓石に泥でも塗ろうものなら枕元に立ってやる。
    ゆめゆめ、忘れることなかれ。

    …鷹羽 篤次郞』…。」

    薪次さんが読み終わると、しん…とした静けさだけが部屋に残された。
    手紙を隣の篤妃さんに見せたが、視線だけで確認し、唇を嚙み締めて首を横に振った。
    受け取らないのを確認すると、今度は逆隣の篤子さんへと渡す。
    篤子さんは亜紀さんと一緒に手紙を確認して、視線を伏せる。
    偽物だと知っているはずの亜紀さんもまた、泣きそうな表情で手紙を見ていた。
    それぞれ、複雑そうな顔色を浮かべている。

    それは、全員が、篤次郞の手紙だと信じて疑わなかったという証明だった。
    日記から得た事実や想いは勿論、言葉の言い回しも真似て、
    更にそこから感じられる故人の遺言書の意図という考察を織り交ぜる。
    真実と嘘が上手く混ざり合うと、人は物事の境界線が曖昧になり、疑いづらくなる。
    そして、信じざるを得ない決定打を、手記という形で、自身の視覚で捉えさせる。

    (…本当に。流石だよ、和織。)

    俺だけの文では、ここまで信じさせる事は出来なかった。
    日記で見た癖のある毛筆のような、あの筆跡。
    和織は、完璧なまでに真似をした。
    それにより、誰もが篤次郞を思い浮かべて、亜紀さんが最初に口を開いた。

    「お義父さん…、ごめんなさい。私が子供を産めていれば…、
    篤志さんは後継者になってたのに…!
    私のせいで、お父さんの夢を壊してしまった…!」

    「……お父さんに、家庭の事も仕事の事も、グチグチ言われるのが嫌だったの。
    病気だって聞いても、大したことないと思ってて…帰らなかったの…。
    お父さんも、…卑屈な私に気づいていたのね。
    それでも言い続けていたのは、父として、最後まで娘に教えたかったから、だったのね…。」

    「私、自分のことでいっぱいで、姉や亜紀さんを見ていたから、波風立てたくなくて…。
    ずっと傍観者だった。だって何も秀でてない次女なんて、……必要ないでしょ?
    だから、お父さんに、顔を合わせづらかったのに…、お父さん、待っててくれてたんだね…。」

    亡くなる前に、会えばよかった。
    ちゃんと話をすれば良かった。
    そんな後悔の念が、聞こえてくるようだった。
    それに気づけただけでも、この手紙に意味はあったんじゃないだろうか。
    俺は少しもらい泣きしそうになりながら、家族に偲ばれることを少し、羨ましく思えた。

    「…長女として、この遺書に異論はないわ。
    不服申立てなんてしたら、本当に枕元に立たれそうだもの。」

    「私も。次女として、ありません。……亜紀さんは?」

    「…私、…土地と建物なんてどうしたら…。」

    「……大丈夫です。僕が教えますよ。」

    「…そうね、不動産だもの。私でも、薪次でもどちらでもいいわ。
    扱い方教えてあげるから…、貴女に管理をお願いします。
    …長男の、嫁なのだから。」

    そう亜紀さんに伝えた篤妃さんは、初めて穏やかな笑みを見せた。
    笑みを受け取った亜紀さんもまた、安堵の表情で微笑む。
    こうして鷹羽家の遺産相続問題は閉幕した。
    報酬の話は事前にしていなかったのだが、亜紀さんから想定より多くの報酬が手渡され、
    慌てて断ろうとした俺とは裏腹に、和織が快く受け取ったのだった。
    亜紀さんたちに見送られ、最寄り駅についてから、俺たちはようやく大きな息を吐いた。

    「お疲れさん。」

    「……お疲れ様、流石だね。おじさんの文。
    本当に天国で聞いてきたのかと思っちゃった。」

    「まさか。……まぁ、あの考えが合ってたかはわからないけどな。。」

    「…答え合わせは出来ないからね。
    残された側は信じたいことを信じるだけだよ。」

    「……そう、だな。」

    「じゃ、改めて打ち上げしようよ!焼肉でも行く?」

    しんみりした空気はどこへやら。
    和織は亜紀さんからもらった報酬の封筒を取り出して笑った。
    切り替えの早さにも、だいぶ慣れてきたかもしれない。

    「はいはい。
    付き合いますよ、お坊ちゃん。」

    呆れ笑いで返事をすれば、「やった!」と喜ぶ声が聞こえた。
    他人のいろんな感情に揉まれて、酷く疲れているはずなのに、
    どこか仕事をやり遂げたような、妙な達成感がある。
    あの日、和織に会わなかったら。
    話しかけようなんて思わなかったら。
    選択肢が1つでも違えば、今日、この日は存在しなかった。
    それが、なんとも不思議な心地だった。
    今思えば、小説を書かなきゃいけないという焦燥感に駆られていないのは久々だった。
    それが理由かわからないが、心なしか少し身体が軽く感じる。
    俺たちは、街灯に照らされた焼肉屋への道を軽い足取りで進んだ。

    後日、亜紀さんから改めてお礼の電話が来た。

    『その節は、本当にお世話になりました。』

    「いえ、お力になれて良かったです。」

    『あの手紙。お義父さんの手紙としか本当に思えないわ。
    篤妃さん達にも伝えたのよ。
    あの子たちが書いたのよって。すっごく驚いてたわ。』

    「はは…、でしょうね。
    ………その、…怒ったりはされませんでしたか?篤妃さん達。」

    『…いいえ。
    "あれは父の言葉だった"と、皆言ってるの。
    だからね、河目さん。
    お義父さんの想いを、汲み取って頂いてありがとう。
    …それでね、他にも話したいことがあるの。』

    なんでも、あの日から少しずつ、篤妃さん達から不動産について教わったり、
    一緒に食事に行ったりする仲になったらしい。
    「四十九日には、お義父さんが腰を抜かしてしまうかもしれないわ。」なんて、
    電話越しでもわかるほど、明るく笑っていた。
    俺と和織の書いた手紙は、少なからず、亜紀さん達の心に届いたのだ。
    その事に少し嬉しくなって、俺はついつい長電話を受け入れてしまった。

    その数日後、今度は篤子さんから連絡があった。
    連絡先を教えてはいなかったので、多分亜紀さんから聞いたのだろう。

    『あの、先日お世話になりました。鷹羽篤子です。』

    「ああ、鷹羽さんの。こんにちは、どうされました?」

    『実は…、あの手紙のことなんですが…。』

    先日の事があったから、少し明るめに返答してみたが、
    篤子さんの声色は暗く、沈んでいる様だった。
    改めてみたらやっぱり出来が悪かったとかか…?
    クレームが入るのかと、内心ヒヤヒヤしながら言葉を待つ。

    『これって、依頼主が子供でも受けてもらえます…?』

    「…へ?」

    『あ、お金は私が払います!
    ただ…、その子供のお父さんが亡くなったんですけど、奥さんがツラそうで…。』

    「…お話を、聞いてもいいですか?」

    俺は日時と場所を決めてもらい、すぐに和織にも連絡した。
    詳細はまだ聞いていないが、篤子さんの目から見て、
    ヘヴンズ・レターが必要な人がいると思ってくれたんだろう。
    必要とされたことが嬉しくて、無意識に気合が入る。
    この時はまだ、依頼主が想像していたよりも小さい子供だったということなど知る由もなかった。


    原案詳細:

    続き:https://sutekibungei.com/novels/3f25d192-70ba-42f9-944e-875a6d0d7a3d(連載中)


     
     
    才能がない言い訳を探しながら生きてます。 それでも、ずっと、創作をやめられない。 「何者かになりたかったけど、何者にもなれなかった人間」 おうち:https://rise0s.aikotoba.jp/ グッズ:https://suzuri.jp/rise0s

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