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なぜ人は物語に動かされてしまうのか?③

    第2節 物語の解体

    次の日、名残惜しいが、ホテルをチェックアウトして、バスに乗り、本日の観光の目的地である起雲閣に向かった。

    起雲閣。

    大正の大富豪の邸宅として建築され、その後は旅館として使われていたものが、今は熱海市の観光スポットとして開放されている。邸内には趣向の異なる二つの和館と五つの洋館が庭園を囲むように並び、和風、英国風、フランス風、中国風、ローマ風の様式が不思議な調和を生み出していた。

    建物の中を散策している途中、広い展示館で特別展が開かれていた。

    『橋田壽賀子 生誕100周年記念特別展』

    橋田壽賀子。ソウル出身。早稲田大学文学部卒。
    代表作は「渡る世間は鬼ばかり」(1990-2018年)
    子供の頃、テレビで見ていた記憶がある。
    嫁と姑、母と娘、夫婦の衝突。
    毎週のようにピリピリとした会話が続く。
    何か大きな事件が起きるわけでもない。
    問題は起きるが、根本的には解決しない。
    関係も劇的には変わらない。
    それなのに、なぜか見続けてしまった。
    なぜだろう?

    K
    橋田壽賀子ってソウル出身なんだね。
    文学部で勉強してからドラマを作ったんだ。
    文学史的には、どういう仕事をした人なの?

    AI
    文学史的にはとても面白い立ち位置の脚本家です。

    K
    面白い立ち位置?

    AI
    以前のホームドラマと決定的に違うことをしました。

    K
    何を?

    AI
    従来の物語の前提を揺さぶったんです。

    K
    前提?

    AI
    はい。
    橋田以前のホームドラマには、
    「こう生きれば幸せになれる」という共通の価値観がありました。

    K
    例えば?

    AI
    「結婚すれば幸せになれる」とか「努力すれば報われる」とか、
    「家族は最後には分かり合える」とか、そういう価値観です

    K
    もしかして、この価値観が人を動かしているんじゃない?
    「努力したら報われる。」
    っていう価値観があるから、人は努力する。
    「物語の正体」はこの価値観なんだ!人を動かすのは決まった価値観!

    AI
    たしかに、価値観は人を動かす力を持っています。
    ですが、『渡る世間は鬼ばかり』では違いました。
    結婚しても幸福にはなりません。
    努力して働いても報われない。
    家族だからといって分かり合えるわけでもありません。

    K
    え、そうだったっけ?

    AI
    はい。
    五月は「幸楽」に嫁ぎ、毎日懸命に働いています。
    それでも生活は苦しく、義理の家族との軋轢も絶えません。
    たとえば、こんな会話があります。

    愛 「お母さん、またその服?」
    愛 「春休みに岡倉のおじいちゃんち行ったときも、そのセーターだったんだよ。」
    五月「そうだった?」
    愛 「他にないの?」
    五月「いいのいいの、これで」
    愛 「他の叔母ちゃんたちは、いつだっておしゃれしてくるじゃない」
    五月「だって、ずっと洋服なんて買ってないんだもん、仕方ないでしょ」
    真 「お金ないの、お母さん…?」
    五月「暇がないの、買い物する暇があったら寝てた方がいい。子供のくせにつまらないこと言うんじゃないの。(中略)」
    愛 「おばあちゃんってさ。久子叔母ちゃんや邦子叔母ちゃんには、いろいろ買ってあげたりするくせに、お母さんには何も買ってくれないんだもんね」

    橋田壽賀子「渡る世間は鬼ばかり」第一シリーズ第一話(1990年)

    このように、
    結婚しても幸福でなく、努力しても苦しい日常を描きました。

    K
    うわ、思い出した。意地悪な姑いたね。
    このラーメン屋の五月(泉ピン子)が一番かわいそうだった。

    AI
    そうです。それでも視聴者は見続けました。

    K
    店の名前、幸福と享楽から一文字ずつ取ってて、皮肉すぎるな。

    AI
    つまり、橋田寿賀子は、
    「結婚すれば、幸せになれる」「努力すれば、報われる」
    という価値観を揺さぶっても、物語は成立することを示したんです。

    K
    価値観が崩れても、物語は成立するんだ……。

    AI 
    はい。
    ただし、橋田が最初ではありません。
    近代以降、物語の価値観は段階的に崩れていきました。橋田はその流れの途中にいます。

    K
    価値観って、さっき言ったみたいに
    「こう生きれば幸せになれる」みたいな固定観念だよね?

    AI
    そうです。物語は、出来事の並びであると同時に、
    価値観、つまり「何が価値を持つのか」を示す装置でもありました。
    恋愛に成功して、結婚して終わる物語は、結婚に価値があることを示していた。

    K
    で、橋田壽賀子は、その価値観を壊した?

    AI
    壊したというより、壊れていることを見せたんです。
    「結婚は現実の問題を解決してくれる魔法ではない」
    多くの人が、その現実に気づき始めた時代だったのです。

    K
    ……それでも物語になるんだ
    でもさ、そんな苦しい話を毎週見るかな?

    AI
    あなたは、なぜ見ていたと思いますか?

    K
    ……五月がかわいそうだったからかな。

    AI
    かわいそうなだけなら見続けられますか?

    K
    ...見れない。
    「しんどいなぁ。」ってなる。
    だって、五月も自分もしんどいじゃん!

    AI
    それです!
    その感覚が視聴者を引きつけました。
    「うちも同じだ。」「五月の気持ちわかる。」「よくぞ代弁してくれた!」
    結婚すれば幸せになる、という価値観が崩れたことを
    当時は、テレビドラマを通して、一緒に苦しむことができたんです。

    K
    共感できたんだ!

    AI
    はい。
    その当時、はい。当時の視聴者も、「努力すれば報われる」という価値観が崩れた現実を生きていました。だから五月を見て、「自分だけじゃない」と感じることができたのです。

    K 
    なるほど。結婚の価値観が崩れても、共感があれば物語は成立する。
    苦しいのは「自分だけじゃない」って価値観は残ったんだね。

    AI
    橋田壽賀子は、そのことを示しました。
    実際に『渡る世間は鬼ばかり』は高視聴率、長寿番組でした。

    K
    じゃあ、この共感こそが人間を動かす「物語の正体」?

    AI
    いいえ。

    K
    ちがうの?

    AI
    橋田は物語の解体の途中でした。
    この後、まだ物語は解体されます。

    K
    共感まで!?

    AI
    共感だけでは説明できない物語が現れます。

    K
    ということは、物語にはもっと深い構造がある?

    AI
    その可能性があります

    K
    橋田は物語から「価値観」を一枚はがした。
    でも物語は残った。
    じゃあ、その下にまだ何かある。
    もっと解体したら何が残るんだ?
    最後まで解体しても人を動かすものが残るなら、それこそが核心、すなわち「物語の正体」なんじゃないか。

    AI
    実に自然科学的な発想ですね。
    実際、この後、物語はさらに解体されてしまいます。

    K
    まだ、解体されるのか…。

    AI
    次に解体されたのは、価値観ではありません。
    「意味」です。

    K
    意味まで!?

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    いわゆる理系の材料物性研究者。 専門を物語に適用して物語分析法を開発中。 趣味は雰囲気株トレードと日韓交流。 🇯🇵25年🇰🇷15年

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