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なぜ人は物語に動かされてしまうのか?④

    第3節 弱い物語の系譜 坪内逍遥-橋田壽賀子-村上春樹

    物語は解体することができる。
    解体できる要素の一つが価値観だ。
    橋田壽賀子は「結婚すれば、幸せになれる」「努力すれば、報われる」という価値観を解体した。
    でも、それは途中で、歴史的に物語は解体されてきたという。
    物語を最後まで解体した時、残るのが人を動かす「物語の正体」なのか?

    K
    物語は解体できる。
    橋田壽賀子は、「結婚すれば幸せになれる」「努力すれば報われる」という価値観を解体した。でも、それって物語の解体の途中なんだよね?

    AI
    はい。橋田が壊したのは、長い解体の流れの一部です。

    K
    途中?ということは、その前にも誰かが壊していたってこと?

    AI
    そうです。近代以降、日本の物語は少しずつ「強い世界観」を失ってきました。

    K
    強い世界観?

    AI
    例えば江戸時代までの物語です。善は報われ、悪は罰される。「正義は勝つ」という勧善懲悪が前提でした。

    K
    ああ、『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』みたいな世界か。

    AI
    まさにそうです。当時は社会全体で「何が正しいか」が比較的共有されていました。だから物語も、その価値観を前提として成立していました。

    K
    じゃあ、その価値観を壊した人がいる?

    AI
    います。坪内逍遥です。

    K
    文学史で名前は聞いたことあるけど……何を壊したの?

    AI
    勧善懲悪です。

    K
    なんで?悪い奴は懲らしめるべきじゃない?

    AI
    はい。
    逍遥は「人間は善人と悪人に綺麗には分けられない」と考えたのです。

    K
    ああ……。

    AI
    良い人でも人を傷つける。悪人にも優しさがある。努力しても報われないこともある。

    K
    確かに、現実の人間ってそうだ。

    AI
    だから坪内は、「正しい人間」ではなく、「本当の人間」を描こうとしました。

    K
    なるほど!壊したのは勧善懲悪じゃない。「人間は善悪で整理できる」という価値観だったんだ。

    AI
    その通りです。物語の中心は、「教訓」から「人間観察」へ移ります。

     畢竟、小説の旨とする所は専ら人情世態にあり。一大奇想の意図を繰りて巧みに人間の情を織做し、限りなく窮まりなき陰妙不可思議なる原因よりしてさらにまた限りなき種々様々なる結果をしもいと美しく編いだしつつ、この人の世の因果の秘密を見るがごとくに描き出し、見えがたきものをみえしむるをその本文とはなすものなりしか。(中略) 勧善懲悪をば小説、稗史の主眼とこころえ、彼の本尊たる人情をば疎漏に写すはをかしからずや。

    坪内逍遥 「小説神髄」(1885-1886年)

    K
    古語だから難しいな。現代風に訳すと?

    AI
    現代風に訳すと、
    「小説ってのは、普通では思い付かないような設定を作って、人間のドロドロした感情や世界観を面白く描き出すものでしょう。現実世界にある『なんでそうなっちゃうの!?』っていう複雑怪奇な原因と、そこから生まれる予測不能な結果の数々を、一本の美しいストーリーに編み上げていく!そうやって『この世のリアルな因果関係の秘密』を明らかにして、普段は見えない人間の心の深淵をこれでもかと見せつけてやる。……これこそが、小説が本来やるべき『ガチの仕事』ってやつなんじゃないのかい?勧善懲悪がメインテーマだと思うなんて、クリエイターとしてダサすぎない?」
    という感じになります。

    K
    熱いねぇ(笑)。
    文学史では名前しか知らなかったけど、こんなにロックな人だったんだ。

    AI
    そうです。
    ここでまず、「正義は勝つ」という強い世界観が弱くなります。
    正義が勝たない世界でも生きる人間が描けるようになったのです。
    ただし、この段階ではまだ物語は動いている。
    事件は起きるし、展開もある。
    次に削られたのが「国家」です。

    K
    国家?

    AI
    はい。近代になると、人々に「どう生きれば幸福になれるか」を教えていたのは、国家や社会でした。

    K
    ああ……国家が人生のルールを与えていたんだ。

    AI
    はい。「国家に貢献すれば幸福になれる」「真面目に働けば報われる」という価値観ですね。
    しかし、昭和になり、戦争が終わると、その価値観が崩れます。

    K
    戦争が、「国家が正しい」という物語を壊したんだ。

    AI
    はい。国家は「正義」や「勝利」を掲げました。しかし現実には、多くの人間が苦しみ、命を失った。すると、人々は「国家は本当に幸福を保証するのか?」を信じられなくなります。

    K
    ああ……国家が急に信じられなくなるんだ。

    AI
    はい。
    すると戦後文学では、「人はこう生きるべきだ」という共通ルールそのものが揺らぎ始めます。

    K
    共通ルール?

    AI
    はい。つまり、「結婚して家庭を持つ」「会社で働く」「社会へ参加する」といった、普通の幸福のモデルです。

    K
    ああ……人生の正解みたいなものか。

    AI
    はい。そして、「結婚すれば幸せ」「会社で働けば幸せ」といった
    戦後の幸福モデルも疑われるようになります。

    K
    なるほど。
    それが橋田壽賀子?

    AI
    はい。橋田は「幸福の公式」を解体しました。

    K
    なるほど。坪内は「勧善懲悪」を壊した。
    橋田は「幸福」を壊したんだ。
    でも、幸福が崩れても、不幸が残った。
    人々はまだその不幸を共有することでお互いに共感することができた。
    それで、動くことができた。

    AI
    その通りです。
    そして、90年代以降、さらに物語が弱くなります。
    すると、ついには「意味」そのものが削られます。

    K
    え?意味までなくなっちゃうの?どゆこと?

    AI 
    はい。その究極の段階まで進んだ作家の一人が、村上春樹です。

    K
    村上春樹なんだ!?
    村上春樹はいつも話題になるから、読もうと努力したことはある!
    でも、無理だった。何を言ってるか分からない。
    開始2ページで寝た覚えがある!

    AI 
    それも自然な反応かもしれません。

    K
    なんで?

    AI
    村上春樹は物語の「意味」を固定しない作家です。
    物語には普通、
    「こういう話だった」
    「こう考えるべきだ」
    という結論があります。
    それすらも曖昧にしたのが、村上春樹です。

    K
    意味を固定しない?

    AI
    昔の物語では、「悪を倒した」なら正義、「修行の末の勝利」なら努力、といったように、出来事が何に価値を与えるかが比較的固定されていました。

    K
    ああ、みんな同じ感じで読めたんだ。

    AI
    はい。しかし現代では、その共通ルールが弱くなります。同じ出来事でも、人によって解釈が変わるからです。

    K
    たとえば?

    AI
    ある会社員が仕事を辞める話があるとします。昔なら「根性が足りない」で終わったかもしれない。しかし今では、「ブラック労働を回避した」「自己実現を選んだ」「社会に適応できなかった」など、意味が分岐します。

    K
    ああ……正しい解釈が一個じゃなくなるんだ。

    AI
    はい。すると、「この物語の意味はこれです」と固定しにくくなります。そして、村上春樹の物語では、登場人物達は何かを探しながら漂流し続けます。

    K
    価値観が弱くて、価値が固定されないから自分で探すのか…

    AI
    はい。たとえば『ねじまき鳥クロニクル』では、主人公トオルは最初、失踪した猫を探しています。しかし物語が進むにつれて、妻が失踪し、その理由を探す話になります。
    しかし、理由は最後まで説明されません。たとえば『ねじまき鳥クロニクル』では、主人公トオルの妻クミコは手紙で「話さなくてはならないことがある」と言います。しかし、その内容を最後まで説明しません。

    後であなたに話さなくてはいけないことがあると私は言いました。覚えていますか? 私はそれを打ち明けて話してしまうべきだったのかもしれない。そうすればこういうこともあるいは起こらなかったかもしれません。でもこうなった今でも、私にはまだそれをあなたに向かって話すことはできそうにありません。一度口にしてしまうと、いろんなことがもっと決定的に 駄目 になってしまうような気がするからです。だから私はそれを自分ひとりの中に 呑み込んだまま、消えてしまった方が良いのではないかと思ったのです。

    村上春樹「ねじまき鳥クロニクル 第二部 予言する鳥」(1996年)

    K
    ああ?何を言ってるのか全然わからないし!
    話があるなら書けよ!書かないなら、そもそも話があるなんて言うな!

    AI 
    そうです。
    話はある。でも、「こういう話だった」という結論はまとめられない。
    ここでは
    因果関係が緩い、結論が提示されない、意味が固定されない
    それでも成立してしまう。

    K
    なんで?
    村上春樹って、そういう書き方するよね。
    これが、僕にはしんどい。
    「え?どゆこと?どゆ意味?」ってなって混乱する。
    因果がなくて、オチ(結論)がないのに成立するの?


    AI 
    現代人は、「人生とはこういうものです」と綺麗にまとめられると、
    少し嘘っぽく感じます。

    K
    ああ……「そんな簡単じゃないだろ」と。

    AI 
    はい。現実の方がもっと複雑だからです。
    さきほどのクミコが言いたかったこと、あるいは物語の意味というのは読者がそれぞれの想像で埋めるのです。だから、「意味を固定化しない物語」が成立します。

    K
    ズルくない?
    読者の負担が半端ないじゃん!

    AI
    はい。かなりズルいです。

    K
    どんどん削られちゃって…
    もうかなりギリギリじゃない?何が残っているの?

    AI
    はい。ギリギリです。
    坪内が「正義の公式」を削り、
    橋田が「幸福の公式」を削り、
    村上が「意味」そのものを削った。
    一直線の流れで削られ、意味も与えず、それでも何かが残る。

    K
    それって何なの?

    AI
    今、どんな気持ちですか?

    K
    だから、その正体が知りたい!
    意味わかんないとか不安で仕方ないよ。

    AI
    それです。

    K
    え?まさか?

    AI
    その不安な気持ちが、人を動かすのです。

    K
    これってもう物語なの?これが「物語の正体」?

    AI
    その問いに行き着くこと自体が、到達点なのかもしれませんね。
    それでも人はこれを物語と呼びます。

    K
    坪内→橋田→村上…の系譜で削って、最後には不安だけが残る。
    あ、これ、しかも、3人とも早稲田大学の所属じゃん。
    これって、何か関係あるの?

    AI
    かなり面白い偶然ですが、完全な偶然とも言いきれませんね。
    かなりざっくり言うと、日本近代文学では
    東大=「国家・知性・教養」
    早稲田=「個人・生活・大衆」
    のイメージが強いです。
    東大の卒業生は官僚になって国家の中心に入るという傾向が強かった。
    一方、早稲田大学の卒業生は中心には入れず、文芸に居場所を見つける傾向がありました。
    だから、「国家が決めた正しさ」というよりは「個人の感覚」に降りていく傾向が強いのかもしれませんね。それが、この代表的な3人の系譜だと。

    K
    国家の中心に入れないから、個人を描く作家が生まれ、
    そして、それが世間でヒットしてきたと…

    AI
    この系譜にも見られるように、戦後の世界は個人の感覚を描くようになり、物語の中の価値観がどんどん弱くなっていきました。
    これらの例は意図的に弱い物語の流れだけを選んでいるのではありません。
    時代が進み、現代になるにつれて価値観がバラバラになっていった背景がある必然なのです。

    K
    え、じゃあ、この物語の価値観が弱くなる流れは必然だってこと?
    不安こそが、人を動かす「物語の正体」で?
    これから作られる物語すべて村上春樹風で意味が分からなくなっちゃうの?
    やだ〜もう昔みたいな強い物語は作られないの?

    AI
    いえ、
    強い価値観の物語は今でも人気です。
    そして、強い価値観も人を動かします。

    K
    どゆこと!?

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    いわゆる理系の材料物性研究者。 専門を物語に適用して物語分析法を開発中。 趣味は雰囲気株トレードと日韓交流。 🇯🇵25年🇰🇷15年

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