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なぜ人は物語に動かされてしまうのか?②

    第1節 物語が分からない!

    久しぶりの日本、久しぶりの温泉旅行だった。

    熱海駅からバスに揺られて三十分。目的のバス停留所で降りると、山の中に黒い箱のように徹底して装飾を削ぎ落とした外観のホテルが静かにそびえていた。
     ホテルの客室に入り、ベランダにある素焼きの陶器の露天風呂へと身を沈める。ざあっと湯が溢れる音とともに、日々の喧騒が、ゆっくり遠ざかっていく。

    K(ケンイチ)
    あ〜……最高。
    お湯につかって、疲れが溶けていく。熱海の景色を眺めると力もみなぎる。
    毎日温泉入って、小説でも書いて暮らしたいな。

    僕の独り言に、スマホのAIアシスタントが反応した。

    AI
    それは、かなり古典的な文豪イメージですね。

    K
    いい気分だね~。小説とか書けちゃいそう。

    AI
    熱海、温泉、創作欲。 昭和の文豪テンプレートです。

    たしかにそうだ。温泉に浸かって、小説を書いて、散歩する。
    熱海に住んだ文豪たちも、こんな気分だったのだろうか。
    もっとも、僕は文豪ではない。ただの企業研究員だ。
    普段は研究所で、スマホのディスプレイの材料を開発している。
    どんな材料を組み合わせれば、ディスプレイがきれいに光るのか。

    それを毎日考えている。

    ……まぁ、それも先週までの話だ。

    今は、つかの間の正月休みだ。
    風呂から上がり、浴衣に着替える。まだ、体がポカポカしている。
    地酒を並べ、タブレットを開く。マンガタイムのはじまりだ。

    今日の作品は、『葬送のフリーレン』。

    読み始めると……面白い。
    ……ただただ、面白い。

    元勇者パーティの一員で、長命種エルフの魔法使いフリーレンの旅。
    強い敵が出てくるわけではない。
    そもそも、倒すべき魔王は、第一話で倒された。
    あるのは、怪しい魔導書の解読とか、村人の相談とか、生活に役立つ魔法とか、誰かの昔話とか。
    普通の少年漫画なら、読み飛ばしてしまいそうな場面ばかりだ。
    それなのに、不思議とページをめくってしまう。
    ジーンと心に沁みるような面白さが続く。

    ……なんなんだ、これ。

    これは、これまで読んできた少年漫画とは違う。
    『ドラゴンボール』の面白さなら理解ができる。

    強敵が現れる。修業する。限界を超える。勝つ。

    あの面白さは理解できる。スカッと気持ちいい。

    ドラゴンボールは、強敵という困難な問題を解決している。

    でも、『フリーレン』は違う。
    スカッとした気持ちよさとは違う不思議な面白さがあって、
    どんどん読める。

    しかも、この不思議な面白さは僕だけが感じているわけじゃない。
    今や社会現象みたいにめちゃくちゃ売れている。SNSでも評判だ。

    テンポはかなりスロー。感情の大きな起伏もほとんどない。ところが突然、大きな感動の波が襲ってくる。ついついなぜか見てしまう。見ずにはいられない。

    GACKT

    と、Gacktもコメントするほどだ。
    なんでだ?なんで、こんなスローテンポにもかかわらず、人は感情を動かされるんだ?

    たとえば、典型的なフリーレンの行動は次のフリーレンと死期を悟った仲間の僧侶ハイターの会話に表れている。以下、ネタバレ。

    ハイター「フェルン(ハイターの拾った孤児の女の子)には魔法使いとしての素質があります。あなたの旅に連れて行ってはくれませんか?」
    フリーレン「ごめんハイター。それだけはできない。足手まといになるから。実戦での見習い魔法使いの死亡率は知っているでしょ。友人から預かった子を死地に送るつもりはないよ。」
    ハイター「そうですか、では別の頼みを。」
    (中略、ハイターは死者の蘇生や不死の魔法が記されたとする魔導書の解読を依頼する。)
    フリーレン「そんな魔法が実在するとは思えないけど。」
    ハイター「それを含めて解読をお願いしたいのです。」
    フリーレン「絵を使った暗号でしょ?この時代の人はこういうのが好きだね。まぁ、5,6年もあれば。」
    (中略)
    ハイター「それと解読の片手間で構わないのでフェルンに魔法を教えてあげてはくれませんか?」

    『葬送のフリーレン』一巻 山田鐘人・アベツカサ

    と、フリーレンは何の役に立つのか分からない魔導書解読の依頼を引き受け、解読をしながら、ついでにフェルンに魔法を教える。そして、およそ5年後、魔導書の解読が終わる。フリーレンの予想通り、魔導書には死者の蘇生も不死の魔法も書かれていなかったのだ!ハイターはそれを意にも留めず。

    ハイター「フェルンはどうなりましたか?」
    フリーレン「まだ粗いところはあるけど一人前といっても遜色のないレベルだよ。」
    ハイター「そうですか、間に合いましたか。もう足手まといではありませんね、フリーレン。」
    フリーレン「…謀ったな。ハイター。」

    『葬送のフリーレン』一巻 山田鐘人・アベツカサ

    フリーレンは、フェルンが一人前に成長するまで、足止めされたと
    理解する。その瞬間、僕は胸が熱くなった。「ハイターよくやった!」と思った。そして、その直後、ハイターは亡くなる。

    でも、フリーレンは、何の問題も解決していない!

    K
    何の問題も解決していない!
    なのになんで、こんな物語が流行るんだ!?

    AI
    『葬送のフリーレン』は「後から意味が分かる感情」をうまく描いているからだと思います。

    K
    「後から意味が分かる感情」?

    AI
    はい。
    人は、大切な人と一緒にいる時には、その時間の意味を完全には理解できません。でも、相手がいなくなった後で、何気ない会話や小さな記憶が急に重く感じられることがあります。
    『フリーレン』は、その感情を丁寧に描いているんです。

    AIの説明は分かるようで、まるで分からない。
    「後から意味が分かる感情」???
    そういう奇妙な感情の回路が、喜怒哀楽の他に人間の頭の中にあるのか?
    それは強敵を倒した時の気持ちよさとは、別の回路なんだろうか。

    不思議だ。
    問題を解決したら面白いのは分かる。
    研究でも難問を解決したら嬉しいに決まっている。
    でも、フリーレンは何の問題も解決していない!!
    なのに……面白い!

    職業柄、機能と構造の関係を見るのが好きだ。
    構造をじっくり観察すれば、機能は自然と見え、問題は解決する。

    小学校のお手伝いでは
    食洗器機の音を聞くだけで、中で食器が寄っていることが分かった。
    回転軸の微かな周期振動が変わるからだ。
    だから、食洗器機の皿の置き方を変えた。
    翌日から洗い残しが消えた。

    研究でも、それは同じだった。
    OLED(有機発光ダイオード)の青色発光材料の開発は長年の難問だった。青は美しい色だったが、不安定だった。強く光らせればすぐに劣化したし、寿命を伸ばせば今度は発光効率が落ちた。僕には、それが配線の途中でどこかがねじれているように見えた。分子構造の中を流れる電子の偏りを追い続けた結果、その構造を理解することができた。

    やがて、その構造から1つの材料が生まれた。今ではスマートフォンの多くで使われている。研究では、こうして構造を見つければ現象を説明できる。

    だが、物語は分からない!

    ブラックボックスだ。
    物語を「読む」と「感情が湧き上がる」ということは分かる。
    でも、物語というブラックボックスの中にどんな構造があって、どう機能しているのかさっぱり分からない。

    なんで、感動しちゃってるんだ?
    このブラックボックスには、何が入っているんだ?
    この面白いって感情はどんなときに、どんな条件で発生するんだ?

    理由が分からない。それは、研究なら許されない。
    「なんとなく作ったら、なんとなく光りました」
    では論文にならない。
    「なぜ光ったのか」
    を説明しなければならない。

    こちとら、研究者は問題を解決してお金を稼いでる。
    なんで問題を解決しない物語が、こんなに面白いんだ!

    面白いのは認める。だが、説明できない!
    悔しい!!

    K
    物語って、何なんだ?

    AI
    物語は、
    一連の出来事を、時間的な経過や因果関係に沿って組み立て、
    言葉や文章で表現したものです。

    K
    いや、まぁ、そうなんだろうけど。

    AI
    では、あなたは何を知りたいんですか?

    K
    「なぜ、人は物語に動かされてしまうのか?」を知りたい。

    AI
    物語はバラバラの出来事を「意味のあるもの」としてつなげます。
    そして、人は「意味」で感情を動かされることがあります。

    それは、たしかに、そうかもしれない。
    人は、意味があると思った瞬間に動いてしまう。
    ただ数字だけ並べられるより、
    「この研究は未来につながる」と言われた方が頑張れる。

    ただ、意味が大事なことはなんとなく分かっても、その仕組みは分からない。どんな要素が人を感動させ、どんな要素が人を動かすのだろうか。

    材料研究なら、構造を調べれば機能との関係を議論できる。しかし、物語は違う。分析しようとしても、どんな要素の組み合わせが感動や熱狂を生み出しているのか、見当もつかなかった。

    身近にいくらでも物語があったのに
    …なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう…

    K
    僕は、もっと物語を知ろうと思う。

    こうして、僕の「物語の正体」をつかむための探求が始まった。

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    いわゆる理系の材料物性研究者。 専門を物語に適用して物語分析法を開発中。 趣味は雰囲気株トレードと日韓交流。 🇯🇵25年🇰🇷15年

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