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遊びは、いつ仕事になったのか 第十七回

    第十七回 南浦和の店

    やさしい先輩

    三河社長のもとには、浜さんという先輩がいた。

    社長のところで、たった一人の男性社員だ。歳は、たしか二十代の後半だったと思う。浜さんは、目白の店ではなく、南浦和の伊勢丹で、ジェラートを作って売っていた。

    不思議なもので、浜さんは、私にとても優しかった。やさしく、本当にやさしく、いろいろなことを教えてくれた。あの恐ろしい社長のもとで、なぜこんなに優しい人がいるのか。いまになって思うのは、こういうことだ。浜さんは、私よりもっと理不尽な扱いを、社長から受けていた。だからこそ、同じ理不尽の底にいる私のことを、放っておけずに、可愛がってくれたのだろう。

    恐怖の下でこそ生まれる、優しさというものがある。かつて、あの地獄の運動部で、理不尽なしごきの口から飛んできた「ナイスファイト」に、私は救われた。それと同じものが、ここにもあった。上から降ってくる恐怖が理不尽であればあるほど、下にいる者どうしは、そっと身を寄せ合うものなのかもしれない。


    仕込みの段取り

    浜さんに、私は、ジェラートとソルベの仕込みを教わった。

    やり方には、はっきりとした段取りがある。味の淡いもの、普遍的なものから仕込みはじめ、だんだんと濃いものへ移っていく。ひととおり濃いものまでいったら、マシンをきれいに洗浄して、また淡いものから、濃いものへ。マシンは、ひとつしかない。だから、この順番を守らなければ、仕込みそのものが回らないのだ。ソルベなら、果物から果汁を搾るところから始まる。

    ただ順番どおりに作ればいい、というものでもない。売れ行きを見ながら、次に何を仕込むべきかを考える。夕方が近づけば、残ったものは廃棄になる。だから、売れ筋を見極めて、廃棄が出ないように調整しながら、品を切らさないようにしていく。その日の天候、気温、客の入り。それらをすべて睨みながら、頭のなかで段取りを組む。

    三河社長に、仕事は段取りが九割だと叩き込まれた。あの教えが、この南浦和の小さな厨房で、そっくりそのまま、生きた現場になっていた。恐怖とともに受け取ったものが、こんなところで、私の手を動かしていた。


    一人で回す

    浜さんは、私が一人でも店を回せるように、順を追って教えてくれた。

    作り方も、段取りも、休憩の取り方も、売上の扱いも。ひとつずつ、やさしく。そうしてやがて、浜さんが休みの日には、私が南浦和の店を任されるようになっていった。

    目白から南浦和へは、埼京線で、赤羽で乗り換える。都心から外へ向かう電車は、いつも空いていて、快適だった。あの、あざみ野から目白へ通う、満員の通勤地獄とは、まるで逆向きの電車だ。そして何より、南浦和には、社長が滅多に来ない。あの、心の底まで見透かしてくる恐ろしい目が、ここにはなかった。

    だからだろう。私は、この店で、売り子のバイトの子たちと、ワイワイと楽しく働くことができた。恐怖の檻の外に出て、初めて、仕事というものが、少し楽しくなった。同じ菓子の仕事のはずなのに、社長の目があるのとないのとで、こんなにも景色が違うのか、と思った。


    十九歳の現場

    バイトの子たちは、みんな、年上だった。

    大学生が多く、歳は近かったが、それでも全員が年上だ。その年上の子たちを使って、私は一人で、店のオペレーションを回した。臨時とはいえ、若造が店を任されるのだ。緊張感は、それなりにあった。不思議と、遅刻をした記憶は、一度もない。廃棄はあまり出さずに済んだが、それでも稀に、品を切らしてしまうことはあった。読みが外れれば、そうなる。逆に、廃棄も出さず、売上もきっちり上げられた日は、飛び上がるほど嬉しかった。

    天候、気温、客足を睨んで、自分の頭で段取りを組む。自分の判断ひとつで、店は回りもするし、回らなくもなる。それを十九歳で経験できたのは、いま思えば、途方もなく貴重なことだった。

    目白では、恐怖に追い立てられて、必死に手帳に書き込んでいた。南浦和では、自分の頭で考え、自分の判断で動いた。同じ菓子作りのはずが、まるで違った。やらされる仕事ではなく、これは、自分の仕事だ。主体が自分にある、というのは、こういうことだったのか。そこまで言葉にできたのは、ずっとあとのことだが、あの南浦和の小さな店で、私は確かに、生まれて初めて、仕事を「自分のもの」として手にしていた。

    もっとも、店を一人で回せるようになって、私はどこか、一人前になった気でいたのだと思う。自分の頭で考えられている、というささやかな満足が、知らぬまに、私の視野を狭くしていた。

    だから、ひとつ、いまも悔いていることがある。浜さんは、たまに顔を合わせると、休みの日に暇なら、お菓子屋さん巡りをしないか、とよく誘ってくれた。けれど私は、毎日あれだけ菓子を見て作っているのに、休みの日まで菓子を見たくない、とそのたびに断っていた。

    いまなら、分かる。あれは、私の世界を広げようとしてくれた、先輩の優しさだったのだ。良いものを、たくさん見て回れ。量を浴びて、自分の目を作れ。浜さんは、あの三河社長の「絵を描け」と、同じことを、やさしいやり方で差し出してくれていた。それを私は、菓子はもう見飽きた、と言って、みすみす断りつづけていた。

    恐ろしい師匠からも、やさしい先輩からも、私は同じものを手渡されていた。ただ、当時の私は、そのどちらの手も、まだ、きちんと握り返せていなかったのだ。


    (第十八回へ続く)


     
     
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