
遊びは、いつ仕事になったのか 第十五回
第十五回 右向け右
布団を剥がされて
私たち三人の寮は、目白の店から遠かった。それで、更衣室代わりに借りている目白のマンションに、私と、中さん、秦さんの男三人で住むことになった。
問題は、そのマンションの鍵を、三河社長も持っていたことだ。
夜中、ぐっすり眠っているところへ、突然、ガバッと布団を剥がされる。なになに、と飛び起きると、社長が立っている。おい、呑みに行くぞ、と。
寝込みを他人に無理やり起こされたときの、あの、なになに、えーーーー、という感じ。それでも私たちは、この人の前では、ハイかイエスしか言えない身体になっている。ぐずぐずすれば、あとが怖いだけだ。覚悟を決めて、さっと支度をする。中さんも、秦さんも、同じだ。まだ夢の続きにいた三人が、否も応もなく叩き起こされ、大人の理不尽のなかへ、一人残らず連れ出されていく。逃げ道など、どこにもなかった。
鮨ってこんなに旨いのか
生まれて初めて、高級な鮨を食べさせてもらったのも、三河社長だった。
鮨とは、こんなに旨いものなのか。感激しながら、それでも気を使い使い、遠慮がちに食べていると、社長の声が飛ぶ。バカヤロー、もっと注文しろ、と。なんせ、怒られながらの酒の席だ。
いまの私なら、どんな状況だろうと、その場を楽しくして、社長の機嫌を上げていく自信がある。けれど、当時はまだ十八だ。そんな芸当ができるはずもない。ただ、気圧されて、縮こまっていた。いま思えば、あれは、そういう場での立ち居振る舞いを、身をもって積ませてもらっていたのだろう。
食べてばかりで、三軒も四軒も、はしごする。そして、締めにラーメンだ。これは、きつい。いくら十代の胃袋でも、もうギブアップだった。それでも、ハイかイエスしか言えない。結果、私は、食べ過ぎて、戻してしまいましたとさ、という次第である。
ただ、戻したのは、後にも先にも、そのときだけだ。これ以上食うと吐くのだと、身体で学んだ。おかげで以降は、限界が来る前に、うまく断れる身体になった。苦行のなかにも、ちゃんと学びはあった。
余談だが、あのとき連れていってもらった東京のタンメンは、めちゃくちゃ旨かった。たしか、鬼子母神のあたりの店だったと思う。けれど、スマホも土地勘もない時代だ。店の名も場所も覚えきれず、あの味は、もう二度と食べられないものになってしまった。
気をつけ、右向け右
酒が深くなってくると、社長は、決まって妙なことを始める。
いきなり、号令をかけてくるのだ。気をつけ! 右向け右!
いまの私なら、即座に、アイアイサー、とでも返して、面白がってみせる。けれど、十八の男の子に、そんな意味の分からない号令に、気の利いた対応ができるはずもない。私はただ、ギリギリと、屈辱的な思いで、首を右に向ける。すると、社長の怒声が飛ぶ。バカヤロー、サッとやるんだよ!
そうやって怒鳴られながら、夜は、いつ終わるとも知れず、深まっていく。ようやく解放されたときの、あの安堵といったら、もう言葉にならない。
三河社長は、そういう人だった。言葉は、とにかく荒い。呑みの席でも、相変わらず、何だよ!の連発だ。それでいて、ちゃんと食ってるか、と気にかけてくれる。もっと食え、と勧めてくれる。いま振り返れば、あの荒っぽさの奥に、驚くほど繊細な気配りが隠れていた。厨房で、磨いた材料庫の反射から私のごまかしを見抜いた、あの目配りと、同じものだったのだと思う。
嫌で嫌で仕方なかった
正直に言えば、当時は、この呑み歩きが、嫌で嫌で仕方なかった。
いつ終わるとも知れず、緊張しどおしの食事だ。そんなものを、いいものだと思えるほど、十八の私の器は、大きくなかった。ただただ、早く解放されたい。それだけを願っていた。
ところが、である。
大人になった私は、いま、部下や若い連中を連れて、よく呑み歩いている。もちろん、社長のように圧をかけたりはしない。そんなことは、しないし、できない。私が旨いと思うものを、旨い酒と一緒に食べさせる。行きつけの店がたくさんあるから、マスターを絡めて、楽しい会話をする。仕事の話は、一切しない。ここの焼き鳥のハツ、めっちゃ旨いで。ここの上ハラミは、一回は食っとけ。そんなふうにして、楽しく連れ歩く。
やり方は、まるで違う。圧はかけない。それでも、ふと気づいたのだ。若い者を引き連れて、旨いものを食わせて回る。この構図そのものは、あの三河社長と、そっくり同じではないか、と。
私は、それを、ごく当たり前のことだと思っていた。そういう立場になれば、誰だってそうするものだ、と。けれど、どうやら、そうではないらしい。周りを見渡しても、そこまでする人を、私は見たことがない。
つまり、あれは、社長にされたからなのだ。あの、嫌で嫌で仕方なかった深夜の拉致が、いつのまにか、私の身体の芯に刷り込まれていた。仕事のいろはを、恐怖とともに叩き込まれたあの人から、私は、遊びのいろはまで、まるごと受け継いでいた。
段取りが九割、という仕事の背骨も。若い者を連れて旨いものを食わせる、という遊びの流儀も。どちらも、あの目白の、恐ろしくて、繊細な師匠から、私の身体に移されたものだった。仕事とは何か。遊びとは何か。その両方の最初のかたちを、私は、三河社長という一人の人間から、教わっていたのだ。
(第十六回へ続く)