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井上さんのルーツの可能性がある大阪府の知られざる超重要遺跡

    8月18日ポスト)柏原市と藤井寺市にまたがる船橋遺跡ですけど、縄文時代(終末期?)から近世まで続く複合遺跡で、特に縄文・弥生時代の土器、古墳時代の土師器や須恵器、飛鳥・奈良時代の古瓦等が多く出土しています。知名度はないと思いますが、弥生時代・古墳時代・飛鳥時代・奈良時代の超重要遺跡でしょう。河内国志紀郡にあって、南に志貴県主神社(大阪府藤井寺市惣社)を擁し、歴史の古さから大和の中心集落の唐古鍵遺跡(や芝遺跡)(=磯城郡)と連携する河内の中心集落のように思われ、古墳時代(大和朝廷が勃興して)以降は多氏(志紀県主/志紀首)が支配していたようです。

    郷名としては(餌香市と同所の)井上郷だと思われ(当地の船橋廃寺を井上寺に比定する説があります)、井戸やその中から土器が多く見つかっています。河川氾濫の影響を受けやすい沖積地であることも磯城郡と共通していると言えます。東漢姓井上氏が棲みついたと考えると、東漢氏と見られる大市首が棲みついた(大和の磯城県主と深い関りを持つ)纒向遺跡と共通します。墓誌で有名な遣唐使の井真成も井上郷から名乗った可能性があります。

    2026年8月30日追記)ちなみに柏原市や藤井寺市に井上さんは多くはないんですが、古代の(全国16位の大姓の)井上さん(名字由来net)のルーツである可能性も考えられますね。ただ、不思議なことに柏原市や藤井寺市に大井さんや船橋さん(柏原市は)北條さん古町さんも(恐らく)上市さんも恵賀さんも志紀さんも多さんも(そうは)多くありません。これは平安時代に遺物が激減することと関係するかもしれません。つまり井上一族は(都への遠さと大和川との関連性の無さから)(井上郷は和名類聚抄に見えるので地名を残して大勢が)平安京(山城国)に移住したのではないか?(京都は井上さんの率が全国で5番目に高い)そして公家や武士の名前として全国の井上さんの祖となったみたいな。

    見出し画像は船橋遺跡の範囲(柏原市)。

    川の反対側ですが、松岳山古墳や玉手山古墳群もこの集落の墓域であった可能性もあります。古墳築造に適したと言える手ごろな山だったからです。今のところ、松岳山古墳や玉手山古墳群のすぐ近くに集落は見つかっていません。箸墓(や松岳山古墳)の石に使ったという芝山(当時の大坂山か)も松岳山古墳の近くです。

    恵賀の地名は要は古事記や延喜式の古市古墳群のある場所です。ここには多氏と同じく十市郡の大彦命系氏族も割拠していました。古市古墳群を築いた集落は見つかっていないとされます。

    船橋遺跡を擁する藤井寺市には、船橋廃寺の西に大井廃寺(藤井寺市大井)、船橋廃寺の南に衣縫廃寺(藤井寺市惣社)、大井廃寺の南かつ衣縫廃寺の西に拝志廃寺(藤井寺市林)が位置します。林廃寺は武内宿禰長男後裔の林氏の氏寺でしょうが、衣縫廃寺は衣縫部に関連して、物部氏(や渡来系氏族)の氏寺である可能性も高いです(物部氏は志紀県主でもある)。式内・志疑神社が藤井寺市大井町ですね。大井廃寺と志紀の地名は密接に関連しているのかもしれません。

    式内・黒田神社(藤井寺市北條町)は孝霊天皇の宮との関係も想起されますが(倭迹々日百襲姫命の父、孝霊天皇(大日本根子彦太瓊天皇)|古墳時代史解題(有料記事))、伊勢国にも黒田郷があって、どういう神社なのか色々想像が膨らみますね。

     
     
    在野ですが(在野だからこそ)、記紀研究の最先端を自負しています。記紀批判の戦後日本古代歴史学会に喝!古墳時代史は日本の史料が解題します。主にXで活動(文明の研究も始めてます)。飛鳥・藤原マガジンで、記紀や新撰姓氏録を元にした日本古代史を発信中。愛媛県宇和島市在住。

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