
倭迹々日百襲姫命の父、孝霊天皇(大日本根子彦太瓊天皇)
孝霊天皇は欠史八代ですが、伊弉諾尊のモデルに当たると考えており(天照大神(モモソ姫)の下、大和朝廷/倭国は形成され、素戔嗚尊(孝元天皇)の子孫が統治するという記紀神話|古墳時代史解題)、実在だと思います。しかし、孝霊天皇には御名代部もなく、伝承を残した氏族が良く分かりません。子供は倭迹々日百襲姫命の一族か孝元天皇かのどちらかになりますが、宮が黒田宮と伝わることからすれば、前者の可能性の方が高いとなります。黒田宮には桃太郎(吉備氏)伝承もあるんですね。ただ黒田と吉備氏の関係も見えてきません。黒田の南には保津・宮古遺跡があって、穂積氏/物部氏との関係も見えてきますが、これは孝元天皇の皇后に関係すると思われ、孝霊天皇との関係は今一つです。西の但馬(日下部氏?)も北の伴堂(大伴氏?)も東の石見(和珥氏?)も孝霊天皇との関係と言われれば、今一つです。黒田は和名類聚抄では城下郡黒田[久留多]郷ですが、黒田もクルタも吉備との関係は見えてこず、完全に手詰まりです。何か無いのか?(以下、有料部分で、その思い付いた孝霊天皇の伝承を伝えたと思われる何かを解説していきます)
見出し画像はウィキペディア「黒田大塚古墳」(一般社団法人田原本まちづくり観光振興機構)。