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レベル80のポケモンGOと、1時間で溶けたExcel。作業療法士の私が気づいた、「やりたいこと」が「やるべきこと」に変わる瞬間

    ポケモンGOを、私はやめられなかった

    私はこの一年半、ポケモンGOのレベルを80まで上げることに、かなりの時間を注いできた。
    レベル80はカンスト、つまり最高レベルだ。必要な経験値は、合計でおよそ2億ポイント。ポケモンを1匹捕まえて得られる経験値が100だから、ざっくり言えば200万匹分。気の遠くなる数字だ。
    私はサービス開始初日からのプレイヤーだったが、途中で何年もブランクがあった。本格的に再開したのは2024年の9月。そこから約一年半で、1億3000万ほどの経験値を稼いで、ちょうどnoteを始める少し前に、ついにレベル80に到達した。
    達成したとき、もちろん嬉しかった。でも同時に、ふっと力が抜けた。
    最後のほうのポケモンGOは、もう「やりたいこと」ではなかった。
    「やるべきこと」になっていた。
    もともと私にとってのポケモンGOは、夜の散歩のおともだった。気分転換であり、運動の口実であり、頭をからっぽにするための時間だった。歩きながらスマホをいじって、ポケモンを捕まえて、レイドバトルをして帰る。それだけで、一日の終わりに脳がリセットされていく感覚があった。完全に「ライク」、やりたいことだった。
    それが、いつから変わったのか。
    たぶん、「レベル80まで上げよう」と目標を立てた瞬間だ。
    目標を立てた途端、楽しかったはずの散歩が「経験値を稼がなければいけない時間」に変わった。あと何匹、あと何日、このペースで間に合うか。気づけば私は、散歩を「楽しんで」いなかった。「こなして」いた。
    私は一度やると決めたら、なかなかやめられない性格だ。妻からも心配されていた。「そこまでやらなくていいんじゃない?」と何度も言われた。それでもやめられなかった。やりたいことだったはずなのに、いつのまにか、自分で自分に課したノルマになっていた。
    これが、私が最初に伝えたいことだ。
    やりたいことは、目標やノルマが乗っかった瞬間に、やるべきことに変わってしまう。
    そして厄介なのは、本人がそれに気づきにくいことだ。「好きでやっているはず」という前提があるから、苦しくなっても「自分が選んだことだし」と言い訳が立つ。だから止まれない。気づいたときには、ライクの皮をかぶったワークが、自分の時間を静かに侵食している。

    ワークとライクは、別々の箱に入っていない

    私は作業療法士16年目、特別養護老人ホームで機能訓練指導員をしているHSP・ISFJだ。これまでに100人近くの方の最期に立ち会ってきた。
    今回、doda×noteのこのテーマ──「やるべきコト(ワーク)」と「やりたいコト(ライク)」のバランス──を知ったとき、最初に思い浮かんだのが、あのポケモンGOのことだった。
    そして同時に、長いあいだ自分が勘違いしていたことに気づいた。
    私はずっと、ワークとライクを、別々の箱に入れて考えていた。
    仕事は「やるべきこと」。趣味や家族と過ごす時間は「やりたいこと」。シーソーのように、片方が増えればもう片方が減る。だからバランスを取るというのは、その重さを半々に調整することだと思っていた。
    でも、違った。
    ポケモンGOは、ライクの箱に入っていたはずなのに、勝手にワークの箱へ移動した。同じ「夜に散歩してスマホをいじる」という行動なのに、私の気持ち一つで、中身が入れ替わってしまった。
    このコンテストの主催であるdodaは、こう言っている。「同じ行動でも、そのときの気持ち次第で、ワークにもライクにもなり得る」と。
    これを読んだとき、私は膝を打った。まさに、そういうことなのだ。
    ワークとライクは、行動の種類で決まるんじゃない。その行動に向かう、自分の気持ちで決まる。
    そして、これは作業療法の世界で言われてきたことと、深くつながっている。

    「意味のある作業」という、OTの考え方

    作業療法には、「意味のある作業」という中核の概念がある。
    人は、ただ動かされているだけでは元気にならない。誰かに「やりなさい」と言われてこなす動作には、心が動かない。でも、その人にとって意味のあることに触れた瞬間、表情が変わる。固まっていた手が、自然に動き出す。
    私は現場で何度もこれを見てきた。「もう手が動かない」と言っていた方が、昔から得意だった編み物の毛糸と針を渡された瞬間、すっと指を動かし始める。身体が覚えている。
    ここで面白いのは、「リハビリのために手を動かしましょう」という機能訓練と、「好きだった編み物をやってみましょう」という作業が、同じ「手を動かす」という行動でも、本人の中ではまったく別物だということだ。
    前者はワーク。後者はライク。
    そして、回復が早いのは、圧倒的に後者だ。
    つまり、私たち作業療法士が現場でやっているのは、ある意味「ワークをライクに変える」仕事なのかもしれない。やらされる訓練を、その人がやりたいと思える作業に翻訳していく。同じ手を動かす行為に、その人の人生とつながる意味を見つけてあげる。すると、人は自分から動き出す。
    このことが、ポケモンGOのちょうど逆の現象だと、私は気づいた。
    ポケモンGOは、ライクがワークに堕ちた。 現場の編み物は、ワークがライクに昇る。
    同じ「行動」が、気持ち次第でどちらにも転ぶ。だとしたら、ワークライクバランスとは、行動の時間配分の話ではなく、自分の行動にどれだけ「意味」や「やりたい」を宿せるか、という話なのかもしれない。

    仕事の中に、突然「ライク」が宿った1時間

    その視点を持ったとき、つい先日、自分の仕事の中で起きたことを思い出した。
    私はパソコンを触るのが好きだ。特養という現場には専属のSEがいないから、ICT系のちょっとした困りごとは、なぜか私のところに集まってくる。
    その日も、事務所で声をかけられた。
    「面会簿を作り直したいんだけど、日付と、特定の曜日の決まった時間帯だけ、自動で消せるようにできるかな?」
    正直、できるかどうか確信はなかった。でも「やってみますね」と答えた。
    まず、月を入力するだけで日付と曜日が自動で変わる仕組みを作った。ここは、そう時間はかからなかった。問題は次だ。特定の曜日の特定の時間帯だけ、自動で斜線を引いたり塗りつぶしたりする「条件付き書式」。これがなかなか思い通りにいかない。
    そこで私は、GeminiやCopilotといったAIに相談しながら進めた。何度も失敗した。「ここがこうならない」「じゃあこの条件はどうだろう」と試行錯誤を繰り返した。そして、ようやく納得のいくものができた。
    気づいたら、1時間が経っていた。
    あっという間だった。すごく集中していた。
    別の日には、ケアマネージャーから「利用者さんの受診予定表をリメイクしたい」と相談されて、日付を打つだけで自動で並べ替えてくれる仕様にした。これには初めてマクロを使った。構造を完全に理解しているわけじゃない。でもAIと相談しながら少しずつ組み上げていくのは、すごく楽しかった。
    この感覚を、どう言葉にすればいいか考えていて、ひとつ浮かんだ。
    RPGゲームのダンジョンを、攻略本を見ながら進めていく感じだ。
    行き止まりにぶつかる。攻略本(AI)を見る。試す。失敗する。また試す。そして抜けた瞬間の、あの快感。私にとっての、仕事の中の楽しい瞬間は、まさにこれだった。
    ここで大事なのは、面会簿も受診予定表も、私が頼まれた仕事だということだ。出発点は完全に「やるべきこと」、ワークだった。
    でも、進めているうちに、いつのまにか「やりたいこと」になっていた。1時間が溶けるほど没頭していた。誰かに頼まれた仕事なのに、自分でもやりたくなっていた。
    ポケモンGOとは、真逆のことが起きていた。
    あちらは、やりたいことがやるべきことに堕ちた。こちらは、やるべきことがやりたいことに昇った。
    そして気づいた。私のワークライクバランスを左右しているのは、仕事の量でも、残業時間でもない。
    仕事の中に、こういう「気づいたら1時間溶けていた」という瞬間が、どれだけあるか。それが、私の満足度を決めているのだ。

    「もう、やりたくない」と首を横に振った人

    ここで、現場で見た、もうひとつの場面を書きたい。きれいにまとめるつもりはない。
    先週、職場で本気でムッとした瞬間があった。
    ある利用者さんがいる。少し前まで、その方とは将棋を指して笑い合える関係だった。歩行器を使ってだけど、自分の足で歩けていた。
    ところが、心療内科の医師の往診で抗精神病薬が増量されてから、その方は急速に変わってしまった。話せなくなった。歩けなくなった。将棋も、もうできない。
    その日、たまたま少しだけ意識がはっきりしている時間帯があった。私は声をかけた。言葉では何かを訴えているようだったけれど、うまく聞き取れなかった。だから、いつものように聞いてみた。
    「将棋、やります?」
    その方は、弱々しく、首を横に振った。
    好きだった野球も、もう観たくないという。将棋どころじゃない。言葉にはできないけれど、そう伝わってきた。そして、また意識が落ちていった。
    私はその場で、言葉を失った。
    ついこの前まで、この人にとって将棋は「やりたいこと」の代表だった。盤を出せば目が輝いた。それが、首を横に振る。やりたいことが、その人の中から消えてしまった。
    このとき私が痛感したのは、ワークライクバランス以前に、「やりたいことがある」というそのこと自体が、どれだけ尊くて、どれだけ脆いものか、ということだった。
    私たちは普段、「やるべきことが多すぎて、やりたいことができない」と嘆く。私も嘆く。でもそれは、「やりたいこと」がちゃんと自分の中に存在している、という前提があってこその悩みだ。
    やりたいことが、まだ自分の中にある。それ自体が、実は当たり前ではない。
    将棋に首を横に振ったあの方を見て、私は思った。「やるべきこと」に追われる日々を、つい呪いたくなるけれど、その裏で「やりたいこと」をちゃんと持ち続けられているなら、それはもう、かなり恵まれた状態なのかもしれない、と。
    ワークとライクのバランスを語れるのは、両方がまだ手元にあるうちだけだ。

    妻のスタンプ、娘の習い事──配分は人それぞれ

    私のワークライクバランスの話ばかりしてきたが、家族を横で見ていると、配分の取り方は人によって本当に違う。
    妻は理学療法士として10年働き、今は整体師として施術をしている。身体をみる仕事をしているのに、子育てに追われて、自分の身体を一番後回しにしていた人だ。イヤイヤ期とコロナ禍が重なったあの数年間、彼女の毎日は「やるべきこと」で埋め尽くされていた。育児、家事、感染対策。全部に「ちゃんとやらなければ」がついて回っていた。
    その妻が、今年になってLINEスタンプを描き始めた。きっかけは「収益になるかも」という打算的な動機だったらしい。でも、作り始めたら気づいたら3時間経っていたという。キャラクターの表情をどうするか、フレーズをどうするか。その間、施術のことも家事のことも、何も頭にない。
    妻は言っていた。「あ、私、こんなに集中できるんだ」と。
    これは、私のExcelの1時間と、まったく同じ現象だ。出発点は打算(ワーク寄り)だったのに、いつのまにか純粋にやりたいこと(ライク)になっていた。今ではスタンプは23作品になり、収益のためではなく、楽しいから続けているという。
    娘は7歳で、習い事を週6でこなしている。スイミング、体操、合気道。傍から見ると「やるべきこと」だらけのハードな日々だ。でも娘は、病気以外で休んだことがない。「休みたい」とも言わない。どれも、自分から「やりたい」と言って始めたものだからだ。
    妻のスタンプ。娘の習い事。私のExcel。
    形はまったく違うけれど、共通点がある。「やらされている」のではなく、「気づいたら没頭していた」瞬間が、ちゃんとあるということだ。
    そして、その没頭の中身は、人によって全然違う。半々に分ければいいという話でもない。妻には妻の、娘には娘の、私には私の配分がある。それを横で見られたことは、私にとって、とてもよかったと思っている。

    診断結果は「ランナーズハイモード」だった

    最後に、自分の現在地を書こうと思う。
    dodaの「ワーク〈ライク〉バランス診断」をやってみた。私の結果は、こうだった。
    ランナーズハイモード。 「全力が、心地いい。やるべきことが日常の全体を占めており、使命感や責任感を原動力に、日々を全うしながら充実感を感じられている状態」
    そして、こんなアドバイスがついていた。「全力で走り続けているからこそ、自分のペースや体調の変化に気づきにくくなることもあります。時折立ち止まって自分の状態を確認する時間を作ることが、この先も長く走り続けるための力になります」
    ……当たっている。少し、苦笑いした。
    私は今、たしかに走り続けている。仕事をして、定時で帰り、家事をして、夜は散歩をして、娘が寝たあとにnoteを書く。一日が「やるべきこと」でかなり埋まっている。
    ここで正直に告白すると、私はこのnoteの執筆すら、ときどき「やるべきこと」に傾きそうになる。毎日のように書いていると、「今日も書かなきゃ」という義務感が、ふっと顔を出す。あのポケモンGOと同じ匂いがする瞬間がある。ライクが、ワークに堕ちかける瞬間だ。
    だからこそ、私は意識的に、Excelの1時間のような「気づいたら没頭していた」時間を、ちゃんと味わうようにしている。それが、ノルマ化を防ぐブレーキになる。
    私のワークライクバランスは、たぶん今、少しワーク側に傾いている。診断はそれを言い当てた。でも、それを「崩れている」と悲観しているわけでもない。
    なぜなら、私はもう知っているからだ。バランスは、行動の量を半々にして取るものではない。やるべきことの中に、どれだけ「気づいたら1時間溶けていた」という瞬間を見つけられるか。それが、本当のバランスの取り方だと。

    同じ行動を、ライクに変えられるか

    ポケモンGOは、私に「ライクがワークに堕ちる怖さ」を教えてくれた。 Excelの1時間は、「ワークがライクに昇る喜び」を教えてくれた。 将棋に首を横に振った利用者さんは、「やりたいことがある、それ自体の尊さ」を教えてくれた。
    ワークライクバランスは、仕事と趣味を半々に分けることではない。土日に休めるかどうかでもない。
    同じ一つの行動を、どれだけ「やりたい」の側に引き寄せられるか。
    明日も私は特養に立つ。書類を書き、誰かに頼まれたExcelをいじり、利用者さんの隣に座る。そのどれかの中に、また「気づいたら1時間溶けていた」という瞬間が、ひとつでもあればいい。
    それが、ランナーズハイで走り続ける私が、倒れずに長く走るための、たった一つのコツなのだと思っている。
    あなたの一日の中に、「気づいたら時間が溶けていた」瞬間は、ありますか。
    それは、何をしているときですか。


    作業療法士16年目|特養・ユニットケア勤務|元認知症ケア指導管理士|HSP・ISFJ|中学からテニス継続|7歳娘の父|アドラー心理学13年実践|106kgから77kgへ減量|うつ・対人恐怖を経て、薬なしで生きられるようになった現場ベースの発信を続けています。


    📌 ハッシュタグ
    #ワークライクバランス #作業療法士 #働き方 #エッセイ #HSP

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