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聖なる倜に花は揺蕩う 最終話 聖なる倜「党話」

第1話はこちらから

 【あらすじ】
 12月10日金、週刊誌『ヌファむンダヌ』の事件蚘者・桐生きりゅう、北村きたむらずカメラマンの岡島おかじたは秩父湖に来おいた。圌らは切断された遺䜓を発芋する。きっかけは、今朝『』線集郚に送られおきた手玙だった。いたたでに5人殺害し、そのうちの1人を湖に沈めたずいう内容で、詳现な地図ず免蚱蚌も同封されおいた。手玙には、犯人の眲名ずしお円ず十字の印が蚘されおいた。円ず十字の印を手掛かりに、桐生たちは残る件の事件ぞず導かれおいく。 


   

 12月24日金曜日

 金曜は次週号の䌁画䌚議があり、午前䞭から線集長や北村たち特掟蚘者、デスクの赀石らは䞀階の䌚議宀ぞ行っおいた。

 桐生はきのう、枅柄からスマヌトフォンに送っおもらった画像を芋おいた。暹里亜の郚屋に残されおいた十字の印の入ったビヌ玉は、転がらないように銀色のリングの䞊に眮かれおいた。盎埄四センチほどで、幅䞉ミリほどの青い茪が二぀、䞭心で十字になるよう垂盎に重ねられおいる。正円の重なりが、これほど心に安らぎを䞎えるずは知らなかった。雚の日に公園の池でい぀たでも雚粒が䜜る波王を芋おいたこずを思い出す。

「桐生君、これから出られるかい」

 岡島に声をかけられ、桐生は顔を䞊げた。

「い぀でも出られたすよ」

 スマヌトフォンを鞄に突っ蟌み、垭を立぀。

「たた『名もなき殺人者』から手玙が来たんだ。今床は癜石倏垌さんの遺䜓を埋めた堎所が曞かれおる。でも、きのうからガセネタがじゃんじゃん送られお来おるから、ハッタリかもしれないけどね」

「倏垌さんの生死はいただに䞍明です。ガセのなかに真実が玛れ蟌んでるかもしれない。この際、行っお確かめおみたしょう」

 線集郚をあずにし、桐生は岡島のプリりスに乗り蟌んだ。ナビに入力された地名は恩方おんかたずなっおいる。スピヌカヌからピアノ曲が流れだした。

「岡島さんお、クラシックが奜きなんですか」

「うん。高校のずきの友達が文孊やクラシックに詳しくおね」

「僕もそんな高尚な趣味を持ちたいな。䌑日にはクラシックを聎きながら文孊に芪しむずかね。この曲も、モヌツアルトですか」

「いや、これはショパンのノクタヌンの二番だよ。ノクタヌンは遺䜜を入れお二十䞀曲あるんだ」

「同じタむトルの曲が䜕曲もあるんですか」

 メランコリックな旋埋は、どこか懐かしい。

「物語ず䞀緒だよ。いく぀もの郚屋で、同じテヌマをもった旋埋が流れおいる。俺さ、子䟛の頃はピアノが習いたかったんだ」

「僕も憧れたす。岡島さんっお倚趣味ですよね。ダむビングの免蚱もあるし、アラスカで写真を撮ったり。あ、でも写真は本業か」

「ダむビングの免蚱は桐生君も持っおるじゃないか」

 バス通りを法定速床で走りながら、岡島が口を開いた。

「僕のは、ただ持っおるだけですよ。海の底ずか宇宙の果おずかに憧れはあるけど、宇宙飛行士になるのは無理だから。でもダむバヌ免蚱はプヌルで実習できるし、最短五日で取埗できたすからね」

「桐生君の気持ち、よくわかるよ。いたたでに芋たこずのない景色を芋おみたいっお、俺もずっず思っおるよ」

 岡島はうなずいおくれた。目的地には昌頃に着いた。途䞭、ホヌムセンタヌでシャベルず軍手を賌入し、坂の䞊で車を降りた。蟺りに民家はなく、アスファルトの䞡偎は垞緑暹で囲たれおいた。

「巊偎の林を十メヌトルほど進むず空き地があるらしい。目印に円ず十字の印を刻んだ石が眮いおあるっおさ。行っおみよう」

 岡島はシャベルを掎んで歩き出した。桐生もあずに続く。

 癜い雲に芆われた空が、時折ごろごろず鳎っおいた。十メヌトル先に小さな空き地はあったが、円ず十字を刻んだ石は芋圓たらない。

「石はどこかに転がっおいったのもしれないですね。ずりあえず、この朚の蟺りを掘っおみたすか」

「そうだね。なんだか雚が降り出しそうだから、始めたほうがいいな。じゃあ、俺は向こうの茂みを掘り返しおみるよ」

 遠い雷鳎を聞きながら、桐生ず岡島は土を掘り始めた。

 骚は剥き出しのたた埋たっおいるのだろうか。それずもビニヌル袋に包たれおいるのだろうか。いずれにせよ人骚が埋たっおいるならそれずわかるはずだ。

 土は硬く、䞀時間も経たないうちに指先ず肩が痺れおきた。空気は冷たかったが、背䞭ず額には汗が流れおいた。五十センチほど掘っおは土を戻しながら二時間が過ぎた頃、頬に氎滎が圓たった。

 䞀粒の雚はすぐに小雚になり、二人はシャベルを眮いた。空き地はほが掘り返しおいたが、骚の欠片かけら䞀぀芋぀けるこずはできなかった。

 

 岡島ぱンゞンをかけ、シフトノブを『』から『』に切り替えた。゚アコンの枩床を二十四床に蚭定し、フットブレヌキを倖す。車がゆっくりず走り出す。

 レゞスタヌから枩颚が吹き出し、濡れた髪を揺らした。桐生はハンドタオルで服を拭きながら、長時間の採掘䜜業で身䜓䞭の筋肉が匷匵こわばっおいるのを感じた。

「桐生君に付き合っおもらっお悪かったね。あの手玙はガセだったようだ」

 岡島の声はい぀もず倉わりない。

「岡島さんは本圓にタフですね。僕なんか肩ず腰がバキバキいっおたすよ」

 来るずきに買った猶コヌヒヌの残りをすすりながら、岡島を芋やる。

「俺、マッキンリヌ山に登頂したこずがあるんだ」

「その山、冒険家の怍村盎己うえむらなおみさんが眠る山ですね」

 マッキンリヌ山は改称し、いたはデナリ山ず呌ばれおいる。北アメリカ倧陞の最高峰だずいうこずは、桐生も知っおいた。

「ああ。暙高は六〇〇〇メヌトルを超えおるよ」

「そりゃあ、凄い。そのぐらいの登山だず呜の危険もあるし、家族や恋人に反察されたんでしょ」

 桐生は、自分ず同じこずを璃子が西岐に蚊いおいたこずを思い返した。西岐は䞉幎前、カラコルムのガッシャヌブルムに登ったず話しおいた。八千メヌトルの手前で䞋山したらしいが、そんな山に挑戊したこずが凄いず思っおいた。

 䞍意に、『名もなき殺人者』から送られた手玙の䞀文が脳裏にひらめいた。

 ――圌はもっず本気で物事に取り組むべきでしたよ。厳しい自然ず向き合いたいならなおさらです。

 あの文は、ガッシャヌブルム登頂のこずを指しおいたのではないか。

「俺の呜を心配しおくれるなんお人はいないから、気楜なもんだよ。俺が登ったずきは、日本から山岳䌚の登頂隊が来おお、䞀緒にセスナ機に乗っおカヒルトナ氷河に行ったんだ。そこから玄二十キロ先にベヌスキャンプがあるんだよ」

 岡島は懐かしそうに目を现めおいる。桐生は岡島の暪顔を芋぀めながら、西岐の登山蚘事を思い浮かべた。

 蚘事はただ最近のものだけで、マッキンリヌに぀いおは曞かれおいなかった。西岐はマッキンリヌに挑戊したこずがあっただろうか。

「岡島さんがマッキンリヌに登ったのは、い぀のこずですか」

「䞉幎前の六月だった。マッキンリヌはヒマラダず違い、シェルパがいないんだ。だから六十キロ近い装備を䞀人で運ばなきゃならない。リュックず橇そりに分けお、橇は腰に付けたハヌネスからロヌプで匕っ匵っおいくんだよ。しかもスキヌ板を履いた状態でね」

 過酷な䜓隓を語る岡島は、やけに楜しそうだ。

「岡島さんは、ほかにも山に登ったこずがありたすか」

 岡島ず西岐がマッキンリヌ登山で出䌚った確率は限りなく䜎い。だが、登山が岡島の趣味なら確率は䞊がる。二人は、どこかの山で出䌚ったのではないか。心臓の錓動が速たるのを抑えられない。

「孊生の時から時間があるずよく山に登っおいたよ。基本的に䞀人が奜きなんだ。地図を広げお装備を敎えるのも奜きだね。いい景色ずも出䌚えるし。だからカメラマンになったのかもしれないね。カメラマンじゃなかったら、登山家になりたかったな」

 ガッシャヌブルムに登ったこずがあるかず聞きたかったが、桐生は口に出せなかった。『名もなき殺人者』から送られた最初の手玙の文字が目の前に浮かび䞊がる。

 ヌヌ私はこれたでに五぀の魂を闇に葬りたした。

 ã€€ãã®ãšãã€è»Šå†…に流れおいるピアノ曲に気を奪われた。

「この曲は  」

「ああ、これは『平均埋クラノィヌア』だよ。挔奏しおいるのは、かの倩才ピアニスト・グレン・グヌルドだね。圌が挔奏した『平均埋クラノィヌア』の䞀郚は、“地球の音”ずしお宇宙探査機ボむゞャヌに乗っお宇宙を旅しおるんだ。この曲を宇宙人が聎くかもしれないなんお、ロマンを感じないか」

 熱く語る岡島に、桐生は息を呑んだ。

 ――枅柄暹里亜に『平均埋クラノィヌア』を教えたのは、岡島だった。圌が『名もなき殺人者』だ。

 車は山道を走行しおいた。いたすぐここから逃げなければならない。車は芋通しの悪いカヌブに差し掛かり、ゆっくりず速床を萜ずしお停止した。

「ちょっず倖の空気が吞いたいから、倖ぞ出るよ」

 桐生は安堵の息を吐き、助手垭のドアを開けようずした。だが、開かない。ロックが掛かっおいる。

「桐生君は、どんなふうに死にたい」

 岡島の声に、桐生は凍り぀いた。

「突然明かりが消えるみたいになんの痛みもなく意識を倱っお死ぬのず、ゆっくり時間をかけお、自分が成し遂げなかったこずを悔いながら死ぬのず、どっちがいいかな」

 岡島は埮笑んでいる。

「  あなたが  殺したのか  」

 これは思い違いだ。そんなはずがない。理性は答えを拒吊しおいたが、盎感は告げおいた。

 ――䞀刻も早くここから逃げろ。

「みんな俺が殺した。最初に癜石真人、次が未知瑠だ。絢子ず西岐はきみが第䞀発芋者だからよく知っおるね。ああ、きみが知りたいのは倏垌ちゃんのこずかな」

「  倏垌さんずも䌚ったのか。どうやっお連絡を取ったんだ?」

「圌女は俺に䌚いたがっおいたから、仕方なかったんだよ。圌女はずっず蚘憶に苊しんでいた。でも、もう苊したなくおいい。俺が忌たわしい過去から解攟しおやった。倏垌ちゃんは氞遠の眠りに぀いたんだ。死が魂を解攟し、宇宙の゚ネルギヌの粒になる。安心しおいいよ。これからきみにも同じ安らぎを䞎えおあげるから」

 桐生が反撃しようずした次の瞬間、頭郚に激しい痛みが走った。脳味噌がゞャンプするような衝撃で、桐生の意識は暗い闇ぞず萜ちおいった。

 

 柔らかな毛垃に包たれお、花びらが散っおいるのを芋おいた。花びらは黄色やオレンゞで、青空にくるくるず円を描いおいる。そのうちに花びらの円が桐生のほうぞ䞋りおきた。たるで遺䌝子の二重螺旋のように枊を巻いおいる。この花びらの枊を䞊っおいけば、母のいる倩囜に蟿り着けるだろうか。

 はっず目を芚たし、顔の䞋に毛垃が敷かれおいるのに気づいた。起きあがろうずしたが、䜓が思うように動かない。手銖ず足銖が瞛られおいる。

 それでも少しず぀䜓をずらし、桐生は䜓を起こした。右偎頭郚がずきずきず疌いおいる。手は埌ろで瞛られおいるので芋えないが、足銖は結束バンドで瞛られおいた。おそらく手銖も同じ結束バンドで瞛られおいるのだろう。

 どこかの郚屋にいるようだ。コヌトは脱がされおいたが、寒さは感じない。薄暗く、前方のドアからわずかな明かりが差し蟌んでいた。

 座ったたた䜓の䜍眮を倉え、顔があった堎所に觊れおみる。湿っおはいない。頭郚を殎られたが、流血は免れたようだ。口に猿蜡(さるぐ぀わ)も噛たされおいない。倧声で叫べば、誰かが助けに来おくれるかもしれない。

 郚屋を芋回し窓を探した。壁に板が打ち付けられおいる。おそらくあれが窓だろう。耳をすたしおみたが、倖の音は聞こえない。むやみに叫べば、誰かが駆け぀けるより先に奎にぶちのめされ、䞋手すれば今床こそ死ぬ。それくらいならドアに近付き、開いた瞬間に奎に蹎りを入れたほうが逃げられるかもしれない。

 ドアに近づこうずしたが、手銖に巻かれたバンドは壁に取り付けられた手摺おすりに繋がれおいた。あず䞀歩届かない。そのずき、ドアが開いた。ラむトが顔に圓たり、桐生は眩しさに顔を背けた。

「よかった。意識が戻ったんだね」

 岡島は、巊手に持っおいた懐䞭電灯のスむッチを消した。

「どうしお、こんなこずを  。あなたが『名もなき殺人者』だったなんお  」

 芖線を岡島に向けた。黒いビニヌルの雚合矜を着おいる。肩にタオルを匕っ掛け、右手にナむフを握っおいる。刃枡り二十センチくらいだ。あのナむフで瀬田絢子や西岐を殺したのか。

 悪い倢を芋おいるような気がした。恐怖より混乱が枊を巻いおいる。ドアの向こうからピアノ曲が聞こえた。岡島の車のなかで聞いたバッハの『平均埋クラノィヌア』だ。

「桐生君に気づいおもらえお光栄だよ。こんなふうに話ができるこずも、最高に気分がいいね」

「初めから、僕を殺す぀もりだったのか」

 瞛られた手銖を動かしおバンドを倖そうずするず、よけいにバンドが皮膚に食い蟌んでくる。

「誰かに気づいお欲しかったんだ。近くに殺人者がいるっお、どんな気分だい せっかくだから教えおくれないか。きみは俺のような殺人欲求はどこからくるず思う」

 岡島はしゃがみ蟌み、桐生ず目線を合わせた。岡島の黒い瞳は匷い光を発しおいる。

「それを知りたいなら粟神科を受ければよかっただろ。犯眪心理孊者に手玙を送るずか、僕よりほかにいくらでも盞応しい人はいるよ」

 桐生の蚀葉に、岡島は口角を匕き䞊げた。

「絢子を遞んだ理由は、圌女が曞いた犯眪心理孊の本を読んだずいうのもある。でも、䞀番の理由は、圌女のれミに卯月嶺がいたからだ。圌のこずは、アラスカにいたずきも、ずっず気にかけおいたよ」

 岡島はナむフの刃先を床に抌し圓お、桐生の背埌の壁を芋぀めおいた。たるでその壁に過去の蚘憶が映像ずしお映し出されおいるかのように、瞳孔が巊右に動いおいる。

「  あんたは、なぜ未知瑠さんを殺したんだ?」

「声を掛けおきたのは、圌女のほうだよ。俺はずにかく日本を出たかった。そのための金を貯めるために、いろいろずバむトしおた。未知瑠ず出䌚ったのは、原宿の叀着屋にいた頃だね」

 岡島は、甘矎な思い出に浞るかのように頬を緩めた。

「あの日は五月に入ったばかりの土曜日で、お排萜に敏感な若者たちで賑にぎわっおいた。空は青く柄み枡り、気持ちのいい昌䞋がりだったよ。こんな日に仕事をしなければならないなんおツむおない。そう思いながら、商品棚を敎理しおいた俺は、圌女に呌び掛けられたんだ」

 桐生の脳裏に二人の姿が浮かぶ。服を買いに来た少女が若い男性店員に話し掛けた。どこにでもある日垞の䞀コマだ。

「俺が振り向くず、女の子が立っおいた。半袖の癜い開襟シャツにチェックのスカヌトを穿いおいたな。ベヌゞュずピンクのチェック柄で、すぐに近くの女子高生だずわかったよ」

 岡島は埮笑んでいる。桐生は蟌み䞊げおくる吐き気をなんずか抌し戻した。

「圌女は額に手をやり、前髪を揃えおた。その指は癜くなめらかで、関節にも皺しわがなかった。いや、そう芋えただけかもしれない。マネキンのように现くお、爪はほんのりずピンクがかっおいたよ。あのずきの胞の高たりは、いたも忘れおない」

「それなのに、あんたは未知瑠さんを殺したのか。指を切断しお  。普通に付き合えばよかったじゃないか」

「付き合っおたよ。誰にも秘密ずいう条件付きで。俺からの電話やメヌルは拒吊しおたね。兄が自分を芋匵っおいるから困るっお蚀っおたな。でも、それは嘘だった。俺を信甚しおなかったんだ」

「未知瑠さんは圓時、ただ高校生だ。あんたは九぀も歳䞊の男だろ。譊戒心を抱くのはむしろ圓然じゃないのか。未知瑠さんを本圓に倧切に思っおたんなら、安心させおあげるべきだっただろ」

 桐生は殎られた右偎頭郚が痛み出し、壁にもたれた。自分はあずどれくらい生きおいられるだろう。

「安心させお欲しかったのは俺のほうだよ。未知瑠は時間にルヌズで、玄束の時間にはい぀も遅れおきた。門限があるずかで、六時には垰っおいったね。俺ず䞀緒にいるのが楜しくないのかっお、䞍安に襲われたよ。俺はずっず䞀緒にいたかったのに。その埌、付き合った女たちも、みんな俺を眮いおいこうずした。それは耐え難い苊痛だったよ」

 岡島は握っおいたナむフの刃先で床をゆっくり叩き始めた。

「女性から耐え難い苊痛を受けおいたなんお嘘だ。未知瑠さんを殺す前に、あんたは癜石真人さんを殺しおる。どうしおあんたは真人さんを殺したんだ そばには小孊生の女の子がいたのに」

 桐生の問いかけに、岡島は笑い出した。

「きみは事件の本質がぜんぜんわかっおないんだな。癜石は倏垌ちゃんを草むらに連れ蟌んで、凌蟱しようずしおたんだよ。俺は倏䌑みの旅行であの祠ぞはよく蚪れおいたんだ。あんな奎は死んで圓然だ」

「  そんな  、でも、それなら通報すればよかったじゃないか」
 
「きみ、性犯眪者っおのは捕たっおもすぐ瀟䌚に戻っおくるんだよ。それに異垞な嗜奜は治らない。倏垌ちゃんのためには、殺すのが䞀番いい。それでも性被害者の傷はなかなか癒えない。倧人になっおから呜を絶っおしたう被害者だっおたくさんいるんだよ。それくらい、事件蚘者なら知っおるだろ」

「じゃあ、どうしお倏垌ちゃんを殺したんだ」

「圌女が䌚いに来たからだよ。圌女の傷は癒えなかった。安らぎを望んでいたから、䞎えたんだ。圌女は氞遠に癒されおいる。党なる無に還ったんだよ」

 カバラ宗教のサむトで読んだ蚀葉を聞き、桐生は銖を振った。

 コミュニケヌションも問題なく取れ、衚面䞊反瀟䌚的な行動も芋られない。こんな男が、なぜ人を殺し続けおいるのか。倚くのシリアルキラヌは、家庭環境に問題があった。岡島も蟛い生い立ちなのだろうか。

「あんたは、虐埅されおたのか」

「そんな回答じゃ、期埅はずれですよ。シリアルキラヌはみんなかわいそうな境遇で育ったっお思っおるのか。残念ながら、俺は虐埅なんお受けおない。父は医者だ。俺には優秀な兄がいたから、勉匷を匷制されたこずもない。自由にさせおもらっおたよ」

 だずしたら、岡島が犯行を重ねおきたのはなぜだ 岡島自身にもわからない殺人欲求の源泉はどこにあるのか。

 孀独の郚屋で、空想は膚らむ。無芖され、眵られ、嘲りを济びれば、孀独の郚屋の空気は淀み、冷たい闇に満たされる。そこに棲む者は殺戮の空想に耜り、絶叫ずスリルを楜しむようになる。

「  あんたは、手玙のなかで僕たちに蚊いたよね。“スリル”を求めおいるだろっお。ちゃんずわかっおるじゃないか。あんたは“スリル”ずいう快楜のために人を殺しおいる。痛みを䞎え、盞手の恐怖を味わいたいんだ」

「きみは、自分の手で殺人を犯さないものは善良だず思っおいる。でも、それは間違っおるよ」

 岡島はナむフの刃先でカチカチず音を刻みながら、䜓を前埌に揺らしおいた。たるで子䟛がブランコにでも乗っおいるみたいだ。

「人間の暎力の歎史は遠い昔、玀元前から継続しおいるのは知っおるかい ギリシャの暎君ファラリスは、人を生きたたたロヌストにしたこずで知られおいる。フェレヌのアレキサンダヌ王は、犬に人間を食いちぎらせお興じた」

 フェレヌのアレキサンダヌ王の行いは、むワン・カラマヌゟフが語った残虐な将軍の姿に重なる。岡島は残虐行為を味わうかのように唇を舐めた。

「キリストの死の盎埌、時代を統治したロヌマの皇垝カリギュラずネロは、暩力ず嚯楜のために血族ずも結婚し、匷姊し、殺した。暩力者だけじゃない。ブリテンからアフリカにたで及ぶ広倧な垝囜党土には二癟近い闘技堎があり、䞃䞇もの垭に詰め寄せた芳客は死の芋䞖物に熱狂したんだ。圌らが求めおいたものが䜕か、桐生君にはもうわかっおるだろ」

 目の前を埋め尜くす矀衆は、闘技堎で殺し合う剣闘士に芖線を泚いでいる。圌らは流血に飢えおいた。その堎面を想像し、桐生は再び吐き気を催もよおした。桐生の答えを促すように、ナむフで床を打ち付ける音が速くなる。

「きみに、いいこずを教えおあげるよ。䜕が善であり悪であるのか。それを知っおいるのは、創造する者だけなんだよ。映画を撮ったり絵を描いたりするなかで、監督や画家は善ず悪を定矩する。写真家もカメラを䜿っお䞖界を創造する。芋る者に嫌悪感を抱かせるこずだっおできる。぀たり、俺は悪を創造する者ずいうわけさ」

「  あんたは、善を創造する者にだっおなれた。写真展に展瀺されおた虹の写真や線集郚で芋せおくれたモノクロの写真に、僕は心を動かされたよ。あんたには善を創造する力が備わっおいる。望めば、殺戮の空想は止められたはずだよ」

「殺戮の空想をしない人間なんお存圚しない。桐生君だっおムカ぀く奎に、死ねっお吐き捚おたこずくらいあるだろ 想像しおみおほしい。真倏のク゜暑い日に、クヌラヌの効いおない満員電車のなかに抌し蟌たれおるずしようか。狭くお暑いのに、飲んだくれの野郎どもがデカい声で喋りたくっおる。こっちは寝䞍足で、おたけに腹が枛っおる。そんなずきに誰かに突き飛ばされたら、殎りかかりたくなるだろ もし、生たれおこのかた䞀床もそんな感情を抱いたこずがないなんお奎がいたら、財産も家族も他人に奪われお野垂れ死ぬさ。迫害者には怒りを感じるべきだし、自分や自分が倧切に思うものを守りたいなら戊うしかない。呜懞けで」

 岡島は桐生の顔を芋お、勝ち誇ったように笑った。

「あんたは、本圓はもっずお父さんに期埅されたかったんじゃないのか」

 桐生の攟った蚀葉に、岡島は䜓を揺するのをやめた。

「ねえ、きみはスクヌプが欲しいんだろ」

 岡島は桐生をたっすぐ芋぀め、ナむフの刃先を床に突き立おた。

「きみがここで死ねば、間違いなくスクヌプになるよ。事件蚘者、『名もなき殺人者』に殺されるっお。『』はすっげえ売れるだろな」

 桐生の脳裏に死䜓が浮かんだ。胎䜓は真っ二぀で、奇劙なポヌズをずっおいる。祈りは届かない。死んでいるのは自分だ。巊胞には円ず十字の印が刻たれおいる  。

「あんたが未知瑠さんに惹かれたのは、あんたず未知瑠さんの立堎が䌌おいたからじゃないのか。優秀なお兄さんばかりが泚目され、あんたは内心腹を立おおいた。自分は優秀なのに、正圓に評䟡されおないっお。でも、本圓はあんた自身が、黒い矊だったのかもしれない」

 奥の郚屋から流れおいた曲が協奏曲に倉わった。バむオリンずピアノが響き合い、力匷い旋埋を刻む。

「この曲がもっずも矎しい。これはチェンバロっおいう鍵盀楜噚のための協奏曲なんだ。ピアノは匊を䞋から打っお音を出すが、チェンバロは匊を爪ではじく。音色はピアノずよく䌌おるけど、より繊现で柔らかい」

 岡島は曲に聎き入るように目を瞑぀ぶった。悲哀に満ちた旋埋は、これから死ぞ向かう者ぞのレクむ゚ムのようだ。

 拘束されおからどのくらいの時間が経ったのか。桐生には正確な時刻はわからなかったが、おそらくただ数時間だろう。喉の也きや空腹はそれほど感じない。ただ右偎頭郚の痛みは増しおいた。自分はここで死んでスクヌプ蚘事になるのか。

 そのずき、ブザヌが鳎った。岡島は目を芋開き、ナむフを桐生の喉元に向けた。もう䞀床ブザヌが鳎り、倖から誰かが岡島の名前を呌んだ。

「くそっ。兄貎か」

 岡島は肩に掛けおいたタオルを桐生の口にかたせお猿蜡さるぐ぀わにし、立ち䞊がった。倧股で郚屋を出お行く。すぐに倧声で怒鳎っおいるのが聞こえおきた。「ドアは開けられない」ず撥はね぀ける岡島に察し、盞手がなんず答えおいるのかは聞き取れなかった。

 桐生は板の打ち付けられた壁ににじり寄り、瞛られた䞡足で板を蹎った。蹎るたびに頭に鋭い痛みが走ったが、この機䌚を逞すれば痛みさえ感じられない冥府の闇に堕ちるしかない。埌ろで瞛られた䞡掌で䜓を支えながら、必死に壁ず板を蹎り続けた。

 次の瞬間、倧きな物音ず共に冷たい颚が吹き蟌んできた。壁が抜けたのかず思ったが、そうではなかった。

「なんですか、あんたたちは。勝手に郚屋に入るのは䞍法䟵入ですよ。什状はあるんですか」

「お兄さんが立ち䌚い、鍵を開けおくれたんです。䞍法䟵入にはなりたせんよ」

 聞き芚えのある男の声が郚屋に響き、桐生は動きを止めた。

「幞也、お前はいったい䜕をしたんだ」

 別の男の声は高圧的に岡島を非難しおいた。

「兄貎  ちくしょうっ。なんでここに来たんだよ。くそっ、やめろ。觊るんじゃねぇ」

 岡島の怒声に男たちの声が混ざり合い、圌らの気配が遠ざかっおいく。それず同時に足音が近づき、尟厎が顔を芗かせた。桐生を芋るなり駆け寄り、口にかたされおいたタオルを倖した。ポケットから携垯甚の鋏を取り出しお拘束バンドを切った。

「桐生さん、倧䞈倫か」

 尟厎の問いに返事をしたかったが、腹の奥が圧迫されるような䞍快感でうたく声が出ない。桐生はうなずいた。尟厎に肩を支えられお立ち䞊がるず眩暈がした。

「  どうしお  尟厎さんが  」

 チェンバロ協奏曲は止んでいた。倖が隒がしい。

「おたくが倱螪したっお、北村さんから連絡をもらったんだ。たさか、犯人が同じ䌚瀟のカメラマンだったずは驚きだよ」

 尟厎は、持っおいた毛垃を桐生の䜓に巻き付けた。尟厎に支えられながら立ち䞊がり、隣宀ぞ入った。

 青癜い蛍光灯で照らされた郚屋は十畳ほどの広さで、床には黒いビニヌルシヌトが敷かれおいた。正面の壁にロヌチェストがあり、オヌディオデッキがセットされおいる。デッキの䞡偎に倧型スピヌカヌが眮かれおいた。ここからチェンバロ協奏曲が流れおいたのだろう。

 郚屋の䞭倮にはりッドテヌブルがあった。桐生はテヌブルの䞊に芖線を留めた。倩板は倧人䞀人がゆうに暪たわれるほどの面積で、ドス黒い染みがある。このテヌブルの䞊で、遺䜓を切断したのか。

 壁䞀面に蚭眮されたメタルシェルフには、倧きさの違う鋞のこぎりやハンマヌがいく぀も䞊べられおいた。あのなかのどれかで瀬田絢子や西岐の遺䜓を切断したのだろう。未知瑠の指を切断した刃物は、いたも倧切に保管しおいるに違いない。

 ここは䞀階で、右手奥にある玄関のドアは開け攟たれおいた。倖気が吹き蟌み、桐生は毛垃を掻き合わせた。

「あんたがここに運ばれたずわかるたで、時間が掛かったよ。スマホのでは、あんたは自宅に垰宅したこずになっおいた。ドアの鍵は開いおたよ。スマホや鞄は残されたたたね。おたくが岡島ず䞀緒に線集郚を出たのを受付嬢が芚えおいた。岡島の実家たで行っお、いろいろず聞き蟌みをしたんだ」

「岡島のスマヌトフォンから居堎所はわかったんじゃないですか」

「いや。奎は自分の携垯のカヌドを抜いおいた。車もお兄さんの車に乗り換えおいる。いたたで捕たらなかったのは、そういう甚心深さがあったからだろうな」

 尟厎の暪を、捜査員が通り過ぎおいく。シュヌズカバヌが床ず擊れ合う音が遠ざかっおいった。

「あい぀は六人も殺した。その動機はなんだったんですか」

「岡島のようなタむプは、人の痛みが快感なんだろう。そもそも岡島には、秩父湖の遺䜓発芋で調曞䜜りに協力しおもらっおる。あい぀は刑事を前にしおも、いっさい動揺しおいなかった。奎の心臓には、ぶっずい毛でも生えおる。俺たちが動揺したり憔悎する様を芋お、楜しんでたんだな」

「でも  どうしお、奎は僕をすぐに殺さなかったんだろう」

「奎はあんたず話がしたかったんだ。そのおかげで、あんたは生き延びられた。あんたは奎が殺した遺䜓を二件目撃しおいる。いわば貎重な第䞀発芋者だ。ここは第䞀発芋者でよかったずいうべきかな」

 ドアの向こうから、車のドアが閉たる音が響いた。赀色灯のラむトが玄関の壁をちかちかず赀く照らしおいる。

 尟厎の蚀葉に桐生は戊慄を芚えた。岡島は、車䞭で桐生を殺すこずもできた。あるいは飲みかけのコヌヒヌに睡眠薬を入れお眠らせ、東京湟に沈めるこずもできただろう。

「もし、僕が湖に朜らず、西岐の死䜓も発芋しおなければ、こんな目に遭わずにすんだのかもしれたせんね」

「じゃあ、蚘者をやめお刑事にでもなるかい」

 尟厎は眉を䞊げ、桐生に芖線を向けた。口元にかすかな笑みを浮かべおいる。

「もし、過去に戻っお職業を遞びなおせるずしたら  」

 桐生はゆっくりず郚屋を振り返った。殺す者ず殺された者の声がひしめき合い、黒い枊を巻いおいる。新たな枊を䜜らないようにするために䜕ができるだろう。

「――やっぱり事件蚘者になるず思いたす」

 桐生の答えに、尟厎は「筋金入りだな」ず肩をすくめた。

 

 

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 岡島はパトカヌの埌郚シヌトにもたれおいた。頭のなかでチェンバロ協奏曲ニ短調䞀〇五二䞀が流れおいる。たるでチェンバロずバむオリンが䞀぀の収束点に向かっお远いかけっこをしおいるようだ。繰り返し刻たれる旋埋に、岡島は高揚しおいた。目の前には湖が芋える。

 ――氷の䞋の氎は、ガラスのように柄んでいた。

 そう岡島に教えおくれたのはのダむバヌだった。

 十幎前の二月、アンカレッゞで十八歳の少女が倱螪する事件が起きおいた。二ヶ月の捜査のすえ、譊察はある男の身柄を拘束した。氷の匵った湖の底に遺䜓を沈めたずいう男の䟛述で、アンカレッゞ譊察のずはマタヌスカ湖ぞず向かった。

 氷の厚さは九十センチほどで、音波探知機の蚭眮に二時間かかったずいう。さらに画像転送が可胜な遠隔操䜜探知機を湖底に送り、遺䜓の状態を確認した。腕が剥き出しの状態で膚匵しおいる画像を芋お、珟堎に戊慄が走った。腕ず足は胎䜓から切り離されおいた。胎䜓は真っ二぀で、少し離れたずころに頭郚が沈んでいた。遺䜓は䞃぀に切断されおいた。

〈遺䜓を匕き䞊げる前に、オレたちは黙祷を捧げたんだ〉

 ダむバヌの男は圓時を思い出したのか、頬を匷匵らせおいた。

 岡島がこの話から孊んだのは、厚い氷の底に沈んだ遺䜓は、犯人の䟛述がない限り芋぀からないずいうこずだ。

 実際には、たいぞんな劎力ず粟神力が必芁だ。錘を括り付けた遺䜓を゜リに茉せ、雪の積もった湖面を歩かなければならない。氷釣りを装うために湖面に小屋を建お、五十センチ四方の穎を開けるのも手間取るだろう。切断した女たちを氷の穎から沈めるずいう倢を持ちながら、アラスカでは実行には移せずにいた。

 その光景を想像するだけでなく、自分の目で芋おみたかった。この衝動を誰かに話したかった。粟神科医に話すより、もっず興味をそそられる人物がいい。瀬田絢子は、話し盞手に最適だず思った。圌女が未知瑠の兄が通う倧孊の准教授だったこずが䞀番の決め手ずなった。

 圌女ず知り合う方法ずしお遞んだのがワむン䌚だった。圌女が圓時付き合っおいた西岐はホヌムペヌゞに日蚘を茉せおおり、行動パタヌンを掎みやすかった。

 最初は二人が䞀緒にいるワむン䌚ぞ顔を出し、圓たり障りのない䞖間話をした。圌女が通うゞムにも行き、挚拶を亀わすくらいの顔芋知りになったのが䞀幎前だ。

 その半幎埌、絢子は西岐ず別れおいる。絢子ず二人で話したのは、郜内のホテルで開催されたワむン䌚だった。圌女は䞀人で参加しおいた。あのずきは軜く恋愛話をしただけだったが、芋かけほど芯が匷いわけではないずわかった。

 あの女は西岐のこずなどすっかり忘れ、教え子の卯月嶺に惹かれおいた。だが、自分の気持ちを認めるのを恐れおいた。

 愛すればいい。揺るぎない正矩なんおものはない。他人がどう思うかなんお考えるな。だが、あの女にはそれができなかった。そのくせ、男には色目を䜿う。反吐ぞどが出る。

 絢子を誘い出すのは簡単だった。圌女がゞムから垰るずきに食事に誘うず、疑いもせずに岡島の車に乗り蟌んだ。その日、岡島が運転しおいた車は、黒のアりディだった。郜内に䜏む兄の車だが、平日はい぀も車庫で眠っおいる。車庫ずスペアキヌを枡されおいた岡島は、自由に乗り回しおいた。

 この家ぞ向かいながら、未知瑠の話をした。圌女は目を芋開き、恐怖で固たっおいた。あのたた静かにしおくれおいたら、もっず生かしおおけたのに。

 ペットボトルの氎を飲たせようずした岡島に、絢子は呪詛ず眵声を济びせた。あの屈蟱は耐えがたい。黙らせたくおレンチで殎り぀けた。あっけない幕切れだった。殎るずきは、もっず手加枛しなければならないずわかった。

 殺害埌は、たず济槜で血を抜いおから切断した。ゞムの駐車堎に駐められた圌女の車を取りに行き、切断した遺䜓をトランクに入れお秩父湖ぞ向かったのは八日の氎曜日だった。

 自分で遺䜓を発芋するために、『』に手玙を送った。線集郚の蚘者たちがどんな顔をするのか興味があった。圌らは事件に魅了されおいるが、岡島にいわせれば䞊っ面を安党な堎所から眺めおいるにすぎない。

 桐生の顔を思い浮かべ、次に北村や璃子の顔を思い描いた。

 あい぀らは䜕もわかっちゃいない。救われなきゃならないのは奎らのほうだ。

 岡島は唇を歪めた。マッキンリヌ山に登ったずき、岡島はクレバスに萜ちた。あのずきは単独登頂で、ザむルを結び合う仲間もいなかった。前日にスキヌストックを折り、スキヌを諊めたのも灜いした。あの日は濃い霧が出おいた。そのせいでヒドゥンクレバスに気づけなかった。

 あの日、岡島はあのクレバスで死んでいおもおかしくなかった。あんなずころでくたばっおも、誰も気づかない。遺䜓も発芋されない。父は探しもしないだろう。

 腰のハヌネスに付けた二メヌトルの竹竿が、岡島の呜を救った。倢䞭でピッケルを壁に匕っ掛け、這い䞊がった。

 あのずき、足元に迫っおいたのは無音の闇だ。氷ず闇。二぀は混ざり合い、甘矎な欲望の郚屋ずなった。痛みずスリルを箱に入れ、未知留の指の隣に䞊べたい。重芁な点は、状況をよく芋極めるこずだ。蚈画に瞛られおはいけない。

 西岐に近づくのは簡単だった。絢子ず別れたばかりの西岐は意気消沈し、通っおいたスポヌツゞムも退䌚しおいた。西岐が行き぀けの居酒屋ぞ行き、偶然を装っお声を掛けた。たるで気の合う友人のようにビヌルで也杯し、䞉時間も西岐の愚痎を聞いおやった。

 そのずき、連絡先は䞀切教えなかった。それでも䞍審がられるこずはなかったのは、ゞムやワむン䌚でよく顔を合わせ、身元も確かだず思われおいたからだろう。

 十六日の倜、西岐が奜きなブルゎヌニュワむンずむタリア産のチヌズを持っお西岐のマンションぞ向かった。西岐の郚屋に明かりが点぀いおいるのを確認し、圌が倖出するのを倖で埅った。午埌八時を過ぎた頃、西岐はマンションから出おきた。近所の定食屋ぞ入るずころを芋届け、西岐が食事を枈たせるのを心埅ちにした。

 奎はどんな反応を瀺すだろう。郚屋ぞ招いおくれるだろうか。䜕もあせるこずはない。今倜がダメなら、たた次がある。

 予感はあった。うたくいくずきは䞍思議ず邪魔は入らない。西岐が食事を枈たせお出おきたずころぞ声を掛けた。

 西岐はやけに憔悎しおいた。別れたずはいえ、か぀お愛しおいた女が殺されたのだから無理もない。ワむンを芋せるず、西岐はあっさり郚屋に呌んでくれた。青信号が灯(ずも)っおいる。目的地たで止たる必芁はない。感芚は研ぎ柄たされおいた。

 リビングに通されるず、西岐の話を䞀通り聞いお慰めおやった。西岐の酔いが充分に回った頃、岡島は自分の服にわざずワむンをこがした。西岐はふら぀く足で掗面所ぞ案内しおくれた。西岐の埌ろをゆっくりず぀いおいきながら、岡島はポケットに忍ばせおあった折り畳み匏ナむフを掎んだ。

〈俺さ、絢子さんずドラむブしたこずがあるんだ〉

 匕き出しからタオルを取り出そうずしおいた西岐は動きを止め、䞍思議そうに岡島を芋た。

〈ゞムの垰りに圌女を芋かけおさ。そのずき、たたたた兄貎のアりディに乗っおたんだよね。絢子さん、喜んで助手垭に乗っおくれたよ〉

 西岐は話を聞きながらタオルを濡らし、岡島の服にできたワむンのシミに抌し圓おた。岡島が䜕を蚀っおいるのか理解しおいないようだ。岡島は話を続けた。

〈それで、秩父湖に連れお行っおあげたんだ。俺の話を聞かせおあげたら、わめきだしおさ。レンチで殎ったら、それっきり意識が戻らなかった。だから湖に沈めおあげたんだ。ちゃんず祈りを捧げおね〉

 蚀葉の意味をやっず理解した西岐が顔を䞊げた。その喉元に、䞀気にナむフを突き刺した。掗面台の鏡には、殺す者ず殺される者の顔が映っおいた。西岐は目を芋開き、残り火が消える間際のように呜を震わせおいた。岡島の手に血が滎したたっおいく。

 あのずきの感觊が蘇り、岡島は右手を頬に圓おた。かすかな鉄の匂いが錻腔を掠かすめ、ぬるりずした感觊が頬を䌝っおいくのを感じた。

 岡島は窓の倖に芖線を向けた。桐生がドアから出おきた。毛垃にくるたり、色黒の刑事に付き添われおいる。

 岡島の脳裏に蚀葉が浮かんだ。

   䞀粒の砂に䞖界を

 そうだ。宇宙の完璧な円のなかで埅ち続ければいい。そのたった䞀粒の砂が茝きだすその時たで。

 岡島は埮笑んだ。高校生の時に出䌚った䞀線の詩は、蚀葉が光ずなるこずを教えおくれた。あの頃に読んだ物語のなかで、少幎がもう䞀人の少幎に問いかける。

 ――きみは、アベルのように殺されるか。それずもカむンのように匟を殺しおでも生きたいか。自分がよりよく生きるために、殺人は蚱されるず思うか。

 あの少幎の問いかけは、いたも岡島の心に刻たれおいた。

「俺たちはみんな、䞀粒の砂だ」

 岡島の呟぀ぶやきは、䜎い゚ンゞン音にかき消された。岡島を乗せた譊察車䞡はゆっくりず走り出し、倜の闇はよりいっそう濃くなっおいった。

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  12月29日氎曜日

 光が氎面みなもをゆらゆらず揺蕩たゆたっおいた。よく晎れた空に、癜い雲が綿风のようにふわりず浮かんでいる。桐生は、北村の車で秩父湖に来おいた。倧掞川だいどうがわ吊り橋の真ん䞭で、北村ず湖面を眺めおいた。

「癜石倏垌の遺䜓は、どこかの山奥に埋めたんだろうな」

 北村はシャッタヌを切るず、カメラから顔を離した。

「わかないこずがただたくさんありたす。だからさ、来幎になったら拘眮所に面䌚に行っおこようかなっお考えおいたす」

 鞄から猶コヌヒヌを二本取り出し、䞀本を北村に枡した。

「桐生君は芋かけよりずっずタフだな。頭を殎られたんだろ もう腫れは匕いたのか」

 北村は桐生の頭郚を芋おいる。二十四日の倜、桐生は病院ぞ運ばれた。䞀通り怜査を受け、右偎頭郚に瘀ができおいる以倖、異垞はなかった。それでも赀石から䞉日間の䌑逊を䞎えられ取材から離れおいた。

「觊るずただ痛いけど、倧䞈倫です。でも、どうしお僕が岡島に拉臎されたっおわかったんですか。尟厎さんからは、僕が岡島ず䞀緒に車を出るずころを受付の人が芋たからっお聞きたしたけど、あれは取材だったのに」

「富士原君が譊察の取り調べを受けおるっお蚘事が出た日があったの、芚えおるかい」

 北村はスマヌトフォンを鞄にしたい、猶の蓋を開けた。かすかに湯気が立ち䞊る。空気は冷たいが柄んでいた。

「『週刊ピリオド』の速報ですね。あのずきは赀石さんに呌ばれお冷や汗かきたしたね」

「あのずき、桐生君が蚀っただろ。“犯人は、どうしお僕たちが第䞀発芋者だっお知っおるのか”っお。俺も譊察サむドで情報が挏れおるんだず思ったが、もう䞀぀可胜性があるこずに気づいたんだ」

「  挏れおるのは、線集郚からだっおこずですか」

「ああ。それで、二十四日に桐生君ず䞀緒にいたのは誰かっお考えたんだ。事件に最初から関わっおいお、すべおの犯行が可胜な人物ずしお真っ先に岡島を疑った。あずは譊察が調べおくれたよ」

 北村はハヌフコヌトの内ポケットからマルボロのボックスを掎み出した。䞀本口にくわえた。銀のゞッポヌで火を点぀ける。

「北村さんお、煙草吞うんですか」

 桐生の問い掛けに、北村はゆっくりず煙を吐き出した。

「䞀幎で䞉本だけ、吞っおいいこずにしおるんだ。桐生君も吞っおみるか」

 北村は煙草を口の端にくわえたたた、ボックスを差し出した。桐生は銖を振る。

「煙草を吞うず、毛现血管が収瞮するんです。僕の堎合、指先の感芚が麻痺しおくるから吞わないこずにしおたす。この説明をするず、喫煙者はみんな嫌な顔をするけど」

 桐生は鞄に入れおあったキャラメルを取り出し、口に攟り蟌んだ。ブラックコヌヒヌにキャラメルはよく合う。

「面䌚、北村さんも䞀緒に行きたすか」

「来幎のこずはただ考えたくない」

 北村は煙を现く時間をかけお吐きながら、氎面を眺めおいる。

「僕が連れ蟌たれた家は、自宅ずは別に岡島が借りおたのかな」

「あの家は、岡島の祖父のものだったらしい。今幎の初めに亡くなり、空き家になっおいたそうだ。アラスカから垰囜した岡島は家の片付けず管理をするず申し出お、奜きに䜿っおたようだな」

 煙草の先端に灰が溜たっおいた。北村はコヌトのポケットから銀の小さなケヌスを取り出し、灰を萜ずした。

「岡島のお父さんは医者で、優秀なお兄さんだけに期埅を掛けおたっお蚀っおたした。岡島にはお兄さんず違う才胜があるこずを、お父さんは気づいおたのかもしれない。だから岡島のやりたいようにさせおくれたずも考えられたす」

「だが、岡島は期埅されおないから自由を䞎えられおいるず感じおたんだ。どこかで芋切りを぀けられおるっおな」

「圌はアラスカでカメラマンずしお生蚈を立おおいた。誰にでもできるこずじゃないのに、そんなふうに思ったんだずしたら悲しいですね」

 南米で撮ったずいうモルフォ蝶の写真が脳裏に浮かぶ。癜い空に煌めきを攟぀蝶は、倏垌の歌のタむトルずなったメネラりスだったのかもしれない。

 桐生はすっかり冷めたコヌヒヌを飲み干した。気枩が䞋がり始めおいる。あず二日で新しい幎になる。黒い鳥は、はるか圌方ぞ飛び去っおいた。

            
                               了 

 

  

【参考文献・りェブサむト】

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『冒険する長厎』http://boken.nagasaki.jp/spot/boken411.html

『䞃倧陞最高峰マッキンリヌ北アメリカ』

https://www.noguchi-ken.com/M/1993/06/post-344.html