創作大賞2026を終えて、思うこと
みなさん、こんにちは。にったんです。
9/10 17時に創作大賞2026の中間選考発表がありましたね。
私も三つほど、出していたのですが箸にも棒にもかかりませんでした。
わーん、くやしーよー(;O;)というほど、考え抜いたり時間かけたりしていないので、宝くじの当選発表後くらいの落ち込みでした。
いや、宝くじの方が懐が痛んでいるので、悔しいかもしれない。
17時の発表後、noteホーム画面が何かシーンとしていて、すごい静寂を感じたんですね。
誰も記事を読んだり、投稿したりしていない、いなくなってしまったような感覚でした。
ただただ、息をのみながら結果を見ている瞬間だったのかなと。
その後、続々と中間選考落ちたよ記事が投稿され始めました。
これがまたすごく面白くて、悲喜こもごも、千差万別でした。
たくさん読んで、たくさんスキをしました。
落ちた理由を考察、分析したり、書く気をなくしたり、悔しさをバネに来年に向けて燃えていたり。
この楽しさを友人に話したところ、うっすら心配され、何かパートやジム、習い事を始めないのかと言われました。
ネット中毒の子ども心配する母親のようなことをさせてしまいました。
創作大賞は書き手にとってお祭りでもありながら、受験のようにも思いました。
ガチ勢と記念受験勢が入り乱れてる感じ。
今年の一月末から書き始め、この創作大賞を通してまだまだな自分の立ち位置を感じました。
エッセイ部門の応募作を総ざらいして、中間選考作を予想するという酔狂が極まった記事を書いていたヤスさん。
その記事で他の応募作を読んで、結構殴られました。
いやー、みなさん、文章うますぎるし、構成は読みやすいし、題材は強いし、キャッチーだしでもうお手上げ!
でも、ここで挙げられてる方でも全員通らないんだからもうくじみたいなもんだなと。
その人の声や人生がしっかりあるのに落ちてしまう。
通ったからと言って、書籍化が確約されるわけじゃない。
部門、題材、企画性、その年の空気、商業性も見られる。
でも、スキやフォロワーが大量にあるからって通るわけじゃない。
何か見れば見るほど、ややこしくてめんどうな賞だな。
旦那に創作大賞に落ちたこと、その後の落選記事を読むのが楽しすぎる話をしました。
友人に心配されたけど、また話しちゃう爆語りモンスターの面目躍如ですね。
とある落選記事に、「自分は句読点一つにも気を配るような努力をしていなかった。努力が足りなかった」というようなことが書かれていました。
私はこの考え方にはちょっと疑問がある、努力と報酬を因果で結びたがるのは好きじゃないなと言いました。
それを聞いた旦那は、三浦崇宏さんという有名なPRプランナーの話をしてくれました。
彼は、小説家を目指して早稲田大学第一文学部に入り、小説を書いていたが、自分で読んで「才能がない」と気づいたらしいと。
自分の作品の立ち位置が見えすぎちゃうの、映画アマデウスのサリエリみたいねと言うと、旦那はそうねと言って手元のkindleに集中し始めました。
旦那からの励ましだかなんだか分からないような話を聞いて、私は三浦さんやサリエリのようにうまい作品はわかるなと思いました。
でも、二人ほど、物分かりがよくないからこれからも書き続けるだろう。
来年の創作大賞にもこれは良く書けた!と思った作品を応募するし、落選した人の記事もたくさん読む。
そんな感じでnoteを続けていきたいと思った週末でした。
※迸るパッションのまま、開催したお祭り
よかったら、覗いていってください╰(*´︶`*)╯♡
