50歳を過ぎて「私の美学」を考える。SISIRI最後のお茶会で目が覚めた
予約がなかなか取れない、恵比寿のSISIRI。
2026年9月、この場所を離れることになったSISIRIで、最後のお茶会が開かれた。
何度も行きたいと予約に挑戦したけれどとれなかった予約枠のお知らせがたまたまひらいたインスタグラムで流れてきた。
思わず予約ボタンを押した。
セレンディピティだなと思った。
そして、帰るころには、これから自分がどう生きたいのかを考えていた。
50歳を過ぎてから、これからどうやって生きていこうかな? と考えるようになった。
生き方の本を読んでも、誰の話を聞いても今一つぴんとこない。
SISIRのこの最後のお茶会で、
「「わたしの美学」に影響を与えたものは、、、」。という言葉を聞いたとき、50歳からの生きるって、自分が何を美しいと思う? を集めて自分で道を拓いて自分が満足いくように仕上げていくことなのかもしれないなと思った。
「セレンディピティ」というと、2001年の恋愛映画を思い出す。
クリスマスのニューヨークのデパートで、テレビプロデューサーのジョナサンと、心理カウンセラーのサラが同時に残り一つの商品に手をふれる形で出会う。
二人は譲り合ううちにひかれていき、『セレンディピティ3』というカフェでお茶をした。店を出て別々に別れた二人はやがて再会を果たす。
新卒バリバリのころの公開作品で、この映画の印象からセレンディピティは「予想しない幸運のような出会い」。単なる幸運ではなくて、それが後々の人生に大きな影響を与えるものという印象をもっていた。
だけど調べてみたら少し違った。
ペルシャのおとぎ話『セレンディップの3人の王子たち』に由来
王子たちが旅の途中で優れた洞察力を発揮し、探していたものとは別の価値ある発見を繰り返したエピソードがもとに
18世紀にイギリスの小説家ホレス・ウォルポールが造語として使い始める
セレンディピティ=単なる幸運ではなく「日頃の観察眼や行動」によって「偶然を価値ある発見に変える力」
とあって、毎日を積み重ねていることからしか生まれない自分らしさみたいなものが引き寄せる幸せなんだなと思うと、私自身は50代を「自分が美しい」と思うものに向き合う時間にしたいと思った。
私の美学とは何か。
50歳を過ぎた今、答えを急いで決める必要もない気がしている。
誰に会いに行くのか。
一緒にいるのか。
どこへ行くのか。
何を見るのか。
何にお金を使うのか。
どんな言葉を口にするのか。
何に怒るのか。
その背景に、私自身が「何を美しいと思うのか」があるという気持ちでまずは過ごそう。
だれかに素敵と思ってもらうものではなくて、自分で自分を大事にして満ち足りて健やかだかと感じる心でいられる時間を少しでも持てたらうれしい。
SISIRIの最後のお茶会は、答えではなく、問いくれた。セレンディピティに自分がこれまで過ごした時間をともにいてくれたあなたに心からの感謝を。
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