
「自分らしさ」という便利な言葉
――俳優思考・第十一回
前回、「言葉というのは、ただ発すればいいというものではなく、その下に流れているもの(感情)で質が変わる」という話をしました。
ただ、それを実際に扱おうとすると、ここで次の壁がやってきます。
「自分らしさ」です。
格好良さげですが、非常に厄介です。
例えば、俳優が台詞を扱う時。
よく出てくるのが、
「これ、自分らしくないんですよね」
という言葉です。
もちろん、自分らしさ自体が悪いわけではありません。
ただ、この言葉って、時々ものすごく便利に使われるんですよね。
少し窮屈さを感じたとき。
うまくいかないとき。
求められているものと、自分の感覚にズレを感じたとき。
「これは自分らしくないので」と、一歩引けてしまう。
便利です。
でも、それで本当にいいのかなと思うんです。
『太郎』という役があるとします。
太郎が、友人にこう言いました。
「そこの机の上のハサミとってくれるかな?」
普段の私なら、こんな言い方はしません。
「なぁ、ちょっと、そのハサミ取って」とかですかね。
「ハサミ!」だけの人もいるかもしれない。
でも、太郎は違うんです。
「そこの机の上のハサミとってくれるかな?」って言う人なんです。
そういう人として、存在しているわけです。
まず、そこを受け入れないと始まりません。
それを「自分らしくないので」という理由で、自分の言いやすい言葉に変えてしまったら、それはもう太郎じゃないんですよ。
もちろん例外はありますよ。現場によっては、自然さを優先して台詞変更を求められることもあります。
でも、それはまた別の話。
まずは、書かれているものに向き合う。
そのうえで、どう自由になるかを考える。
順番が逆になると、ただの自己流になりやすい。
俳優って『決められた枠の中で、どれだけ自由に生きられるか』
だと思うんです。
でもこれって、俳優に限った話ではないですよね。
仕事でも、人間関係でも、社会の中で生きる以上、何かしらの枠は存在します。
その度に、「自分らしくない」と枠の外へ逃げるのか、
それとも、一度受け入れた上で、その中で自分なりに立つのか。
結構、大きな違いです。
実際、成長する人って、この「少し窮屈な時間」から逃げない印象があります。そりゃ、最初は違和感がありますよ。しっくりこない。やりにくい。
でも、その不自由さの中で試行錯誤しているうちに、少しずつ「自分」の使い方がわかってくる。
自由って、最初から与えられるものではなくて、案外そういうところから生まれてくるものなのかもしれません。
生前の中村勘三郎さんの言葉で、こんなものがあります。
「基本があるから型破りが成立する。基本がないのに型を破るのは、ただの形無し。」
好きな言葉です。
まずは型を知る。そして受け入れる。その先で、滲み出てくるものが、たぶん本当の意味での「自分らしさ」なんじゃないかなと思います。
次回はこちら→『うまくやろうとするほど、見失うものがある』
前回はこちら→『言葉は、ひとりでは進めない』
まとめはこちら→【俳優思考】