幻想怪奇譚 死者の日の不寝番・サブアカに裏話アリ
※本作は、メキシコの「死者の日」をモチーフにした、純粋なフィクション(幻想小説)です。一部に事故や怪異に関する描写が含まれますが、特定の行為を助長する意図は一切ございません。
メキシコシティ、死者の日の夜。
ひんやりした窓におでこをつけ、街路に目をやり、沿道に並べられた灰色の花々を暫し、見つめる。
その供花は本来は、街灯の光と混じり合い煌めいて、まさにオレンジの川のように見える、はずである。
向かいのマンションの間に渡されたパペルピカド、これらも色彩に溢れ、深まる闇に浮かび上がり、はためいている、はずである。
窓という窓から、幾本ものキャンドルの光の洪水が溢れかえっている…ように常人には、見える「はず」
で、ある…
だが、僕の眼は色を捉えない。
認識するはスチールの映画のような白黒の明滅のみ。
時折視界には縦線が入り、黒い沁みが刹那浮き出ては残像を残し消えていく。
センパスーチル。マリーゴールド、万寿菊、千寿菊……。
万寿、万年、亀は万年――嗚呼、マリソル、マリ……。
マリも、万年生きれば良かったのに。
千年でいい、いや百年でいい、生きてくれれば良かったのに、一緒に死者の日の夜をお墓で騒ぎ浮かれ、お互いの家の先祖の霊と共に踊り狂い、彼女との変わらぬ甘き日々を、来たる彼女との一つ屋根の下で暮らす幸福な日々を夢に見てーー否、夢ではなく「確信」だった、確実に僕らに訪れる祝福であったーーそんな風に夜を明かし、手を繋いで、二人で寄り添い、朝まだきになってやっと、燃える目にしばし帳を下ろす…
僕等は、結婚を、するはずで、あった。
五年かーー待って十年かーーの未来に。
Marisol、マリソル、Mar y Sol、海と太陽、それが君の名前、僕の海であり僕を照らす太陽であった、マリ。
「僕のメキシコ」
僕が彼女の深淵を知る前に彼女は純白のまま旅立っていった、僕を遺して。
「秋廣、アキ君…」
控えめなノックと母親の声が僕の鼓膜を幽かに震わせた。
「下のロビーにね、マンションの皆が大きい祭壇を作ったわよ。一緒に見に行かない?……ソカロ広場のパレード、本当に見に行かないの?……」
「…死者のパン、買ってきたら、いったん帰ってくるから。何かあったら電話して。お留守番頼んだわね…」
「アキちゃん。アキ兄ちゃん…」
「アキ兄ちゃん、マリちゃんの家族はマリちゃんのお墓に行くよ。後で一緒に行こうよ」
このように、母と弟の夏輝は薄い壁一枚で僕の宇宙と隔てられた別世界の空気を震わせていったが、僕はマリを呼び出すことに集中していたために、それらは音のまま意味を持たず瞬時に蒸発していった。
緞帳を落とした僕の漆黒のコスモの中で灯る一筋の揺らめく光、それだけがこの世界で唯一、色を、紅の色を、有す。
僕は彼女との記憶を彼女が鬼籍に入る前の記憶を一つずつ手繰り寄せ彼女の名前を呼ぶ、優しいマリ、可愛いマリ、ただただ美しいマリ、僕を日本人だと差別しなかったマリ、君と毎日のように遊んだ、お互いの家でフィエスタ、日本食、メキシコ料理、ピニャータ割りに興ずる君、お菓子に躓いて膝を痛め笑いあった、スイカ割で回りすぎてふらふらした君を僕が抱きしめた、どちらかの家の車が送り迎えそして放課後は一緒に勉強、日本語を教えスペイン語を教わり、巻き舌の練習をしーースペイン語の「u」ってね、唇を思い切り突き出すんだよ、こんな風にーーその唇に僕は思わずキスをしたーー家族ぐるみの付き合い、僕らは本当に仲が良い、運命づけられている、皆がそう言ってからかった、付き合うとか恋人か、とか言葉で確かめたことはなかったがいつのまにかそうなっていた、マリ、マリ、マリ、マリソル、鬼籍じゃない、君は奇跡だった、僕のミラクルだった、マリ、マリ、マリ、マリ…
ミラクル、君、クルクル踊ってた、軽やかに、あの、大人の女の仲間入りを祝う結婚式並に豪華絢爛なフィエスタ、キンセ・アニョスの夜、主役の君はドレスを翻して僕の手を、チャンベランを見事勤め上げた僕の手を引いて、サーカスみたいな巨大テントの舞台から、すっかり出来上がった真っ赤な人々の目を盗んで、喧騒から離れ、逃げるように潜り込んだね、そこは
僕の部屋
ーー僕はチャンベランだから、紳士だから。
そんな誓いもどこへやら、シンデレラよろしく未練はゼロで両の紅いハイヒールを置き去りに階段を登りきり、もつれながら僕らは一つの塊となって船へと雪崩れ込んだ、
十二時の境界線を今ここに越える…
ベソの応酬が止んだ一瞬で、君は息を弾ませながら一言。
「待って、汗かいちゃったからお風呂に入らせて」
ずっと幼いころの遠き日に一緒に入ったね、僕の家の浴槽に、弟も一緒に。
泡だらけにして生ぬるいお湯を掛け合ったね、笑顔と叫びとシャボンがごちゃませに、絶妙な心の騒めきをスパイスに。
「……一緒に入る?……」
「だめ、アキは私の後、心の準備があるから!…お湯ためて、いいよね」
いつまで待っても上がってこない。
君は紅い花びらが踊る水の底に、深淵のなかに、落ちていた。
僕の悲鳴を聞きつけた人々が押し寄せ阿鼻叫喚が、サイレンが、絶えず鼓膜を乱暴に揺らした。
永遠とも思える夜。
君はそのまま、水面に、生に、浮かび上がっては、こなかった。
君の名を呼び、瞬きしない眼が焔の像の輪郭を溶かし世界が紅蓮に染まった時、炎の中心点を破るように君は顔を出し僕の首に後ろから白く柔らかな腕をかけた。
やっと来てくれたねマリ!
あれから半年、どうして来てくれなかったの、僕はいつも君のことを考えていたのに!僕が引き籠るようになったから母は環境を変えようと日本へ帰国することを考えさえしたんだよ、父を置いて!でもね、真裏の日本になんか、君は着いてこれないよね、だから僕は反対したんだよ、もう少し経てばちゃんとするからって、まだ喪に服させてくれって、僕は早生まれだから一年そこら遅れたっていいだろうって、説得、したんだ…
彼女の体温を、ミントの息を、懐かしい髪の香りを、蜂蜜のような肌を、僕は貪り、あの夜見出すはずだった歓びを、一つ一つ味わっていった。
気づけば周りを、四人ほどの子供たち、僕の叔父さんと叔母さん達ーー日本で、生まれる前に死んだがためにちゃんとしたお墓にいれてもらえず、石の下に埋められたーーが、僕等を祝福するように踊っていた。
苔むした石の下で眠っていた彼らは、しかし僕が七歳のお盆に聖水を振りかけ呼び起こした際に僕の肩に乗り、守護精霊となって遠くメキシコまでついてきたのであった。
いいよ、僕らの子供として順番に、この世に戻っておいで!
僕等は然るべき儀式を厳粛に執り行い、彼女は再び天国へ昇っていった。
Velaだけが、VeladoraであるVelaだけが、一部始終を万寿菊色で照らし、記録していた。
ーーこうして僕は彼女のVelatorioを、終わらせたのであった。
僕の世界は色彩を取り戻し、僕は外界へ降りるようになった。
毎週末には、彼女のお墓の前で弟たちとピクニックをする。
半透明の彼女が、タコスとお祝いのお赤飯のおにぎりを頬張り、僕に笑みを投げかけ、僕のアルバムに新たな写真がまた一枚、加えられた。
ーー二度目の死、いや一度目の死すらも、マリには、無かった。
Fin
考察記事をサブで出しました。

