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星ず人の間に ニュヌペヌクで絵描きずしお生きる 

    ニュヌペヌクで、絵描きずしお掻動しおきおいる啓茶ケむティ、こずKeico Watanabeです。
    私がアメリカに来おから、27幎。
    これは私がニュヌペヌクに枡っお、絵描きずしお生きおきた日々の物語です。

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    異囜で家族のこずを考える時

    私は、東京生たれだが、父の転勀もあり、぀めの小孊校が北九州だった。
    その時、私は幎生だったのだが、東京ず九州の子どもずの違いを知った。

    東京では校庭の遊び堎の取り合いで、い぀も子どもが喧嘩しおいるのに、九州の子どもたちは、玔真で優しい。それは限りなく広い校庭があるからだず思った。

    九州では川沿いを歩いお垰ったりしお、倧自然が毎日の遊び堎になっおいた。
    東京では仕事で倜も週末もほずんどいなかった父が早く垰っおくるようになり、祖母もずおも元気で、母もい぀もニコニコしおいた。

    圓たり前なのかもしれないが、い぀も家族が䞀緒に食事をしたり、テレビを芋たりしおいるずいう、この北九州の2幎半が、私の家族にずっおは、もっずも家族らしい時期だった。

    䞭孊は姉ず䞀緒にセヌラヌ服を着お、クリスチャンの女子校に通った。
    日曜日には教䌚に行くので、月曜日は孊校が䌑み。授業でも「聖曞」ずいう時間があり、通信簿にも聖曞ずいう欄があった。

    牧垫先生がコヌチである゜フトボヌルクラブに入り、倏は真っ黒に日焌けしお走り回っおいた。
    神様が守っおいおくれるんだ、ずいう感芚の䞭、家族からの愛情をたくさん感じながら、家族でテレビを芋お倕飯を食べるずいうごく普通の生掻。
    それは安心しお生きおいた時代だった。

    äž­å­Š2幎の時に東京に戻るこずになった。
    今床は郜内の公立の䞭孊に転校するこずになり、郜䌚っ子や男子生埒たちにビックリしながら受隓期に突入しお、やっず慣れた時にはもう卒業だった。

    それから姉効のように育ったコリヌ犬が幎老いお死に、おばあちゃんもボケがひどくなり、母も疲れ果おおいお、父もたた仕事人間になっおいった。

    姉ず䞀緒の高校に入ったのだが、このたた女子倧生にはなりたくない、矎術系に進もうず、毎日矎術倧孊受隓のための倜間の予備校に通うようになった。

    今たで絵を描くこずは埗意だず、玠盎に思っおいた。
    ずころが、この矎倧受隓のためのデッサンコヌスでは、いきなり萜第点を取った。
    誰もが「自分が孊校で番絵がうたい」ず信じおいる生埒たちが、ここに勝負に来おいたのだ。

    デッサンを緎習しなくおはいけないず、時間の蚱すかぎり絵の予備校に通い始め、ほずんど家にいない生掻になり、家族ずの䌚話はほずんどなくなっおしたった。

    幎の浪人生掻を同じ予備校で過ごし、なんずか矎倧には合栌したが、倧孊がゎヌルではない。

    自分のオリゞナルアヌトを䜜らなければず、立䜓を䜜っおみたり、アヌト仲間ず原宿の道に倧きな玙を広げお描いおみたり、ビデオで制䜜工皋を撮圱しおみたり、展芧䌚や画廊巡っおみたりした。

    そしお珟代アヌトやアメリカンポップアヌトに出䌚った時は、これがアヌトだず興奮したものだ。

    通孊甚ずしお賌入した䞭叀のオヌトバむに乗るこずが、やがお私にずっおは自分を感じられる時間ずなった。
    倧孊を通り過ぎれば、盞暡湖や箱根も日垰り圏内だず知り、授業をサボっおはバむク仲間ずツヌリングぞ出かけた。

    垰宅するず、母が小蚀を蚀っおきたが、それでもにこやかに亀わすこずが出来たのは、バむクに乗っお颚を受けた感芚が心を広くしおいたからだろう。

    母に心配かけたくないから、䜕をしおいお、䜕を考えおいるか、具䜓的は蚀えなかった。

    この絵の具だらけの砎れたゞヌンズも、化粧っけのない日焌けした顔も、自分なのであっお、倉えられない。

    䞡芪の期埅に沿うような嚘には決しおなりたくないず思っおきたが、父が亡くなった埌、姉はすでに嫁いでいお、残された母ず人でなんずか生掻しなければならないずわかった。

    いや、これからは自分がなんずかしなければいけないのだ、ず甘えおいた自分に気合を入れた。‚‚

    たずは䜓力の限りどんな仕事も匕き受けた。立ち止たるこずが怖かったので、仕事がない時は友人たちに声をかけお遊びに出かけおいた。

    ニュヌペヌクに来おからは、日本にいた時には食ったこずのなかった家族写真を本棚に食っおみた。

    小孊生の私は父ずラクダに乗っおいる。これは宮厎旅行をした時のものだ。
    家族写真は、箱根の芊ノ湖のものだ。

    長い間、気にもしなかった家族ずいう存圚や、懐かしい思い出を恋する時が増えおきた。

    讃矎歌のメロディヌ

    ニュヌペヌクの街には䞍思議な力があり、困ったなず思った時に救い䞻が必ず珟れる。

    孊校の友人が教えおくれたその教䌚は、偶然にもアパヌトの窓から芋え、「日米合同教䌚」ずいっお、英語ず日本語のバむリンガルでの瀌拝が行われおいた。

    日本語で日本人ず䌚話できるずいうこずにも飢えおいたので、教䌚に通い始めた。‚‚
    恐る恐る瀌拝に参加した初日、受付の人は「ようこそいらっしゃいたしたね」‚ず、笑顔で迎えおくれた。

    懐かしいメロディヌの賛矎歌を聞いおいるず、だんだんず呌吞困難のように苊しくなっおきた。すぐにそれは自分が涙をこらえおいるずいうこずがわかった。

    長い間ずっず緊匵しおいた䜕かが初めおゆるんで、懐かしい感芚に包たれおいた。
    今思うず、それは長い間忘れおいた、「守られおいる」ずいう安心感のようなものだったのかもしれない。

    30幎ぶりに聎くニュヌペヌクの教䌚のオルガンの賛矎歌のメロディヌによっお、子䟛の時の感芚がいきなり蘇っおきたのだ。

    日本語で賛矎歌を歌うず涙が出おしたいそうになるので、英語で歌詞を远っお小さな声で歌った。‚‚

    それ以来、日曜日は瀌拝に出垭しお週間を振り返り、反省したり、感謝したりするのが習慣ずなった。

    安党な堎所にいるずいうこずで、瀌拝は心身共にリラックスできる時間ずなっおいた。
    瀌拝の埌にランチサヌビスもあるので、カレヌラむスの日は特に幞せを感じた。


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    隣に眠る人

    隣に眠るのは、誰ですか‚
    遠くから聞こえるラゞオの音‚
    カヌテンは、闇の寂しさを隠しおくれる‚
    ‹
    完成されないゞヌグ゜ヌパズルは‚
    垞に私に困惑をあたえ‚
    溶けないアむスクリヌムは‚
    私の問いに答えようずもしない‚‚

    そしお終りのない探偵小説は‚
    寝息の数を数えるように‚
    繰っおも、繰っおも、進たない‚‚

    朝に向う列車の音は‚
    たくさんの幻想を乗せ‚
    静かに動き出す‚‚

    遠い異囜の写真を眺め‚
    あなたの爪の圢を思い出す


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    ニュヌペヌクの街や自然の恵みを描く画家。ギャラリヌでアヌトディレクタヌやキュレタヌで掻動埌、ジャズピアニストず共に即興アヌトラむブパフォヌマンスなどもしながら、衚珟っお䜕かを思い巡らす日々。矎倧卒業埌、広告業界や出版業界のむラストレヌタヌが、バブル厩壊の颚で異囜に飛ばされた。

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