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「家族介護者支援について、改めて考える」⑲「介入と支援のはざま」。

     いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
     おかげで、こうして書き続けることが出来ています。

     初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
     私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。

    家族介護者の支援について、改めて考える

     この「家族介護者の支援について、改めて考える」では、家族介護者へ必要と思われる、主に、個別で心理的な支援について、いろいろと書いてきました。

     ただ、当然ですが、「家族介護者支援」ということを考えた時に、そこには、様々な幅の広い要素や、今まで少しは知っていたつもりだったことに関して、実は、とても考えが足りないことに気がつかされることもあります。

     今回は、ある本を久しぶりに読んで、改めて、思ったことがありました。高齢者介護には、直接は関係ないのかもしれないのですが、それでも、大事なことだと思いましたので、考えていきたいです。

    児童虐待

     今回は、「児童虐待」のことから考えていきたいのですが、その「児童虐待」のことを振り返れば、日本で最初に社会化したのが1990年代でした。

     それまでは、西洋社会と違って、人に優しい社会だから、虐待は存在しない、などという言説もあったくらいでした。

     社会心理学者の我妻洋は、1985年の著書『家族の崩壊』(文芸春秋)で、アメリカと日本の家族を比較し、「日本の親がアメリカの親のような仕方で子どもを虐待・無視していないことだけは、事実であろう」と書いている。  

     児童福祉が専門の井垣章二も、1985年の論文で、わが国には「アメリカのような暴力是認の文化」は存在しないと述べ、日本の親は「子を打つ権力は有するもののそれを発動すること」は少ないと指摘している(『児童虐待の家族と社会』ミネルヴァ書房、1998年)。

     アメリカでは1960年代から児童虐待が社会問題になったが、日本では90年代に入るまで、児童虐待は対岸の火事だと考えられていたのである。

    (「現代ビジネス」より)

     その後のことを考えたら、「児童虐待は存在しない」という言説は、まるでウソのようですが、今から考えたら「虐待」でも、その当時は「しつけ」と捉えられてきた、ということもしれません。

     ただ、1990年代以降の「児童虐待」の増加と、社会問題化は、誰もが知ることになりました。

    「子ども虐待 介入と支援のはざまで」 

     すでにこの書籍が出版されて約15年が経ちます。「児童虐待」ではなく、「子ども虐待」という言葉を使っていることに、やや時代を感じますが、「児童虐待」が社会問題化してからも、10年以上経った頃です。

    わが国の「子ども虐待の社会的発見」は、一九九〇 ー 九一年に開設された専用電話相談(大阪・東京の民間団体)による。 

    (「子ども虐待 介入と支援の間で」より)

     この書籍の中で、将来への課題として様々なことが挙げられていて、それは10年後には形になっているのでは、と思えることも少なくなかったのですが、今だに、まるで時間が止まったままのような気がすることがあります。

     それでも、ここに書かれていることは、今も重要であることには変わりがありません。「児童虐待」と「高齢者虐待」は、もちろん違う点もありますし、介護のことを話すときに、まず虐待を前提に語ること自体が、基本的には間違っているようにも思いますが、それでも、虐待について、これだけ本質的に考えられているので、貴重な資料だとも思います。

    私たちは、相互に監視しあう社会を作りたいのではなく、相互に助け合う社会を作りたいと思う。子ども虐待問題は、この点の試金石である。 

    (「「子ども虐待 介入と支援のはざまで」より)

     これは、15年経っても変わらない重要な課題であるとともに、このことに対しては、まだほとんど何も進んでいないのではないか、と感じる時まであります。

    虐待防止対策

     1994年 『第一回の日本子ども虐待防止研究会 大会国際シンポジウム「児童虐待への挑戦 アメリカ・イギリス・日本の経験」』で、「国際子ども虐待防止学会 会長 米国小児科医 リチャード・D・クルーグマン」が、こうした話をしています。

    クルーグマンはそのときに、「虐待防止対策はどの国も同じ経過をたどる」とも話された。
    (中略)①社会は長年無視し続け、②その存在に社会が気づくのは一九六一年小児科医ケンプがBattered Child Syndorome と呼んで取り上げたときからである。③いったん目を向けると「かわいそうな子どもを酷い親から護ろう」と、子どもを親から精力的に分離し始め、通告義務や親権を制する法律を制定する。④しかし、それだけでは何の解決しないことに気づき、親への支援が始まる。⑤一九八〇年代の欧米は、虐待のなかでは最も表面化しにくい性的虐待の存在に気づき、理解を深め、特異的な繊細な対応を模索し続けた。⑥そして、発生予防こそが重要であると思い至り、一九九〇年代からは発生予防活動がさかんになっている。 

     このクレーグマンの「虐待防止対策」の話を聞き、この書籍の著者の一人は、こうした感想を述べています。

    これを聞いたときには、われわれは先進する欧米の知見や経験から学ぶことができるので、わが国が誇る保健や医療・教育・福祉制度のなかで系統的に取り組めば、このプロセスに要する時間を短縮できると、筆者は考えた。この一五年を振り返ると、わが国にも、確かにこの順を辿っている。しかし、第三段階に差しかかったばかりで、まだ道半ばである。

    (「子ども虐待 介入と支援のはざまで」より)

     この1994年の段階で、子どもを親から分離するばかりでは虐待は解決しない、という先例が示され、それよりも、親への支援に力を入れたほうがいい、ということまではっきりと言われているのですが、2020年代の現在では、どこまで実現しているのでしょうか。

    高齢者虐待・介護殺人

     児童虐待と、同様に考えていいのかどうかは検討の余地がありますが、高齢者虐待件数も、大幅な減少傾向にはないようです。

    令和3年度の市町村への高齢者虐待の相談・通報件数は、養介護施設従事者によるものが2,390件(前年度より293件、14.0%増加)、養護者によるものは36,378件(同604件、1.7%増加)でした。うち、高齢者虐待であると判断された件数は、養介護施設従事者等によるものが739件(同144件、24.2%増加)、養護者によるものは16,426件(同855件、4.9%減少)です。

    (「夕映舎」より)

     さらには、介護殺人についても、とても残念なことですが、減る気配がないと言われています。

    警察庁の統計によると、「介護・看病疲れ」を直接の動機とし被害者が死亡した事件(殺人、自殺関与、傷害致死)は公表を始めた07年から10年間で計478件起きている。それ以降も17年35件、18年32件、19年30件、20年46件と減る気配はない。

    ケアラー支援法・条例の成立を推進する日本ケアラー連盟(東京)の児玉真美代表理事は「核家族化や格差拡大、経済情勢の変化などに伴い、在宅介護を支えた昔の家族モデルは崩れてしまっている。それなのに、現在の介護保険制度は旧態依然のまま、家族による在宅介護を前提とし、それを補完するものでしかない。ケアラー(介護者)はそれぞれ生身の人間であり、いくら頑張っても肉体的・精神的に限界があることが見逃されている。というか、見て見ぬふりをされている。社会が介護者に目を向け、その人が置かれている状況を把握し、支援する仕組みが必要だ」と話す。

    (「長崎新聞」より)

     こうした「介護者を支えることが必要」と言われ続け、それが高齢者虐待、介護殺人を減らすために重要だと見られているのに、この10年以上、ほとんど状況が変わっていないように感じています。

    (この点に関しては、介護者を心理的に支援することが有効な方法だと考えながら、それが個人的な実践にとどまっていて、社会に理論的にも広げられなかったという意味では、自分自身の責任もあると考えています)

    虐待の治療

     何度も紹介していますが、この書籍では、すでに「虐待の治療」について触れられています。

     ケンプが見出したのは、①虐待に走りやすい親であること ― そのほとんどが子ども時代に愛された体験がない、②生活に累積するストレス、③親の心理社会的孤立、④親の意に沿わない子どもの、四条件がすべての虐待に揃っていることであった、つまり、四条件の一つをなくせば、虐待は軽減し始める。この発生機序の発見は、理論的な支援方法を見出すことにつながり、それまで不可能と見られていた「虐待の治療」を可能にした。その支援方法は、まず初めに支援者が親の相談者になることで親の心理社会的孤立を解き、その支援関係を軸に生活のストレスを実質的に軽減し、子どもの心身の健康問題を(親に負担をかけることなく支援者が直接に子どもに関わることで)改善して親の育児力を高めて親子関係の改善には、親の心身の健康水準の向上を図り、子どもについての知識や対応スキルを増し、親自身の生育歴を癒され自己肯定できることなどが含まれる(中略)。ケンプが勧めるこの方法は、支援が可能になる唯一の方法であるが、「虐待」を治療する唯一の方法でもある。つまり、再発防止はこれを、一人ひとりの背景を分析して丹念に取り組むことであり、親への支援が中心になる。

     児童虐待に関しては、10数年前に、すでにここまでわかっていたようです。そして、2000年の「児童虐待防止法」施行による変化も分析されています。

    二〇〇〇年の児童虐待防止法は、それまでも児童福祉法に記されていた通告義務や法的保護の履行を促す内容になっている。それによって、通告だけでなく、一次保護や立ち入り調査や児童福祉法二八条による保護などの児童相談所の法的介入が一気に増えた。

    そのおかげで、最も過酷な状況の子どもにも支援の手が届くようになった。しかし一方では、これによって親と児童相談所の関係がまったく変わってしまった。親から見ると児童相談所は、「虐待する親だと自分を決めつけ、監視し、親の意向を無視して子どもを奪う機関」になった。それだけでなく、親はすべての支援機関に対して疑心暗鬼になってしまった。

    通告後の在宅支援(中略)このときによく起きるのは、親は表面的には関係を保つが本当は心理社会的孤立を深めること、目に触れにくい虐待に変じること、転居することで関係を断つことなどである。

     さらに、虐待防止法の施行によって、介入もできるようになったのですが、その対応によっては、かえって難しくなる、本質的な部分も語られてきました。

    子どもを救うためには親権を法権力で抑えなければならないこともあるが、力で他者を押さえ込むのは虐待親子の関係と同じであり、子どもや親に支配論理以外に人間関係を習得してもらうという治療論理とは矛盾する。虐待の親子関係のあり方を虐待対策に持ちこむのでは、子どもに共感性や信頼感を取り戻すことはできないであろう。育児に困った親が早期にSOSを発することができて、困ったときには社会が助けてくれることを、子どもが見て育ち、子どもの苦境にも敏感に対応するおとなの存在を子ども自身が実感できるような社会の構築を目指したいものである。 

    (「子ども虐待 介入と支援のはざまで」より)

     ここまで理解する専門家がいたにも関わらず、それから10年以上が経っても、こうした社会が構築されたのか?と問われると、今も現場で支援される方には失礼かもしれませんが、十分に実現できたと言うには難しいと思います。

    社会の変化

    クルーグマンのいう発展過程を、欧米諸国の経験から知識を得ても、わが国が時間を短縮できなった理由を遅ればせながらやっと気づいた。一つの国が虐待に取り組むということは、単に知識や技術を導入してできることではなく、社会が変わらないとできないことだったということである。わが国が欧米諸国よりも良い社会システムを作ることを目指して、われわれが力をあわせて前進し続けることが求められる。子ども虐待に取り組むことは、社会にとって「人間についての価値」観を変えるものである可能性がある。

    (「子ども虐待 介入と支援のはざまで」より)

     これは、本当に、とても正しいことだと思います。そして、この文章の終盤の「子ども虐待」を「高齢者虐待」に入れ替えても、同様に語れるように思います。

     そこに生きる人間が、どの人も、どんな状況になっても、大切にされる、という社会でなければ、子育てや、介護をする人だけを適切に支援することは、とても難しいという当たり前のことに気づかされると、今の社会では永遠に無理なのではないか、と感じ、どこかで無力感に襲われたりもします。

     もちろん、介護者の支援に関しては個別に工夫も努力も呼びかけもし続ける必要があるのは当然であるものの、社会全体を「ケアする社会」に変えていかないと、いつまで経っても変化が少ないのも当然かもしれません。

    ケアする社会

    いつか地球が〈ケアする惑星〉の名にふさわしい場所になることがあれば、それは〝ケアする人〟が大切にされるときだろうと思う。 

    (「ケアする惑星」より)

     唐突かもしれませんが、もし、地球全体が「ケア(介護)する人が大切にされる場所」であったら、今も、普通に、家族介護者も十分に支援されているはずです。

    日本では、悲しいことに、育児、看護、介護などのケアの営為に対する評価は著しく低い。私的領域でも公的領域でもケアの価値がないがしろにされているというこの切実な問題が語られないかぎり、家父長的な言説に抗うことはできないのではないか。

    (「ケアする惑星」より)

     これも少し繰り返しになると思いますが、ケアに対しての評価が著しく低いままでしたら、そこに携わる人を適切に支援する、というような社会的な合意は得られにくいのも事実でしょう。

    二〇二一年の東京オリンピック開催は、医療危機、感染者の爆発的な拡大、ホームレスの人たちの強制退去などを見ても、〝ケア〟に関する想像力が欠如する今の日本の政治を象徴していた。 

    (「ケアする惑星」より)

     政治の現場で、こうした想像力が欠けているとすれば、この10年以上、介護者を支援する、という政策が出されていないことに関しても、もちろん私のような専門家にも責任があるとしても、残念ながら納得がいくような気がします。

    ケアが貶められている今の新自由主義社会で人々が生きづらさを克服できるようになるために、この惑星全体がケアする人を慈しむようになりますように。本書はその願いとともに書かれた。 

    (「ケアする惑星」より)

     私自身も、こうした願いについては共感するのですが、介護者支援が適切に行われるようにするためには、こうした社会全体への視点が必要ではないか、とここ数年は特に思うようになりました。

     今回は以上です。 

     疑問点、不明点、ご意見などございましたら、コメント欄などを使って、お伝えいただけると、ありがたく思います。

     よろしくお願いいたします。



    (他にも、介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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    おち・まこと。臨床心理士/公認心理師。元・家族介護者。専門は「家族介護者への心理的支援」。家族介護者への個別の『介護相談』の仕事をしています。「全国の市区町村に、家族介護者のための相談窓口設置」が目標です。週1回更新予定。記事は約600本。東京都在住。

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