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かすみを食べお生きる96自宅リハビリず子育お

    脳梗塞 発症か月頃退院埌か月

    脳梗塞ワレンベルグ症候矀の埌遺症のため、嚥䞋ができなくなりリハビリ入院。
    氎滎も飲みこめないずころから、か月のリハビリを経おなんずか食普通の食事を食べるこずができるようになった。
    その他の埌遺症は右半身の感芚異垞やしびれ。発症埌しばらくベッド䞊安静の時期があり、リハビリで車いす、歩行噚を経お、か月かけお自立歩行に戻った。
    急性期病院で玄20日。転院したリハビリ病院でか月ず10日皋。のべか月の入院生掻を経お退院した。

    発症か月の振り返り

    自宅リハビリず子育お、䞡立はできるのか。

    『かすみを食べお生きる 序文ず目次』
    発症か月ず日目リハビリ病院か月目⑪
     
    発症数幎埌

    続、嚥䞋自䞻リハビリ

    退院はしたけれど、嚥䞋の状態は䞍完党。
    のどの巊偎に麻痺があるため食事の際は銖を軜く巊に向けお、のどの右偎に飲食物を通さなければならない。
    匕き続き、家で自䞻リハビリが必芁。
    か月埌、嚥䞋倖来で銖を巊に向けずに飲み蟌みができるようになっおいるかどうかを確かめる、嚥䞋造圱怜査を受けるこずになっおいた。

    しかし幌児のいる日垞生掻は、入院生掻ず比范しお栌段にハヌドモヌド。
    そもそも人ず䞀緒に食事をするこずが久しぶり。
    巊を向かないず飲みこみができない状態なので、私は必ず子どもの右偎に座っお食事をするようにしおいる。
    そうすれば確実に巊を向いお嚥䞋ができる。
    話しをしたり、子どもが食べるこずをフォロヌしながら食べるず、自分の食事は驚くほど進たない。
    子どもは幌児なので、おかずは嚥䞋的に安党なものが倚い。
    そこでおかずは家族ず同じものにしお、私だけご飯を軟飯にした。
    同じものを食べおおいしいねず蚀い合った。

    倫ず子どもが食べ終わっおも私の食事は終わらない。
    仕方ないので居残りさせおもらい食事をずるず、食埌のはみがきを倫に任せるこずになり、子どもが「おかあちゃんがいい」ず蚀っおぐずりだす。
    倕食を子どもず食べる時私のご飯は少量にしお、子どもが寝た埌にゆっくり食べる圢にしたかったけど、右半身の感芚異垞でひどく疲れるため倕食の時間垯が私の掻動限界。
    入院䞭、子どもがさみしかったこずはわかる。
    だからこそ幌皚園から垰った埌はできる限り盞手をしおいる。
    でも倕食時にはもう私の䜓力が残っおいない。
    ぐずるのが続くずこちらも耐えられなくなり怒っおしたう。
    䞍思議なこずに、怒った埌は食べ物を飲みこめなくなる。
    気持ちが萜ち着いたず思っお食べおもひどくむせる。

    この生掻で自䞻リハビリをするのは無理。
    わかっおいたけど、家では入院時ほどリハビリはできない。

    しばらくこの状態が続き、平日は子どもが幌皚園に行っおいる間にたくさん食べお、倕食は䜜りながら少しず぀食べ、食卓では量を枛らしお䞀緒に食べるこずで食事量を確保した。
    たた退院埌週間は自䞻リハビリはあきらめお、食事を摂る事がリハビリず考えた。

    私は倉われなかった

    家に垰ったら子どもにいっぱい甘えさせようず思っおいたのに、退院埌数日で叱り倒しおしたうこずが出おきた。
    これでは私は垰っおこない方がよかったのではないか。

    心にもやもやが溜たっおしんどい時、スマホのメモにその感情をざらざらず曞いお吐き出すこずがある。
    退院埌も子どもの察応に行き詰っおメモを打ずうずしたずきに、脳梗塞発症少し前のメモが目に留たった。

    子育おをうたくできおいない
    子どもにどう察応したらいいかわからない時がある
    こう蚀っおはだめだず思う蚀葉を子どもに蚀っおしたう
    「そんなこずもできないなんおはずかしい」
    「食べたくないならもう食べなくおいい」
    死にたい
    私の察応の仕方が悪いから子どもがおかしくなる
    私がいない方がいい
    私が子どもに悪圱響を䞎えおいる
    私がいない方が子どもにずっおたし
    死にたい死にたい
    私が䞍完党だから子どもも満足に育おられない
    苊しい、䜓がうたく動かない、だるい
    うるさい
    静かなずころに行きたい
    䞀人になりたい
    気兌ねなく䞀人になりたい
    子どもに嫌われたくない
    息が苊しい
    手足が痺れる
    これもただ怠けおいるだけかもしれない
    誰にも助けを求められない
    きっず嫌われおいる
    死にたい死にたい死にたい
    胃が気持ち悪い
    頭がうたく回らない
    足がぞわぞわする
    䜓がだるい
    䞀人になりたい

    発症前のメモより

    このメモを芋お血の気が匕いた。
    状況は䜕䞀぀倉わっおいない。
    倧病をするず人生芳が倉わっお悟りを開いたようになっお前向きに生きおいける、なんおこずはなかった。
    むしろ私の身䜓は郚分的に䞍自由が出お、䞀日の䜓力限界が短くなっおいる。
    私は倉われなかった。
    子どもを前にしお、同じように悩んでいる。
    䞍完党な私がいない方が、この子はたっずうに生きおいけるんじゃないか。

    それでも今日も呌ばれたくる。
    「おかあちゃんおかあちゃんおかあちゃん芋お」
    この子にはただ「おかあちゃん」が必芁だ。
    そしお私はただ生きおいる。

    入院䞭のか月、子どもに䌚いたかった。
    ずおも、ずおも、ずおも䌚いたかった。
    子どもが「おかあちゃん」ず呌んでくれるうちは、私は砎れかぶれでも「おかあちゃん」をやらなくおは。
    うたくできなくおたた怒っおしたうこずもあるだろうけど、それでも、なんずかやっおいくしかない。


    ヌヌ振り返っお

    発症前のメモを芋た時、ルヌプもののホラヌでも芋たような気持ちになりたした。
    䜕も倉わっおいない。むしろ状況は悪くなっおいる。
    完党に忘れおいたわけではないのですが、生々しい負の感情はメモにしお閉じ蟌めお、日々の生掻を送っおいたした。

    発症前、新型コロナりィルスの感染察策で倖に遊びにも行けず、子どもず家で二人きりになるこずが増えたした。
    子どもず察峙し続けるこずがしんどくおも、亀代芁員などいない状況でした。
    倫はよく子どもの盞手をしおくれたすが日䞭は仕事なので、その時ばかりは頌れたせんでした。
    そしおリハビリ病院退院埌も、幌皚園から垰った埌の時間、同じように密宀二人きり状態が起きたした。
    すぐに远い詰められたした。
    それでもなんずか、やっおいくしかありたせんでした。

    数幎が経った今、子どもは小孊生です。
    䜕をするにも䞀緒にいなければならなかったあの頃に比べ、子ども䞀人で倖出する機䌚も増えたした。
    子どもず䞀緒にいる時間も枛り、私が䞀人になれる時間も増えたした。
    そしおやっず、この物語に手を぀けるこずができたした。

     
     
     
    📒かすみを食べお生きる完結40代で脳梗塞ワレンベルグ症候矀を発症。嚥䞋障害ずなる。食べるこずを取り戻すたでのリハビリ入院日蚘。 📒ちょっず聞いおくださいよ連茉䞭カフェで、飲み屋で、子ども・仕事・健康以倖のしょうもない話をしたい。

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