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紺のジャンパー①――あの教室の沈黙

    先生はいつも紺のジャンパーを着ていた。

    袖には赤い細いラインが入り、右袖の二の腕の外側には筆記体で E.TANAKA
    とネームが入っていた。

    赴任してきたときに新しく作ったものだと、先生は嬉しそうに話していた。

    光沢のある生地で、教室の蛍光灯の下でいつも少し光っていた。

    外見も、どこか野村克也監督に似ていた。
    まるで巨人の監督のようなジャンパーだった。

    先生は、うまいものを頬張るように「ジャンパー」と言った。

    ときどき、袖のネームを 誇らしげにボンボンと叩いた。
    巨人の監督のような顔をして。

    先生が後ろ手を組んで教室を歩き回ると、そのネームがよく目に入った。
    履き古したスニーカーで、足音はほとんどしなかった。

    先生はがっしりした体格で、白髪にメガネをかけていた。
    声は低くて太かった。

    よく怒鳴る人だった。
    すぐ叩く人でもあった。

    正直、怖かった。

    退職間近で、この学校に赴任してきた人だと母は言っていた。
    職員室でも、うまくやれなかったらしい。

    それでも先生は、いじめがあると授業を何コマも潰して
    やめるよう子どもたちに訴えた。

    早朝から校庭に出て、子どもたちの練習につきあっていた。

    勉強のできる子には問題集を渡していた。

    調理実習のとき、先生は一人だけコック帽をかぶっていた。
    絵本の挿絵のような、背の高い、てっぺんが雲のような帽子だった。

    作った料理を家庭科室で食べるとき、先生はカセットデッキでクラシック音楽を流した。
    フランス料理店のような音楽だった。


    十一歳のときだった。

    私はひどい失敗をして、廊下で別の若い先生に激しく叱責された。

    大勢の前で、怒鳴り散らすように叱られた。

    ただ嵐が過ぎるのを待つように、立っていた。

    やっと終わり、教室に戻った。



    廊下には何事かと集まっていた子どもたちがいて、
    そのざわめきが潮の引くように静まっていくところだった。

    教室に入ると、みんな反射的に私を見た。

    先生は私をほんのちらりと見た。

    先生は身体ごと横を向き、後ろ手を組んだまま、ほんの少しうつむいた。
    ため息ひとつ分くらいの時間だった。
    辛そうな顔だったのだと思う。

    そして何も言わなかった。
    それだけだった。

    そして授業が始まった。

    何の授業だったのかは覚えていない。
    ただ、本当に普通に始まった。

    その沈黙に、どれほど救われたか分からない。

    先生は私を苗字で呼び捨てにした。
    怒鳴ることも多かった。

    怖かった。

    それでも当時の私は、迷いなく思っていた。

    本当に守ってくれる先生は、この人しかいないと。

    そのときは言葉にならなかった。



    今になって、言葉になる。

    会社で誰かが失敗したとき、
    私はときどき気づかないふりをする。

    関係のない仕事の話を始めたりする。

    あの教室の沈黙を思い出すからだ。

    先生は不器用な人だった。

    けれど誠実な人だった。

    今は、ただ感謝している。

    大切なことは、いつも少し遅れてやってくる。



    ***


    後になって、思い出したことがある。

    電話帳のことだった。


    *


    この作品は「日常の薄皮をなでる」シリーズの一篇です。
    他の作品もよろしければ。





     
     
    日常の薄皮をなでるように。 どう生きれば、自分の人生を生きたと言えるのか。 そんなことを考えています。

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