
03 ジャイアン(社長)の心の論理/のび太(社員)が黙ってしまう理由【優しいジャイアンは、なぜのび太を泣かせるのか】
社長は、なぜ現場から距離を置くのか。
社員は、なぜ本音を言わなくなるのか。
この二つは別々の問題に見えて、実は同じ場所でつながっている。
〈社長はなぜ 口を出し、そして黙るのか〉
社長の善意が裏目に出る背景には、経営者特有の心理がある。
まず一つ。
「現場に入らない」という選択の裏にあるものだ。
多くの経営者は、こう考えている。
「経営者たるもの、現場の細部には踏み込みすぎず、全体を俯瞰すべきだ」
「自分がいなくても回る組織を作りたい」と。
それ自体は、間違っていない。
社長が現場の一スタッフのように振る舞っていては、会社全体を舵取りできない。
社員の自立心も育ちにくい。
「任せる文化」を作るには、トップが口を出しすぎない方がいいという経営論もある。
実際、私自身がそれで育った。
社長に事業部ごと任せてもらったから、同世代の社会人より早く自立できたと感じている部分がある。
では、なぜそれが裏目に出るのか。
「任せている」という社長の真意が、社員に伝わっていないからだ。
または、信頼する中間管理職までは伝わっているが、その先の現場までは伝わっていない。
社長の心の中には「信頼して見守っている」「困ったらいつでも助ける」という温かい思いがある。
でもそれを言葉や行動で示さなければ、社員には伝わらない。
何も知らされない社員は、
「社長は現場を見ていない」
「関心がないのかもしれない」と感じ始める。
善意の不介入が、悪意の無関心に誤解される。
これが一つ目の落とし穴だ。
〈「任せる」と言いながら、口を出してしまう理由〉
一方で、現場に入らないと決めている社長でも、気になって口を出してしまう場面がある。
「任せたいが、結果責任は自分にある」という板挟みの心理だ。
中小企業では、一つのプロジェクトの失敗が会社経営に直結することも多い。だから「ここだけは」と介入せざるを得ない場面が出てくる。
「自由にやってみなさい」と言いながら、内心ハラハラして見守り、危なっかしく見えれば途中で口を出して軌道修正したくなる。
社長としては「基本は任せている。でも最後の責任は自分が取るのだから、口も出す」という論理だ。
それ自体は理解できる。
でも社員からすると、
「結局社長がやりたいように決めるんじゃないか」
「最初から指示してくれればよかった」と映る。
社長の葛藤が共有されないまま、結果だけ見て口を出すから、「勝手だ」と感じてしまう。
私も、小さなチームを率いたときに同じことをしていた。
部下を信頼して任せようとした半面、失敗したら部署が傾く、自分の評価に影響するという不安があった。
結局、提出された書類に意見を出して修正させたり、得意な作業になると「手伝うよ」と半ば取り上げてしまったりした。
当時は気づきもしなかったが、部下からしたらやりにくかっただろう。
案の定、チームは私の指示待ちが増えた。
悪気は、一切なかった。
経営者と管理者では立場は違う。
でも根っこの心理には共通点がある。
「組織を良くしたい」「メンバーに成功してほしい」という善意と、「自分の立場を脅かされたくない」という恐れが、同居している。
この恐れがある限り、人は知らず知らずのうちに自分を守る行動をとる。
それが社員との距離を生み、善意のミスマッチとして現れる。
〈善意の裏にある「恐れ」〉
ここまで見てきた社長の心理に、共通して流れているものがある。
恐れだ。
社員に任せたいが、任せきれない恐れ。
会社を傾かせてはいけないという重圧。
そして、無力な自分を悟られたくないという不安。
社長は社長なりに、心の中で多くのものと戦っている。
決して最初から独善的であろうとしているわけではなく、むしろ弱さや不安を隠そうとするあまりに、善意が空回りしてしまう。
これは責める話ではない。
ただ、この恐れが言葉にならない限り、社員には「社長の論理」が見えない。
見えないから、噛み合わない。
〈のび太が黙ってしまう理由〉
では、社員の側はどうか。
最も大きな特徴は、社長への遠慮だ。
たとえ不満や提案があっても、直接伝えることに二の足を踏む。
「上司に盾をつかない」「空気を読む」という文化が根強い日本の職場では、特にその傾向が強い。
ある調査では、若手社員の81.6%が「上司に安心して本音を話せない」と感じているという結果がある。
なぜそこまで遠慮するのか。
一つは、評価への恐れだ。
反論したり苦言を呈することで「生意気だ」と思われ、昇進に響くかもしれない。
そのリスクを感じれば、理不尽を感じても黙って従った方が得策だと判断する。
でも社員は、保身だけで黙っているわけではない。
「忙しい社長の手を煩わせたくない」
「こんなことを相談したら迷惑かな」という、相手を思いやるがゆえの沈黙もある。
そして最も深刻なのは、「伝えることを諦めた」ケースだ。
過去に本音を伝えたことがあった。
でも変わらなかった。
それどころか、話し合いに時間を取られ、業務が滞った。
その経験が積み重なると、人は学習する。
「伝えても無駄な上に、コストだけかかる」と。
〈社員は最初から、黙っていたわけではない〉
ここで一つ、問い直したいことがある。
社員たちは、最初から本音を言わなかったのか。
多くの場合、答えはノーだ。
新入社員や若手の頃は、誰でも疑問や意見が浮かべば相談しようとする。
提案しようとする。
ぶつかっていこうとする。
でもその過程で、何度か学習する出来事が起きる。
「あ、これは言わない方がいいんだな」
「黙っていた方が賢明だ」
心理的安全性の低い組織では、誰かが本音を言おうとするのを、ほかの社員が止めることすらある。
「やめとけ、損するだけだぞ」と。
私が見てきた中で、最も本音をぶつけた社員ほど、最もさっぱりと辞めていった。
何度も伝えた。
変わらなかった。
だから辞めた。
その人たちの退職は、衝動ではなかった。
長い時間をかけた、静かな結論だった。
こうして社員たちの本音は、徐々に職場から消えていく。
問題がない組織ではない。
問題を言うことを、諦めた組織だ。

〈「聞いているつもり」と「聞いてもらえていない」のあいだ〉
役職者の多くは「職場で本音の対話ができている」と感じている。
一方で、一般社員はそう感じていない。
このギャップは、実際の調査でも繰り返し確認されている事実だ。
上司側の「聞いているつもり」と、部下側の「どうせ本音なんて伝わらない」が、噛み合っていない。
心理的安全性の観点から言えば、上司がたとえ「聞くよ」と言っても、部下が「言って大丈夫」と感じられなければ、実質ないと同じだ。
部下に「言っていいんだ」「本当に受け止めてもらえるんだ」という安心感を与えるには、日頃からの態度と、小さな提案でも取り入れていく実績が必要になる。
社員が「結局この人は変わらない」「言うだけ無駄」と思ったとき、本音は深いところへ封印される。
〈間に立つということ〉
社長の側にも、社員の側にも、それぞれの論理がある。
それぞれの恐れがある。
それぞれの本音がある。
どちらが正しいという話ではない。
ただ、両者の間に、言葉になっていないズレがある。
そのズレは、放置すると静かに組織を傷めていく。
大きな衝突ではなく、誰も気づかないまま、じわじわと。
私はこの間に立ちたいと思っている。
社長が『もっと主体的に動いてほしい』と言うとき、同じ言葉が、まったく違う意味で行き交っている。
私が翻訳したいのは、その隙間だ。
社長に対して「たぶん、その言葉は社員にこう届いています」と伝えること。
社員に対して「それは社長の意図とは少し違う受け取り方かもしれません」と伝えること。
どちらか一方に寄れば、もう片方からは裏切りに見える。
社長の耳に痛いことも言わなければならない。
社員に甘いことばかりも言えない。
間に立つ人間は、だいたいどちらからも少しずつ嫌われる。
それでも、離れられなかった。
なぜなら、このズレを仕方ないものとした結果を、私は何度も見てきたからだ。
同じ理由の退職が繰り返される。
また採用して、また同じことが起きる。
その度に、会社は少しずつ活力を失っていく。事業の成長は遅れていく。
私は、ここに向かうことにした。
そして私のメソッドの要点が、どの会社にもいる同じ想いの社員に届き、実践していただき、日本中の企業の「働く」をもっと喜びに変えていきたい。
社長の善意と、社員の沈黙。
最後に、繰り返しになるが、この二つがすれ違ったまま放置されると、組織は大きな衝突ではなく、静かな諦めによって傷んでいく。
だからこそ必要なのは、誰かを責めることではない。
両者の間にある見えないズレを見つけ、言葉にし、翻訳していくことだ。
経営は教科書通りにいかない複雑な営みだ。
日々会社を守り、社員の生活を背負っている経営者には、心から敬意がある。
そのうえで。
このマガジンが、日本中の中小企業で静かに起きているすれ違いを見つめ直す、小さなきっかけになれば幸いだ。
あなたの会社に、問題がないのか。それとも、問題を言うことを諦めた社員がいるのか。いま一度、考えてみてほしい。
社長の想いを、社員に。
社員の沈黙を、社長に。
翻訳する。
<連載の最初の記事はこちら>