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Photo byclearether

「取締役として、出向を命ず」 「首切り屋」経営コンサルタント理沙の奮闘! LAST

     LAST
     
     3月となった。
     1月初めに旧中央チップ製造跡地で地鎮祭を執り行って2ヶ月が経過した。
     第1号抄紙機建屋はほぼ完成した。そして、まだ肌寒い3月初めの今日、抄紙機本体の起工式を迎えることになった。神官任せの地鎮祭とは異なり、起工式ははるかに大掛かりなイベントであり、企画担当の総務部員は設営やら来客アテンドやらで大忙しであった。
     総指揮兼司会進行を担当している理沙も来賓への挨拶などで多忙を極めていた。
    「やあ、おめでとう。ここまでこぎつけたね」
     永井が理沙に向かって労いの声をかけた。
    「ありがとうございます。契約書の締結では実感が湧かなかったのですが、こうして建屋ができ、起工式を行うとなると、さすがに実感も湧いてきました。本当にいろいろとお世話になりました」
     理沙はそう言うと、笑顔の永井に向かって深々と頭を下げた。
    ――早いものね。もうここまで来たんだ。
     理沙は顔を上げ、NNP工場本体に視線を送りながら、これまでのことを思い返した。

     前日は雪が降った1月吉日。好天だが、吹きぬける北西の風は強く、理沙は地鎮祭の幔幕の内側で身を震わせながら、NNPの敷地に目をやっていた。
    ――あんなに小さかったかしら。
     理沙はそう思った。
     旧中央チップ製造のあったこの地は、売買契約締結後、時間を置かず、すぐ更地にされた。中央チップ製造の設備はもちろんその事務所や植栽、そして原木の「壁」は綺麗さっぱり撤去された。
     赤土が広がる敷地は、理沙が思っていた以上に広かった。強く乾いた風が吹きすぎていくだけのこの土地は、今この瞬間はただの荒地だった。しかし、明日からは大いなる生産拠点としての沃土として生まれ変わるのだと思った。
    「抄紙機が2台。それ以上置けますね」
     地鎮祭の開始直前、高原が理沙にそう言った。それはすでに理沙の脳裏に描かれていたことだった。
    ――まずは1台、そしてもう1台。その後は加工設備も置くし、それから……。
     理沙は、第1号抄紙機建屋建設のための地鎮祭の今日、すでに次の構想を描いていた。

    ――もっともっと大きな工場だと思っていたのに。
     理沙は視線を変電室に向けた。去年の6月のできごとを思い出した。あのころにはNNP全体がとてつもなく大きなモノだと感じて内心戦いていたが、今見ると、まったくそんな気がしなかった。
    それが理沙にはとても不思議だった。

     金融機関シンジケートからの融資が内定したのは、昨年の9月末だった。理沙たちはすぐに労組と話し合いの場を持ち、「再建シナリオ」遂行についての全面的賛成を得た。それをもって10月初め、正式に「再建シナリオ」が動き始めた。
     谷をプロジェクトリーダーとして「紙化プロジェクト」が立ち上がり、全社各部門の代表者、ならびにTPPから出向してきた社員がメンバーに選ばれた。理沙も、管理部門のリーダーとして谷の直下で仕事を増やしていた。
    中央チップ製造との交渉はJFSBを仲介にしたことで予想していたとおり、スムーズに進んだ。
     人の受け入れについても、根回しは済んでいたため、受け入れ社員のNNP見学会などが早々に行われ、受け入れの事務処理方が慌てるほど実態は早く動いていった。

     後藤と堀という2人の旧NNP社員を受け入れるとき、ちょっとしたハプニングがあった。
     理沙は何かもめごとが起こるのではないかと心配していたが、後藤と堀の2人は谷に会った瞬間、涙を浮かべて堅い握手をしたのだった。
    「谷さんは、おれたちを忘れていなかった」
     長い北海道の生活から戻ってきた2人はそう言った。
     谷は父親から、中央チップ製造に移った社員に何かあったら、忘れず世話をするように言われていたのだった。これまでにも何度か援助が行われていたようだったが、そういった経緯は大塚たち古株社員すら知らないことだった。

     起工式は滞りなく執り行われ、直会となった。大村、坂本、谷などNNPの役員そして部長たち、それからTPPからは関山、JFSBの支店長に、北里山チップの関係者もいた。紙化プロジェクトのメンバーは全員揃っていた。
    「中日本パルプの発展を祈念して、乾杯!」
     関山が音頭を執り、参加者全員が高らかに祝杯を挙げた。そのあと大きな拍手が鳴り、あちこちで弾んだ声が上がった。みんなが昨日までの苦労を語り、今日の喜びを語り、明日からの期待を語っていた。
     そのときだった。
    「ああ芳川さん。ご苦労さまです」
     理沙、永井の2人と懇談していた大村が2人の後方に視線をやり、そう言った。理沙と永井は後ろを振り返ると、小柄な白髪の男性が立っていた。
    「大村さん、ご無沙汰です」
    「芳川さん、よかった。何よりだ」
     病気療養のため休職している前任の取締役総務部長の芳川であった。大村は笑顔をたたえ、芳川のそばに寄り、続いて理沙も芳川に近寄った。
    「初めまして。佐野理沙でございます」
     そう言って理沙は頭を下げた。顔を挙げると、好々爺然とした初老の顔が笑っていた。
    「初めまして、芳川でございます。ずいぶんとお世話になりまして、ありがとうございます」
     芳川は病気療養のため、遠くの出身地に戻っていたため、理沙は見舞いに行くことができていなかった。そのため、顔を見たのはこれが初めてであった。そして、芳川自身もほぼ1年ぶりに会社に顔を出したのだった。

    「佐野君、お疲れ様だった。いいタイミングだ」
     直会のあと、永井は応接室で理沙と向かい合った。
    「……」
     理沙は口を真一文字に閉じ、軽く頭を垂れた。
    「思ったよりも早く、芳川さんが復帰されることになった。『再建シナリオ』も早く発動して順調に進んでいる。いいタイミングだ。佐野君、帰ってこい」
     理沙は少し混乱した。永井の言うことは当然だと思うし、自分としても肌に合っているコンサルタントに戻りたいとは思っていた。
    「思えば去年の今ごろ、君には無理なことを押しつけてしまったなと思っていたのだが、期待以上の結果を出してくれた。結果もそうだが、僕が君に依頼していた『勉強』もきちんと済ませてくれた」
    「勉強、ですか?」
    「MBAコースでは学べなかったことの勉強だよ」
     理沙は以前、健吾がTPP見学の際、言っていたことを思い出した。
    「ここまで頑張ってきたのに、完成を見ずして帰任するということが嫌なのか、それとも、中途で帰っていったと非難されるのが嫌なのか」
    「……」
     理沙の中には複雑な感情が湧き上がっていた。
    「再建シナリオ」が完成し、関係者間で承認を得た段階で、理沙のミッションは終わり、あとはミルマネジメントのプロフェッショナルが担当すべき内容である。もう自分の出番はないのである。それに、もはや非難されるなどということはあり得ないはずだった。
     複雑な感情とは、情に由来するものだった。
     理沙は経営は浪花節ではない、と常々思っており、帰任の話が来たらすぐ帰るつもりだった。
     しかし、まさにそのときである今、複雑な感情が邪魔をしていた。
    「起工式で会った社員の態度や顔つきは実にビビッドなものだった。『何をしなければならないのか』という使命が明確になっているのだろうね。君の活動は社風の改善にも役立ったみたいだな」
     永井が言った。理沙は突然熱いものがこみ上げてきて、堪らなくなった。
    「飯島君も早く一緒に仕事をしたいと言っているよ。帰ってこい、佐野君」
     永井がそう言った瞬間、理沙の両目からは涙があふれた。永井は口を閉ざし、小刻みに震える理沙の前髪を見ながら、理沙が顔を上げるのを待った。
    波が打ち寄せて引くほどの時間がすぎた。理沙は健吾の顔を思い浮かべ、そして消した。
    「分かりました。ミッションが完了しましたので、佐野は帰任いたします」
     涙で目を腫らした顔を上げ、理沙はきっぱりと言った。それを聞いて、永井は笑顔で大きく頷いた。

       *

     理沙の帰任日は4月1日付と決められた。
     赴任してちょうど1年後の帰任だった。内示は2週間前のはずだったが、半月前にはすでに公然の秘密になっていた。
    「なんじゃ、もう帰るんか。プロジェクトが始まったばかりなのに」
     理沙は大塚たちに挨拶するために、紙化プロジェクトチームが入っている抄紙機建屋2階の1室を訪問した。
     プロジェクトメンバーである大塚は、白々しいとぼけ顔でそう言ったが、理沙の帰任を惜しむような、ねぎらいたいような複雑な気分になっていた。同席していたプロジェクトのメンバーも同じような表情をしていた。
    「これまで無理を言ってすみませんでした。お陰でいい会社になったみたいです」
     渡辺がそう言った。理沙は頭を下げ、改めてお礼の言葉を述べて部屋を出た。扉を開けた瞬間、甲高い金属音が鳴り響いた。視線をそこにやると、建設中の抄紙機のスケルトンが眼下に広がっていた。
     事務所に戻り、入社式――積極投資のお陰で、NNPとしては久しぶりに新卒社員を受け入れることとなっていた――、新年度方針発表会の打ち合わせを、高原、片山たちと行った。
    「労組から要求が出てきます」
     打ち合わせの終わりに、高原が不安そうな顔つきで言った。理沙は、来週から出社することになっている芳川に任せるわ、とだけ言った。

    「転籍の道もあるんじゃないですか」
     食堂を出て、階段を降りているとき、日に焼けた顔で片山がそっと言ってきた。片山は先週結婚式を終え、新婚旅行先のタヒチから帰ってきたばかりだった。しかし、理沙は、微笑んだだけで何も言わなかった。

     どうしても立ち会ってほしい、という高原の依頼を受け、理沙は労組幹部の要求書提出を受けた。
     理沙は、本来ならば交渉の事務局は芳川さんになるのですが、と断り、要求書を受け取った。安っぽい茶封筒に入った要求書を開くと、いきなり「定昇のみベアなし」という文字が、理沙の目を射た。
    「マシンが安定生産するまで、組合員一同我慢したいと思っています」
     事務局代表の執行委員が、真剣な眼差しでそう言った。理沙は意外に思った。今年も、いや投資計画が終了するまではとにかく、ベアを続けようと考えていた。無理を承知の逆療法だった。しかし、組合員の誠意は受け取っておこうと思った。
     理沙は彼がどうしても立ち会って欲しい、と粘った理由を知った。理沙は高原の不器用な親切に感謝した。

     理沙は、要求書を芳川さんに渡します、と返事したあと、ひとつの提案を行った。
    「なんですか?」
     執行委員の男性が怯えた表情で理沙を見た。その表情を見て、理沙は失礼かと思ったが、笑ってしまった。理沙の提案は「お弁当の改善」だった。320円のものを400円のものに変更したい、個人負担は据え置きで、と言った。
     それを聞いた執行委員は、唖然とした顔になった。理沙はその顔に微笑んだ。理沙は、ベアゼロならそのくらいはしてあげなければ、と思っていた。
     もちろん、芳川から了解を受けていた。

    「最後に、1年間NNP再建に尽くしてくれた佐野部長より、言葉をいただきたいと思います。佐野さんよろしく」
     大村の紹介に理沙は立ち上がり、壇上に立った。
     新年度を間近に控えたある日、全管理・監督職を事務所4階に集め、方針発表会を開いた。
     NNPとしてこういう会を実施することは実に10年ぶりのことだった。TPP傘下になってすぐに開いて以来だった。食堂に椅子を並べ、管理・監督者が席についていた。前方には全役員が席につき、中央のスクリーンにはパワーポイントのスライドで「佐野取締役総務部長退任挨拶」との文字が映っていた。

    「新年度方針発表会という晴れがましい機会をお借りして、お別れの挨拶ができることは望外の喜びです。感謝申し上げます」
     理沙はそう言って頭を下げた。
    「思い起こせば、ちょうど1年前。この地にやってきた私は自信にあふれていました。しかし、その自信はすぐに崩れてしまいましたけれど」
     理沙がそう言うと、軽い笑い声が上がった。理沙はユーモアを交えて、赴任直後からすぐの思い出を述べた。それは今振り返ると、恥ずかしくも苦々しい思い出だったが、今となってはよい思い出に変わっていた。 
     それから、理沙は「再建シナリオ」を手がけるに至る事情を語り、企画に当たっていたときの煩悶を少しばかり語った。しかし、理沙は自らの仕事を誇ることは決してしなかった。
    「これは皆さんの想いをかき集めてまとめただけの仕事です。大切なのは全社員の想いなのです」
     続いて、社内決裁後、JFSBで承認を得るまでの苦労を差し支えない範囲で述べた。聴いている参加者は事務局サイドの裏話に、興味深く耳を傾けてくれていた。

     そして、旧中央チップ製造との交渉のこと、北里山チップの経営改善に乗りこんだときのことを語った。中央チップ製造は清算となったが、その社員のほとんどがNNPに受け入れられた。建屋、設備、事務所が撤去され、そして、「壁」が取り除かれた。
     北里山チップは谷の指示で、経営合理化に着手していた。理沙が訪ねたときには、すでにあらかた手が打たれていた。
    「コスト面では外材に勝てませんが、品質のよさと、絶対に供給ストップしないという約束を買っていただきたいと思います」
     代表者である谷の叔父が、汗を拭いながら説明してくれたことを理沙は思い出した。

    「そして、今日こうやって各職場のリーダーの皆さんが自らの使命を十分理解した上で方針発表していただけたことを、本当にうれしく思います。しかし……」
     理沙は最後に、言いたいことは言ってしまおう、と思った。
    「しかし3年後、この投資計画が終了したとき、果たしてNNPは特殊紙メーカーとしてナンバーワンの地位にいるでしょうか? いかがでしょう? 皆さんには今日この場でそれをお約束してほしいと思うのです。
    『3年後には1位になる』。その気持ちがなければ、その先、決して勝利を得ることはできません。専門メーカーは、1人勝ちするか敗退するかのどちらかしかありません。それが昨今言われている『一強百弱』のことわりなのです」
     理沙はそこでひと呼吸置いた。参加者の表情から、お祝いムードが消えていた。
    「でも、今の皆さんの表情を見る限りにおいて、大丈夫だな、と思います。でも、もし3年後にそうなっていなければ」
     そのとき理沙は、これで本当に私の仕事も終わった、と感じた。
    「もしそうなっていなければ、またお邪魔させていただきます……ご静聴ありがとうございました。どうぞ大いなる成功を」
     理沙は笑顔で頭を下げた。参加者の緊張した表情が一斉に崩れ、割れんばかりの拍手が沸き起こった。

     ハイヒールが無人駅のホームで乾いた音を立てた。
     理沙は、電車が出るまで見送ると言った高原や片山など総務部員一同を強引に押し返し、1人になって電車を待つことにした。
     彼らと別れ、駅舎のベンチに腰掛けていると強い惜別の情が胸のうちに充満した。でも、いつまでも感傷に浸ってはいられない、と立ち上がり、改札を抜けた。
     春のうららかな日差しがあたりを覆っていた。
     桜はまだ蕾だったが、遠くから見ると梢全体が薄桃色のオーラをまとっていた。1年前は早い開花だったが、今年は例年並みだと天気予報が伝えていたことを思い出した。
    ――再び、ハイヒールの私、ね。
     理沙は軽くつま先を開いた姿勢になって、光にあふれるホームで踏ん張った。ハイヒールを履くのは久しぶりだった。マンションを出るとき、これを履いて出たら、少しよろけてしまった。
    ――都会の生活についていけるかしら。
     理沙は笑った。
     腰に両手を当て、背筋を伸ばした。目を瞑り、日差しを顔いっぱいに受けた。そしてゆっくり顔を前に向け、目を開いた。目の前、線路向こう側の矩面に、タンポポが咲き誇っているのが見えた。
     タンポポは小さな花がたくさん寄り集まって1つの花を形作っている。花は枯れたあと、それぞれが綿毛となってその地を離れ、風に乗って行き着いた所で根を張る。そして、またたくさんの花の集まりをこしらえて、周囲に 喜びの黄色い輝きを撒き散らす。
    ――ここで学んだ私は、またどこか新しいところへ行き、そこで花を咲かせるのね。枯らせに行く訳じゃなくて。
     理沙は、足元に生えている綿毛になった花を1本摘み、ふうっと息を吹きかけた。たくさんの綿毛が放たれ、そよ風に乗ってゆっくりと流れて行った。
     理沙は目を細めて行方を追った。やがて、陽炎揺れる視線の先に真っ赤な色の電車が姿を現した。

     <完>

    【この作品はフィクションです。実在する団体・人物等とは一切関係ありません】

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    Kaoru

     
     
    2002年、長編小説「恋するアナリスト」(藤枝芳名義)がポプラ社文芸サイト「作品市場」で大賞受賞、翌年上梓。2021年小説「開鐘(ケージョー)」で第30回岐阜県文芸祭秀作、小説「ねじ花」で第57回岐阜市文芸祭市教育委員会賞受賞、現在は電子書籍、自主制作本にて作品販売中。

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