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人生のシナリオは誰のものか

    台本のない即興劇を生きる

    ​「まさか自分が、こんな人生を送るとは思わなかった」

    過去を振り返るたびに、そう感じる。

    若い頃には想像もしなかった場所で暮らし、思いもしなかった仕事をし、そして、還暦を過ぎた今、小さな子どもたちの父親をしている。

    ​「人生のストーリーは、一体誰が書いているのだろう」

    ふと、そのように考える瞬間がある。

    人は毎日、自分で考え、自分で決めて生きているつもりでいる。

    しかし実際には、
    「あの時あそこへ行かなければ」
    「あの人と出会わなければ」 
    「あの出来事が起きなければ」

    今とはまったく違う人生になっていたと思うことばかりだ。

    自分でコントロールできている部分など、ほんの僅かなのかもしれない。

    ​台本なし、リハーサルなしの「ぶっつけ本番」

    ​「明日、この出来事が起きる」「10年後、この人物と出会う」といった、あらかじめ決められた予定表は存在しない。

    人は皆、生まれた瞬間から舞台の上に立たされ、手探りで役を演じていく。

    まるで、即興劇の役者のようなものだ。

    毎日の暮らしは、絶え間ない選択の連続である。

    朝食のメニューを決めることから、どの道を通って帰るか、あるいは人生を左右するような決断に至るまで、人は無数の岐路を選び続けている。

    その小さな選択の積み重ねが、少しずつ今の自分を形作っていく。
    毎日が、一度きりの「ぶっつけ本番」である。

    予測できない流れと、あざやかな偶然

    どれほど「こんな人生にしたい」と計画を立てても、現実はたいてい予想とは違う方向へ進んでいく。

    まるで、自分ではない何か大きな流れに運ばれているように感じることさえある。

    ​しかし、その予測不能な変化は、決して悪いことばかりではない。

    ​たまたま立ち寄った場所で救われるような出来事があったり、予定が狂ったおかげで思いがけない出会いに恵まれたりすることもある。

    人生には、不思議なくらい絶妙なタイミングで、偶然が織り込まれている。

    人が「運命」や「巡り合わせ」と呼んでいるものは、もしかしたら、この物語をより味わい深くするための演出なのかもしれない。

    訪れる偶然を面白がる

    もし、自分で書けるシナリオがほんの僅かしかないのだとしたら、私たちは何を拠り所に生きればいいのだろう。

    たぶん、その答えは、
    「決めたあらすじに固執しすぎないこと」なのだと思う。

    ​思い通りにいかない展開に腹を立てたり、先の見えない未来を過剰に恐れたりしても、人生は変わらない。

    むしろ、何が起きるか分からないからこそ、この先の展開を楽しみにできる。

    「さて、次はどんな場面が待っているのだろう」

    そう思えたとき、人生という物語は、少しだけ軽やかになる。

    ​今日もまた、無数の岐路が訪れる。

    ​台本のない即興劇は、まだ続いていく。

     
     
     
    50代で結婚し、沖縄の離島へ移住しました。 還暦を過ぎた今、7歳・5歳・2歳の3人を子育て中です。 一人で静かに暮らすはずだった老後が、気づけば人生で一番にぎやかな毎日に。

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