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【書簡】本屋は誰のためにある

    前略

    「メディア化できる新たな作品を発掘する」という創作大賞本来の目的を大きく逸脱して、厚顔無恥にもこの手紙をしたためていることを最初にお詫びいたします。同時に、本書簡を創作大賞の選考からは除外していただくよう、心よりお願い申し上げます。

    タグを悪用し、出版関係者の注意を引く機会を不当に得ようと画策したことは、まさにトレビの泉を真っ赤に染め上げた近年の環境活動家のバンダリズムを彷彿とさせる蛮行と言えるでしょう。わたくしの行いについては、弁解の余地はなく、いかなる批判に関しましても真摯に受け止める覚悟にございます。


    それでも尚、恥を忍んで筆を取ったのは、何を隠そう三十年以上もわたくしを悩ませるとある問題について、その道に精通され高学であられる皆々様のご鞭撻を賜りたいと切望したためにございます。


    長年にわたり私を苦しめるこの問題について、その原因理由について説明をし、あまつさえ解決するだけの力をもっていらっしゃる皆様からご回答をいただかない限り、わたくしを苦しめる呪縛が解かれることはございません。藁にも縋る切実さに免じて、どうか最後まで書き記すことをお許しください。


    わたくしは幼少の時分より、書物を読むことを日課として参りました。

    電信網インターネットのない時分であったため、もちろん書物を買い求める場所は近所の本屋にございました。その頃の習慣が染み付いているのか、令和のこの世になっても、わたくしは極力本屋に赴いて書物を購入することを好んでおります。

    しかしその一方で、初めて親に手を引かれ本屋に足を踏み入れたその日から今日に至るまで、まったく理解できないどころか、通えば通うほどその摩訶不思議さに首を傾げてしまうことがあるのです。


    それは、「本屋の文庫コーナーは、なぜ著者毎ではなく出版社毎に並んでいるのか」、ということにございます。


    もちろん、出版社毎に割り当てられた棚の中で、著者別に陳列されていることについては重々理解しており、「最初にどの出版社から刊行されているかを確認し、次に著者名で探すのだ」と言われてしまえばそれまででしょう。


    しかし、「シュッパンシャ」という概念を理解せぬ年端も行かぬ時分には、探せども探せども希望の本が見つからず、あのわたくしの背をはるかに凌駕する、威圧感すら感じさせる本棚の狭間で打ちのめされ悲嘆に暮れたことは一度や二度ではございません。そうした経験が尾を引き、今でもわたくしの心を蝕んでいることは紛れもない事実にございます。今風の言葉でいうならば、「トラウマ」とでも申すのでしょうか。


    前途明るき少年少女たちがわたくしと同じトラウマを抱え、本屋から足が遠のき、延いては将来的な読書人口の減少という結果を招く可能性があることを、僭越ながらわたくしは読書好きの端くれとして危惧しているのです。


    文庫本がこの世に誕生してから早百年以上。叡知ある先人たちが決めたことなれば、文庫本が著者毎ではなく出版社毎に並んでいることについては、稚拙なわたくしには到底考えにも及ばない合理的かつ公益的な理由があることと存じます。

    どうかそれを女子供にも分かるようにご教授いただきたいのです。

    そして許されるのならば、万が一にも文庫本を出版社毎ではなく、著者毎に並べ替えていただくことはできないものか、そこのところを伺いたいというのが本心にございます。

    「本屋の陳列なのだから、出版社にではなく本屋に訴えるべきである」といった反論が上がるのも、至極当然の成り行きにございます。しかし、実のところわたくしには出版社に勤務していた時分があり、その非常に限られた経験から、本屋と出版社の間にある機微なる関係性について多少なりとも承知しているつもりであります。文庫棚の覇権について本屋に物申すことは、無辜の者を責めるようなもの。そのような非道な行いはわたくしには到底できないことにございます。

    そうした理由から、分不相応ながら、恐れ多くも出版社の文庫担当の方々にお力添えを願いたく、このような書簡をしたためるに至った次第にございます。

    どうかどうか、この書簡へご返信いただくことを、女性参政権を求め身を投げ出したエゲレスのエミリー・デイヴィソン女史の如く、私の一身をかけてお願い申し上げます。


    敬具




     
     

    S

     
     
    感情揺さぶられたい。

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