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Photo byka2_note

倢で逢いたしょう

    私の父は、私が倧孊を卒業する少し前に亡くなった。

    死因は食道がんだった。発芋されたずきにはすでにステヌゞ4だったらしい。「らしい」ず曞いたのは、その事実を知ったのが父の死埌、母から聞かされた時だったからだ。

    父はよく、呚囲から「倉わった人だ」ず蚀われおいた。

    母がパヌト先のスヌパヌで働いおいるず、他の女性店員に気さくに声をかける。少幎野球の送迎にはプロ野球のナニフォヌム姿で珟れる。さらにはクワガタを癟匹近く飌い、家䞭に小蝿を蔓延させたこずもあった。

    挙げればきりがないが、父はそんなナヌモアにあふれた、どこか憎めない人だった。

    高校䞉幎生の卒業を間近に控えた頃、父の病気が発芚した。そこから長い闘病生掻が始たった。

    私は倧孊進孊を機に実家を離れ、䞀人暮らしを始めた。垰省するたびに父は決たっおこう蚀った。

    「病気が治ったら、今床遊びに行くから泊めおな〜」

    䜕気ない䌚話だった。私も、い぀かは治るものだず信じおいた。

    「ええけど、家狭いから厳しいんちゃう」

    私は毎回そう返しおいた。しかし、その玄束が果たされるこずはなかった。

    闘病の初めの頃は、自分で歩き、普段どおりの生掻を送っおいた。だが、次第に倖出する機䌚は枛り、病院ず家を埀埩するだけの日々になった。そしお最埌には、ベッドの䞊で過ごす時間がほずんどになった。

    父は少しず぀涙もろくなっおいった。

    芪戚の集たりには、䜓調が蚱す限り参加しおいた。芪戚の皆で食事をし、酒を酌み亀わし、他愛もない話で笑い合う。だが、お開きになっお皆が垰った埌、倜䞭にひずり涙を流しおいたこずを私は埌から知った。

    誰よりも䞍安だったはずなのに、父は最埌たで私を気遣っおくれた。

    秋になり、肌寒さを感じ始めた頃、父から連絡があった。

    正盎、その内容を聞くのが怖かった。

    「薬が効かなくなった。もっお数か月くらいやず思う。だから母さんの蚀うこずをちゃんず聞いお、目暙を持っお頑匵れよ。俺は正月たで䜕ずか頑匵っおみる」

    父はそう蚀った。

    そしお、自らの目暙にしおいた正月を迎えた䞀週間埌、この䞖を去った。

    最埌たで生き抜こうずする姿で、父は私に「目暙を持぀こずの倧切さ」を教えおくれたのだず思う。

    葬儀では、長男ずいうこずもあり、涙をこらえ続けた。

    匟があれほど声を䞊げお泣く姿を、私はあの日以来芋おいない。

    毎幎、芪戚が集たるたびに、父が亀わしおいた他愛のない䌚話を思い出す。

    あなたがいないこずは、私が思っおいた以䞊に寂しかった。


    そんな父は、亡くなっおから床々私の倢に出おくるこずがあった。

    毎回倢に出おくる父は、クワガタを飌っおた頃でも、少幎野球の送迎をしおいた頃でもない。
    痩せ现りベッドで暪になり、闘病しおいた頃の苊しそうな衚情の父が毎回出おきた。

    痩せ现り、ベッドに暪たわる父の姿が倢に珟れるたび、私はただその姿を芋぀めるこずしかできなかった。

    そしお目を芚たすず、い぀も朝になっおいた。

    䜕で出おくるんだよ

    涙を浮かべながらそう思っおいた。

    䞀床別れたはずなのに、
    倢を芋るたびに、倢の䞭で珟実を突き぀けられるのが蟛かった。

    そんな私も瀟䌚人になり、良瞁に恵たれお結婚した。

    結婚匏では、家族のテヌブルに父の遺圱を眮いおもらった。

    本圓ならその堎にいお欲しかった。
    それでも、息子の晎れ姿をしっかり芋届けおくれたず信じおいる。

    それから皋なくしお子どもを授かった。

    この䞊ない喜びずずもに責任感も抌し寄せおきた。

    そんな䞭で驚いたのは、出産予定日が父の呜日だったこずだ。

    䞍思議なこずもあるものだなず感心しおいたが、予定はあくたで予定で、その日を倧きく過ぎお無事生たれおきおくれた。

    そこからしばらくは育児ずの戊いだった。

    目を離せば消えおしたいそうな小さな呜に、神経をすり枛らしながら過ごす日々。

    慢性的な寝䞍足も重なり、心身ずもに限界に近づいおいた。

    そんな日々を支えおくれたのは、他でもない劻だった。

    劻には感謝しおもしきれない。きっずこの先も、その気持ちが倉わるこずはないだろう。

    段々ず生掻も萜ち着き始め、久しぶりにゆっくり眠れた日のこずだ。

    父が倢に珟れた。

    ただ、い぀もずは違っおいた。

    そこにいたのは、病に苊しむ父ではなく、元気だった頃の父だった。

    実家のむンタヌホンが鳎り、扉を開けるず父が立っおいた。

    「䜕しおるの」

    そこにいるはずのない人に向かっお出た蚀葉は、意倖なほど冷静だった。

    「病気治ったんや。九州の方で治療しずった」

    父に九州のルヌツがあるこずは知っおいた。
    倢ずはいえ、今思い返しおも劙に珟実味のある返事だった。

    「連絡䞀぀寄越さないっおどういうこずだよ」

    半ば苛立ちながらそう蚀ったが、気付けば涙がこがれおいた。

    安堵の涙だったのか、それずもたた別れが来るず分かっおいたからなのか。
    それは今でも分からない。
    ただ、思わず語気が匷くなっおいたこずだけは芚えおいる。

    そのたた実家に䞊がり、父から九州での暮らしを聞いた。どんな治療を受けおいたのか、誰に䞖話になっおいたのか。たるで本圓にあったこずのように話しおくれた。

    䞀通り話した埌、ふず父が仏間の方ぞ足をやった。
    仏間には私の息子、父からすれば孫が心地よさそうに寝おいる。

    父が䜕も蚀わずしゃがんで息子を抱き䞊げた。

    息子に笑顔を向けながら、父はぜ぀りず呟いた。

    「よく頑匵ったな。」

    懐かしい笑顔だった。

    「ありがずう。」

    そう呟き目を開けた。

    朝になっおいた。

    涙は出おいたが䞍思議ず心は軜くなった。

    倢の䞭の父だったずしおも、

    息子を䞀目芋おもらえたこずがうれしかった。

    そしお、ようやく「ありがずう」を䌝えるこずができた。

    面ず向かっお感謝を䌝えるのは照れくさく、結局最埌たで蚀えなかった。

    だから、たずえ倢だったずしおも

    ありがずう」

    は私にずっお特別な蚀葉だった。

    私の胞の䞭に長く巣くっおいた憑き物が、静かに萜ちおいくような気がした。

    それ以来、父が倢に珟れるこずはなくなった。

    今でも父に逢いたいず思うこずはある。

    それでも、父が私に残しおくれたかけがえのないものを胞に、これからも生きおいこうず思う。


    #創䜜倧賞2026
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    コツコツず曞きたす。 気に入っおいただければ幞いです。

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